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1607●小池都政誕生

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1607●小池都政誕生
 6月、舛添要一東京都知事が辞職した。参院議員時代に家族を同伴してのホテル宿泊費を政治資金から支払ったこと、また知事就任後に都外の別荘へ公用車で繰り返し通ったことなどが発覚し、世論の激しい反発を招き、都議会全会派の不信任案提出を受けたためである。医療法人から5000万円を受領した問題で14年に辞職した猪瀬直樹前知事に続いて、都知事が「政治とカネ」の問題で1期目途中で辞める事態となった。
 7月の知事選では、衆院議員で元防衛相の小池百合子が自民党東京都連に推薦を要請したが、都連は増田寛也元岩手県知事を擁立、小池は自民党を離党して出馬した。野党勢力は、前回都知事選で次点につけ、今回も出馬表明していた弁護士の宇都宮健児ではなく、ジャーナリストの鳥越俊太郎を担ぎ上げた(宇都宮は出馬を取りやめた)。
 小池は「都民ファースト」を合言葉に都政改革をアピールして、シンボルカラーの緑の旋風を巻き起こし、他候補を全く寄せ付けず、291万票を獲得し圧勝した(次点の増田は179万票、鳥越は135万票)。
 就任した小池は、土壌汚染が問題となっていた築地市場の豊洲への移転計画凍結を決定した。その直後には土壌汚染対策の柱の一つであった盛土が主な施設下でなされていなかったことが発覚し、凍結の判断は説得力を持った。また、20年に開催する東京五輪・パラリンピックの計画見直しにも着手した。都立の大規模施設の会場変更や規模縮小を検討し、整備費の見込みを約400億円減らした。従来の施策を矢継ぎ早に見直す小池の動きは連日テレビで報じられ、「小池劇場」と呼ばれるほど注目を集めた。
 小池は都議会では与党を持たず、多数派である自民党と対立した。10月、小池は自ら塾長を務める政治塾を設立、約3000人が登録するという人気を見せた。これは、翌年夏に控えた都議選で小池与党をつくる布石であっし、国政をも睨んでのものであった。
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