アルセーニイ・ミハイロヴィチ・アヴラアーモフ(クラスノクーツキー)(Арсе́ний Миха́йлович Авраа́мов〈Краснокутский〉、1886年6月22日〔旧暦6月10日〕、ロストフ管区マールイ・ネスヴェタイ ― 1944年5月19日、モスクワ)は、ロシアの作曲家、音楽理論家、発明家である。

経歴
1886年6月10日(新暦22日、別資料では6月11日〔新暦24日〕)に、マールイ・ネスヴェタイ(現在のノヴォシャフチンスク市域)で、コサック連隊長の家庭に生まれた。
ノヴォチェルカッスクの士官学校を卒業。在学中から音楽に親しみ、さまざまな楽器の演奏を習得し、作曲も試みた。
1908年から1911年にかけてモスクワ・フィルハーモニー協会音楽学校で学び、I. N. プロトポポフおよびA. N. コレシチェンコに音楽理論を、S. I. タネーエフに私的に作曲を師事した。1910年以降、筆名「アルス(Арс.)」で音楽批評を各種出版物に寄稿した。20世紀初頭には革命運動にも積極的に関与し、第一次世界大戦への参加を避けるため1914年に国外へ移住した。
十月革命後にロシアへ帰国。1917年から1918年にかけて共和国芸術委員を務め、人民教育委員部で活動し、プロレトクリト(プロレタリア文化運動)の創設者の一人となった。
ロストフ・ナ・ドヌでは軍の新聞『革命の警備にて』の編集者を務めると同時に、ロストフ音楽院教授として独自の体系による音楽理論を講じた。『ドンスカヤ・ジーズニ』『ウートロ・ユーガ』『ドンスキエ・オブラストヌィエ・ヴェードモスチ』『ロストフスカヤ・レーチ』などの新聞にも寄稿している。
1919年から1922年にはイマジニスト派のグループに属し、同派の最高評議会メンバーにも選出された。
1923年から1926年にかけてダゲスタンで活動し、1926年以降はモスクワに居住。1929年から1934年には初期ソビエト発声映画の制作に参加し、映画研究所音響研究室を率いた。1930~31年にはモスクワ音楽院で「音体系の歴史と理論」という選択講義を担当した。1935年にはナリチクに派遣され、北カフカス諸民族の音楽を収集・編曲し、それに基づく作品を作曲した。1941年から1943年にはロシア民謡合唱団(P. G. ヤルコフ創設)の指揮を務めた。
モスクワのダニロフ墓地に埋葬されているが、正確な墓所は不明である。
創作活動
アヴラアーモフは1920年代ソビエト・アヴァンギャルドの代表的作曲家の一人であり、芸術と技術を統合し、音と色彩を融合させた総合芸術の創出を目指した。
彼は平均律の制約を克服しようと試み、その導入の責任を誤ってJ. S. バッハ(『平均律クラヴィーア曲集』)に帰していた。より純粋な音響的音楽への回帰を提唱し、1910年代には「弓式ポリコード」と呼ばれる装置を考案した。この装置は固定された音高を微調整することを可能にする構造をもっていた。後にはオクターヴを48の均等な微分音に分割する構想も提示している。1927年には、博士論文草稿として構想した「普遍的音体系(das universelle Tonsystem)」をベルリン、フランクフルト、シュトゥットガルトで発表した。
代表作として最も知られるのは《汽笛のシンフォニー》である。この作品では大砲や拳銃の発砲音、工場の汽笛、蒸気の噴出音、飛行機の騒音など、さまざまな「機械音」が用いられる。1922年にバクーで初演され、1923年には十月革命記念日にモスクワでも上演された。20世紀半ばに出現するミュジック・コンクレートを先取りした作品の一つと見なされている。アヴラアーモフ自身の記述によれば、この作品の基礎となる音程体系は12音半音階であり、調性は通常の長短調体系であった。
都市的シンフォニーのほかに、管弦楽曲《カバルダの主題による行進曲》(1936)、序曲《アウル・バトゥィル》(1940)、《カバルダの主題による幻想曲》(1940)、および合唱作品を作曲している。これら標準的交響編成による作品には、独立した機能をもつ微分音階的構造は含まれていないと考えられる。
また、多数の音楽理論論文や批評を発表した。特に1915~1916年に雑誌『ムィズィカルヌィ・ソヴレメンニク』誌上で展開されたL. L. サバネーエフとの「ウルトラクロマティズム」をめぐる論争は注目される。両者はこの概念を異なる意味で用いていた。アヴラアーモフにとって微分音は和声や協和音の音響的純度を高めるための補正手段であったのに対し、サバネーエフは新しい音階体系内部で構造的機能を持つべきものと考えていた。ただし、サバネーエフはその具体的構造の明示を避けている。
さらに、カバルダの詩人アリ・ショゲンツコフの詩による歌曲集(《コルホーズの歌》《リナ―トラクター運転手》《ナクレン》《ハミド》《子守歌》)、カバルダ民謡(《アンデミルカンの歌》《マルティナ》《オゾフ・ムラト》)、バルカル民謡(《ガパラウ》《勇敢なジギト、ミシルビについて》《ドライ》)の合唱および独唱用編曲も手がけている。