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1504●天皇のパラオ慰霊訪問

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1504●天皇のパラオ慰霊訪問
 4月8~9日、天皇・皇后は太平洋戦争の激戦地・パラオ共和国を訪問した。1995年の戦後50年(長崎・広島・沖縄など訪問)、2005年の戦後60年(サイパン訪問)に続き、戦後70年にあたって戦没者を慰霊するためで、天皇は、太平洋戦争の激戦地である南太平洋地域の訪問の意向をかねてからたびたび示していたものであった。1月23日に閣議決定。事前にパラオ国政府からの招請があった。
 天皇・皇后は、4月8日朝、東京国際空港からパラオ国際空港へ飛び、午後、パラオ大統領夫妻、またこの天皇訪問にあわせてパラオにやってきたミクロネシア連邦とマーシャル諸島共和国の各大統領夫妻と懇談した。さらにレセプションや在留邦人などとの懇談のあと、パラオ国際空港から海上保安庁ヘリで同庁巡視船「あきしま」に移動し、船内に宿泊した。9日朝、巡視船からヘリでペリリュー島飛行場へ移動。(ペリリュー島には旅客機が離着陸ができる空港がなく、船で行き来するにも1時間以上かかるということでこのような行程になった。)3カ国大統領、ペリリュー州関係者,遺族代表,戦友会の見守る中、日本政府建立の「西太平洋戦没者の碑」に供花した。さらに、同島のアメリカ合衆国陸軍第81歩兵師団慰霊碑にも供花。ペリリュー州住民との懇談のあと、海上保安庁ヘリでパラオ国際空港へ移動し、帰国の途についた。
 以下は、8日のパラオ国主催晩餐会における天皇陛下の答辞
「先の戦争においては,貴国を含むこの地域において日米の熾烈しれつな戦闘が行われ,多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に,安全な場所への疎開を勧める等,貴国民の安全に配慮したと言われておりますが,空襲や食糧難,疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において,私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し,その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。
 また,私どもは,この機会に,この地域の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に慰霊碑や墓地の管理,清掃,遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。
 ミクロネシア三国と日本との外交関係が樹立されてから20年以上がたちました。今日,日本とこの地域との間では漁業や観光の分野を中心として関係が深まってきていることは誠に喜ばしいことです。今後それぞれの国との間で一層交流が盛んになることを願ってやみません。」
 天皇は81歳、皇后は80歳、ともに高齢をおして、日中30度を超える、遠い島国への旅を望んで果たした姿に、戦没者の慰霊に寄せる気持ちが現れていた。
★2015年
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