本ページではフレルミエ共和国連邦のフールナ地域における歴史を記述する。
目次 |
---|
古代フールナの文明圏は5本の大河にそって発生し、大きくわけて4つの文明が発生した。東のものから河川の名前を取ってキーリェ文明、フルシュ文明、チューク文明、モーリュ文明と呼称され、隣接する文明同士ではある程度の技術的・文化的な繋がりがみられるものの、概ねそれぞれが独自の文化的・技術的発展を遂げた文明であると見られている。共通するものとしてそれぞれの文明圏を流れていた河川を基軸とした水上輸送が盛んであったとされる資料が各地で発見されており、河川を通じた交易などが盛んに行われていた事が伺える。
最古の遺物が紀元前7000年、最古の遺跡は紀元前5000年頃のものから存在するが、文字による記録が紀元前1200年頃まで存在せず、発掘された遺跡や異物などから推定する他ないため、古代フールナにおける4つの文明圏の詳細については多くが謎となっている。
詳細な時期や期間等は不明であるものの、少なくともIU-1000年より前には東零地域の4文明の統一が成されており、河川だけでなく、陸路や海路を利用しての交易も盛んであったとされる。
紀元前1000年代頃から文字資料に大きな混乱が見られ、不明点の多い時代となるが、ファタ・モルガナ側の資料と照らし合わせるとこの時期に大陸では大きな動乱が起きていたとされている。
紀元前1000年頃から統一までの資料は多くが散逸してしまっており、動乱の詳細等は不明点が非常に多いものの、バラバラの資料を照合すると以下のようなものとなる。
上記の記録から、戦乱は農作物の不作によるものであることが分かる。また、各地での民の逃亡は時期は不明であるものの、動乱の発生時期とファタムジア島での異民族流入の時期が重なるため、おそらくフールナ系民族が流入したものとされる。
また、南方に出現した異民族についてもファタムジア島側の記録で民衆の島外逃亡についての記録があり、現在のベレーネの文化や言語にファタムジア島文化圏との共通点が多く見られるため、現代においてこの異民族はファシア人であるとされている。
紀元前780年頃、キーリェ川付近に勢力を置いていた勢力が戦乱を収束させ、東は現在のフールナから南はベレーネ、西はレミシュを超えてヴィレナまでを平定した。
この統一国家は歴史書にキーリェ・シュナと記録されており、中心となる地域は現在のフールナ大陸南部に相当する地域であったとされる。現在のフールナの首都であるキールカルシェの近郊でも建国期の遺跡が見つかっており、同時にキーリェ・シュナの記録物は多くがキールカルシェから発見されている。