エル


基本情報


略歴

旅を続ける翼在りし者の一人。
1251年、ラグライナ帝国に立ち寄った時、その聡明さをセルレディカに買われて一族から離れ、一人皇帝に仕えることとなる。
普段は大人しく、波風を立てずに誰とでもつきあえるが、一度戦場に出れば、自分を信頼して全てを任せてくれるセルレディカの為に、いかなる犠牲でも払う決心を持つ。
肩書きは軍師だが、知略・謀略というよりも調停・外交の人、セルレディカの亡妻ルフィアの面影を持ち、彼の「皇帝という名の寂しさ」を唯一理解している。

1255年、9周期23日目フェルグリアの戦いには、セルレディカの代わりに総指揮官として参戦し、この決戦を勝利で終わらせた。翌年の第3次モンレッドの戦いでは、出陣したセルレディカと共に本陣にいたが、敵軍の突破を防ぐため、途中から最前線に身を投じ、中央戦線を勝利に導いた。
その後、クァル・アヴェリの戦いに臨むが、この戦いの直前、皇帝セルレディカが突然吐血して倒れた為、それを隠したまま、強引な攻撃でこのクァル・アヴェリを陥落させ、その際共和国のミズハを内応させることに成功する。
ガルデス共和国首都を目指している最中、ノスティーライナの戦いにおいてラヴェリア自らが指揮する部隊による奇襲を受けるが、かろうじてこれを撃退、その直後に内応させたミズハがラヴェリア事件を起こし、ラヴェリアは落命する。このとき、利用するだけ利用したミズハを残酷に殺害し(遺体は野犬に食べさせた)、それがエルの命令だったことが知られ、それまでの評価は一転、「堕天使」と呼ばれ怖れられる存在となる。そして、自らもその酷評に対して反論はいっさいしなかった。

皇帝崩御の際その枕元に呼ばれて密かに後継者に指名されたと言われているが、人払いをされていたためその真偽は定かではない。皇帝崩御の翌日、彼女は一度だけその羽ばたきを帝都上空で見せると、帝国から姿を消した。

人物

  • 彼女がミズハをあえて残酷に殺害したのは、矛先を自分に向けさせることで、皇帝たるセルレディカの威光だけは曇らせない為であった。
  • セルレディカの崩御直前にエルが単独で謁見していたという事実は、後世様々な憶測・学説の元ととなった。

 セルレディカ帝の崩御に際して、彼女(=エル・ローレライナ)がセルレディカ帝から禅譲を打診されたのではないかという逸話が存在し、世に出回る多数の戯曲もその意見を支持している。しかし、一部には、エル自身がセルレディカ帝崩御後を見越した布石を何ら打っていない点などを理由に、禅譲劇の存在そのものを否定する意見も存在している。本書の執筆に際して重要な参考文献となっている『アレシア戦国記』も、禅譲劇の存在を懐疑的に捉えている。同書の代表執筆者(=エヴェリーナ・ミュンスターは後の述懐で、「セルレディカから託されたのは皇帝ではなく摂政の位であり、ルディ・フォン・ラグライナが即位するまでの一時的な繋ぎ役だったのではないか」との考えを示していたが、この意見は本人も認める通り憶測の域を出ないものであり、『アレシア戦国記』にも採用されなかった。
 摂政役を打診されていたとしたら、エルがそれを辞退した理由は何なのかを考察する必要がある。
 『アレシア戦国記』など複数の歴史書が伝えるところによると、セリーナ・フォン・ラグライナはセルレディカ帝が崩御する以前から複数の貴族・高級将校と水面下で接触するなど、自らの派閥を形成する動きを見せていたとされる。当然、エルもこの動きは察知していたはずである。もしかしたら彼女は思考を進め、セルレディカ帝崩御直後にセリーナがクーデター(またはそれに近い政治的行動)を起こすことを予見していたかもしれない。エルの政治的な庇護者はセルレディカ帝のみであり、自らの派閥というものを一切有していなかった(強いて挙げるならば、キリカ・ラングレーなど一部の官僚に限られる)状況下においては、クーデターを起こされることは自らの「政治的な死」のみならず「生物学的な死」ともほぼ同義語となる。セルレディカ帝の後継者問題に対する姿勢とセリーナとその派閥の動きから、エル・ローレライナは混迷する帝国の将来をある程度予見し、自らの力ではこの将来を変えられないことを悟った──そして自ら政治の表舞台から身を引いたのではないかと考えることも可能なのである。
 一方、セリーナとその周辺が怪しい動きを見せなかったとしても、エルはセルレディカ帝の崩御と共に姿を消すつもりだったという指摘が存在する。エル自身はラグライナ帝国という組織ではなくセルレディカ帝という個人に対して忠誠を誓う存在だったからだ。ルディとセリーナがエルの私的な忠誠の対象であったことを示す資料は確認されていない。また、エルの才覚と謀略の数々はセルレディカ帝の存在があればこそ輝いたものであり、セルレディカ帝崩御後のエルはその才覚と内縁の妻という特殊な地位故に、その存在自体が帝国にとって重大な不安定要因となった──それ故に帝国から水から姿を消したのではないかという学説もある。どちらの説も興味深い意見であるが、有力な反対意見が提示されており、彼女の失踪劇を説明する決定的な説とは言い難い。
 私(=エドワード・ブランフォード)自身、本当に禅譲(または摂政就任)の打診があったのかどうか、確たる自信を持っているわけではない。また、彼女がどのような意図を持って帝国から姿を消したのか、正確なところは何も分からない。過去の歴史家の多くも同じ思いであり、彼女が帝国から消えた理由を正確に把握できずにいる。ただ、歴史家の多くはその理由を憶測しつつも、エルがラグライナ帝国から姿を消したことを「責任放棄」などの言葉で非難していない。エル・ローレライナはセルレディカ・フォン・ラグライナの影としての役割を完璧に果たし、時宜を得て歴史の表舞台から自ら姿を消した──多くの歴史学者はエルのことをこのように評価しているのである。私自身もこの意見に同意したい。

── ラグライナ帝国興亡記、エル・ローレライナ評伝より

関連項目


最終更新:2011年04月22日 13:47