基本情報
略歴
ガルデス共和国司令官兼参謀官として精鋭部隊を任され各地の戦いで活躍、同時に数多くの優秀な人材を副官につけて幅広い人脈をつくるなど、人事にも貢献した。
その後の戦局は、圧倒的国力差によって徐々に苦しくなり、
クァル・アヴェリの戦いにおいて防衛の指揮をとるが、帝国軍に押し切られて拠点を失い首都に帰還。
進軍を続ける帝国軍に対して、
ノスティーライナの戦いで強襲を仕掛ける賭けにでて、
ラヴェリアと共に奇襲を仕掛けるが、これも僅かに届かず撤退する。
だが、帰国した彼を待っていたのは、
ラヴェリア事件によって議長
ラヴェリアが落命したという知らせであった。
その後、
ゴゥドが台頭を始めたことにより、
ラヴェリア派閥だったゲイルは完全に中央からはずされ、
レッド・ゲアルの戦いにおいては、船を製作するための輸送部隊として第二陣になる。
この戦いで
ガルデス共和国軍は敗北、ゲイルは撤退する味方をよく守り、
コーデルスで密かに建築中だった砦がこのままでは奪取されると判断、砦を燃やして本国に帰国した。
1258年、
ガイ・アヴェリの戦いにも参戦する一方で、
ゴゥドが政敵となった
レディスを失脚させ拉致した際、行方不明になった
レディスを密かに探し出して救出した。
ゴゥドが急死した際は、
レディスと共に報復による暗殺の主犯として疑われたが、あえて弁明せず、堂々とそれまで通りの仕事を行うことで、徐々に噂は風化していった。
その後も各地で指揮官としても外交官としても活躍し、戦乱の時代を生き残る。
兵権は娘の
リナが継ぎ、自らは「
統帥治論」を執筆、本の完成の五年後に
リナに看取られて静かに息を引き取った。
人物
- 経歴は敗戦の連続であったが、そのほとんどが最初から勝ち目のない圧倒的国力差を惜敗にもっていったとして、後世だけではなく当時に置いても名将として知られていた。
- レディス失脚後、地位を餌にゴゥドから自派閥への参加を促された際、「私を権力で動かせれると思うな、私は民衆のために動くのだ」と一喝し、提案を一蹴したといわれている。
- 娘リナへの溺愛ぶりと過保護の様子は、共和国内で知らない者はいないほどだったが、1256年に家督を譲ったころから顕著になる。アレシア連邦参加の頃にリナが結婚、家を出る際に、家族の目を盗み壺に隠れてついていこうとしたが発覚、娘から一喝されそれ以降親子の力関係が完全に入れ替わったという。ただし、泣き崩れる父親を不憫に思ったリナは、月に一回手紙や名産品などを送り続け、ゲイルの引退後は屋敷に引き取り一緒に暮らしたという。
関連項目
最終更新:2024年08月22日 16:30