ヘルネーナ・エルメティノルナ・プラルネ・モルガナ | ||
Herneena Elmetinoarna Prarne Molganiy | ||
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生没年 | 1659年10月20日~1730年3月19日 | |
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生誕地 | ![]() |
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没地 | ![]() |
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先代 | エルメティナ・エルレーノルナ・プラルネ・モルガニヤ | |
次代 | ルメルナ・ヘルネーノルナ・プラルネ・モルガニヤ | |
プロフィール | 目次 | |
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在位 | 1669年~1703年 | |
異名 | ヘルネーナ皇 |
ヘルネーナ・エルメティノルナ・プラルネ・モルガナ(府:Herneena Elmetinoarna Prarne Molganiy)は、ファタ・モルガナ帝国第201代女皇。
1659年10月20日、第200代エルメティナの長女として生を受ける。翌年、翌々年にはそれぞれ一人ずつ妹が生まれ、二女がユルゼリナ、三女がレンシナと名付けられた。
慣習に従って14歳の誕生日に女皇へと即位する予定であったものの1669年にエルメティナが急逝、これによって若干10歳にして女皇の座に就くこととなった。
即位式には年齢からは想像も付かない程落ち着いて臨んだと伝わっている。
皇立海軍の提督であるエミレーラ・レレゲンノーカと懇意であった。問題行動ばかり起こすエミレーラが軍に籍を置いたままでいられたのは彼女がヘルネーナと親しい間柄であったからとも言われている。エミレーラとは互いに渾名で呼び合うなど極めて仲が良く、また女皇という身分に在るヘルネーナにとっては唯の友人として接してくれる様な人間はエミレーラ以外には居なかった。エミレーラとの関係は彼女が1726年に病死する直前まで続いたという。