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起源

数万年前、ノグア人類の共通祖先は南グランダから移動を始め、ノグア各地に移動したという説が現代のノグアでは広く支持されている。(グランダ単一起源説)

「ユーレリアレージ」の目覚め

紀元前1000年頃、エレイスでの政争に負け、グランダ北部にまで逃れてきたエレイス人の子孫、グレディオらによって都市国家グレディンスが建国される。 グレディオ王は「王たちの親征」と呼ばれる征服運動を行い、周辺の集落や都市国家を征服、あるいは同盟によって勢力下においていった。
第6代「詭計者」スコルティオン王の時代にはグレディンスから北、現在のゼルノシア付近までを版図に収めていたが、スコルティオン王はグレディンスを自身の出身であるマラテアの属国に落とし込もうしていた疑いをかけられ、グレディンスから追放された。
王の追放後、グレディンスは民会と貴族からなる元老院によって統治され、共和政が成立した。その後グレディンスはエレイス北部の諸都市、ワーシイワ、エルヴェメ半島を征服し、紀元前500年頃までに西アウレージの大半に版図を広げていた。
しかし紀元前446年、東部で征服活動を行っていたケセン将軍が元老院の意に反して突如グレディンスへの進軍を開始し、「フリーア・ケセン(偽王)の乱」と呼ばれる反乱が発生した。これに対し、元老院はグレディンス市民からの支持が高いアウリア・レスガレスを大権官に任命し、レスガレスはケセンの乱を鎮圧した。乱の鎮圧後もレスガレスは大権官の地位につき、元老院の支持を取り付けて統治者「エーリル」となり、ユーレリアレージの成立、メルセンへの遷都などの改革を行ったが、これに反対したオキュウッポスらの闇討ちによって暗殺された。レスガレスの死後、混乱する元老院をまとめ上げたガレティアは、逃亡したオキュウッポスらを追って西エレイス南部にまで侵攻し(黒い月のお告げ事件)、西エレイスを完全に支配下に置いた。
レスガレス以降のエーリルは「東征」と呼ばれるガルフ地域(現在のシャノワール・トリア地域)の征服活動を行い、シャノワール人と衝突しながらも西トリアから東エレイスまでを支配下に置いた。更に紀元前300年頃には南北ブーミテン島も征服し、エーリル・トバリウスの治世下にユーレリアレージの版図は最大となった。
しかし次第に帝政は荒廃の兆しを見せ始め、紀元前235年、エーリル・ピウスが暗殺されるとユーレリア軍団によるエーリルの乱立が始まり、「第二反乱」時代が幕を開けた。最後の軍人エーリル、エーリル・セプタルス・アウガレオンはエーリル権の強化によって第二反乱を鎮め、また、この頃エレイスから伝わり、民衆に信仰が広がっていたハルテャーフ教の布教を容認し、マグネテス・アーツィルスによって現代にまで続く教会制度の基礎が作られた。
一方で、紀元前200年頃から始まったシャノワール人の大移動によってユーレリアレージは国境防衛のための軍隊に多額費用をかけざるを得なくなり、ユーレリア軍団の肥大化はエーリル権の縮小につながっていった。紀元前75年に発生した「第三反乱」は崩壊しかけていたユーレリアレージにとどめを刺し、「大いなるくびき」と呼ばれるエーリル権の5分割によって第1ユーレリアレージの時代は幕を閉じた。

最終更新:2024年09月17日 11:42