東京都中野区、とあるマンション。
 外は陽が落ち始めて、窓からは茜色の光が射す。
 こじんまりとした内装ながら、それなりにきっちりと片付けられた一室。
 最低限の生活はできるが、間取りは決して広くはない。
 一人暮らしを始めたばかりの学生や新卒社会人が重宝するような、格安の物件だった。

 この部屋で生活する住民――天枷仁杜は、高学歴のエリートである。
 国内屈指の名門校であるT大卒。経歴の力だけで会社に入ったこともある。
 そんな彼女だが、その生活環境はさして裕福ではない。
 何故なら、収入が安定した試しが一度もないからだ。

 外に出るのが苦。人と目を合わせるのが苦。知らない人とやりとりするのが苦。
 怒られるのが嫌い、どやされるのが嫌い、無理させられるのが嫌い、そもそも社会で頑張るのが嫌い。
 口下手でしどろもどろ、何か喋れば失言と言い訳ばかり。お酒とゲームと自分に優しい人だけは大好き。
 そんなふうに完膚なきまでに社会性が破綻しているため、真っ当な定職はどれも長続きしなかった。

 正規での就業経験、最短三日。最長一ヶ月ちょい。
 夏場にみんみん鳴く蝉のように短く、儚い期間である。
 初就労時には会社をばっくれたので、振り込まれた給料も雀の涙のようだった。
 だから仁杜の収入の多くは、専ら人と会わずに済むバイトで成り立っていた。
 不安定な労働を転々と繰り返し、何とか食い繋いでいくばかりの日々だった。
 そのくせしてゲームへの課金や七色に光る電子機器の購入など、娯楽のための出費は惜しまない。

 生活能力なし。多少の蓄えはあるが収入不安定。なのに日々どんぶり勘定。誰かに甘えたいのに他人には無関心。
 図々しい癖に自分から身内に連絡を取るのは気が引ける。だから自発的に誰かを頼れたことはほぼ無い。
 親族に金銭を無心するほどの度胸も無いし、生活のことであれこれ言われるのは面倒臭い。
 そういう訳で、仁杜の生活はろくに矯正も改善もされたことはなかった。
 大企業にも顔が利くような学歴を背負っているにも関わらず、節制に勤しむ学生のような生活水準のままだった。

 仁杜の自宅は、それほど広くはない。
 そうした生活を送っている上に、他人を部屋に招くことを想定していないからだ。
 必要最低限、自分のスペースさえ確保できれば良し。どうせ出不精なのだから。
 ここはまさに天枷仁杜だけの城。だらけきって、怠けきった、夢見る引きこもりの閉鎖空間である。
 時おり尋ねてくるただ一人の友人――または現在の“同居人”を除けば、誰も出入りすることはない。

 そんな仁杜の根城に、あろうことか来客がいた。
 見ず知らずの相手が、靴を脱いで部屋に上がっていた。
 両親でさえ碌に呼んだことのない仁杜の家に、面識のない“彼女”が踏み込んでいたのだ。

 その客人は、眉目秀麗な美貌の持ち主だった。
 黒いショートヘアが目立つ、中性的な麗人だった。
 ひどく美しい正座で、静かに佇んでいた。

 背筋はぴんと真っ直ぐ。
 両脚をきっちり揃えて。
 膝に礼儀正しく両手を添えて。
 整った姿勢を保ち続けて。
 微動だにもせず、其処に在り続ける。
 その体勢を苦にも思わぬように、落ち着き払い。
 育ちの良さというものを、全身から滲み出している。

 他人に見られることを常に意識しているように。
 その顔には、自然な微笑みが作られていた。
 飾らず、気取らず、わざとらしさもなく。
 嫌味を感じさせない、柔和な表情だった。
 透明感のあるナチュラルなメイクが、その美麗な面持ちを際立たせていた。

 庶民的なマンションの一室にはとても似合わない、凛とした少女だった。
 端正で中性的な容姿も相俟って、この場で浮いているような趣さえ感じられる。

 客人の名は、伊原薊美
 聖杯戦争のマスターだった。

 そんな薊美と真正面から相対するのは――この部屋の家主、仁杜である。
 後方で胡座を掻きながら控えるのは、彼女の同居人にしてサーヴァントであるキャスター・ロキだった。

 目の前に現れた“未知の人物”を前に、仁杜は唖然としていた。
 真っ直ぐな正座を見せる客人とは真逆に、幼い子供のようにぺたりと座り込んでいた。
 まるでお化けか何かにでも会ったかのように呆気に取られて、ぽかんと客人を見つめている。
 困惑。動揺。衝撃。固まった仁杜の顔から、色々な感情が滲み出ている。

 薊美の隣に座るのは、仁杜にとって唯一の親友に当たる高天 小都音である。
 “会わせたい相手がいる。例のアレの関係者。色々あって、人手が必要になったから”。
 “にーとちゃんも顔を合わせてほしい。とはいっても初対面の相手だし、無理強いはしない”。
 小都音は仁杜の家を訪ねる前、彼女にそんな連絡を入れていた。
 遠回しではありつつも、すぐに聖杯戦争に関することだと伝わるような文面で送っていた。
 仁杜は暫しの間を置いてから「いいよ」と返信してきたので、こうして薊美を彼女の家へと連れてきたのだが――。

 仁杜はさっきからずっと硬直している。
 口をぽけっと開いたまま、呆然とした様子で薊美と向き合っている。
 薊美は相変わらず正座の姿勢のまま、微笑を貼り付けて仁杜を見つめ返している。

 ――にーとちゃん、オーケー貰ったから呼んだけど。
 ――やっぱ急に顔合わせさせるのはマズかったか……?

 沈黙の中で、小都音の内心に何とも言えぬ緊張と負い目が込み上げてくる。
 薄々感じてたけどにーとちゃん、伊原さん系の人は苦手なタイプだったか。
 いや、にーとちゃんはそもそも初対面の相手との交流自体が厳しかったか。
 やけに気まずさのある膠着状態を前にして、小都音はぽつぽつと思いを巡らせる。

 薊美もまた、口を開かない。
 まるで仁杜が何か話を切り出してくるのを待つように、ただ凛として座っている。
 お互いに何も言わず、何も動かない。
 流石にこれは助け舟を出した方がいいかもしれない。にーとちゃんも可哀想だし。
 小都音はそんな思いに至り、口を開こうとした矢先。

 ――突如として、仁杜の表情が崩れた。
 まさしく唐突だった。仁杜の顔が悲しげにしわくちゃになり、目元からは涙がポロポロと零れ落ちた。
 うぇ、うぇぇ、と涙声で呻き出す仁杜。そんな様子を目の当たりにして、思わず小都音も目を丸くする。
 小都音は動揺しながらも、慌てて仁杜に心配の言葉を掛けようとしたのだが。

「ロキえも~~~~~~ん!!!!」
「なんだい、にーとちゃん」

 すぐさま仁杜、号泣――堤防が崩壊するようにぶわっと泣き出した。
 そんな彼女のことをロキが“水田ドラ”の完璧な声真似をしながら受け止めた。
 仁杜はロキにがしっと抱きついて、彼の胸元でおいおい喚いている。

「ことちゃんが!!!!!ことちゃんが彼氏連れてきた~~~~~~~!!!!!」

 ――やんややんやと、仁杜は斜め上の誤解によって騒いでいた。

 不意打ちを喰らって「はい!?」と思わず口に出す小都音。
 よぉーしよしよしと、苦笑しながら頭をポンポンと撫でてあげるロキ。
 呆れるように額に手を当てて、溜息を吐くトバルカイン
 そして、相変わらず凛とした表情を崩さない薊美。
 見事なまでに三者三様の反応である。

「ロキくぅ~~~~~~~ん!!!!ことちゃん取られちゃうよおおおお~~~~!!!!!!」

 仁杜はなんだかんだと喚き続けている。
 流石に勘違いされたままでは困るので、小都音が口を挟む。

「いやいやにーとちゃん違うって違うから、落ち着きなさいってば。この子そういうんじゃなくて」
「こんにちは、彼氏です」
「いや乗らなくていいから」

 片手をびしっと上げて挨拶した薊美に、思わず小都音がツッコミを入れる。
 間髪入れずのツッコミを喰らって、薊美は微笑みと共に「ごめんね」と謝罪。
 涼しげな顔しといて変なところでノリ良いなこの子、と小都音は内心ぼやく。

「にーとちゃんにーとちゃん。俺もパッと見じゃ勘違いしかけたけど、あれ女の子だよ」
「え!!??じゃあ彼氏じゃなくて彼女!!!!?ことちゃんバチイケ女子捕まえたの!!!!?」
「はっはっはっは!!お嬢さん!!ダメだよそれは!!同性愛はいけない!!道徳に反する倒錯的行為だ!!」
「おい余計話ややこしくすんなクソライダー」
「おお!!!すまないセイバー!!!」

 混沌とした様相の中、さっきまで霊体化してたカスターまで堂々と割り込む。
 更なる勢いに満ちた殴り込みを仕掛けてきた。
 伊達男の突然の参戦に、呆れっぱなしだったトバルカインまでツッコミを入れた。
 条件反射的に飛び出た謝罪すら仰々しかった。
 肝心の仁杜は「えぇなになに!?誰!?このおじさん!!!」とカスターにドン引きしていた。
 元々大して広くもないマンションの部屋が一気に狭苦しくなった。

「高天さん」
「なに」

 仁杜達がわちゃわちゃしているのを尻目に。
 薊美は傍にいる小都音に、そっと話しかける。

「めちゃくちゃ変わってる子だ、ってここ来る前に言ってましたけど」
「うん」
「本当にユニークな人ですね」
「まぁ、うん……」

 微かな笑みを口元に浮かべながらそうぼやく薊美に、小都音はぐうの音も出ない様子で答える他なかった。
 その通りです。めちゃくちゃ変わってるし、めちゃくちゃ愉快です。
 そう言わんばかりに、小都音は脱力していた。

「なんていうかさ、伊原さん」
「はい」
「これもまあ、今更っちゃ今更なんだけど」
「はい」
「君んとこのライダーも大概クセ強いよね」
「面白いですよね、あの人」

 小都音のぼやきに、薊美は微笑みながら答える。
 本気で思ってるのか、ちょっと皮肉を込めて言ってるのか。
 いまいち掴めない薊美のリアクションに、小都音はほんのり苦笑いする。

 改めて振り返ると――我が強いというか、癖の強い面々である。
 自他共に認める自堕落引きこもりおばけのにーとちゃんは言わずもがなだが。
 得体の知れなさが未だに拭えない“ロキくん”といい、いつも声がデカくて堂々としてる“カスター将軍”――宝具からして半ば確定的である――といい、王子様みたいな顔して無駄にノリが良い伊原さんといい、ついでに気まぐれで無気力で図々しいウチの鍛冶師(トバルカイン)といい。
 思ったより変なメンツが集結してしまったのではないか。
 小都音は思わず、そんな不安をちょっぴり抱きかけた。

 こんなふうに、始まりは奇妙で、やいのやいのと騒がしかった。
 天枷仁杜はコミュ障だが、友達がいる前では図々しく喋るし、図々しく我を押し出してくる。
 だから普段のノリで遠慮なしにわちゃわちゃ振る舞えば、良くも悪くも注目を集めるのである。

 それでも、あくまで茶番に勤しむために此処へ来たわけではなくて。
 薊美もそう思ってか、ごほんと咳払いをしながら気を取り直していた。

 パン、パン、パン――。
 まるで演劇のコーチが生徒を指導するかのように、薊美が3度の手拍子を響かせる。
 場を静かにしつつ、周囲の注目を集めた。

 部屋に響く音を聞いた仁杜は反射的に口を閉じて、やがてそちらの方へと意識を向けた。
 仁杜は「あ、騒ぎ過ぎたかもしれない」と不安がるみたいに、何処かオドオドしていた。
 そんな仁杜の沈黙と共に、他の面々もすぐに静まり返った。
 これから本題に入ることを察したように。

「ごめんなさい。急に訪れた上に、驚かせてしまって」

 薊美はそう言いながら、正座の姿勢のまま軽く頭を下げる。
 きっちりと折り目正しい一礼を前にして、仁杜は途端に大人しくなっていた。
 ――「あ、これ緊張してるな」と小都音はすぐに察する。
 そんな仁杜の様子を見てか、薊美も穏やかに微笑んで――そういう表情を意識して作るように――言葉を続ける。

「大丈夫ですよ。私、高天さんの彼氏でも彼女でもないので。
 お姉さんが随分と可愛らしいから、ちょっと冗談でからかいたくなってしまったんです」
「えっ?え、ふぇ?」

 その一言を前にして、仁杜はほんのり安心しつつ。同時に、不意を突かれたようにびくりと動揺する。

「……か、可愛い?かなあ?」
「お姉さん、可愛いですよ」

 それから暫しの間、仁杜はしんと沈黙して固まっていたが。
 やがてその表情がヘにゃりと綻び始める。
 お姉さんが可愛らしいから――そんなことを言われて、思わず照れてしまったらしく。

「……い、いやぁ……えへ、えへへへへ……その……それほどでも~~~~……」

 ふへへ、でへへへ、ぐふふふ――。
 仁杜、煽てられて露骨にニヤつきまくる。
 彼女は他人にさほど興味がないくせに、友達と自分を甘やかしてくれる人間のことは大好きだった。
 ずんぐり野暮ったい出で立ちで「うふ、うふふふふ」と喜ぶその姿は、さながら都会の落ちぶれたタヌキのようだった。

「ロキく~ん」
「うーい」
「私かわいい~?」
「当たり前じゃーん」
「ぐへへへへ」 

 あからさまに調子に乗り始めた仁杜のことを、小都音はやれやれと言わんばかりに眺めていた。
 そんな仁杜を相も変わらず微笑みと共に見つめる薊美。凛とした面持ちで、何処か穏やかに見守っているようにも見える。

「――では、改めまして」

 やがて仁杜が落ち着いたのを見計らうようにして、薊美はすっと再び口を開いた。

「私は伊原薊美と言います。
 有り体に言えば、聖杯戦争のマスター」

 改めて端的に、自己紹介の挨拶。
 この人が私のサーヴァントです、と堂々たる姿で腕を組むライダーを示した。

「高天さんから既にお話は伺っています。
 今後とも宜しくお願いします、仁杜さん」

 胸を張るライダーが傍に佇む中で、薊美は礼儀正しく一礼した。
 仁杜もまた「へへ、どうも……」と卑猥な中年男性のように微笑んだ。

 ――小都音は“高天さん”、仁杜は“仁杜さん”。
 両者の呼び方が姓名と異なっているのは、至極単純な理由だ。
 “にーと”という名前のインパクトが強すぎたからである。




 高天小都音から聞かされた通り。
 印象は「子供みたいな人」だった。
 もっと言うなれば「おかしな人」だった。

 無口かと思えば急にわんわん泣き喚き、軽く煽てればコロッと機嫌を良くする。
 前向きに捉えれば感情表現豊かと言えなくもないが、明らかにそれ以前の問題である。
 何かあれば一喜一憂の大騒ぎ。気分屋を絵に描いたような変人。
 稀に見る愉快な人物だったこともあり、薊美も思わず揶揄ってしまった。

 聖杯戦争という有事において関わりたい相手かというと、やはり否ではあるが。
 微笑みを顔に貼り付け、飄々と軽口を叩きつつも、心の中は淡々としたままである。
 感情と認識が分離したような浮遊感が、相変わらずぼんやりと漂い続けている。

 伊原薊美にとって衝撃だったのは、何よりその名だった。
 名前、天枷仁杜。にーと。
 現在、無職の引きこもり。ニート。
 つまり、ニートのにーと。

 ――いや、高天さん。ふざけてるんですか?

 ここに来る前に小都音からその名前と素性を聞いた際、薊美の口から飛び出た一言である。
 ニートのにーとちゃん。幾らなんでもそのまんま過ぎる。
 小都音が急に悪ふざけを言い出したのかと思ったが、れっきとした事実だった。
 世の中は本当に広い。自分でも知らない感性があることを思い知らされた。
 それ故か、ふと思ったことがあった。

 幼い頃から演劇の世界に足を踏み入れていた。
 演劇教室、同世代の子役が集まる劇団、役者志望の面々によるサークル、名門の演劇系学園。
 思えば色々な場所で、色々な相手(やくしゃ)を目にしてきた。

 小器用な素質を持ってて、飄々と役柄に嵌まれる子がいたり。
 声も身振りも荒削りだけど、無邪気な愛嬌を持った子がいたり。
 人が良くて、周囲をよく見てて、後輩たちの面倒見がいい子がいたり。
 いつも二番手、三番手の立ち位置ばかりで、だからこそ負けん気の強い子がいたり。
 舞台の上では華やかだけど、普段はぽけっとしてる変わり者の子がいたり。
 外国人のハーフか何かで、外見だけで周囲の目を引くことができる子がいたり。
 ひた向きな努力を重ねていても、いまいち華が無くて芽が出ない子がいたり。
 真摯であるが故に理想との落差に耐えられず、どんどん心を擦り減らす子がいたり。
 ただ単に目立ちたがり屋で、訳もなく楽しそうで能天気な子がいたり。
 社交性の高さで周囲から好かれて、しかし役者としては大した見所のない子がいたり。
 英才教育を受けたとか何とか豪語して、妙な特権意識で振る舞っている子がいたり。
 自分の身の程を受け入れられず、必死に足掻くように練習に励む子がいたり。
 吹けば容易く飛ぶような才能しかない癖に、それらしい理論武装で才人ぶってる子がいたり。
 目指す姿と実際の素質がまるで噛み合わず、不恰好な演技ばかり繰り返している子がいたり。
 親か指導者かに泣きついて、子供じみた言い訳を喚いてる子がいたり。
 いつの間にかふらりと舞台から降りて、以後演劇の世界から姿を消した子がいたり。
 ただの馬鹿がいたり。ただの雑魚がいたり――他にもたくさん居る。みんな覚えている。

 勝手に現れては、勝手に消えていった。
 大抵は短い付き合いだったけれど、少しは親しくなることもあった。
 世間話をする仲になって、時おり友達になって。
 そうなった相手も、結局は遅かれ早かれ過ぎ去っていく。
 胸を張って歩き続ければ、誰も彼もが勝手にぺしゃりと潰れていく。

 記憶を探れば思い返すことはできるが、勧んで省みようと思ったことは特にない。
 いなくなってしまえば、もうどうだってよかったし。
 振り返って、慈しんだところで、なんの糧にもならないし。
 薊美にとっての道標である父からも、別に咎められることはなかった。

 誰もが大なり小なり、舞台の上で輝くことを望んで。
 演じることで何者かになろうとして、必死に足掻いて。
 成り上がっていく者もいれば、挫折へと落ちていく者もいる。
 走り続ける誰かも、立ち止まった誰かも、転げ落ちていった誰かも、みんな何かを求めて彷徨っていた。

 薊美の経験から言えることは、人間には“華”というものがある。
 容姿の美しさ。所作の華麗さ。あるいは、言葉では言い表せぬ魅力。
 努力や研鑽とは異なる領域にあるカリスマ性は、確かに存在していた。
 自分こそが王子であり、女王であるという自負こそが薊美の前提だが。
 そういう魅力を持っている役者は、それなりの道を駆け上がっていた。

 さて、目の前にいるこの女。
 天枷仁杜という人物は、何度見ても「おかしな人」だった。
 こんな有事において関わりたくない、奇人変人の類いである。

 気分屋で、情緒不安定で、呑気で、幼稚で。
 思わず苦笑いをしてしまう、“自堕落なぼんくら”である。
 だというのに、薊美はそれほど不快感を抱かなかった。
 如何にも怠惰な人間など、普段なら嫌悪の対象にもなりかねないのに。
 それでも、何故だか分からないけれど、言い知れぬ魅力のようなものを感じた。
 舞台で成功した者達と同じように、彼女には何かしらの“華”がある。

 太陽のように目が眩むような輝きではなく。 
 月のように鈍く、仄暗く、ぼんやりと朧げな光。
 薊美は何となく、仁杜にそんなものを見出していた。
 数々の役者を見てきた薊美だからこそ、ある種の確信があった。

 不思議な既視感があった。奇妙な感覚があった。
 天枷仁杜を見ていると、“あの白い少女”が時おり脳裏を過ぎる。
 核心の一端に触れつつも、その意味を理解することには、まだ至れなかった。




 押し入れの奥底から引っ張り出した折畳式の小さなテーブルを囲む形で、6名はその場に座っていた。
 仁杜が一人暮らしを始めた際に実家の母親からプレゼントされた家具のひとつだったが、とうの仁杜はすっかり存在を忘れていた。
 度々仁杜の面倒を見ている小都音は覚えていたので、押し入れから掘り起こして即席で円卓会議の場を作ったのである。

 卓の広さにはあまり余裕はなく、小都音、薊美、仁杜のマスター三人が前面に居座る形となっていた。
 彼女達の傍や後方には、それぞれのサーヴァントが控えている。
 むすっとした表情を浮かべながら胡座を掻くセイバー、トバルカイン。
 腕を組んだ体勢でふんぞり返るように座るライダー、カスター将軍。
 何処か興味もなさげに、笑みも見せないまま仁杜の傍に座るキャスター、ロキ。

 結局こいつとテーブル囲むのかよ、とトバルカインは先んじてぼやいたが。
 嫌悪を向けられた張本人、ロキは適当にのらりくらりと受け流した。
 一瞬生じた微妙な緊張を他の面々が抑えた上で、改めて“話”を始めた。

 彼らは先んじて情報共有を行い、現状の認識を擦り合わせた。
 繰り返される大規模な蝗害を中心に、昨今の都内を騒がせている数々の災厄。
 混沌へと向かう社会の中で、着実に迫りつつある聖杯戦争の影。この一ヶ月の中での各々の接触や戦闘。
 例の“白い少女”と“白黒の魔女”との交戦、そして撤退――。
 それぞれの陣営にとっての不利益を齎さない範囲で、情報の交換が行われる。

「“蝗害”はたぶん、あの二人のどちらかの仕業だと思います」

 認識の擦り合わせが続いた末に、薊美がその推察を切り出した。
 あの二人――白い少女と、白黒の魔女のことだった。

「……だろうな。私もそう思っていた」

 小都音らの意識が薊美の方へと向けられる中で、トバルカインが同調するようにぼそりと呟く。
 カスターも腕を組んだ体勢のまま力強く頷いた。

「私達は、大なり小なり社会に潜むことを考えていました」

 薊美は言葉を続ける。
 彼らは、この一ヶ月という期間を生き抜いている。
 数多の敵が都市に潜む中で、如何にして立ち回るか。如何にして戦うか。
 そうした思考を重ねていくうちに、自ずと“常道”を見出していった。

「そもそも敵がどれだけ居るのかも分からないし、どれほどの戦力なのかも掴めない。
 だから少なくとも、ある程度“様子見”を大前提に動いてきました」

 この聖杯戦争の厄介な点とは、“敵の情報が一切存在しない”ことだった。
 そもそも敵が何人いるのか。どれほどの戦力規模なのか。
 敵マスターとは何者なのか。魔術師なのか、それ以外の何かなのか。
 他の陣営は如何なる地盤を築いているのか。如何なる戦力を抱えているのか。

 この戦いは、決して“公平性が保たれた競技”ではない。
 それぞれマスターであり、サーヴァントを従えている。
 平等であることが担保されているのは、たったそれだけの要素だ。
 戦力も地位も基盤も均一ではない以上、常に手探りの状態で敵の情報を探らねばならなかった。

 結果として、真っ当な陣営は慎重にならざるを得ない。
 様子見や小競り合い、あるいは仕込みに徹し、その過程で敵の断片を掴んでいく。
 他陣営らの注目を集めるような大規模行動は避け、社会に潜みながら虎視眈々と情勢を伺う。
 それこそが、この戦いを生き抜いた者達の“無難な立ち回り方”だった。
 ――それ故に薊美とカスターも、蝗害という“注目の的”への干渉は避けていた。

「けれどあの二人は、人目や被害を全く気にしていなかった。
 あの場で交戦を始めることに、何の迷いも見られなかった」

 だが、あの少女達は違った。
 眩い太陽を思わせる、白い少女。
 領域を支配する、白黒の魔女。
 彼女達は、何の躊躇いもなく死闘の火蓋を切った。
 それも白昼堂々、都内のカフェという衆目を集めやすい場所で。

 突発的な戦闘のように見えたにも関わらず。
 両者はまるで焦る様子も見せていなかった。
 言うなれば、“そうすること”に慣れている。
 あるいは、そうしたところで何ら問題はないという自負を持っている。
 それが薊美の抱いた印象だった。

「”蝗害“も同じです。周囲からの注目も気にせず、殆ど災害のように各所を荒らしている。
 衆目を気にせずにあそこまで広域的な行動を繰り返せるのは、何かしらの戦術的な意味もあると思いますが。
 最大の理由があるとすれば、きっと相応の自信があるから」

 そして薊美は、“蝗害”へと話は繋げる。
 市街を襲う災厄は、あの少女達と同じように衆目を気にしない。
 むしろ積極的に攻勢へと出て、都内各地を荒らし回っていた。
 そこには戦術という視点以上に、実力の裏付けが感じ取れた。

「……あの二人は、サーヴァントを引き連れずに行動してた。
 それだけならまだしも、サーヴァント抜きでの戦いさえ敢行していた。
 実力があるからこその態度だと思いますが、単独で動いていた理由は多分それだけじゃない」

 もしもあの少女二人のどちらかが、“蝗害のサーヴァント”を従えているとすれば。
 立ち回りという点でも、実力という点でも、噛み合うのだ。

「サーヴァントの方も”遊撃“に徹させて都合がいい奴、ってことだろ」
「そういうことです」

 薊美の推察に対し、トバルカインが同意する形で口を挟む。
 サーヴァントに匹敵する戦闘力に加えて、突発的な交戦に対する“場慣れ”。
 衆目や他主従の監視すらも気に留めない、大胆不敵な立ち回り。
 そのような行動を取るマスターならば、サーヴァントもまた“同様のスタンス”である可能性が高い。
 マスターが積極的に動いているのだから、その従者がわざわざ消極や慎重に徹する必要などない。
 後衛を務めるキャスターのクラスならば話は別とはいえ。

 あの二人の少女と同様、派手な攻勢に出ることも厭わず、散発的な“遊撃”で各所を侵食する蝗害。
 蝗害が脅威となっているのは、それがゲリラ的な強襲だからである。
 突発的に現れ、嵐のように食い荒らし、また次の餌場へと飛ぶ――蝗の襲撃は、単独で成立する。
 そこへわざわざマスターを追従させる必要は、必ずしも存在しない。
 寧ろ蝗達と同じように単独での行動を可能とするならば、極力フットワークを軽くした方が効率も良い。

 主従双方に実力があり、それぞれ単独の遊撃に徹することが出来る。
 立ち回りをする上で、あの二人の少女と蝗害の相性は非常に良い。
 そして少女達も蝗害も、周囲の目に対して頓着をしていなかった。

「蝗害の動向を掴むことは、恐らく“あの二人”を追うことに繋がる」

 白い少女と、白黒の魔女。明らかな因縁を持っていた両者。
 どちらかの従者が“蝗害”の元凶だとするならば。

「私は、蝗害こそが“戦禍の中心”に最も近い手掛かりだと考えました」

 蠢く蝗達を追うことで、あの少女達へと辿り着ける可能性が高い。
 薊美はそう考えたのだった。

「――例の蝗害は、つい最近“沈静化”したそうだね。まるで嵐の前の静けさのように」

 薊美の推察に同意しながら、カスターもまた言葉を挟む。

「“祓葉”と呼ばれていた白い少女。
 “イリス”と呼ばれていた白黒の魔女。
 マスター同士が接触していたことも、きっと無関係ではない」

 互いに呼び合っていた、あの少女達の名を振り返りながら。
 カスターは自らの推測と直感を、高らかに口にする。

「これからだ。これから“何か”が起こる。
 じきに猛々しい嵐が吹き荒れ――戦局が大きく動き出す!!
 私はそう踏んでいるのだ!!」

 あの戦いは、荒波を目前にした“序幕”である。
 少女達と蝗害が繋がる可能性を前にして、蒼き騎兵はそんな確信を抱いていた。

「この街はきっと、既に本格的な戦火を目前に控えている。私と高天さんは意図せずして“その一端”に触れた」

 そのカスターの言葉から繋げるように、薊美は再び口を開く。
 薊美が視線を向けたのは、もう一人のマスターである高天小都音。
 薊美と同じように、あの場で“二人の少女”を目撃した者だった。

「此処で乗らなければ、きっと私達は出遅れることになる。そう思いました」

 あの眩き太陽と、忌まわしき白黒の魔女。終末の使徒である蝗の群勢。
 それらが接続するものであり、じきにこの東京に戦火を齎すのならば。ここが一つの正念場となる。
 それまでの前提や立ち回りが覆され、戦いが新たな局面へと突入する可能性が高い。
 故にこの荒波に乗らなければ、自分達は後手に回ることになる。
 薊美はそう考えた。カスターもまた、それに同意していた。

「――そのへんは私も分かる。
 その上でだけど、一応リスクも確認しときたい」

 薊美の考えを理解しつつも、小都音が問いかける。

「他の主従も“同じような立ち回り”を考えるんじゃないかな、って。
 目立った渦中に首を突っ込むなら、相応の危険もあると思う」

 それは、リスクに対する懸念だった。
 仮にこれから戦局が大きく動くというのならば、同様の思考に至った複数の主従が集中して動き出すのではないか。
 そうでなくとも、当初の立ち回りのセオリーが示す通りに、虎視眈々と機を伺う他主従達が集まるのではないか。 

「セイバーのマスターよ、君の懸念もまた分かる!!」

 その懸念に対し、カスターが堂々と応える。

「偵察、観察、監視、様子見、覗き見!!あらゆる者達が状況を注視するだろう!!
 故にッ、野次馬じゃじゃ馬暴れ馬――どんな輩が割り込んでも不思議ではない!!
 乱戦となる危険性は間違いなく存在するという訳だ!!」

 まるで演説をする政治家のように捲し立てるカスター。
 その仰々しさを前に、トバルカインは思わず眉を顰めた。

「ひとたび踏み込めば、もはや後には引き返せないだろう!!我々はこれより鉄火場へと挑むことになるのだ!!」

 されど、リスクそのものは適切に認識している。
 かつて軍の将官だったが故に――状況の軽視によって壮絶な最期を遂げた男であるが故に、カスターは戦局の損得を理解する。

「うだうだ言ってるけどサ」

 それを察したからこそ、トバルカインも口を挟む。

「やる気なんだろ、アンタは」
「そうだ、セイバーよ」

 ――結局は、“それを理解した上でやるつもりだ”ということなんだろう。
 そう考えたトバルカインに対し、カスターは胸を張って応える。

「ライダー。気持ち的にはめんどくせーけど、おたくの言いたいことは分かる」

 トバルカインは頭を軽く掻きむしり、如何にも煩わしげな態度を見せる。
 そのうえで彼女は、あくまでカスターの認識を理解していた。

「リスクさえ受け入れれば、寧ろこっちの視座が一気に広がる余地があるってこった。
 残存勢力の数や規模、それに対立構図。上手く行けば戦局を俯瞰的に捉えられるし、利害が一致すれば交渉をやれる余地もある」

 この聖杯戦争は、敵の情報というものを全て手探りで見つけ出す他ない。
 故に“複数の主従が集結するかもしれない状況”というものは、リスクのみならずリターンを得られる可能性に繋がる。

 敵陣営の戦力規模やサーヴァントの詳細把握、同盟・敵対関係の俯瞰視、あるいは乱戦による削り。
 情報と戦果を同時に得られるし、その中で他主従との利害一致があれば交渉することも出来る。
 また以後“出遅れた陣営”に対し、情報や戦況把握という点でイニシアチブを取れる余地もある。

「渦中に打って出ることは、却ってチャンスになる。そう言いてえんだろ」
「その通りだ、セイバーよ!!身の丈小さき幼子の割に良い眼を持っているな!!」
「うるせえよバカ、ていうかお前いっつも一言多いな斬り殺されてえのかボケ」

 余計な一言と共に讃えるカスターに対し、トバルカインはうんざりしつつ。

「……別に、闇雲に鉄を打ったって何も生まれねえってだけだよ。
 手順や材料を吟味しなきゃ納得の行く結果には繋がらない。それくらいは私もわかる」

 その上で、彼女は己の見解を語った。
 刀鍛冶と同じ。結果を得るためには、然るべき過程が必要となる。
 リターンを掴み取るためには、リスクを引き受ける覚悟を背負わねばならない。
 それを悟っているからこそ、カスターの物言いを理解していた。

 そして、それから間も無く。
 はぁ、と煩わしく溜息を吐きつつ。
 トバルカインは、己のマスターへと視線を向けた。

「――そういう訳だ、これで満足かよコトネ。
 私はハッキリ言って億劫だし、気分も最悪だ。
 白状すりゃあ、祓葉なんてバケモンにも正直関わりたくねえ」

 向けられた視線に対し、小都音は思わず息を呑む。
 トバルカインは、いつもの調子でぶっきらぼうに語る。
 そう、いつも通り。普段と変わらない、砕けた物言い。

「それでもやりてぇんなら、しょうがねえから付き合ってやる」

 しかし。小都音を射抜く眼は、紛れもなく問うていた。
 彼女がこれから選び取る“意思”を、見定めていた。

「その代わり、腹は括れよ」

 マジで――マジで嫌だけどな。そこはちゃんと分かれよマスター。
 そんなふうに悪態をつきつつも、トバルカインはハッキリと告げる。
 その眼の内奥に、刃のような殺気を宿しながら。

 己のサーヴァントに、覚悟を問いかけられ。
 胸の奥底から、緊張が迸るように駆け抜けていく中で。
 小都音は、ゆっくりと――自らの視線を動かした。

 小さなテーブルを挟んで、目と鼻の先。
 手を伸ばせば、容易く届くような距離。
 すぐ隣でぼんやりと座り込む、ただひとりの親友。
 ずっと傍で見つめ続けてきた、ただひとつの“お月さま”。

 ――天枷仁杜。
 目指すゴールは、二人いっしょ。
 共に生きて帰れる未来。

 果たして、そんな都合のいい道筋が存在するのか。
 死線の彼方に辿り着き、そのような結末が有り得るのか。
 はっきり言って、何の根拠も手掛かりもない。
 戦争の行く末について“何も知らない”からこそ、楽観に胡座を掻いているだけに過ぎない。

 仮に、生還へのチケットが本当に一枚だけだとして。
 自分は何の後腐れもなく、他のマスターを踏み越えていけるのか。
 親友である仁杜と対峙し、その先へと越えてゆけるのか。
 答えはわからない。何一つ、小都音の先行きは見えない。

 それでも、今は。
 仁杜と並び立って、進むことだけを考えていきたい。
 決して届かないと思っていた“天才”と、同じ資格を得てしまった。
 そんな数奇な運命を前にして、戸惑うことはあるけれど。
 少なくとも小都音は、何もかもを諦めたいとはまだ思わなかった。
 自分が生きることも、親友が生きることも。
 ――“こいつ”の手を取り続けることも、諦めたくない。

 だから、踏み出さなくてはならない。
 足並みを揃えて、前へと進んでいくためにも。
 この盤面で、戦い抜かねばならない。
 あの“大きな壁”を、乗り越えなければならない。
 そのことを、改めて噛み締める。

 やがて小都音は、何も言わずにこくりと頷いた。
 トバルカインの言葉に向き合い、肯定の意思を示した。
 そんな彼女の答えに、トバルカインは同じく無言を貫く。
 やれやれと言いたげに眉間へ皺を寄せ、しかし神妙な面持ちのまま小都音の意思を受け止めた。

 ――腹括らなきゃなんねえのは、私も同じかもな。

 トバルカインは、振り返る。
 幾許か前の時刻。あの新宿のカフェでの交戦。
 己と真正面から打ち合い、そして眩い輝きを見せつけた、“白い少女”。
 網膜に焼き付くほどの“存在”を、脳裏に反響させ。
 彼女もまた、緊迫の中で気を引き締めていく――。

「それと……もうひとつ、気になったことがあるんだけど」
「んだよ、まだ話あんのかよ」

 そんな矢先に、再び小都音が口を開いた。
 ――いや、今ので話終わりじゃねえんだな。
 思わずトバルカインは突っ込みかけたが、いつものような悪態で済ませる。

「なんていうか、あの二人さ。
 カフェで堂々と聖杯戦争について話してて、まぁコーヒーとか吹き掛けたんだけど。
 それで。私は席とか近かったから、けっこう話の内容も聞こえて――」

 そういえばセイバーは聞いてた?と小都音が問いかける。
 トバルカインは首を横に振る――本格的な交戦が始まるまで、彼女は周囲に警戒を向けていた。
 あれこれ文句を言いつつも、敵襲や気配の接近に備えて、身構えるように待機していた。
 そのため小都音が盗み聞きしていた会話の内容までは把握していなかった。
 その後はあの激戦へと突入したため、そのことについて話す暇もなかったが。

「前みたいに仲間がほしかった、とか。
 聖杯戦争はチームで戦ってなんぼ、とか。
 あの娘たち……そんなこと話してたんだよね」

 だからこそ、小都音の語った話にトバルカインは呆気に取られる。
 何気なく耳にして、ずっと引っかかり続けていたこと。
 小都音は今後の指針や立ち回りの話を経て、それを打ち明けた。

「――待て。“前みたいに”?」

 その証言に対し、カスターが口を挟む。
 先ほどまでの芝居がかった大仰な態度は無く。
 微かに動揺するように、真剣に問い質した。

 ――“前の時みたいに仲間がほしかった”。
 ――“やっぱり聖杯戦争ってチーム戦してなんぼ、みたいなとこあるでしょ”。

 あの二人の少女が旧知の間柄であることは明白だった。それ自体はまだいい。
 しかし、その会話の内容は――まるで“前回”があり、既にセオリーも判明しているかのような物言いだった。
 とはいえ本来ならば、それだけではまだ確信たりえない。
 単にこれまでの一ヶ月間に両者の交戦や共闘があった、というだけの可能性もある。 

 だが、それでも“一つの可能性”に行き当たったこの場の面々にとって。
 それは思い違いの一言で捨て置けるものではなかった。

「ね、ねえ、薊美ちゃん……」

 カスター達に不穏と動揺が過った、その矢先。

「さっきから言ってた、イリスって人……」

 それまで会話に参加せず、沈黙していた“三人目のマスター”がおずおずと口を開いた。
 彼女は会話の流れで今は聞き手に回っていた、薊美へと問いかける。

「なんか……もっとどんな感じだったか、わかる?」

 天枷仁杜――彼女の方へと、皆の視線が向けられた。




 仁杜が承諾したから、場を受け入れたものの。
 ウートガルザ・ロキにとって、この会合は好奇心の外側にあった。
 端的に言えば、それほど関心が無かった――だから彼は大人しくしていた。

 元より高天小都音という“仁杜の月並みな友人”への関心が薄かったロキにとって、彼女が新たな同盟者の存在などはどうでも良かった。
 伊原薊美という少女は、小都音よりは少しくらい見どころがあるのかと思ったが――やはり天高仁杜には遠く及ばない“ただの人間”だった。

 気丈に振る舞っているようだが、結局は“本物の器”とは比べるまでもない。
 偽物の王冠を被り、高貴を気取っているだけの小娘だった。
 彼女が引き連れている喧しいライダーに至っては、小都音のセイバーにもまるで劣る。
 ただ虚勢を張っているだけの凡夫。霊基の格からして明白だった。

 ロキにとって新参者二人はさして魅力的ではなかった。
 かといってこの場で茶々を入れるような真似をする気もない。
 だから彼は、情報共有の際に最低限の付き合いで喋るのみだった。

 トバルカインは、露骨にこちらへの嫌悪を見せて牽制している。
 ロキはそれを飄々とかわしながら、沈黙を続けている。
 諸々の推察や今後の指針に関する相談に対しては口を挟まなかった。
 そして、仁杜はいずれの場面においても禄に喋っていない――頭が回らないからだ。

 仁杜は決して馬鹿ではない。寧ろ感性は鋭いし、本質的には敏い人間だ。
 しかし、自分で“やりたい”と思ったこと以外への気力に乏しい。
 騒がしい時は本当に賑やかだが、そうでない時は大抵ぼけっとしている。
 だから彼女はこういう場においても、ただぼんやりと話を見守るばかりの昼行灯と化す。
 さっきまで調子に乗ってニヤついていたのが嘘のようだった。
 ――たぶん会社でもこんな感じだったんだろうなあ、とロキはふと思う。

 尤も、ロキはそのことを咎めるつもりはなかった。
 何故なら、それが仁杜の個性であり。仁杜を仁杜たらしめる“堕落”と“逃避”だからであり。
 そんな仁杜のことが、ロキは好きだからである――皮肉や悪意ではなく、本心から。
 自らと最高の相性を誇る魂と出会えた。
 それだけでも、この聖杯戦争に喚ばれた意味はある。
 そう確信できるだけの価値が、仁杜には存在していた。

 そして、幾ら小都音や薊美達が話を重ねようと、結局“仁杜は外に出ない”という結論に繋がる。
 この一ヶ月の間、仁杜はろくに外出などしていない。
 家事も物資調達も偵察も戦闘もロキがこなしている。
 仁杜は家で食っては遊んで寝るばかりの生活だった。
 無論、立ち回りさえ練っていない。ロキもそんな彼女を小突いたりしなかった。
 仁杜というマスターを得たロキならば、単独での暗躍と遊撃だけで戦果を挙げられてしまうのだから。

 だからこの会合に、自分達が居座っている意味があるとすれば。
 高天小都音という仁杜にとって唯一の“外部との接点”が、勝手に情報整理や現状把握に努めてくれることに尽きた。
 小都音達もまた“あの白い少女”と邂逅を果たし、そして敗残したようだった。
 故に彼女達は、あの“極点”を見据えた立ち回りを練っている。

 小都音という人間は何の魅力もない、平凡な木偶人形だ。それでも仁杜にとって、小都音は友人らしかった。
 仁杜と小都音はお互いを切り捨てない。ロキは悪辣で狡猾だが、そんな仁杜を裏切るような真似はしない。
 ならば小都音に関しても「使えるところでは適当に使っておこう」というふうにロキは考えることにした。
 仁杜に代わってあちこち駆け回ってくれる適当な小間使い。親しげな使い走り。そういう認識である。

 その点に関しては、都合が良かった。
 元よりロキは、仁杜を無理にでも外に出そうという気はなかった。
 小さな部屋。狭い箱庭。閉鎖された空間――それが仁杜に相応しい居場所だった。
 自分の世界に閉じこもり、現実から逃避し続けてくれる方がロキにとっても良かった。

 ロキの能力はマスターとの“認識の共有”に大きく依存する。
 今のロキが最高のパフォーマンスを発揮できているのは、ひとえに仁杜が超弩級のボンクラだったからだ。
 仁杜は都合の悪い“現実”を決して見ない。いつだって甘い“夢”の中に生き続けている。
 そんな彼女だからこそ、幻想を力にするロキとのずば抜けた同調を果たしている。
 故に仁杜には無理に厳しい現実を直視してもらう必要はなかったし、仁杜自身もその気はないことをロキは知っていた。

 情報共有や有事の際に協調はするが、ご存知の通り“にーとちゃん”はこういう人間だ。
 無理に動かす気はないし、自身も彼女を守る必要がある。だからこっちはこっちで好きにやらせてもらう。
 ――ロキはそんな理屈を用意するつもりだった。
 小都音は仁杜の人柄を誰よりも理解している以上、無理強いはしないだろう。
 薊美もまたこの場で無用な波風を立てないよう、小都音に同調することが見えている。

 どんな争乱が起ころうと、天枷仁杜は変わらない。
 自堕落にぐうたら過ごし、現実と隔絶した“幻想”に浸り続ける。
 それでいい。それ故に彼女は“逸材”足り得るのだから。

「ね、ねえ、薊美ちゃん……」

 されど時に、“逸材”であるが故に。
 仁杜は、ロキの想定を外れることがある。

「さっきから言ってた、イリスって人……」

 “前みたいに”――小都音の話にロキが少しばかり興味を惹かれた矢先だった。
 それまで会話に参加しなかった仁杜が、突然話題に食いついてきた。
 おずおずと、不安げに。しかし、何か非常に気になっている様子で。

「なんか……もっとどんな感じだったか、わかる?」

 ロキは、いつだって不敵な余裕を絶やさない。
 しかし、この時ばかりは――ほんの微かにでも、意表を突かれていた。




 ――ぶっちゃけ、よくわからない。
 小都音達の会談を前にして、仁杜は率直にそう思っていた。

 この一ヶ月がどうこうとか、どんな敵がいたとか、ああだこうだとか、バッタだの事故だの災害だの行方不明だの何だの。
 皆があれこれ真面目な話をしていた。仁杜は一ヶ月間「外は危ないもんね。会社と行かなくていいし、ずっと引きこもってゲー厶してよっ」としか考えてなかった。

 外での荒事もロキがぜんぶ担ってくれていた。
 仁杜は知っている。“ロキくん”は凄くて、頼もしくて、なんでもしてくれる。
 彼が無茶をして傷つくかもしれないことは心配だったけれど、ロキはいつだってあの笑顔と共に飄々と帰ってきてくれる。
 だから仁杜は甘やかしてくれるロキにぜんぶ委ねて、無職ライフをほかほかと送り続けてきた。

 小都音達の話はよくわかんなかったし、どこか他人事のような感覚があったけれど。
 同時に、“ことちゃんもずっと頑張ってたんだな”――なんて思いが込み上げてきた。
 自分は無職で、ぼんくらで、自堕落で、ダメ人間。
 それくらい仁杜自身もぼんやり分かっている。認めたくないけど。
 けれど小都音は今も、こうして薊美達と話し合っている。

 昔からそうだ。“ことちゃん”は偉い。仁杜はそんなことを思う。
 いつも不甲斐ない自分の面倒を見て、世話を焼いてくれてる。
 “あの天枷さんとつるんでる”なんて陰口を叩かれても、気にしないで友達でいてくれる。
 自分も見てないところで色んな努力を重ねて、コツコツと頑張ってる。

 それは、今も同じだった。
 仁杜がだらだら過ごしてる間も、小都音はちゃんと考えて、何かをやっている。
 そんな小都音のことを、仁杜は純粋に“すごいなぁ”と思っていた。

 仁杜は、自分が一番好きだけど。
 自分の友達でいてくれる人も好きだった。
 小都音もそうだったし、ロキもそうだった。
 そして、この空想の世界でもうひとり――彼女には“友達”がいた。

「“イリス”って子について?」
「うん。見た目とか、そういうのだけでもいいから」

 仁杜からの問いかけに対し、薊美が応える。
 突然口を開いた仁杜に少し驚いている様子だった。

 オンラインの狩ゲーで、“その娘”はいつも同じような装備で固めていた。
 全身白黒の下位装備。髪色も含めて偏執的なまでの白黒コーデ。
 マルチプレイで色んな素材を掻き集めているにも関わらず、いつまでもその姿のまま変わらない。
 縛りプレイのようなもの、と本人は語っていたけれど。
 多分そういう“見た目”を貫くこと自体に物凄く拘りがあるのだろうと、仁杜はなんとなく察していた。

 彼女のハンドルネームは〈Iris〉。
 ほんの少し前に喧嘩別れのような形になっていた、仁杜の“友達”だった。

「髪の色も、服装も、みんなツートンの白黒で固めてて……。
 魔術もその色彩に関わってる感じだった。結界とか領域っていうのかな、ああいうの」

 薊美の説明を、仁杜は聞き続ける。
 ――“イリス”という名前の、“白黒”の魔女。
 小都音達の会談の中でそんなワードが飛び出てきたとき、仁杜は思わず不意打ちを食らったような気持ちになった。
 小都音や薊美達が戦った敵の片方。これからの戦いで間違いなく立ちはだかる大きな壁、らしい。
 どちらかがバッタのマスターかもしれないらしく、しかし仁杜にとってはそれ以上に重要なことがあった。

 皆がずっと話し込んでいて、上手く割り込めなかったけれど。
 ある懸念に行き当たって、動揺が走って、それから一瞬黙り込んで。
 その間に割り込むように、仁杜は問いかけたのだ。

「口とか、悪かった?」
「――え?」
「その子!口とかって、悪かったりした?」

 仁杜の更なる疑問に、薊美は面食らうような反応をする。
 口が悪かったか。そんなことを気にする余裕はあまり無かった。
 だから薊美は、傍にいるカスターへと話を振る。

「……ライダー、どうだった?」
「おやおや、奇妙な質問だね!!」
「淑女(レディ)が問いかけてるから、貴方も答えなきゃだよね」
「レディ……う、うむ!!まぁ、うん!!そうだな!!彼女も、見方によっては……うむ!!レディなのだろうな!!」

 微笑む薊美に対し、カスターは笑みを引き攣らせた何とも微妙な表情を見せる。
 彼が視線を向けた先にいるのは、質問者である仁杜。
 ――アメリカの麗しき淑女には程遠い、無職で引きこもりの独身女性である。

「にーとちゃんのことナメてるよコイツ」
「薊美ちゃんはイケ女だったのにな~~~」
「すまん!!!悪気はないのだ!!!」

 頬杖をついて胡座を掻くロキに小突かれ、仁杜にまで小突かれる。
 第七騎兵連隊の輝かしき将軍は、妙な申し訳なさで思わず平謝りをかました。
 それから気を取り直して、カスターは咳払いをする。

「して、“イリス”という少女のことだね!!
 まぁ、ふてぶてしかったんじゃあないかな!?
 片割れである“祓葉”はまだ愛嬌があって快活だったがね!!
 “イリス”の方は幾らか、こう、窶れた雰囲気があったな!!」

 白い少女は快活だったが、白黒の魔女は口が悪いといえば悪かった。
 雰囲気も窶れているといえば、窶れていた。
 カスターも思わぬ質問に対し、少々歯切れの悪い答えを返す。
 如何なる口調で喋っていたか。あの混戦の中で、そんなことにまで意識を向ける者は早々いない。

 とはいえ、仁杜からすれば“それだけ”でも十分だった。
 何も得られないよりは、ずっとましだった。

「ことちゃんも、なにか覚えてない?さっき会話とか聞いてたんだよね?」
「えっ?うーん……」

 仁杜は立て続けに、小都音にも問いかけた。
 小都音は暫し悩むように考え込んでから、口を開いた。

「……まぁ、色々と“こじれてる”っぽかったかな」

 少しばかり考え込んだ末に出てきた両者の印象は、そういった関係だった。

「誰かに告白されたとか何とかで、相談してたらしくて。
 恋バナっていうか……そういうのを話せる関係なんだと思ったけど。
 でもあの二人、結局そっからドンパチしてさ。ほんとビックリした」

 戦闘が起こる前にぽつぽつと聞こえた会話からして、“そういう話”が出来るくらいの間柄らしくて。
 そうした遣り取りの末に決裂して、あろうことか戦いにまでなって。
 その最中にも、何やら言い争っている姿が見え隠れして。

「なのに……なんだろ。一緒に戦った途端、息ぴったり?みたいな」

 だというのに、騎兵隊が乱入した直後から。
 あの二人の少女は、阿吽の呼吸で共闘を果たしていた。

「――どういう仲だったんだろ。あの娘たち」

 あの乱戦は、本当に熾烈なものだった。
 誰が脱落したとしても、決して不思議ではなかった。
 その死線の狭間で、見え隠れしていたものがあった。
 半ば見過ごしかけていた“それ”は、仁杜の問いかけによって掘り起こされた。

 仁杜は、数時間前の出来事を振り返っていた。
 ネットゲームでのチャットを介した遣り取り。
 普段よりも悪口の切れ味がなかった“友達”。
 何か悩んでいる様子だったけど、素気なくはぐらかされて。
 大きな地雷を踏んだらしくて、そのまま突き放されて。
 ――トークアプリの返信は、未だに来ない。

 小都音達が会った“イリス”について、仁杜は考えていた。
 込み入った事情を背負っているらしい、その“白黒の少女”のことを。
 確かなことは、仁杜の“友達”は何かを抱え込んでいるということで。
 その“イリス”もまた、何かを背負っているらしいということだった。

 さっき喧嘩別れしてしまった狩友が、実は聖杯戦争のマスターでした。
 そんな都合の良い偶然が有り得るのか、なんて仁杜は一瞬でも思ったけれど。

 ――有り得る。ぜったい有り得るよ。
 ――だって、“ことちゃん”だってそうだったもん。

 偶然を超越した運命みたいものは、間違いなく存在する。
 仁杜は半ばそんな確信を得ていた。
 たった一人の親友、高天小都音でさえもマスターだったのだから。

 イリスという少女のことを噛み締めて。
 仁杜は思い馳せるように、ほんの微かに俯いていた。

「あとさ!その、もう一つ気になったことなんだけど……」

 そして、小都音達の会話を小耳に挟んでいたうえで。
 仁杜には、ずっと引っ掛かり続けていたことがあった。

「その祓葉って子とか、やばいチートみたいなのも居て。
 けど、ことちゃん達も薊美ちゃん達も、あれこれ話し合ってて。
 色々ちゃんと考えててすごいなって、思ってたんだけど――」

 仁杜は“よくわからない”なりに、少しは会話を小耳に挟んでいた。
 上手く咀嚼は出来なかったし、大抵は頭の中をすり抜けていったけど。
 それでも、仁杜は曲がりなりにも要点を掴んでいて。

「あれ?ってちょっと引っかかったというか」

 そんな中で、ふと思い至ったことがあったのだ。

「前にロキくんから聞いたんだけど。
 聖杯戦争って、ほんとは魔術師同士でやるものなんだよね?」

 魔術師たちが古今東西の英霊を召喚し、たった一つの願望器を求めて争う儀式。
 それこそが聖杯戦争である。仁杜は自らのサーヴァントからそう聞いていた。
 実際、この舞台でもロキは何度も魔術師と相対して戦っていたらしく。
 そのことに対し、仁杜は「ロキくんってほんとに強いんだなぁ」と呑気に思っていた。

 それ以上のことは深く考えていなかった。
 勝てば一生不労所得で生活。永遠にゲーム三昧。ラッキーでウハウハ。毎日がフィーバー。
 仁杜が考えていたのは、聖杯で得られる利益のこと。そしてロキと仲良く過ごせる時間のことだった。
 他のことは知らないし、興味もなかった。
 自分以外のマスターも、小都音や薊美以外には出会ったことがなかった。
 だから仁杜は聖杯戦争に対する思考を止めていた。

 しかし、こうして会談を聞いていて。
 今の仁杜の頭の中には、ひとつの疑問があった。

 ――なんかさ、こうして普通に戦いのこと考えてるけど。
 ――よくよく思えば変じゃない?だって、私はさ。
 ――っていうか、ことちゃんも薊美ちゃんも。
 ――違うじゃん、ぶっちゃけ。


「私たちって魔術師じゃなくない?なんで喚ばれたんだろうね」


 その一言が呟かれた瞬間。
 しん、とその場が鎮まり返った。

 薊美も、カスターも。小都音も、トバルカインも。
 仁杜が何気なくぼやいた言葉を前に愕然とし、目を丸くしていた。
 ただ一人、ロキだけが動じることもなく真顔で頬杖を付いている。

 あまりにも初歩的な事実であり。
 最早わざわざ語るべきでもない現実であり。
 しかし、それ故に見落されていたことだった。

 それは、薊美も、小都音も、仁杜も。
 ある一点では、同じということだった。
 彼女達は――魔術師でも何でもないのだ。

 聖杯戦争の存在すら、知る由はなかった。
 叶えるべき願いも、根源への悲願もなく。
 魔道の世界とは無縁の人生を歩んできた。
 だというのに、彼女達は“マスター”として呼び寄せられたのだ。

 それだけならば、何てことはない。
 ただ“セオリーを大きく外れた、無作為なマスターの選出”というだけに留まる。
 その時点で異常ではあるのだが、彼女達がわざわざ論ずることではない。

「令嬢(マスター)よ」

 ――しかし。
 ――しかし、だ。

「イリスという少女曰く、祓葉とは“我々が挑まされるモノ”だそうだ」

 カスターが、その言葉を反芻した。
 ”太陽“の輝きが、己の神話を打ち破った瞬間。
 その奇跡を見届けた白黒の魔女が告げた、避けられぬ運命を指し示す一言を。

「……ねえ、ライダー。それにセイバーも」

 その言葉を耳にして。
 薊美は、ある可能性に思い至っていた。

 聖杯戦争は、魔術師同士の闘争である。
 にも関わらず、魔術師ではない者が何人も喚ばれている。
 しかも薊美達が示すように、後付けの魔術回路まで手に入れているのだ。
 まるで“聖杯戦争の道理を覆すこと”が初めから大前提であるかのようだった。
 この儀式は、本来のあるべき姿に全く固執していない。

「あの祓葉って娘さ」

 薊美は、言葉を続ける。
 人目も憚らない場慣れした立ち回りに加え、均衡を崩壊させる力を持った主従の存在。
 この聖杯戦争が“二度目の開催”であり、既にセオリーが割れているという可能性。
 魔術師同士による殺し合いという本来の在り方を覆すマスターの人選。
 魔術と無縁の“一般人”を舞台に上げ、後付けの異能を付与するという手段。
 イリスが“私達が挑まされる者”と評した祓葉。
 見る者の眼を余すことなく灼き尽くす、祓葉の“極光”。
 これらの構図の中で、一つの疑問が浮かび上がる。

「あれは“魔術師”なの?」

 神寂祓葉は、果たして“魔術師”なのか。
 薊美の問いかけに、カスターとトバルカインが即答する。

「いいや、違うな」
「断じて違ぇよ」

 彼女と直に戦ったからこそ。
 両者は、そのように断言ができる。

 あの白い少女は“我々が挑まされる者”であり。
 あの白い少女は“魔術師”ではない。
 その答えによって、ピースが嵌め込まれた。

 なぜ“魔術師以外”からも喚ばれたのか。
 この聖杯戦争自体が“魔術の儀式”とは異なる領域にあるからではないか。
 魔術師側の常識から完全に逸れた、外法の催しだからではないか。
 だとすれば、一体誰がそんなことを目論んだのか。
 この戦いを始めた者がいるとすれば、それは“魔術師とは異なるモノ”なのではないか。

 “魔術師同士の闘争”という有るべき姿に固執せず。
 自らも“魔術師”ではないからこそ、常人のマスターが選出されている。
 そして後付けの異能を付与され、焚き付けられている。

 “我々が挑まされる者”。“地上で輝く太陽”。
 英霊さえも超越する“異端の存在”。
 そして、“前回”の可能性を仄めかした張本人。
 ――なぜ“祓葉”は、あれだけの器と力を備えているのか。

 アレは本当に、自然発生的に出現しただけの強者なのか。
 薊美達と同じように、ただ巻き込まれただけのマスターなのか。
 なぜあの極星は、“前回”の存在を仄めかしていたのか。
 なぜ彼女は、あれほど堂々と動いていたのか。
 本来の在り方から明らかに外れている、今回の聖杯戦争とは――“魔術師ではない黒幕”が介在しているのではないか。

 あの強大な輝きが、薊美達の脳裏で反響し続ける。
 そうであると断言しても、決して不足はない。
 それだけの風格があった。それだけの説得力があった。
 そして、その疑念を埋めていくだけの“可能性”が揃っていた。

「――要するにさ」

 核心の片鱗へと行き当たり、誰もが沈黙する中。
 ただ一人だけ、飄々と笑みを浮かべながら口を開く者がいた。
 衝撃と動揺に沈むこの場を、まるで揶揄い嘲笑うかのように。

「あの娘が“黒幕”なんじゃないの?」

 恐れることもなく、ロキはあっけらかんと言い切る。
 彼らが辿り着いてしまった、あまりにも大きな答えを。




 じわり、じわりと。
 退屈な凍土が融け落ちていく。
 月明かりが緩やかに、そして確かに。
 氷雪の穴蔵を照らしていく。

 ゆらり、ゆらりと。
 冷え切っていた意識に、熱が取り戻されていく。
 仄かな月光が、静かに射していくように。
 今はまだ小さく、しかし紛れもない炎が、揺らめいていく。

 それまでテーブルへと向き合っていた仁杜。
 彼女は今、ロキの方へと振り返っていた。
 その眼差しは、もう一人の親友である彼に訴えかけている。

 ――ロキくん。私さ。

 ああ、薄々感じていたが。

 ――お出かけしたいかも。

 やっぱり、そう来るよな。
 ロキは思わず苦笑する。

 仁杜はいつも引き篭もって、自分の世界だけに居座っていた。
 外界へと赴く意思は無かったし、その必要さえも無かった。
 全てはロキという相方が飄々と片付けるのだから。

 しかし今、彼女はいつになく聖杯戦争への興味を示していた。
 “イリス”という魔女への強い関心を向けて、自発的に情報を聞き出していた。
 そうして、この聖杯戦争の核心的な異常性を指摘し。
 仁杜はこうして、この一ヶ月で初めて、行動するという意志を見せている。

 仁杜が“イリス”と如何なる接点を持つのか、今はまだ掴めていないが。
 仁杜は動かないという、ロキの目論みは思わぬ形で外れた。
 しかし、憂うことは無かった。咎めるつもりも無かった。
 ひとつ、思い至ったことがあったからだ。

 光の根源。この世界の神格。全てを超越する特異点。
 己が生み出した幻獣さえも切り裂いた、文字通りの怪物。
 あの白い少女――“祓葉”。

 蝗害を追うことは、二人の少女の手がかりを掴むことに繋がる。
 そして、仁杜は“イリス”に強い興味を示している。
 “イリス”を追えば、恐らくは“祓葉”への道筋も拓かれる。

 ロキは、考えた。
 天枷仁杜を――“祓葉”と接触させる。

 あの“白い少女”は、紛れもなく極点だった。
 そして天枷仁杜は、彼女に最も近い素質を持つ。
 もうひとつの極点。異端の特異点。神に迫る可能性を持つ存在。
 そんな仁杜を、もしも“神”と直接接触させたならば。
 如何なる反応を見せて、如何なる覚醒へと至るのか。

 ロキは、自らが博打を打とうとしていることを自覚していた。
 仁杜が外に出ることを許し、剰えあの“白い少女”への接触へと向かわせる。
 一歩間違えれば、仁杜の未来を閉ざすかもしれない。
 あの強大な光を目の当たりにして、仁杜の現実感は負の方向へ一変する余地もある。
 彼女の成長を食い止めかねないという危険も否定はできない。

 しかし、それでもロキは仁杜を信じていた。
 この“月”が、“太陽”へと肩を並べることを。
 堕落し、零落し、人として落ちぶれたこの女。
 それでも特異点としての素質を持ち続けた仁杜は、ただでは転ばない。
 そう確信していたからこそ、ロキは見届けたいと思っていた。

 ――ああ、そうこなくっちゃ。
 それでこそ“俺”の愛おしき半身。
 夜に咲く月は、己の予想をも超えて往く。
 幻惑の奇術師は、待ち受ける運命に歓喜する。

 なあに。
 神を嘲ることには、慣れっこさ。




 情報共有と考察を経た会談が一旦終わり。
 主従はそれぞれの相棒と共に、念話で打ち合わせをしていた。

 伊原薊美とカスターは、優れた才人である。
 同時に彼女達は、“虚構の月(ペーパー・ムーン)”だった。
 かつてカスターが伝聞や作劇の中で偶像と化したように、薊美もまた舞台の上で偶像と化す。
 天性の才覚と周囲からの風評によって、自らの実態すら超える姿を演じてみせる。

 だからこそ二人は本物の神話には届かない、“銀幕の神格(ジョン・ウェイン)”に過ぎない。
 彼女達は英雄として堂々と、傲岸に振る舞う――英雄には遠く及ばないにも関わらず。
 そして、先ほどの死線において、彼らは“真の英雄”を前に敗退した。

 ジョージ・A・カスターはあの“白い少女”に対し、既に自らの底を見せている。
 恐れ知らずの強運、勇猛果敢な立ち回り。無数の騎兵隊を使役する召喚宝具、そして民族浄化を具現化した殲滅宝具。
 その全てを行使して“少女”へと挑み、持てる力を振り絞り、最後は“眩い光”によって伝説ごと打ち砕かれた。

 全弾を使い果たし、そのうえでカスターは神寂祓葉には及ばなかった。
 それこそが紛れもない事実だった――しかし、それでも。

『――例え敵が“神”だとしても、私は挑む』

 それでも尚、カスターは断言する。
 勝利への行進を、決して止めはしないと。

『情けないことに、今の私はまさにスターゲイザーだ。
 しかし……アレから逃げれば、今度こそ“挫折者”として終わる。
 故に、戦わねばなるまい。太陽を撃ち落とさねばなるまい。
 真なる栄光の道へと進むために』

 あの少女に挑まねば、自分達は敗者として終わると。
 あの少女を見据えてこそ、自分たちの道は切り開かれるのだと。
 それを確信していたが故に、カスターは揺るがずに告げる。

 カスター将軍は、二流の英霊だ。
 神秘の時代には程遠く、歴史の逆風に吹かれ、栄光すらも色褪せている。
 しかしそれでも、決して足を止めることはしない。
 そんな己を自覚しているが故に、彼は“歴史の極星”になることを望んでいるからだ。

『そのうえで、敢えて問わせて貰おう。
 君は――大丈夫かね、令嬢(マスター)』

 カスターは決して引き返さない。
 誉れ高き栄光を見据えて、軍靴を響かせ続ける。

 故に彼は、己がマスターに覚悟を問う。
 先程トバルカインが小都音に問いかけたように。
 これより鉄火場へと突き進む上で、薊美の意思を見定めることにした。

『……ライダー』

 薊美は、そんな彼の言葉を前にして。
 迷いを抱き、足踏みすることはなかった。

『私の答えは、ひとつ』

 ぱちんと、戯けるようにウインク。
 それから薊美の表情が、不敵な微笑みへと変わる。
 悠々と洒落込みながらも、その瞳の奥底に獰猛な殺意を宿す、“優雅で無慈悲な女王”の顔だった。

『“運命は星が選ぶのではない。我々自身の意思が決めるのだ”』

 ――薊美の返答は、堂々たる不敵な台詞だった。
 それは、古典文学から引用された粋な言い回しであり。
 神を前にして自らの想いを突き通すことを示す、傲岸なる宣言だった。

『はっはっはっは!!!シェイクスピアか!!!
 その一節は“ハムレット”だったかな!!?』
『これは“ジュリアス・シーザー”』
『そう!!!それだ!!!間違えた!!!』

 カスターは思わず、念話で高らかに笑った。
 ――まさに、期待通り。そう来なくては、我がマスターよ。
 そう言わんばかりに、彼は心底愉快そうに喜びを見せた。

『そうでなくてはなぁ、“傲岸なる令嬢(トゥーランドット)”よ!!
 その意気や良し!!神でさえも首を落としてやろうではないか!!』

 自らのサーヴァントからの惜しみなき賛辞を前にして、薊美は微笑みを絶やさず。
 その笑みの裏側で――改めて決意を固めていた。

『さて!!では“戦争”の先人として、ひとつ君に助言を与えさせて頂こうか!!』

 そして、カスターが話を切り出す。
 確固たる決意を見せつけた薊美に、ある道を指し示す。
 それは、この戦争を戦い抜くための助言だった。

『――この一ヶ月で、君の能力について検証する機会は何度かあった』

 この聖杯戦争に呼び寄せられたマスターは、魔術師の血族でなくとも“魔術回路”を獲得する。
 そして時に、個々の“異能”と呼ぶべき力を体得する。
 薊美はその結果として、他者を魅了する魔術を手に入れていた。

 これまでの発動に関して振り返れば、“魅了”の異様は決して優れたものではなかった。
 規模は限定的であり、持続もごく短時間に留まっていた。
 薊美自身も異能という不慣れな技術に対し、扱いを持て余していた節があった。

 対面した相手に“好印象”を抱かせて、遣り取りを誘導させること以外で言えば。
 主な使い道は、専ら緊急措置としての“回避”や”撹乱“のためだった。

 敵に狙われた際に魅了を発動し、自身に向けられた攻撃をわざと外させるとか。
 敵の認識を一瞬だけ揺さぶって、行動の隙を作るとか。
 あくまで保険としての防御手段、咄嗟の回避を成立させるための装置。
 あるいは、その延長線上としての撹乱手段。
 これまで行使してきた薊美の異能は、あくまで補助的な能力に過ぎなかった。

『――“茨の女王”を自負するなら、もっと大胆になれ』

 この栄光たる騎兵は、そんな彼女の在り方に一石を投じる。

『“太陽”を落としたければ、小手先の技で満足してはならない』

 それでは足りない。そんな小細工は君らしくない。
 もっと堂々と振る舞うべしと、カスター将軍は告げる。

『君の異能とは、要するに“自分の魅力で相手の心を刺すこと”だ。
 己の存在感によって他者の目を奪い、思考を揺さぶる――私も常日頃からやっている』

 カスターは常に、騎兵隊の輝かしき凱歌を唄う。
 己が率いる軍勢を鼓舞し、高らかなる行軍を行う。
 ――彼は英傑としては二流だ。しかし、そのカリスマは決して偽りではない。
 彼は確かに合衆国民の心を虜にし、模範的な開拓者として祭り上げられていたのである。

『それに魅了とは、敵を惑わすだけではない。
 味方を鼓舞する力でもある。そして私の宝具は“部隊”を呼び寄せるものだ』

 そうしてカスターは、言葉を続ける。
 己のマスターに対し、道しるべを示し続ける。

『私を参考にしろ。君は私のようになれる。
 カリスマを演じろ、強運を演じろ、主役を演じろ。
 それらを“君の演技”へと昇華させろ。高らかに歌ってみせろ。
 役に成り切り、演じることは――君の十八番だろう?』

 固有の異能を単なる“窮地の回避手段”という矮小な技術に落とし込めるのではない。
 舞台の演者である薊美の素養と噛み合わせ、そのポテンシャルを最大限に引き出すのだ。

 “魅了”とは精神干渉の術。他人の思考や認識を刺し、直接的に心を揺さぶる力。
 ここが限界ではない、未だ伸びしろはある。
 使い魔を中心とする自軍を鼓舞し、弾すら避け切る強運の主役として振る舞い、より大胆に敵を惑わし撹乱してみせろ。
 そして、思うがままに歌ってみせるがいい――そのように蒼き騎兵は道を示す。

『そのうえで我々も全力でカバーする。勇猛なるソルジャー・ブルー達が君を守る盾となろう』

 無論、自分も“女王の君臨”を支える。君の舞台は全力で担ぎ上げる。
 カスターはそう伝えたうえで、結論として告げる。

『本来の君は”舞台女優“。高らかに壇上へと立ち、自己を主張すべき役者なのだ』

 伊原薊美。君は、英霊の後方で控えている器ではない。
 戦いを他人事と思うな。自らの領域ではないと思い込むな。
 この聖杯戦争を、君の舞台のひとつへと変えてみせるのだと。
 カスターは、全身全霊の激励を行った。

『――私もまた、この地にて“運命”が待ち受けている。
 シッティング・ブル。あの偉大なる大戦士が、確かに存在している。
 君も己の運命を乗り越えろ。私は従者としてそれを支える』

 自身のサーヴァントから背中を押された“茨の君”。
 伊原薊美は、自らの戦う術を見出される。
 何処か遠い物のように思えていた戦争が、己の根幹へと肉薄していく。
 演じること。役者として振る舞うこと。それこそが、異能を更に高めるだろう。
 カスター将軍が示した道筋を、薊美は見据えて。
 その口元には、知らず知らずのうちに、不敵な笑みが浮かんでいた。

 ――上等だ。ずっとそうして生きてきた。
 ――それこそが、誰にも譲れない武器だ。

 例え、この道を選ぶことさえも。
 あの“白い少女”の掌の上だったとしても。
 あの“無垢な輝き”の思い通りだったとしても。

 茨の王子は、構うことはない。
 さらりと微笑み、凛として振る舞う。 
 何故なら、いつだって彼女の戦場は“そこ”にあったから。

 舞台の上に立ち、何かを演じること。
 伊原薊美の戦いは、常に“演じること”の中にあった。
 ――あの白い少女、祓葉への殺意に目覚めてから。
 彼女の中の魔力は、燃え盛る炎のように昂っていた。




 ――そして、あの祓葉という少女について。
 ――薊美には思うことがあった。
 ――殺意と憎悪という、負の感情とは異なる領域で。

 色々な場所で、色々な相手(やくしゃ)を目にしてきた。
 色々な演劇で、色々な登場人物(にんげん)を咀嚼し続けてきた。
 舞台の世界で数多の場数を踏んできた薊美は、他者を観察することに慣れている。

 仮に、この聖杯戦争が本当に二度目であるのなら。
 あの“白い少女”が本当に黒幕であるのなら。
 なぜ彼女は、聖杯戦争を再び始めようと思ったのか。

 一度目の聖杯戦争が存在し、尚且つ彼女が黒幕であるのなら。
 既に勝敗というものは決しているのではないか。
 更に言うのなら、祓葉は聖杯そのものを掌握しているのではないか。
 にも拘らず、なぜ再び戦争を始めることとなったのか。

 何か、聖杯というシステムにまつわる思惑があったのか。
 再び戦いへと身を投じねばならない意図があったのか。
 あるいは、既に心身が破綻しているのか。
 幾つかの理由が浮かんでいた中で、薊美は自身の記憶にある祓葉の姿を掘り起こし。
 ひとつ、強く印象に残ったことがあった。

 あの少女は。
 祓葉は、ひどく楽しそうだった。
 まるで玩具を与えられた子供のように。
 遊び相手を見つけられた幼子のように。
 彼女は奔放に、戦争を楽しんでいた。

 祓葉は、孤高そのものだった。
 圧倒的な輝きを放つ、白き太陽だった。
 茨の王子が嫉妬するほどに、彼女は君臨を果たしていた。
 にも拘らず、彼女は遊びを楽しんでいた。
 自身に向き合ってくれる者がいることを、心から喜んでいた。

 ああ、自分とはまるで違う――薊美は、そう思う。
 茨の君は、孤高を貫く蹂躙者だった。
 有象無象はすべて、転がる果実に等しい。
 自身と並び立つ者を決して許さず、余すことなく踏み潰していく。
 だからこそ、祓葉が楽しんでいることが奇異に映っていた。

(孤高でいるのが、嫌なのかな)

 薊美は、そんなことを思う。
 あの祓葉という少女が、孤独を望んでいないように見える。
 あれほどまでの神格であり、蹂躙者であるにも関わらず。
 遥か彼方に座する自身と向き合ってくれる、友達を求めているように思えた。

(――へんなの)

 その気持ちが、薊美にはよくわからなかった。
 理屈として飲み込むことはできても、まるで感情移入できない。

(わけわかんない)

 だって、意味なんて無かったから。
 友達なんてものを得られたところで。
 自分と向き合ってくれる遊び相手を見つけられたところで。
 孤高を嫌って、独りぼっちというものを拒絶したところで。

(お父さんは別に褒めてくれないもん)

 くり、くり、くり――。
 薊美はぼんやりとそんなことを思いながら。
 自分の横髪を、右手の指で弄っていた。
 些細な癖が抜けない、小さな子どものように。




 全ての黒幕たる極星、“特異点”。
 光に灼かれし狂想の使徒、“始まりの六人”。
 彼らは眩き太陽を中心に集い、再演の針音を刻み続ける星群――“七つの星(アステリズム)”。

 この世界に喚ばれし、名もなき役者(マスター)達。
 彼らもまた、ひとたび神寂祓葉が放つ極光に触れれば、何かしらの“影響”を受けていく。
 特異点の熱は遍く者達の魂を侵食し、その存在を焼き付けていく。
 まるで彼女という孤独な星が、自身に引き寄せられる“遊び相手”を求めるかのように。

 そんな永劫の恒星に運命を狂わされ、そして蘇った“六人”。
 彼らは死すらも覆され、特異点への狂気に駆られる亡者と成り果てた。
 光に網膜を灼かれ、残骸のような意志に沿って奔り続ける。
 行き着く果てはすべて、“あの白い光”へと収束していく――。
 それはもはや人の在り方ではなく、極星の引力に従う“衛星”に等しかった。

 彼らが、既に――“特異点の亜種”と化しているのなら。
 この針音の聖杯戦争を加速させるのは、極光の太陽だけに留まらない。

 全てを灼いた太陽と、その光の使徒と化した最初のマスター達。
 始まりの聖杯戦争を経た“七人”自体が、役者を導く“運命の引き金”に成りうるとしたら。
 あるいは、かつて“凍原の赫炎”や“蝗害の魔女”などが神寂祓葉に灼かれて、その能力を変質・進化させたように。
 星群である“七人”という存在そのものが、役者たちの“才能/異能”を更なる高みへと導く“起爆剤”になるとしたら。

 始まりを知る“七つの星”は、遍く者たちに運命と狂気を伝染させていく。
 神寂祓葉が、この世界の理を司る“神格”ならば。
 彼女に灼かれし六人は、理に従う“眷属”に等しいのだから。

 そして、世界にひとつの摂理があるならば。
 例外もまた、往々にして存在するのだ。




 天枷仁杜は、自堕落で、出不精で、滅多に外に出ようとはしない。
 必要に迫られない限り、自室という小さなお城の中に閉じこもり続ける。
 それが彼女にとっての安息であり、自分の心をいそいそと守るための殻だった。

 しかし――時おり、本当に時おり、仁杜は大胆な行動力を見せることがある。
 まだ二人が子どもだった頃の在りし日に、小都音を誘って“数十年に一度の流星群”を見に行ったように。
 小都音はそのことを、何となしに理解している。
 そして仁杜が“イリス”という少女について問い質したとき、小都音は彼女のそんな姿を思い返していた。
 だから、なんとなく察していた。

 自分の知らないところで、仁杜には何か思うところがあって。
 そのために、動き出そうとしている。
 全貌は分からずとも、小都音は半ば確信していた。
 小都音にとって彼女は、ただ一人の親友だったから。

『――おう、コトネ。お前ホントに面倒なことに首突っ込みやがったな』

 そんな思いを巡らせていた矢先に、トバルカインが念話でそう告げてくる。
 確かに覚悟は問うた。鉄火場に関わり、いずれあの祓葉とも対峙するという意思も受け止めた。
 だが、あいつが黒幕なんて話までは聞いていない――そう言いたげに、うんざりした声色だった。

『ごめん、セイバー。でも、遅かれ早かれこうするしか無かったんでしょ』
『……まあな。マジで頭が痛くなるけどサ、それは否定できねえ』

 それでも、自分達の選択はいずれは避けられないものだった。

『お前のダチと生きるにせよ、そうでないにせよ。
 あの化け物を超えなきゃいけねぇんなら、及び腰になる訳にはいかない』
『うん……そうだよね』

 加速していく戦線。常道を外れた主従の存在。
 凡百の陣営に過ぎない自分達のような面々は、リスクを引き受けてでも踏み出さねばならない。
 小都音はそれを理解していたし、トバルカインもまた噛み締めていた。

『“祓葉”、この舞台の黒幕かもしれない小娘。
 直に対峙したからこそ、敢えて言い切るがな』

 そして、先ほどの会話を振り返り。
 トバルカインは、祓葉という少女のことを語る。

『確かにあいつは“太陽”のように見えた』

 あのカフェで真正面から打ち合い、鎬を削り合い。
 ライダーの伝説さえも超越してみせた、その姿を目の当たりにした。
 故にトバルカインは、祓葉の異常性が肌に染みるように感じ取れる。

『私が諦めたものを、あいつは持ってやがった』

 それだけではない。
 トバルカインが抱き続けていた諦観に対し。
 あの祓葉は、それを飛び越えていく答えを内包していた。

『産む必要も、受け継がせる必要もない。自分の限界を、次の世代に託す必要なんかない。
 自分ひとりで全てを“完結”させちまう。自分だけで“究極”へと至って、何もかも終わらせる……』

 トバルカインは、己の才に絶望を抱いていた。
 幾ら鉄を打てども、鍛えども、望みし究極には届かない。
 果てなき時を費やしても尚、理想を掴み取ることは出来ない。
 そのことに気付いた瞬間から、彼女は堕落へと進んでいった。

 しかし、あの祓葉は違う。そんな挫折を容易く超越している。
 たった一人で全てを完結させ、たった一代で永遠を体現し。
 ただひとつだけの、究極へと至っている。
 それはトバルカインが切望し続け、ついに得られることのなかったものだった。

『……理想すら掌握してのける、真の才能だよ』

 あれは、究極だ。
 あれは、完璧だ。
 あれは、伝説だ。
 トバルカインは、確信する。
 あの少女は、全てを凌駕する才能を備えている。

『あんな眩しいモンは、拝んだことも無かった』

 だからこそ、トバルカインは祓葉への畏怖を抱く。
 自らが最期まで掴み取れなかった理想を体現する、あの輝きに対する動揺を抱く。
 それでも、黒幕であるにしろ、そうでないにしろ。
 彼女と向き合わねば、きっと自分達は先へは進めない。

 のらりくらりと、乗り切っていくつもりだった。
 怠惰に、飄々と、歩んでいくつもりだった。
 しかし、錬鉄の刀鍛冶にも、運命というものは等しく立ちはだかる。
 そのことを悟ったからこそ、トバルカインは覚悟を引き締める。

『――ねえ。あのさ』

 ――しかし。
 そんな矢先に、小都音は呟く。

『“祓葉”……あの女の子さ』

 トバルカインの畏怖に理解を示しつつも。
 何処か上の空であるかのように。

『凄かった。ほんとに凄かったし、びっくりした』

 小都音は、ぽつりと嚙み締めながら呟く。
 彼女もまた、あの場で極光を目の当たりにした。
 英霊の神秘さえも超越する輝きを、目撃した。

『でも……なんか、違う気がする』

 しかし。それでも。
 小都音は、呆然と言葉を紡ぐ。

『私は正直、あの娘……』

 トバルカインも、カスターも、あの祓葉を畏れていた。
 その輝きを前にして、慄きを抱いていた。
 理解はできる。あの途轍もない存在は、確かに脅威そのものだった。
 しかし、それでもなお、小都音は――。


『そんなに“眩しい”って思わなかった』


 呆気に取られたように、そう告げた。
 トバルカインは思わず、衝撃を受ける。

『お前、マジで言ってんのか?』

 あの化け物の、あの“輝き”を見て。
 英霊の神秘さえも穿った、あの“一撃”を目の当たりにして。
 それでもなお、そんなことを宣えるのか。
 トバルカインはそう言いたげに、目を丸くして問い質した。
 けれど、小都音は――。

『……うん』

 未だに実感を掴めないように。
 ぼんやりとしたまま、コクリと頷いた。




 高天小都音は、今さら“太陽”に灼かれることはなかった。
 何故なら彼女は、とっくの昔に“それ”を知っていたから。
 もっと無垢で、もっと綺麗な光を知っていたから。
 自分のすぐそばで輝いていた――“ちいさな月”に打ちのめされたから。
 ふたりきり。真夜中の天体観測。あの日に見た情景を、決して忘れることはない。

 天枷 仁杜。
 星空に輝く月。
 特異点の卵。
 彼女こそが。
 小都音にとって。
 たったひとつの“極星”。

 ――高天小都音。
 ――彼女は、極光の狂気に焼かれない。
 ――誰よりも“月並み”な存在であり。
 ――それ故に彼女は、仁杜の手を掴んでいた。




【中野区・マンション(仁杜の部屋)/一日目・夕方】
【高天 小都音】
[状態]:健康、祓葉戦の精神的動揺(持ち直してきた)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:トバルカイン謹製のナイフ
[所持金]:数万円。口座の中身は年齢不相応に潤沢。がんばって働いたからね。
[思考・状況]
基本方針:生き残る。……にーとちゃんと二人で。
1:伊原薊美たちと共闘。とりあえず穏便に収まってよかった。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
3:アレ(祓葉)はマジでヤバかった……けど、神様には見えなかった。
[備考]
※“特異点の卵”である天枷仁杜に長年触れ続けてきたことで、他の“特異点”に対する極めて強い耐性を持っています。

【セイバー(トバルカイン)】
[状態]:疲労(小)、むしゃくしゃしている(収まった)
[装備]:トバルカイン謹製の刃物(総数不明)
[道具]:
[所持金]:数千円(おこづかい)
[思考・状況]
基本方針:まあ、適当に。
1:めんどくせェけど、やるしかねえんだろ。
2:ヤバそうな奴、気に入らん奴は雑に殺す。ロキ野郎はかなり警戒。
3:あの祓葉は、私が得られなかったものを持っていた。
[備考]

【伊原 薊美】
[状態]:魔力消費(中)、静かな激情と殺意
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:騎兵隊の六連装拳銃
[所持金]:学生としてはかなりの余裕がある
[思考・状況]
基本方針:全てを踏み潰してでも、生き残る。
1:殺す。絶対に。どんな手を使ってでも。
2:高天小都音たちと共闘。仁杜さん、ホントにおかしな人だ。
3:孤高が嫌いなんだろうか。だとしたら、よくわからない。
[備考]
※マンションで一人暮らしをしています。裕福な実家からの仕送りもあり、金銭的には相応の余裕があります。
※〈太陽〉を知りました。
※自らの異能を活かすヒントをカスターから授かりました。

【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(中)
[装備]:華美な六連装拳銃、業物のサーベル(トバルカインからもらった。とっても気に入っている)
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
1:神へ挑まねば、我々の道は拓かれない。
2:やはり、“奴ら”も居るなあ。
3:“先住民”か。この国にもいたとはな。
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※シッティング・ブルの存在を確信しました。

【天枷 仁杜】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:数万円。口座の中にはまだそれなりにある。
[思考・状況]
基本方針:優勝して一生涯不労所得! ……のつもりだったんだけど……。
0:“イリス”というマスターに会いたい。
1:ことちゃんには死んでほしくないなあ……
2:薊美ちゃん、イケ女か?
[備考]
楪依里朱(〈Iris〉)とネットゲームを介して繋がっています。相手がマスターであるとは知りません。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来ますが、今は反応が無いようです。

【キャスター(ウートガルザ・ロキ)】
[状態]:健康
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし(幻術を使えば、実質無限だから)
[思考・状況]
基本方針:享楽。にーとちゃんと好き勝手やろう
0:お楽しみはここからだ。
1:にーとちゃん最高! 運命の出会いにマジ感謝
2:小都音に対しては認識厳しめ。にーとちゃんのパートナーはオレみたいな超人じゃなきゃ釣り合わなくねー?
[備考]
※“特異点”である神寂祓葉との接触によって、天枷仁杜に何らかの進化が齎される可能性を視野に入れています。


[共通備考]
※神寂祓葉こそが黒幕である可能性に至りました。
※この3組が今後共に行動するのか、あるいは別れて行動するのか、またこれから如何に動くのかは後のリレーにお任せします。


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最終更新:2024年11月22日 17:28