イタリア社会党(Partito Socialista Italiano, PSI)は、1892年に創設されたイタリアの社会主義政党であり、マルクス主義者から議会主義的社会民主主義者までを包含する幅広い潮流を内包していた。19世紀末から20世紀初頭にかけて労働運動の拡大とともに勢力を伸ばし、都市労働者や農業労働者の支持を獲得した。
第一次世界大戦をめぐって党内対立が激化し、当時機関紙『アヴァンティ!』編集長であったベニート・ムッソリーニを中心とする参戦派は1914年に党から追放された。戦後の社会不安の中で、1919年から1920年にかけて「赤い二年間」と呼ばれる労働争議の高揚が起こり、とりわけトリノなどで工場評議会運動が展開された。
しかし党指導部は革命路線を採らず、運動の急進化を抑制したことから内部対立が深まる。さらにコミンテルンの条件受諾問題を契機として最大限綱領派が離党し、1921年にイタリア共産党が結成された。分裂によって組織力は低下し、台頭するファシスト勢力の暴力的攻撃に十分対抗できなかった。
1922年のローマ進軍後、ファシスト政権下で政治的圧迫が強まり、1925年には事実上非合法化された。以後、党は亡命や地下活動を通じて存続することとなる。