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1403■ウクライナ危機

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1403■ウクライナ危機
 ウクライナでは2013年の暮れ、親ロシア路線のヤヌコビッチ政権に対して、市民が首都キエフの広場を占拠して抗議に立ち上がった。14年2月、ヤヌコビッチは治安部隊を使い排除しようとしたが、発砲によって80人超の死者を出して、市民の怒りに油を注ぎ、ついにロシアに亡命した。
 亡命後、野党が発足させた新政権は、親欧州の路線を明確にした。これにロシアは強く反発して、ロシア系住民が多いクリミアに武装集団を展開し、その軍事的圧力のもとに住民投票を実施、9割以上の賛成を得たとして、3月、ロシアへの併合を一方的に宣言した。 また、4月には、新政権支持派と反対派の緊張が高まった東部ドネツク州とルガンスク州でも、親ロ派民兵が複数の都市を占拠、ウクライナ軍との軍事衝突に発展した。
 5月に大統領選で圧勝した親欧州派のポロシェンコは、9月に両州の親ロ派が制圧する地域に一時的な支配権を認めることで、親ロシア派との停戦に至った。
 欧米は、ロシアによるクリミア併合を認めず、制裁に踏み切った。6月に予定されていたロシアでの主要8カ国首脳会議(G8サミット)を、ロシアを除く欧米・カナダ・日本の7カ国はボイコットし、G8体制は崩壊した。また、7月に親ロ派支配地域で起きたマレーシア航空機撃墜事件(1)後、EUはロシアへの制裁を強化した。

マレーシア航空機撃墜事件

 14年7月17日、アムステルダム発クアラルンプール行きのボーイング777型旅客機がウクライナ東部ドネツク州上空で撃墜され、乗客乗員298人全員が死亡した。
 犠牲者の多くがオランダ人であったことから、事故調査はオランダ安全委員会とオランダ主導の国際合同捜査チームによって行われ、15年10月、最終調査報告書が公表された。ウクライナ東部から発射されたロシア製地対空ミサイルシステムによる撃墜であったとしたが、誰が発射したのかは特定しなかった。
 その後も調査チームによる犯罪調査は進み、2019年6月、オランダ検察庁は航空機の撃墜に関連して、3人のロシア人(ロシア軍関係者)と1人のウクライナ人(反政府戦闘部隊指揮官)を殺人罪で起訴た。2020年3月、初公判がオランダで始まったが、ロシア政府が引き渡さなかったため被告は欠席のまま公判が進められた。また、2020年7月、オランダ政府は同便の墜落における「役割」を理由に国家としてのロシアを欧州人権裁判所にかけることを決定したと宣言した。
 2022年11月、オランダの裁判所は、被告人3人に終身刑を言い渡した。
★2014年
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