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アダバナイッセン(上) 破壊の遁走曲

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アダバナイッセン(上) 破壊の遁走曲 ◆MobiusZmZg


【Prima parte: Lento】

 ふむ。
 ――いささか、答えにくい質問だな。
 勝ち方。それは“勝つための最善手”と解釈して構わないのか?
 負けないための方法ではなく、戦わない手段でもなく、必勝法を聞いているのだと。

 そいつは、どうにも……正直な話、愚問と言わざるを得ないね。
 一対一の戦い、たとえば闘技場におけるそれではなしに、不特定多数が最後のひとりを目指すわけだろう?
 バトルロイヤルにおける必勝法を求めるのは、ギャンブルの必勝法を求めるのと同程度に非現実的だ。

 ん? 愚問と言われたのが不服なのかな?
 しかし、こいつは『非ゼロ和ゲーム』そのものと言えるのだから。
 そう。『二人零和有限確定完全情報ゲーム』……チェスのような遊びと、バトルロイヤルは性質が違う。
 前者は参加人数が限定されている。膨大だが、盤面のパターンにも限界がある。自分の有利は相手の不利と分かる。
 だが、後者は人数・手札の組み合わせの双方が未知数。加えて、各々の手札も意図も伏せられているものだ。
 相手にすべき者が複数いる以上――誰かの得が、ひるがえって誰かの損になるとも断言はできないだろう?
『囚人のジレンマ』のように、自分にとっての最善手を打ちあった結果、全員が損をする展開だって起こりうるさ。
 均衡点がイコール最適点ではなく、最適点の設定自体も、相手の出方を見て変動させなければならない――

 おっ、と……失礼。

 要は、状況を先読みしようにも、色んな要素が複雑に絡み合いすぎているんだな。
 相手が有利・不利を計るモノサシも分からなくて当然。だから戦略も最後まで書き切れない。
 そして、スリーフォールド・レピティション――チェスだって同じ状況を三度反復すれば物言いがつくんだ。
 “王手”から延々と逃げ続けられるなんて展開は、実戦においてまずないと考えられるだろう。

 そんなことだから、私はこの問いを愚問と言ったんだよ。
 ケースバイケース。確率論にも魔は潜むもの……と、言い切ってしまえば身も蓋もないんだが……。
 自分がどこに“勝ち”を置くかと考える時点で攻略法そのものが変わってしまうのだから、答えようがない。

 ただ、一国を預かる立場としても、私個人としても、ひとつ断言出来ることはある。
 “命あっての物種”なんて言葉もあるが、どんなふうに勝っても、命を落とせば勝った意味がない。
 たとえ、その死で後に残せるものがあっても同じだ。死に意味付けをしたところで、命を落とした事実は消せない。
 これと逆の場合もある。どんな負け方をしても、命を落としてしまえば、そいつは負けの意味も学習できない。
 そうした観点からでよければ――いわゆる“必勝法”でなくとも、私なりの答えは、とっくに出ている。

『いま』確実に勝つなんて考えは、いっそ捨てた方が楽だとね。

 先にも述べたように、いくら計算しても、必ず戦いの対価を得る方法など導けない。
 それでも、負けないことは出来る。致命的で底の見えない戦いには、最初から立ち入らなければいい。
 戦っていても、どこかで一歩退く勇気を出せばいい。身の程さえ知っていれば、負けを活かしていつかは勝てる。
 一体、どこの地方だったか。確実に雨の降る雨乞いの内容は、雨が降るまで踊り続けるものだとも聞いた。
 勝利を収めたければ、勝てるまで試行錯誤すればいい。勝てるまで戦い続けられるようにすれば“勝てる”さ。
 国を預かるというのは、私にとってはそういうことだ。国民の命を預かる以上、負けて勝つすべは肝要なものだよ。


 ああ……そうだ。そういえば、あの時も負けて勝ったかな。
 コイントスも、偶然の要素が入る時点で完全情報ゲームとは言えないだろう?
 しかし、これにも確実に勝つか、あるいは負けられる手段<イカサマ>があるものでね。

 ――しかし、あれも入念な下準備が要るし、相手の性根を知っていなけりゃならないからな。
 虫のいい話は、概して理に沿わない話でもある。実用どころか多用なんてことをするのは……無理だ。


 *  *  *

【Seconda parte: Allegro maestoso】

 ――すでにして数合目の激突である。
 右足を強く踏み込むとともに、剣士は左の肩を前方にと突き出した。
 “破壊神を破壊した男”を名乗った彼のメットが、刹那、沈みゆく陽光を照り返す。
 潰された左腕を盾とした彼は、踏み込みに追随して脇に流した剣を右腕一本で振るわんとしていた。
 攻撃を主眼に置きつつも、剣筋を読ませない下段の構え。適度に脱力した四肢は、刃の重みに飲まれていない。
 小手先のわざではなく、脇を締め、しっかりと大地を踏みしめた一閃は息を呑むほどにするどかった。
 教本に載っていてもおかしくない鮮やかさでもって、逆袈裟は空(くう)に清冽なまでの輝きを刻みつける。

「はぁっ!」
「――ふッ」

 青年の掛け声にかぶさったのは、戦士がするどく息を切る音であった。
 剣戟に応じた彼の胸甲、水晶で出来た防具が、一歩退く動きにあわせて複雑なきらめきを残す。
 それでいながら、彼の重心はぶれない。彼の携える片手半剣(バスタードソード)もまた同じだった。
 彼が逆袈裟に合わせたのは、流麗な剣の一閃。鏡合わせのような逆袈裟が、剣士のそれと交錯する。
 聖剣とおぼしき剣士の得物は夕空に流れ、脇を絞ったあるじの体を限りなく無防備なものにと変えていた。
 剣を振るった相手が、動作の経過を変えようがなくなったその時まで待ち続け、初めて動いた結果がこれだ。
 後の先をとった、と、ひと口で言い表そうにも、安いプライドとやらを示した男の剣はするどい。
 足腰の強さと高い技術でもって剣を中途で引き戻した相手を、彼は返した柄による殴打でもって牽制する。
 相手が重症を負っている点を差し引いても、実戦に即した剣技は一流のそれといえた。
 ……だが、この一合が傾けた戦いの趨勢に水をさす者は、この場にもう一人いる。

「あーあ。この剣が大事そうだったのに、ふたりの世界か。それじゃあ私がつまらないな……ねえ! 人間っ!」

 剣と剣、刃とやいば。つるぎとツルギ。
 どこまでも、振るう自分と振るわれる相手の二者に収束していく世界を打ち破ったのは少女の声だった。
 彼女がすでにして振るおうとしている得物もまた、剣。それも、なにやらいわれのあるらしい名剣である。
 翼持てる剣を構成する金属……魔力を帯びた合金の輝きが、茫洋と淡い夕空に冴えた一閃を残してゆく。
 一閃。すなわち、一線。剣士と戦士の意図を断ち切る少女が選んだ札は、彼らをいちどに収めての刺突だ。
 命に関わる水入りをもって、剣戟を続けんとした男たちの間合いが無理矢理に離される。

「見えている」

 唐突に広くなっていく視界のなかで、しかし、戦士はおびえなかった。
 少女が狙うのは自分ではなく、最初に戦っていた剣士のほうだと、分かっていたのだろうか。
 石つぶて。いいや、蹴撃によって生まれた土煙を前にした彼は飛びすさった脚に力を込め、ふたたび跳躍する。
 鎧の重みを感じさせない宙返りで目に入る砂をかわした戦士にも、次に展開された光景は認められるだろう。
 剣も、つぶても囮にして、剣士へと振るわれた本命の一撃は――少女の携えていた、ヒーターシールド。
 なめし革を鱗状の金属片で補強した“鈍器”が、少しくいびつな円弧を描いて、剣士の得物を殴りつける。
 太陽の意匠をもつ剣士の得物。王者の威光を放つ剣の腹が、面による攻撃を受け流しきれずに揺らいだ。
 重症を抱えた左の肩にもひびいたのだろうか。あどけなさを残した顔には苦いものがにじむ。

「君、は……その剣が泣くぞ!」
「あのねえ。なにも聞いてなかったの? さっき、肉を切り裂く感触がいやって言ったじゃない。
 だからこそ、使えるものはなんでも使うよ。それが剣技。あなたたちが生きるため、壊すために使うすべッ」

 苦渋を塗り替えた剣士の憤りを、少女は受け付けなかった。
 彼の思いなど知ったことかと言わんばかりに、ロトの剣とやらを振るってみせる。
 間合いに入り、成ろう事なら隙を突こうとする戦士への牽制も含めてか、今度は得物を横に薙いだ。
 腰椎を狙う一撃に対する剣士は、精緻な動作で刃を重ね合わせ、膂力でもって下方に押し切る。
 見たところ、伊達に剣一本で生きてはいないということか。片腕を潰された者のそれとは思えない技だった。
 腰を引かずに剣戟を受け止める姿勢は、彼が強いられている不利を感じさせないものだった。

 ……そう。そうなのだ。
 ともすれば忘れがちになるのだが、名前も知れない剣士の不利は少なくともみっつある。
 ひとつは、左肩の負傷。戦士が駆っていた鉄の馬によって轢かれ、少女の鉄槌に潰された身体。
 ふたつめは、彼ら三人のスタンス。三本の剣が交差する状況で、皆殺しを是としない者は彼だけだ。
 みっつめは、ふたつめに挙げた不利から派生する、彼の立ち位置。縛るものの多さだった。

 今は少女の袈裟懸けを受け流し、返した刃で刺突を見舞う姿からはかけ離れて――
 先ほどの剣戟において“薙ぎ払いをかわさなければならない”彼に、選べる選択肢は少なかった。
 刺突ほどではないが刀身の長さが活きる払いを避けるには、本来ならば距離を離すことが効果的な手である。
 けれど、先ほどの場合は剣を受ける前から間合いを離す……退く選択肢は潰されていたも同然だった。
 剣士が払いの出掛けを見据えて横に飛んでいれば、次の瞬間、彼は戦士と少女の挟撃を受けかねなかった。
 剣士が払いを受けきれずに後ろへ飛びすさっていれば、間違いなく、彼は守るべき者と体をぶつけていた。
 守るべき者とは、散弾を吐き出した銃を手にしながらも、引き金を引くことが出来ない男のことだ。
 タムラという名の探検家は、剣士たちが入り乱れている現状において、ただただ、立ち尽くしている。
 彼は、自分と同じスタンスにある剣士を銃弾の雨に巻き込めない。その虚弱さゆえに、格闘戦にも向かない。
 そんな状態にある彼を、とてもではないが“戦いに参加している”などとは言えなかった。

(本格的に……まずいですよ、この状況は)

 ――自分の前にいるのは、そんな四人。
 うち、三人と一人が綾なす戦いを俯瞰したリ=リリは、胸中で歯噛みしていた。
 一歩引いた状況に身を置いているからこそ、彼女にはこの戦いにおける均衡が見えてしまう。
 彼女が籍を置くクロスティーニ学園。冒険者を育成する学府において、戦術論には触れたものだ。
 未知の場所である迷宮においても、人の利や地の利を得て、天の利をつかみとることは重んじられる。
 それが身にしみているがゆえに、彼女には分かる。

 王者の剣を携えている、剣士。
 戦力的にも、性格面でも、彼は強い光を放つ存在だ。
 けれども彼には地の利がなく、重ねて言えば人の利もなかった。
 むろん、彼の放つ光は強い。だからこそ、彼の光に共鳴出来る人間は錯覚を抱きかねないのだ。
 おのが身を投げ打つことは尊いと、人を助けることは美しいと、それが出来る自分には、正義があると。
 タムラではないリリには、彼がどんな思いを抱いてあの剣士に加勢したのかは……絶対に分からない。
 分かったつもりにもなれない。それがために彼女は、ある面で彼を突き放して俯瞰出来る。
 あるいは、剣士ともどもこの場で見限ってしまうことさえも可能だ。

 洞窟探検家。それゆえか単身で戦うことの多かっただろうタムラがついた立ち位置は、最悪。
 彼の構えている得物、散弾銃は近接戦闘を得意とする“仲間”を援護するには最悪の武器。
 最悪に最悪を重ねて掛け合わせてみたところで、今の状況が好転しようはずもないから。

(……まったく。あの人はもう、無謀だとしか言いようがありませんよ。
 人助けは美しい“かもしれない”。けど、そんな印象は人が勝手に決めたイメージでしかないでしょう。
 絶対的な正しさなんて、そこにはない。間違ってもいないでしょうけど、無条件で褒められるようなことでもない。
 そもそも、アクセルさんに言われた私の護衛も果たせない時点で“敗け”だって、あの人は分かってません……。
 なにより今の状況、近距離で戦うひとを援護するのに散弾銃が剣より便利なわけないじゃないですか、寝言ですか!)

 天使との混血であるところの、セレスティア。リリの同族が掲げているものは、絶対的な正義だ。
 それに対して、目の前のタムラは相対的な……言ってみれば、時と場合で流動する半端な正義に身を任せた。
 加えて、それを貫けない。いちど相手を助けたならば、そのまま助けきるだけの力もないときている。
 この状況を切り抜ける。そんな台詞を聞いて、もう、いくたび剣が合わされたというのか。
 今の均衡とて、いつまでも続くものではないのに。いつになったら、光に満ちた“いつか”が来ると言うのだ。
 だのに。アクセルには『後悔しない』と誓ったわりには自分の護衛も忘れたタムラは、目の前の状況に流されている。
 彼は、破壊神を破壊したと謳う剣士を“守ってみせた”代わりに、“泥沼に引きずり込んでしまった”のだ。
 同行者にして、盾にする腹づもりであった探検家への筋違いな不安と不満。
 ふたつの思いが、リリのなかでふくれあがりつづけて、

 ふ――と。
 唐突に臨界を迎えて、はじけた。

(いまこの人を見限って、利用して、いったい何が悪いんですか?
 誰かをそんなふうにして悪いと感じるのは“私じゃない”。人を見限る行為が悪いと決めたのは――
 “自分が困ったとき、ほかの誰かに見限られたら何も出来なくなってしまう人”じゃありませんか。
 自分が困ったときに立ちいかなくなるから他人を助ける。実質的には、そんなことでしかありません)

 瞬間、彼女のなかで行われたのは視点の転換、あるいは……矯正。
 いちど思い切ってしまえば、なにか、胸が軽くなるような心地さえ覚えてしまった。
 そうなのだ。もともと自分は、自分のために誰かを利用することを“正しい”と見たではないか。
 だったら、その“正しさ”を貫いたところで、いったい、なにが悪いというのだ。
 人を助けることを正しいとみる者もいれば、人を助けないことを正しいと考える者もいる。
 そして、人は心底からの思いを押し殺してしまうことを、大抵の場合は是としないではないか!

 だったら、貫こう。
 貫いて、貫き通そうではないか。
 相手を利用してでも自身の夢を花開かせたい自分を由(よし)として――
 自分は、自分の信じる“絶対的正義”のもとに動いてみせる。

 決意とともに踏み出したリリの一歩を、見逃さないものがいた。

「悪い……なんてこれっぽっちも思わないけど、まあいいや。
 逃げても無駄だよ。たとえ同じ“だった”天使だろうと、私はあなたも平等に殺すから」
「ええ。あなたならきっと、そうするんでしょうね」

 対面にあった少女の行動は、おおかたの予想どおりだった。
 微笑む彼女の口にした言葉の方は、少しばかり意外だった。
 天使だったということは、すなわち堕天したということか。
 その善性ばかりが語られる、神の御使いではなくなったと。
 案外、彼女と自分は同じ穴のムジナなのかもしれない――。


「でも! 私は……そんな簡単に殺されてなんかやりませんッ!!」


 同類だから、なんだというのか。
 開き直ったリリの叫びを受け止めたのは、マイクがわりの拡声器だ。

「この……声は、っ!」

 音声の割れも、タムラのうめきもものともせずに、リリは喉をふるわせた。
 少女と戦士を受け止め続ける剣士の背中は、そんな彼女に黙したまま語らない。
 彼の無言は行動への、創造への肯定だろうかなどと思う間もなく、彼女は息を吸う。

「タムラさんッ! 生き延びたいなら下がってください!」

 調子はずれの旋律に乗ったのは、常の歌詞とは外れた言葉のかたまりだった。
 アイドルの使える歌魔法。その発動に必須となるものは、大別してふたつ――。
 他の魔法系統における呪文の代わりになる旋律と、それを歌い、織りあげる者の精神集中だ。
 意志の統一がなされており、歌っているという自覚があるのなら、何を歌おうとも関係はない。
 歌い手が音痴であろうと、歌の中身がただの叫びであろうと、魔法は魔法として成立する。
 白い魔物を屠ったシャウトに続いて、ここで歌ったのは、自分の盾となりうる剣士の傷を癒せる魔法だ。
 時間の経過とともに、大きく傷を癒すわざ。戦況を一変させるに十分な切り札の名は、革命の歌。
 巧まずして、その韻律を盛大に外しながらも、リリは魔力におのが“思い”を。

 ……いいや。
 この鉄火場で、正念場で。そんなにやわらかなものを、誰が乗せてなどやるものか。
 命がかかった状況において、他者に優しい感情を傾けられるほど、自分は寛容ではあり得ない。

 だからこそ、自分はいま、ここで無力を演ずることなど諦めている。
 血に汚れても、自分の生を諦めない。人を踏み台にしてでも、自分の夢を諦めない。
 それを貫くためならば。この状況を切り抜けて、次の舞台に立つためならば。
 綺麗な姿を演じ続けることなど、ここで、綺麗に放り捨ててやるのだ。
 そうと決めてしまったから――

「その銃、弾が散るから至近距離で使うしかないでしょうけど、はっきり言わせてもらいます。
 あなたにも今の状況にも、それ、向いてませんッ!!」

 リ=リリは、ずっと伏せ続けたかった能力の一部を、示してやった。
 なろうことなら、仮面の裏に隠し続けたかった本音を、伝えてやった。
 いつものとおり、自分の音痴に気付くことなく、思い切り叫んでやった。

「それに、あなたはなにも分かってない! いくら私が守られることを選んだ側でも、怒りますよ!?
 私の護衛を任されたのに、自分に打てる手がないって分かってるはずなのに、誰かを助けようとする?
 傍から見れば、それ、矛盾してます! 片手落ちです! そんな行い、正義でもなんでもありませんからッ!」

 歌魔法の旋律が終わっても、不恰好で真っ直ぐな叫びは止まなかった。
 叱咤とも糾弾ともつかない言葉のかたまりを吐き出す行いは、生来のリリとは縁遠いものだ。
 だからこそ、か。とても心地良かった。歌っているときと同じだが、旋律ではなく、思考に拠って――
 自分自身の言葉に酔って、相手の心をえぐる快感へ、いっそのこと身を任せたいと感じるほどに。

「そんなものは素晴らしいことでも、なんでもなくってッ! たんにあなたの」
「自己満足、だよねえ――」

 ゆえにこそ、始まったときと同じく、リリの言葉は唐突に途切れた。
 “天使さん”。少女が舌の上で転がした敬称つきの代名詞には、ねばつくような悪意がある。
 彼女の背後では、互いの間合いに入り込んだ戦士と剣士が、互いに牽制しあっていた。
 リリと少女の間にいるべきだったタムラに至っては、その場にしゃがみこんでいる。

(……耳を、押さえてる?)

 いかに拡声器を通したとはいえ、自分の“声量”にそこまでの自信はない。
 至近で魔法を聞いていた仲間にも、ここまで派手な反応をする者はいなかった。
 しかしながら、虚弱体質だの病弱だののひと言で片付けるには、彼の挙動に違和感がある。
 衝撃に固まってしまったとみえるタムラは、特段、耳を押さえているわけではない。

「やっぱり耐久力スライム、と。あの二人と違って、おたけびが効いたみたいだね。
 あなたが“あなたの自己満足”に夢中になってるうちに、重ねさせてもらったんだよ」

 彼は耳を押さえようとしたままの姿勢で、体をすくめている。
 おたけび。それは、鬨(とき)の声とでも形容すべきものだったのだろうか?
 歌と、拡声器ごしの声に聴覚を支配されていたからこそ、リリにはまったくと気付けなかった。
 かてて加えて、眼前で振るわれた少女の剣を受けても構わないものなど、彼女はなにも持ち得ない。
 歌魔法を使うなら、マイクがわりの道具がなくてはならない。濃縮メチルはデイパックのなかだ。
 それならば、いま頼りにしていいものは、これまでの乱戦を見てきた自分の目と、身のこなしだけだ。
 しかして見切り、相手の意図を察知した上で行うべき、“七分三分の見切り”は――

「ぅあッ!!」

 一撃目が避けられると同時に、隼を思わせてひるがえった刃に対しては通用しない。
 二刀流をもってしての“連撃”ではなく、ひと振りの武器を用いて行われた“二回攻撃”。
 彼女の知識にも、今までの剣戟にもない戦技によって振るわれた刀身の峰が制服を引き裂いた。
 内側から引き裂かれる衝撃。冷たい金属のかたまりに、なにかを持っていかれるような感覚がしずむ。
 熱を求めて体がふるえる。斬られた右肩を抱くようにしたリリは飛びすさり、彼我の距離をとった。

 ……肉体的には、まったくの無傷で。

「な?」

 毒気を抜かれたような顔をしている少女に対して、アイドルは営業用の微笑を返した。
 確かに、今の一撃は綺麗にきまった。反応を見る限り、振るった側も手応えを感じていたのだろう。
 それが決まらなかった原因は“すりかえ”。身ぎれいでありたいアイドルの誰もが身に付ける技による。
 攻撃に対し、体力や生命力のかわりに魔力を差し出すことで、支払うべき代償の質を“すりかえた”。
 物理と魔法。相反する概念を統合した“存在力”の視点において、彼女は引き算を行ったのだ。

(でも、名剣って話は本当みたいですね。これは……何度も喰らうわけに、いきません)

 ゆえにこそ、彼女は無傷。
 だからといって、斬撃の強さまでは変えられない。
 穏やかな笑みをたたえながらも、リリの内心はさざ波だっていた。
 たったの一撃で、防御にも歌魔法にも必要となる力を、どこまでもっていかれたことか。
 彼女が魔力を触媒とする妖精や精霊であったなら、外見のほうにも影響がでていたに違いない。
 後衛かつ援護の役をつとめるリリ自身、魔力や体力の量に自信があるとは言えないのだから。
 次の一手や身の振り方まで考えにいれたなら、軽やかな軌道で刻まれた剣の一閃は、ひどく重かった。

(しかし、なんというか……。せっかく自分に正直になってみたのに、このザマですか。
 大言壮語をぶちあげたところで、行き着く先はタムラさんと同じとなると、私の方こそ片手落ちです)

 そして、もう、リリは二重の意味で引き下がれない。
 山岳地帯に特有の、切り崩されたような下り坂が、一歩後ろに迫っていた。
 先刻の一幕において、自分が調子に乗っていたと言われれば否定も出来なかった。
 夕凪が訪れ、風さえも消える。夕映えに目を細めて少女の向こうを眺めても、目に入るのはタムラの姿だけだ。
 苦い顔をしているのは、少女を狙ったところで、避けられたときはリリに当たると分かるからだろう。
 少女の唇が横に引き伸ばされるのと同時に、ロトの剣とやらがもう一度振り上げられる。
 自分を殺すために、技など要らないとばかりに、得物のたてる風切り音は鮮やかだ。
 体勢を立て直した戦士の疾走も、すでにしてタムラを追い越し、死の宣告に追随しつつある。
 そして、今またひとり――

「自己満足か。天から人を見下ろしていれば、そんなふうに映るのかもしれないな」

 陸風と潮風がぶつかる凪を割り裂いて、一陣の旋風が渡り来た。
 いや。振るわれた太陽の剣、両腕を活かした一閃が連れてきたものは、風などではない。
 それは、もはや嵐。青嵐との形容すら当てはまるほどに激しく、ぶつかる剣が火花を散らした。

「……だが、そこから力が、意味が生まれることだってある!
 僕は、伝説に残る勇者ロトに! 大切な仲間に! 亡国に生きる人々に、それを教えてもらったッ!」

 破壊神を破壊した男。
 物騒だが、輝ける二つ名を持つ剣士は今、リリと少女の間に立っていた。

「そして、タムラも、君もだ。
 君たちがいなければ、僕は……ローレシア王ロランは、今ここに立ってなどいない」

 さっきの歌、ありがとう。
 袈裟懸けを逆袈裟でもってすくいあげ、そこに刺突をつなげながら、彼はつぶやく。
 まるで、それが大切な言葉であると言わんばかりに。
 まるで、リリが大切な仲間であると言わんばかりに。
 立ち回りを繰り広げている最中にあっても、剣士のつむぐ声音は鮮やかだ。
 剣戟の最中にあって、ともすればノイズに成り得る口上には、りきみも気取りもない。
 飾り気のない言葉ひとつで、彼は自分たちを信じているのだということが、リリにも分かった。
 彼は、それでいいのだと。リリが何を考えていようと、タムラが役に立たなくとも構わないのだと。
 その上で、ロランは守るべきと決めたものたちのことを、信じている。
 誰かを、なにかを信じると決めた自分自身のありようを、貫いている。

「そして……君にはまだ、言ってはいなかったんだな。
 破壊の後には、創造が行われる。僕は、それを、――信じているとッ!」

 そんな自身のありようを、貫けてしまうからこそ。
 戦士を振り切ってここに来たはずの彼は、その腹を深々と貫かれていた。
 ロトの剣。その存在に興味を示し、使い手の人となりに戦慄していた、彼の、

 彼と切り離せない剣によって。

 *  *  *

 西日とともに、熱を失いつつある空気が沈む。
 致命的な状況において言葉をつむいだのは、探検家の男だった。

「……そ、んな。僕は――ちくしょう! ロランっ!!」

 慨嘆と苦痛と怒りにいろどられた、タムラの言葉に意味などない。
 けれども、意味以上。言葉そのもの以外の部分で伝わるものは、確かにあった。
 リリのためにか、ロランのためにか。戦士を止められなかった冒険家の目には血が入っている。
 執念と戦意が、彼の眼光に宿っている。ロランにいだく種々の思いが、その抑揚で示されている。

「それで、あなたは他の人に面倒を押し付けていくんだね。破壊と創造、どちらがより難しいかは明白なのに」

 しかして天使、もと天使には、絶叫の理由など分からない。
 もとより分かる気もないと言いたげなそぶりで、彼女は脱力するロランを睥睨していた。
 損傷した部位が魔法で癒されている。膂力がもどるとともに、剣の技も冴えたが――
 彼とて人間だ。すでに流された血を取り戻すすべも、失血にくずおれた体を立て直すすべもない。
 癒しの手段を持つリリにしても同じだ。革命の歌どころか、歌魔法の初級たる生命の歌さえ使えない。
 視線を交わし合い、言葉に詰まったアイドルたちを目視していて、“打つ手無し”とみたのだろう。
 剣士が倒れたさまを肉を裂く感触が嫌いなのだと言った少女は、ロランの脇に立つ者にと注意を向ける。

「どうして、君は……僕を止めなかった」

 戦う者の生命線となる呼気も吸気も乱しながら、剣士は肩をふるわせていた。
 致命ではあるが、すぐには死に切れない傷を負った彼もまた、見上げた影へと問う。
 苦心して持ち上げた彼の、視線の先。リリの斜め前に立っている人物は、闇の力持てる戦士――。
 タムラを振り切り、排除すべき二人に追いすがった結果、刺突に対するロランの退路を断った男である。
 先ほどの一瞬。ロランが後ろに下がれば、リリとぶつかっていた。少女を下がらせれば、タムラが危機に陥った。
 そして脇によけたなら、戦士の刃が待っていた。逆を選べば、今ごろはリリのほうが貫かれていただろう。
 敵と味方の混成でありながらも、ロランの四方(よも)を包囲した網には、抜け道などなかったのだ。
 ……少なくとも、ロトの血をひく王の見ていた世界と、人々のありようにおいては。

「君にも分かっているだろう? 私が斬らなくとも、君は、彼女の剣を避けるわけにはいかなかった」

 洗練された刃の流線が、返答とともにゆらぎ、光の反射角を変えた。
 闇の戦士の携えるバスタードソード。ある勇者に褒賞として与えられた得物の峰が返される――
 戦意を示したのではなく、しいて戦意を“主張する”かのように、派手だが無駄の多い動作で返される。
 そして、戦士は少女と入れ替わりとなり、倒れ伏したロランのすぐ側にと歩を進めていた。

「それなら、どうして。君のつるぎは……あんなにも素直だったんだ」

 果たして、硬質な鋼の輝きが、その目に見えていたのか。
 首を縦に揺らしてのち、静かにつむがれたロランの言葉に、疑問の色は欠片もない。
 素直。例の鉄で出来た馬で突っ込んできた戦士の戦いを評した言葉に応じて、リリの中で剣が躍った。
 彼女の目で見ることがかなったローレシア王との剣戟、加えて少女との戦いが、その脳裏で再演される。
 どちらにおいても、彼は確かに、素直――愚直なまでに真っ直ぐな戦い方を選んでいた。
 ロランの知識、その範囲については知らないが、素直という形容は太刀筋に限った話ではない。
 回復魔法を使えて補助魔法を使えない前衛は稀であるだろうに、その一切を、彼は使わなかったのだから。
 石つぶてからの連携で少女たちと間合いを離されて、貴重な時を得てもなお、彼は選ばなかったのだから。
 先ほどの一瞬だけでも、天使と連携をとれば確実にひとりは殺せただろうに、彼は動かなかったのだから。

 少し前。あるいはもう、ずっと前かもしれない一瞬につむがれた言葉。
 不意討ちを行わなかった戦士がつむいだ一節。“安いプライド”。
 有り体な言葉ではすまされないなにかが、闇の力をまとった彼にはある。
 直接剣を合わせたロランだからこそ、それを看破出来たというのだろうか。
 焦点がおぼつかなくなりつつある彼の凝視から、戦士は視線をそらさなかった。
 そらせなかったのかどうかは、リリの側には分からなかった。分かる必要もなかった。
 もと天使は闇の戦士と間合いをとろうとしていて、タムラは、こちらと肩を並べにきている。
 緊張状態が続く以上、ロラン以外の動きを見ておくべきだった。闇の戦士の去就も、そのひとつだった。

「……早急に、故郷へ帰還せねばならない。私の理由はそれだけだからだ。
 かつて光の力が氾濫した時のように、闇の力が強まったなら、あの世界は遠からず滅ぶ。
 私の守り、いとおしむべき世界のために死ね。そうと言われて、納得出来る者などいるはずもあるまい」

 ゆえに、それは自分だけが知っていれば良かったことだ。
 ささやくように小さな声で、彼のよりどころを語りあげた闇の戦士は、苦々しげに口をつぐんだ。
 鏡面のごとき瞳には、告解を行った者のような輝きと同時に、名分を掲げた後ろめたさが浮かんでいる。
 そのまま、どれほど経ったか。彼の顔を見ていたロランの首から、ついに力が抜けた。
 けれど伏せられた目は、まぶたの下でほんのかすかに動いている。
 伏せられた胸にしても、大地に挟まれながらも動きつづけている。
 生粋の戦士と断言出来る体力の持ち主であるがゆえに、ロランの瀕死は長かった。
 長く、長く瀕死を味わい続けてもなお、剣は彼の手の中にあって輝いていた。


「これ以上の問答は無意味だな。ならば、せめて――安らかに逝け」


 聞くに堪えないほど割れていたロランの呼吸が、次の瞬間、わずかに静まる。

「ケアルラ」

 力を喪った剣士の腕をとった、闇の戦士の手中にて、癒しの光がふたたび開いた。


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055:fight or flight ~闘争か逃走か~ ■■■(闇の四戦士の一人) 056-b:アダバナイッセン(下) 黄昏の奏鳴曲
ナイン
ロラン
タムラ
リ=リリ



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