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b1803●難民問題で揺れるEU

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b1803●難民問題で揺れるEU
 2011年の「アラブの春」以降、地中海沿岸の当該国の多くで混乱が続き、特にシリア内戦の継続で、中東やアフリカから難民・移民のヨーロッパへの流入がは止まらなかった。彼らが目指すルートは、一つはトルコを経由してギリシアに渡り、バルカン半島を縦断してドイツなどに向かう地中海ルート、もう一つはリビアから地中海を渡り主にイタリアに上陸するルートである。
 迎えるEU加盟国の間には、1997年に発効した「ダブリン規則」があり、難民申請はEUで最初に入った国で手続きすると定められていた。2015年の難民危機では、ギリシア・イタリアに100万人以上の難民申請者が殺到し、両国では対応しきれなくなって、多くの人が両国を素通りしてドイツなどに向かった。ドイツ・メルケル政権がこれを受け入れたことで、100万人に及ぶ人々がドイツ国内に流れ込んだ。
 EU各国で難民排斥の声が高まり、イタリア・ギリシアにいる16万人を加盟国で分担して受け入れるという15年のEUの計画がありながら、実際に受け入れた総数は計画の約2割にとどまった。17年12月、EUで決めた難民受け入れ義務を果たしていないとして欧州委員会は、ハンガリー、ポーランド、チェコをEU司法裁判所に提訴した。
 18年3月、イタリアの総選挙で、反EU、反移民を訴える新興政党「五つ星運動」が躍進し、その結果6月に、同じく移民排斥を唱える右派政党「同盟」と組んだ連立政権が発足した。新政権は、難民認定がなされなかった人に「人道上の理由」で出していた滞在許可を厳格化する法律を施行した。
 4月には、ハンガリーの総選挙で反EU、反移民を強く打ち出した与党「フィデス・ハンガリー市民連盟」が前回選挙に続き圧勝した。新政権は「不法移民」への支援を禁止する「反移民法」をつくり、難民申請のための法的支援や金銭的な生活援助を禁止した。
 ドイツでも反移民の声の高まりに押され、有名無実化していた「ダブリン規則」に立ち返って、難民らを最初の上陸国に送還する協定をスペイン・ギリシアと結んだ。イタリアはこれに応じず規則の抜本的見直しを要求した。
 ドイツでは難民排斥を掲げる新興右翼政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が、難民受け入れに寛容なメルケル政権を批判して旧東独地域を中心に支持を伸ばしてきた。これに危機感を持った連立与党のひとつCSUは、お膝元バイエルンの州議会選挙を控えて難民受け入れに厳しい政策を相次いで打ち出してメルケルと衝突、一時は連立崩壊の危機にまで至った。そして秋には、CSUとメルケルが党首を務めるCDUの両与党が2つの州議会選挙で大敗、この責任をとってメルケルは党首を辞任し、3年後の政界引退を表明した。
2024/10/08記
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