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1406■混迷するイラク・シリア、「イスラム国」の台頭
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1406■混迷するイラク・シリア、「イスラム国」の台頭
フセイン政権の崩壊後、イラクでは米国の後見のもとイスラム教シーア派に基盤を持つマリキ政権が続いていたが、スンニ派諸勢力との間での権力闘争で安定した情況ではなかった。11年末に米軍が完全撤退したあとは治安がさらに不安定化した。
その隙をついて台頭したのが「イラク・イスラム国」という武闘組織であった。彼らは国際テロ組織「アルカイダ」から分離した者が中心となり、イラク国内で駐留米軍や政府・市民を狙うテロを繰り返しながら、現政権に不満を持つスンニ派住民や元軍人の一部を引き付け勢力を強めてきた。13年4月にはシリアの過激派と合体して、シリアにも勢力を広げた。
14年6月、彼らはイラク第2の都市モスルに侵攻してここを制圧した後、イラク中部から北部、さらにシリア東部へと瞬く間に支配地域を拡大し、「イスラム国」の樹立を宣言した。支配地域では非人道的な手段で、敵対した勢力ばかりでなく一般住民を搾取・弾圧した。原油を密売して資金を確保した。インターネットで全世界に発信して世界中のイスラム教徒に移住を呼びかけ、戦闘員を勧誘した。
米国は、イラクの「民主化」の努力が画餅に帰すばかりか、国際的なテロの拡大につながるものとみて、フランス、オーストラリア、カナダ、サウジなど中東5カ国にも呼びかけ「有志連合」を組み、「イスラム国」打倒を目指してイラク・シリアでの空爆を行ったが、地上軍を派遣しない作戦の効果は限定的で、その拡大を防ぐことはできなかった。
シリアの内戦では、11年「アラブの春」以来内戦が続き、アサド政権の国軍から離脱した「自由シリア軍」に対してロシアやイランの支援を受けてアサド軍が勢いをもりかえし激しい戦闘が続いていたところにあらたに「イスラム国」が台頭し、混沌とした情況となった。
★2014年
フセイン政権の崩壊後、イラクでは米国の後見のもとイスラム教シーア派に基盤を持つマリキ政権が続いていたが、スンニ派諸勢力との間での権力闘争で安定した情況ではなかった。11年末に米軍が完全撤退したあとは治安がさらに不安定化した。
その隙をついて台頭したのが「イラク・イスラム国」という武闘組織であった。彼らは国際テロ組織「アルカイダ」から分離した者が中心となり、イラク国内で駐留米軍や政府・市民を狙うテロを繰り返しながら、現政権に不満を持つスンニ派住民や元軍人の一部を引き付け勢力を強めてきた。13年4月にはシリアの過激派と合体して、シリアにも勢力を広げた。
14年6月、彼らはイラク第2の都市モスルに侵攻してここを制圧した後、イラク中部から北部、さらにシリア東部へと瞬く間に支配地域を拡大し、「イスラム国」の樹立を宣言した。支配地域では非人道的な手段で、敵対した勢力ばかりでなく一般住民を搾取・弾圧した。原油を密売して資金を確保した。インターネットで全世界に発信して世界中のイスラム教徒に移住を呼びかけ、戦闘員を勧誘した。
米国は、イラクの「民主化」の努力が画餅に帰すばかりか、国際的なテロの拡大につながるものとみて、フランス、オーストラリア、カナダ、サウジなど中東5カ国にも呼びかけ「有志連合」を組み、「イスラム国」打倒を目指してイラク・シリアでの空爆を行ったが、地上軍を派遣しない作戦の効果は限定的で、その拡大を防ぐことはできなかった。
シリアの内戦では、11年「アラブの春」以来内戦が続き、アサド政権の国軍から離脱した「自由シリア軍」に対してロシアやイランの支援を受けてアサド軍が勢いをもりかえし激しい戦闘が続いていたところにあらたに「イスラム国」が台頭し、混沌とした情況となった。
★2014年