エウリュアル内戦 | ||
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期間 | ||
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場所 | ![]() |
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結果 | エウリュアル反乱軍の勝利、エウリュアル王国の崩壊 | |
交戦勢力 | 目次 | |
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指導者・指揮官 | ||
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戦力 | ||
![]() 95000 ![]() 21000 ![]() 18,800 |
![]() ![]() 80 ![]() 80 |
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損害 | ||
![]() 780 ![]() 120 ![]() 800 |
![]() 158400 ![]() 77 ![]() 80 |
事の発端は内戦の6年前に遡り、当時皇太子であったリューテー16世の側用人の息子リュース3世がカーグァルッタ高等学校在学中に校則で禁止されている労役(祖母の花屋と祖父の魚市場の手伝い)をし、金品96400マリーを受け取っていたとして、彼と同じく高等学校及びそれに相当する学校機関に通う子供を持つ貧困層の家庭が強く反感を抱き、その花屋と魚市場はもちろんのこと彼の父方の祖父が経営する春画工房や肉屋、輸入品店などに対する不買運動が行われた。 これを受けて王国首脳部並びにキョハク・フォーカーの両王朝は軍隊による弾圧を加え、運動の中心人物、積極的に参加した者を逮捕した。その際不買運動参加者364931人のうち114514人が逮捕され、その中の964人に死刑判決、40109人に禁固刑(無期、有期問わず)が下ったことによって不買運動は収束した。また、これらとは別に取り調べ中に109人が死亡したことから、王国側が拷問を行ったのではないかという噂が流れたことで王国の信頼は地に落ちたのだった。
騒動から4年後、かねてより国家に不満を持っていた不満分子とリュステーム騎士団が収監された不買運動参加者の開放を目的に監獄を襲撃した。 無論、王国首脳部と王朝は例の如く軍隊を向かわせたものの、不満分子の中に元軍人が多く含まれていた事から不買運動弾圧時の様にはいかず、建物などを利用した市街ゲリラ戦に散々翻弄された末に死刑の収監者964人のうち810人、禁固刑の収監者40109人のうち6576人の解放を許すという散々な結果に終わった。 この事件が与えた影響は大きく、意気消沈していたかつての不買運動参加者や弾圧の恐怖に怯えていた民間人が続々と不満分子ないしリュステーム騎士団の元に集まり、ウィサル地方ウィサル州ウィサル市を本拠としエウリュアル再建のための反乱軍 を結成するに至った。これに対してリューテー16世が討伐軍を編成し反乱軍討伐を急行。よって、2年に及ぶ大規模な内戦が始まったのであった。
エウリュアル再建の為の反乱軍が使用した軍旗。
王国軍はまずヌウォル・シーコン中佐率いる第44連隊をヴァークリー要塞へ、ガイ・テルムス中佐率いる第45連隊をヴァースター要塞へと向かわせた。 両連隊に対し各要塞の守備兵はヴァークリー要塞は1700、ヴァースター要塞は1300と各連隊の半分〜1/3程の数であったものの、各要塞の抵抗は強固なものであり王国軍は苦戦を強いられたのだった。 ところが、突如として両要塞は放棄され、王国軍は思わぬ形で白星を得るのだった。(ヴァークリー要塞の戦い、ヴァースター要塞の戦い) 王国軍は更に勢いをつけてウィサル州へ進軍を開始。反乱軍に靡いた村や街を破壊、略奪しながらイオルグ要塞、ウォテステイン要塞を落とし、ウィサル州の最前線ともいえるリオゲネス要塞へ辿り着いた。