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«職歴における選択と発展»
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私自身は労働者ではありません。株その他の売買をやっている、良くいっても零細投資家、悪くいえば小物ばくち打ちです。恥ずかしながら、私は今年も日本のGDPを労働人口で割った値に届いちゃいません。
それでも、私は株や商品先物の売買を一生続けたいと思っています。この仕事は自分の判断さえしっかりしていれば、他人の都合で失業することはありません。意外に思われるかもしれませんが、ある程度経験を積んだ個人ばくち打ちは、金融危機などにもほとんど影響を受けません。他の仕事はやりたくない。
そういうこだわりは、多分、様々な職種の労働者にも共有されている、と私は想像します。どんな仕事でもやるしかない、という状況に陥るのはできることなら避けたいものです。
労働者の職歴には選択と発展の余地が必要です。ずっと建築現場一筋だった人が、会社の都合で ― あるいは、退職圧力をかける手段として ― 唐突に営業に回されると、職歴から選択と発展の余地が奪われてしまいます。でも、技師だったその人は、営業の仕事をやらざるを得ない。だって、働いていなければ生活ができないからです。
レーニンの計画経済やサーカーのプラウトの話が私にとってしっくりこないのは、どうも、労働者の立場から見れば、会社の都合が社会の都合に変わるだけのような感じがするからです。例えば食糧自給率を上げるため、失業した建築技師が農園で働かざるをえなくなったりしそうです。
職歴から選択と発展の余地を奪われるのは、労働者にとっては屈辱でしょう。
無論、人類社会の現実はいつだって厳しいもので、制度がどうであっても、必要人数枠が小さい職種に就けない労働者はいるでしょう。でも、それぞれの労働者が自らの可能性に賭け、たとえ敗れたとしてもある程度の時間をかけてそれを受け止めていく仕組みはあっていい。
労働者が会社の方針よりも自らの職歴における選択と発展を重視するならば、退職し、さらに高度な技術や資格を身につける努力をする必要があります。自分で勉強したり、大学に通ったりしなければならないかもしれません。
基礎所得や負の所得税があれば、人は納得できるまであるいは天命が尽きるまで自らの可能性に賭け続けることができます。
そして、可能性に賭け続ける人の数を増やすことこそ、社会を停滞から脱却させるのです。計画的に経済を発展させることは難しい。未知なる明日への第一歩を踏み出させるのは、計画ではなくて、夢に賭ける意志なのです。
革新者たちは次のような常識論を蹴とばして時代の扉を開いたのです。
.アメリカでは電話が必要かもしれないが、イギリスでは必要ない。当地には多くの郵便配達夫がいる ― イギリス郵便公社の主任技師(1878)
·馬車は確立したビジネスだが、自動車は珍しいだけだ。こんな一時の流行に投資すべきではない ― ヘンリー・フォードの弁護士(1905)
·無線で音楽を流す箱には商業的価値はない。誰に向けて出されるわけでもないメッセージに金を払う客がいるのかね? ― NBCの創立者デヴィッド・サーノフの顧問(1920)
·こんなおもちゃに用はない。だいたい君らは大学も落第してるじゃないか ― スティーブ・ジョブズとウォズニアクのパソコンを拒否したヒューレット・パッカード(1975)