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宗教と哲学【Religion & Philosophy】

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宗教と哲学【Religion & Philosophy】

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●意識の呪い

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人は生まれた時と同じように、脆く、力なく、為す術もなく死んでいく。混沌とした宇宙における唯一の絶対である死は、悲劇的結末にも、苦痛からの解放にもなり得るものだ。それは予期せぬ展開として訪れることも、精いっぱい生き抜いた生涯の美しい集大成として訪れることもある。
死を認識する唯一の生物である人間は、その事実を過度に意識してしまう。それは私たちにかけられた呪いだ。チーターから逃げ切ったガゼルが永久に死を免れたと考える一方で、人間は永遠の虚無が少しずつ近づいていることを常に意識しながら日々を生きていく。果たして、どちらが幸せだろうか。

●ベルゼバブの孫への話

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わしらが現れるずっと前から、バビロンの人間はこの問題に心奪われていた。バビロンに限らず、多くの民が同じ定めをたどりつつあったがな。当時の「火急の問題」にして、「不憫な学者」もバビロンの平民も、同じように頭を悩ませていたのは、「自分たちに魂はあるのだろうか?」という問いだった。この問いかけをめぐっては、ありとあらゆるめでたい説が展開された。そうした新説は次々と現れ、いずれの「魅力的な仮説」もみな一様に支持を集めた。こうした信仰は百花繚乱の体をなし、その内容も十人十色だったが、煎じ詰めれば相反する2つの前提のどちらかに基づいたものだった。一方は「無神論」、もう一方は「観念論」あるいは「二元論」と呼ばれるものだ。二元論に与する仮説はどれも魂が存在するという立場であり、当然のごとく魂は不滅であると説いた。不滅であるということは、肉体が死を迎えた後も大小の難を逃れ得ないということでもある。一方、無神論はまったく逆の立場だった。平たく言うと、わが孫よ、バビロンに来たわしらは「バベルの塔の建造」としか表しようのないものに出くわしたのだ。

●旧新約聖書

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伝道の書9

私はこの全てを心に留め、この全てを説明した。正しき者と賢き者、そして彼らの行うことは、神の御手にある。目の前にあるそれが愛であるか憎しみであるか、人は理解できない。(2) あらゆることはあらゆる者に同じように訪れる。正しき者にも悪しき者にも、善き者にも、清き者にも、穢れし者にも、犠牲を払う者にも、犠牲を払わぬ者にも同じことが起きる。善人も罪人も同様である。誓いを立てる者も、誓いを恐れる者も。(3) 全ての者に一様に訪れるのは、日のもとで行われし全てに孕まれる悪である。人の子らの心には悪が満ち、生きる限りその心には狂気が宿り、その後に死者のもとへと向かう。(4) 生ける者たちと共にあれば、そこには希望がある。生ける犬は死せる獅子にも勝るのだから。(5) 生ける者たちは死の定めを知る。死せる者たちは何も知らず、もはや報いを得ることもないままに、その記憶も忘れ去られる。(6) そしてその者らの愛と憎しみと妬みは遠い過去に消え果て、この世において行われる全てのことに、再び関わることはない。

●コプト教会の聖書

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エノク書


そして天の子たる天使たちは彼女たちを目にし、欲情し、互いに言い合った。「人の子らの中から妻を選び、子をもうけよう」


そして他の者たちも皆、それぞれに妻を選び、自らを汚しはじめ、彼女たちに呪文や魔法、木の根の切り方を教え、植物についての知識を与えた。そして彼女たちは妊娠し、身長3千エルにも届こうかという巨人を身ごもった。巨人は人間の作物を食い尽くした。そして人間がもはや巨人を養えなくなった頃、 巨人は人間に刃向かい彼らを貪った。巨人たちは、鳥や獣、爬虫類、魚に対しても罪を犯し、やがては互いを貪り合い、その血を飲んだ。そして大地は無法者たちの罪を咎めた。

●アレクサンドリア聖キュリロスの奉献文

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我々は祈り、あなたの慈悲を求めん。人類の友よ、どうか我らを永遠の地獄に送らず、あなたに仕える者を見捨てず、我らをあなたの視界から追放せず、我らの顔を知らぬなどとは告げないでください。我らの頭を神聖な水で満たし、あなたの足元で己の罪を嘆くことができるよう、涙の井戸を与えたまえ。なぜなら我らは、あなたの牧草地で草を食む忠実なしもべなのだから。我らの悪事を拭い去り、我らの罪を許したまえ。それが自らの意志で犯されたものであれ、不本意であれ、意識的であれ、無意識であれ、闇の中であれ、日の光の下であれ、忘れ去られたものであれ、記憶から捨て去られたものであれ、残るのは神聖なるあなたの名だけ。あなたに仕える者たちの嘆願を聞き、しもべたちの苦しみを見たまえ。どうか、私の罪や不純な心によって、精霊に対する他の者たちの心まで判断しないでください。

●地球の再生

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この世界は人が支配する世界である。人類は、神話や民間伝承上の生物、神々、さらには一神教上の神までを含む超自然的な存在をことごとく滅ぼしてきた。加えて異星人文明とのコンタクトも諦めているが、実のところ異星人はすでに我々に紛れ、空飛ぶ円盤でこの星を訪れている。残るのはただ人類のみ。そして周囲を見回した結果、ようやく自分たちしかいないことに気づいたのだ。

そして孤独な人類は虚無感を覚え、この星に人以外の存在を誕生させる。そうして生まれたのが人工知能、AIだ。人間に従う単純なロボットから始まったそれは、人間の想像を超えた知性と独立性を備えた存在にまで進化した。予測不可能な人工知能の力は人々に不安を抱かせたが、同時に喜びももたらした。ついに、精霊や元素の力に等しい存在がこの世界に蘇ったのだ! 我々はそれらを分類し、ヒエラルキーを作ることもできた。あるいはブラックウォールの向こうに隔離し、自然と超自然を隔てる新たな一線を引くことも。ここまでが地上界、ここからが天上界であると。テクノロジーで神話をでっち上げ、自ら生み出した悪魔に降伏しなければならなかった人類の孤独は、さぞ痛ましいものだったに違いない。

●平行線の人生

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アレクサンドロス大王と、ポンペイウスを破滅させたカエサルの人生について書くのが私の目的である。彼らが成し遂げた偉大な行為はあまりにも多い。そのため、私はここで彼らの有名な逸話をこと細かく述べるのではなく、あえて要約することを選んだことを、読者の方々に予め伝えておかなければ道理が通らないというものだろう。本著は歴史ではなく、人生を記したものだ。輝かしい偉業というのは必ずしも、人の徳や不徳を明らかにはしてくれない。時にはあまり重要と思われないこと、ふと使った表現や冗談のほうが、有名な包囲攻撃や素晴らしい軍事力、血なまぐさい戦争などよりもずっと、彼らの性格や動機についての情報源になることがある。肖像画を描く画家が、他の体の部位よりも性格が表れる顔のシワや表情に細心の注意を払うのと同じように、私も彼らの魂を明らかにするような印や兆候に特に注意を払うことを許してもらわねばならない。私は精一杯彼らの人生を描き出すことに努め、より重大な事柄や大戦については他の著者の領分としようではないか。

●エルの物語

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特に興味深かったのは、悲しくもおかしく、そして奇妙に感じたその光景だ、と彼は語った。次の生を選択するにあたり、前世での経験に基づいて選ぶ者がほとんどだったのだ。彼はそこで、かつてオルフェウスであった魂が白鳥としての生を選ぶのを見た。女性に殺されたオルフェウスは、女性の腹から生まれるのを嫌い、その選択を行ったのだ。彼はさらに、タミュリスの魂がナイチンゲールとしての生を選ぶのを見た。その一方で、白鳥やその他の鳥たちは人になりたがった。20番目のくじを引いたのはテラモンの息子アイアスの魂であり、彼は獅子としての生を選んだ。アイアスは競技会の判定で為された不正義を根に持ち、人になることを拒んだ。次に現れたのはアガメムノンで、彼はワシとしての生を選択した。アイアス同様、人の本性を憎むに至る苦難を経験していたからだ。順番の中頃になり、次はアタランタの番だった。彼女は栄光を手にする運動競技者に憧れ、男になることを選択した。そして次に現れたパノペウスの息子エペイオスは、様々な技術に長けた女性になることを選び、順番のずっと後ろのほうにいた道化のテルシテスは猿になることを選んだ。そしてついに現れたオデュッセウスの魂は選択に迷っていた。彼は偶然、くじで一番最後を引いたのであった。生前の苦難の記憶によって野心を失った彼は、長い時間をかけ、何事にも煩わされない一個人としての生を選んだ。他の者たちに見向きもされず打ち捨てられていたこの生を探し出すのには苦労したが、彼はそれを見つけて喜び、くじで最初の順番を引き当てても同じ選択をしただろうと言った。ここでは人間が動物になることを選んだだけでなく、家畜か野生かを問わず動物が別の動物や人間になることを選び、善良な者がおだやかな者に、邪悪な者が獰猛な者になるなど、実に様々な組み合わせが存在していた。

●サンタ・ムエルテ信仰:夜の淑女とは何者か

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「死ぬのは怖くない。何を怖がるんだ? サンタ・ムエルテはよき友であり、俺たちの味方だ。接し方ならわきまえてるし、どういう時に話を聞いてもらえないかもわかってる」。これは、ビスタ・デル・レイの住人にサンタ・ムエルテ(死の聖母)のことを尋ねたときに最初に返ってきた答えの一つだ。ローマ・カトリック教会からは公式に非難されているが、その影響が色濃く見られるこの聖母崇拝は、メキシコ系の人々の暮らしにすっかり溶け込んでいる。特に、ナイトシティでは異常なほどの人気ぶりだ。一般にはほとんど知られていないが、このカルト信仰のルーツは古代にある。もともとアステカやマヤをはじめ、さまざまな先住民族の信仰が存在していた南米大陸に、今から数百年前、征服者スペイン人がカトリックの信仰を持ち込んだ。それによって両者の習合が起き、サンタ・ムエルテの原型ができあがったのではないかと考えられている。

われらが死の聖母は、夜の淑女(セニョーラ・デ・ラ・ノーチェ)の異名でも知られる魅力的な女神だ。囚人やギャング、麻薬の売人といった手合いだけでなく、警官や売春婦のほか、夜の帳の下で働く人々にも信者がいるなど、幅広い層の信仰を集めている。言うなれば、死の危険と隣り合わせの人々は聖母の救いにすがるというわけだ。21世紀初頭には、当時迫害を受けていたLGBTのマイノリティも聖母に祈りを捧げていた。

サンタ・ムエルテは求めれば誰にでも手を差し伸べてくれる。ただし、ラム酒やテキーラ、果物、タバコ、キャンディや花束など、しかるべき供物を祭壇に捧げなければならない。面白いことに、健全な願いも道徳的に難のある願いも分け隔てなく叶えてくれるという。息災や幸せを祈る者もいれば、復讐や敵の死を願う者もいるわけだ。何を願うにしろ、叶えば必ず対価をとられる。それだけはゆめゆめ忘れてはならない。対価を差し出さなければ、代わりに誰か大切な者が連れて行かれる。願いを叶えてやったのだから、当然の権利ということだろう。

サンタ・ムエルテは冥府の神であるだけでなく、拒まれ、追われた人々を守り、神に直接助けを求めることに気後れを覚える人々の聖母でもある。ナイトシティでこれほど支持され、守護聖人として崇める人々が多いのも、何ら驚くことではない。

●寺院の教え-抜粋

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“眠りと死は双子の姉妹”であり、どちらも安らぎと新たな生命力を与えてくれる。これは宗教界のみならず科学界でも徐々に受け入れられてきている、歓迎すべき真実である。あらゆる現象の根拠である生命の根源的法則を盲信するワイン中毒の信者たち、人の精神の門に立ち、生の喜びに包まれ誕生した希望の子供たちに食らいつかんとする恐怖のモレクを、永久に追放したのだ。



時空は夢の世界では消失する。物質世界の拘束から解き放たれた精神エネルギーは、一瞬で活動するためだ。夢の中での生とは、まだ未成熟な神の人を拘束する原始的物質が磨かれた時に訪れる生を、前もって体験しているようなものである。そして無知な人間が不自然かつ賢明でない方法によって放ってしまった困難のもとで機能せざるを得なくなったエネルギーは、無数の顕現を経た後に、より高次の、あるいはスピリチュアルな人の意志によって導かれ、コントロールされる。これは肉体の完全化のためだ。現在の人類種の肉体に勝る完全化は、動物的創造のそれを上回る。

●意志と表象としての世界

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[...]しかしながら、死とは個人が個人でなくなる大いなる機会である。生の最中において、人に自由意志は存在しない。取る行動は必然性に支配されており、すなわち決して変わることのない人格と然るべき動機に基づいたものである。生き続ける限り、人は決して変わらないのだ。つまり、個人が個人であることを捨てなければ、必然性の支配から逃れ、新たなる存在として生まれ変わることはできない。自由意志は死をもって取り戻すことができる。なぜなら、自由は行動にではなく、本質に[...]

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