秩序に関する布告とは2025年11月12日に不協和音の会によって発布された文章である。
本文
私たちはなぜ人間であるのでしょうか? 私たちが生まれる場所が違えば、ローマの奴隷として鎖に繋がれ、鞭の音に怯える身の上だったかもしれない。ロシアの農奴として、広大な大地に縛られ、領主の気まぐれに命を委ねる存在だったかもしれない。それはイギリスの工場労働者として、煤けた煙突の下で骨身を削る日々だったかもしれないし、中央アジアの収容所で凍てつく風に耐え、アフリカのプランテーションで太陽の下に汗を流し、沖縄のさとうきび畑で土にまみれ、ベーリング海の蟹工船で波濤に揉まれながら、ただ生き延びるための闘いを強いられる身だったかもしれない。
けれども、私たちはここにいて、一応に人間らしく生活していると錯覚することはできています。朝の光に迎えられ、夜の静寂に身を委ね、家族の声に耳を傾け、友の笑顔に心を温められる。歴史としては、確かに大きな進歩です。夢も一応は見ることができます。かつて、誰しもが秀吉やナポレオンに憧れ、赤と黒に身を投じようとした時代は終わりました。今や、農民の子供が一国の首相となり、路地裏の少女が瓦礫の下から世界を変える声を発し、抑圧された民が自らの運命を紡ぐ時代です。「人間は、生まれながらにして自由であり、権利において平等である。」この言葉は理想ではなく、私たちの血潮に刻まれた誓いだったのです。
人間は人間であることを望んでいます。しかし、人間が人間であるためには、共同体が必要です。孤立した魂は、風に散る葉のごとく脆く、互いの支え合いなくして、自由はただの幻想に過ぎません。人間が人間らしく生きるためには、理性が必要です。衝動的な獣ではなく、私たちは叡智の担い手として、過去の過ちから学び、未来の光を灯すために。人間が人間らしく生きるためには、秩序が必要です。秩序とは、牢獄の鎖のようなものではなく、庭園の柵のようなもの。野放しの蔓は美しき花を育まず、ただ絡みつく混沌を生むだけです。パンデミックの嵐が吹き荒れ、分断の炎が社会を焦がす中、秩序なき自由は、今日、互いの喉を掻き切り、平等の仮面を剥ぎ取ります。ルールなき競争は、獣の掟を生み、弱者を共喰いに追い込み、強者を孤立させるのです。
ロシアの白衛軍に耳を傾けてみましょう。内戦の荒野で、秩序の灯を守ろうとした者たちの声が、今も響きます。「規則で保護されたいなら、規則を守るべきである。規則は守りたくないが、規則によって守られたいなどというのはわがままだ。」彼らは、革命の狂乱の中で、混沌がもたらす絶望を身をもって知っていました。ボリシェヴィキの赤い波に飲み込まれながらも、秩序の価値を叫び続けたのです。私たちもまた、同じ過ちを繰り返してはなりません。わがままな心が、共同体を蝕み、理性を曇らせ、秩序を崩壊させる前に。
ゆえに、ここに布告しよう。人間たる者よ、秩序を愛せ。規則を盾とし、互いの自由を護れ。平等の理想を、単なる言葉ではなく、日々の行いとして体現せよ。共同体の中で理性を磨き、秩序の庭園を耕せ。さすれば、私たちは真に人間となり、歴史の進歩を永遠のものとすることができる。混沌の誘惑に負けず、自由の炎を灯し続けよ。これが、私たちの誓いである。