アマネオ

海音々とたくさんの手(2013年夏・盆)

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amaneo

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 ある男が盆踊りの帰り道、名呑浜へ行った。

 おかしい。

 打ち寄せる波間から手が招いている。

 おいで、おいで。

 男はそれにつられて海に入り、魂を抜かれて帰ってくることができなかった。

 

 という名呑町に伝わる民話のせいか、八月下旬の名呑浜には人影がないかった。カナメ一家の一軒家から徒歩五分の場所。

 その海辺をコカゲが歩いていた。砂浜に残る足跡はサンダル底のジグザグ模様。八歳の男子にしては小さかった。
「どこー、ウミネネー」

 声を出すたび、後ろに結んだ長い黒髪が揺れる。岩場の上をひょいひょいと跳び、周囲を見渡す。足元のフナムシがわらわらと散っていく。コカゲは近くの入江にウミネネの姿を見つけた。
「父さん、ウミネネおった」

 カナメは潮風を寒がりながら、後ろをついて来ていた。身体を抱えて縮こまっている。
「ああ、じゃあ呼んできてくれ。そろそろ夕食な。俺、家に戻って魚焼いてるから」

 コカゲは頷き、入江へ向かった。暗い穴へ入ると天井が低く、呼吸音すら響く。
「ウミネネ、帰ろうや」

 背中に話しかける。奥にいたウミネネは、大人サイズのTシャツに膝まで入れて小さくしゃがんでいた。
「やだ」

 口をへの字にして、声をあげて泣きそうになるのを防いでいる。何かを隠すように動こうとしない。肩までの茶色がかった黒髪が震える。
「なんで」

 コカゲのイライラした強い口調で、更に涙目になる。ウミネネは手を引かれ、無理やり立たされた。
「あまねおか」

 アマネオはお母さん、お母さんと言ってコカゲの膝に白い身体を擦り寄せる。離れて見れば這いまわるトカゲのようだが、足と頭が違った。白い胴から黄緑色 の太い触手が四肢のように生え、頭部はのっぺらぼう。小さな頭はぶよぶよと柔らかく、声を出す度に線が入るように裂けて口が出てくる。
「父さんに禁止されたろ。また同調したんか」

 ウミネネはアマネオを着ると、ほとんど覚えていない母親の記憶を思い出してしまうことがあった。

 コカゲはそれを、「お母さん」と鳴き続けるアマネオに影響されてしまう「同調」と理解していた。しかしコカゲが母親の記憶を思い出そうとしてアマネオを着ても、「同調」らしきものは起きなかった

 ウミネネだけ特別扱いされているようで不愉快だった。
「だってお母さんが守ってくれた」

 コカゲは粘液を足に絡ませてくるアマネオを蹴飛ばした。糸を引きながら吹っ飛んでいった。
「母さんが何なん? 父さんがおるやろうが」

 ウミネネが泣き出した。
「すぐ泣くし。ほんとに同い年なんかね」

 アマネオはゆっくりと再びコカゲに近づくが、足で払われた。
「ほら行くよ。もうあまねおはおいてきな」

 泣き続けるウミネネの前で、背中を見せて膝をついた。ウミネネは甘えん坊で、背負われるのが好き。コカゲはそれを知っている。ウミネネは泣きながらおぶさる。コカゲは体重が同程度の彼女を根性で持ち上げる。余裕の表情を演じて一歩一歩進んで外に出る。
「あまねお、んじゃな」

 アマネオに挨拶をするが、もう姿は無かった。左右を見て探すと、海水が出入りする穴が見つかった。
「こっから来たり帰ったりしよったんか」

 外に出ると、水平線近くまで夕陽が落ちていた。湿り気を帯びた潮風が二人の髪を揺らす。
「ウミネネ、あんまお母さんお母さん言うなよ」

 背中で泣き続けるウミネネを揺する。さくさく歩くが、腕が痺れてくるのを感じる。
「どうして。お母さんに会いたいもん。みんなお母さんいなくてかわいそうって言ってるよ」

 橙色の砂浜に二人のかたまった影が伸びる。ひょろ長い紐状の影も伸びているが、コカゲは気付かない。
「カワイソウって言われても、自分をカワイソウだと思うなって父さんが言ってたろ」

 ウミネネはよくわからずに首を傾げた。その頭にはアマネオが乗っている。
「ウミネネ、父さん好きだろ」
「うん」

 コカゲは黙った。打ち寄せた波に足が触れたが、気にしていない。
「母さんとかおらんでも大丈夫って言わんと、頑張ってる父さんの立場がない」

 二人が揃って海を見た。遠くから声がしたのだ。
「コカゲくん、ウミネネちゃん!」

 豆粒に見えるのは近所のラーメン屋店主、朝倉だった。彼はよくボートを出して夜釣りにいくのだった。今日も釣竿を抱えていた。
「相変わらず仲がいいね」

 言われた途端、コカゲは手を離してウミネネをどすんと落とした。不機嫌そうな仏頂面になる。ウミネネは尻餅をついたが、アマネオが下敷きになってたいした痛みはなかった。
「おじちゃん! 今日は釣れた?」
「いんやあ今からさあ。そういえば、四年くらいずっと閉鎖してた水族館に最近明かりがついてる時があるが、どうだい。ちょっと行って――」

 ボートの背後に波が立ち、そこから無数の手が見えた。波間から伸びて朝倉の全身に絡みつき、海へと引きずりこんだ。静かになり、空のボートだけが残った。二人は呆然と見ていた。
「どうしよう」

 ウミネネが尋ねたが、返事はない。
「ねえ、どうしようコカゲ」

 コカゲは嫌な汗が吹き出すのを感じながら、何も上がってこない水面を見ている。突如、砂を踏んで走り出した。
「早く父さんに知らせんと!」

 コカゲの大声に弾かれたようにウミネネは立ち上がった。
「ウミネネはアマネオ連れて来て。っていうかおったんか。じゃあアマネオに」

 言い終わる前にウミネネは服を脱ぎだしている。頭からアマネオをかぶるように飲み込まれていく。

 ウミネネの体表面を薄く伸びたアマネオは、細胞を溶かして一体化する。小さなゼラチン質の塊――クラゲの死骸のようになったが、そこから成型してニメー トル近い大きさのアマネオになった。半透明の中で、溶けずに残されていたウミネネの脳が引き延ばされ、局在する内臓と全身の赤い神経系と繋がる。

 四つん這いになって砂浜を駆け出し、海に入っていく。エラができ、四肢の触手が変形して翼状になり水をかきわける。

 ボートにつき中を覗くと、そこには切断された釣竿がある。アマネオは両腕部から一斉に触手を出して海中を探る。長いものでは十メートルほどもあるが、何も感じない。

 エプロン姿のカナメが砂浜にやってきた。コカゲも後から続く。
「どんな奴だった」
「なんか、たくさんの手みたいな。硬そうな」

 コカゲは言い澱んだ。父親から水棲生物の話はいくつも聞いていたが、そんなものはいなかったからだ。
「でかい甲殻類か。いや、名呑の海は何がいてもおかしくないんだよ。で、触手じゃなかったか」

 カナメの脳裏に、以前深海でナツを襲った生物がよぎった。
「ううん、なんか虫の足みたいなやつ。でも人間の手みたいな色しとって、それで」
「胸脚か?」

 カナメは海上のアマネオに向かって指示を出す。
「ウミネネッ! そこにいるのは多分カニかエビだ!」

 アマネオは波の動きと水中の匂いを触手から感じとり、そちらへと伸ばす。しかしふと気づく。

 ――カニ。エビ。ということは。

 アマネオの触手が数本切断された。しゅるる、と一気に縮めて戻らせる。

 アマネオは夕陽が消えた暗い海に潜った。空気の泡が頭上に消えていく。ゴツゴツした岩に何度もぶつかる。

 オオクチホシエソの目を作り出す。のっぺらぼうのこめかみあたりに目玉が二つとび出て、光線を出して視界を確保した。

 海底にエビとカニを混ぜ合わせたような三メートルほどの生物がいる。「それ」は縦長いがウチワエビのように幅が広く、巨大なハサミは鋭い。腹には大量の脚があり、小型のハサミもある。朝倉はそこに捕らえられていた。すでに意識はない。

 後ろにいくにつれて、ワタリガニのような平たい脚へと変化して泳ぎやすくなっている。

 アマネオは近づいていくが、巨大なハサミは意外と素早かった。「それ」は横移動とバックを使って離れながら様子を見ていた。まるで朝倉を人質にしているように。

 アマネオは両腕を変化させて限界本数まで触手を出して朝倉を狙うが、「それ」に全て刈り取られてしまう。さらに頭の上部ごと目玉を切り取られた。

 ――早くしないと朝倉のおじちゃんが死んじゃう!
「触手が切られちゃうのか」

 カナメの声がした。海上に出しておいた一本の感覚器を伝って届いたのだった。
「だったら相手の隙を作るんだ」

 コカゲは横で父親を見ていた。水中で何が起こっているのか、砂浜からではわからないのに察することができている。コカゲにはできない芸当だった。それでも何かしたかった。

 隙。隙を作る。
「ウミネネ! 夏休みの自由研究。お前サボっとるよな。僕はやったよ。ザリガニ。ウミネネも見とったやろ!」

 アマネオはザリガニの巨大な目を出した。頭部がザリガニに変化し、眼柄がんぺい)の先には数十万の目がまとまった複眼が二つ。
大量の触手を展開して再び近づく。動きを複眼で追い、ハサミを避けていく。

 しかし突然、「それ」は朝倉を解放した。拍子抜けしたアマネオは一瞬反応が遅れた。ハサミが一閃。眼柄の根元からザリガニの目が切断された。アマネオの視界が消えた。

「自由研究、何やったんだ」

 砂浜でカナメが息子に聞く。コカゲは、ちょっと可哀相だったんだけどと前置きをして言った。
「アメリカザリガニの異形再生」

 アマネオの切断された目の根元から触手が再生された。それはしっかりと朝倉に巻き付いた。全速力で浮上し、ボートの上に朝倉をのせた。押すように泳いで砂浜を目指すが、二人が叫んでいる。
「ウミネネ! うしろうしろ!」

 再び波が立ち、無数の手が出てくる。「それ」の影が水柱の中にチラチラと見える。アマネオはボートを押し出すと、まともに「それ」にのしかかられて沈んでいった。
「ウミネネーッ!」

 叫びながら、二人は泳いでボートに向かう。ボート上でコカゲはオールを漕ぎ、カナメは朝倉に人工呼吸を施す。

 舟が進み出すと、「それ」と絡んだ巨大なタコが水面から跳ねあがった。また沈んだかと思うと、切断されたタコの足が二本浮かんできた。

 なんとかボートは砂浜に着き、コカゲは救急車を呼びに走った。カナメが引き続き心臓マッサージと人工呼吸を繰り返している。その背景では死闘が繰り広げられていた。

 海面にはそれら互いの破片が散り、波に流されていく。

 数十分後、なんとか息を吹き返した朝倉が救急車に運ばれていく。カナメとコカゲ、それにウミネネが見送っていた。
「さてと」

 カナメが砂浜にある「それ」の死骸を見る。エビやカニらしさは微塵もなく、かつて深海でナツが襲われた「それ」に近い形に戻っていた。

 ――コイツは万能細胞なのか? 今回のは名呑浜の伝説みたいだったが。にしてもコカゲもウミネネも危なかった。まだ目は離しちゃいけないな。反省。
「コカゲ、ありがとう。お前、いつも判断速くて助かるよ。ウミネネが危なかったからな」

 コカゲは別に、と言って歩き出す。父親と目を合わせないようにして家に入った。ドアを閉めるとすぐに飛び上がって喜んだ。
「ウミネネ、どさくさで忘れるところだったが、危ないからアマネオとは遊んじゃダメだ。こどもの身体に何が起こるかもわからないんだから」

 ウミネネは俯いて不満げな顔だ。
「でも、朝倉のおじさんを助けたのはかっこよかったよ。なかなかできないことだ」

 娘は、父親に抱き着いた。カナメは頭を撫でてあげる。
「よし、腹減っただろ。メシ食おう。今日は秋刀魚の塩焼きに味噌とろろ汁、しいたけのニンニク焼き、あとはメシだ」

 ウミネネとカナメは競争するように家に入っていった。