アメリカン・ニューシネマ(American New Cinema)は、1960年代後半から1970年代半ばにかけてアメリカで展開された映画運動である。旧来のハリウッド・スタジオ体制の衰退と、テレビの普及、ベトナム戦争や公民権運動などによる社会不安を背景に登場した。若い映画作家たちは従来の道徳的英雄像や単純な善悪構図を解体し、疎外された個人、暴力、反体制的衝動を主題とした。
代表的な監督には、マーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラ、ブライアン・デ・パルマらが挙げられる。彼らはヨーロッパ映画、とりわけヌーヴェルヴァーグの影響を受けつつ、アメリカ社会内部の亀裂を映像化した。
この潮流を象徴する作品の一つが、タクシードライバーである。本作はベトナム帰還兵の孤独と暴力衝動を描き、都市における疎外と「浄化」幻想を提示した。主人公トラヴィス・ビックルは、自らを社会の腐敗を裁く存在とみなすが、その正義は狂気と隣接している。映画は暴力を単純に肯定も否定もせず、英雄化の危うさを露呈させた。
ニューシネマの特徴は、反英雄的主人公、開かれた結末、道徳的曖昧さ、即物的な暴力描写にある。こうした表現は、1960年代の反戦運動や学生運動と共鳴した。社会の「異物」と化した個人が、理想と現実の断絶に直面し、暴力や逃走に向かう構図が繰り返し描かれた。
この時代の文化的背景には、文学や思想の影響も見られる。たとえば、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が描いた純粋性と世俗の対立は、ニューシネマの反体制的青年像と共鳴する。また、時計じかけのオレンジ(監督:スタンリー・キューブリック)のように、暴力と全体主義的管理社会を主題とする作品も、同時代的問題意識を共有していた。
ニューシネマは、従来のキリスト教的道徳やアメリカ的成功神話に対する懐疑を映し出した。だが同時に、その反抗は市場の中で消費される商品ともなり、1970年代後半には大作主義(ブロックバスター)の台頭によって徐々に収束していく。象徴的なのは、ジョーズやスター・ウォーズの成功であり、スタジオ体制は新たな形で再編された。
アメリカン・ニューシネマは短命に終わったが、個人の疎外、暴力と救済の曖昧さ、英雄神話の解体という主題を通して、近代社会の精神的危機を映画的に刻印した運動として評価されている。