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1402●舛添都知事誕生

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1402●舛添都知事誕生
 13年12月、猪瀬直樹・東京都知事が就任から1年余りで辞職した。12年の都知事選挙直前に医療法人徳洲会から5000万円の資金提供を受けながら、選挙運動費用収支報告書に記載していなかったことが新聞報道で暴露され、都議会から厳しい追及を受けたことによる。猪瀬は3月、公職選挙法違反の罪で略式起訴され、罰金50万年の支払を命じられた。
 猪瀬の辞職に伴う知事選が14年2月9日行われ、無所属で新人の元厚生労働相、舛添要一(65)が初当選した。
 新人16人で争った選挙戦では、前日本弁護士連合会長の宇都宮健児と、元首相の細川護熙は「原発即時ゼロ」を訴え、再稼働を進める安倍晋三政権との対決姿勢を示した。
 舛添は01年に自民党から参院選に立候補して初当選し、07~09年に厚労相を務めた。10年に自民党を離党し、同年から昨年まで「新党改革」代表を務めていた。今回、政党本部の推薦はなかったが、自民党都連と公明党都本部の推薦で組織選挙を展開。安倍首相、山口那津男代表も終盤に街頭演説で支援した。
 舛添は勝利宣言で「原発依存体質を少しずつ減らすのは重要だが、国との調整も必要」と述べ、即時ゼロにあらためて難色を示した。また暮らしをめぐって「東京を世界一の街にする。福祉や防災、経済、何より2020年五輪を成功させる」と述べた。
★2014年
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