キールベインとジグ・ブライト①
-いつからお前は、「そう」なった?
内なる声に、「私」は答える。
-最初からだ。最初から私は「こう」だった。
-本当に?
本当にお前は、自分の功名のために他人を傷つける事を躊躇しない人間だったか?
本当にお前は、 他人を踏みつけ、自分の為だけに生きていく人間だったか?
-そうだ。
私は、幼い頃からいつも一人だった。
秀でた才能もないくせに、自尊心と虚栄心だけは高かった。
他人を傷つけ、自分のみを信じて入れば、自分が優れた人間だと錯覚する事が出来た。
他人を踏みつければ自分が高い位置にいると見せつける事が出来た。
周囲の羨望と賞賛を浴びることで、私の中の自尊心と虚栄心は更に大きく、強固になっていった。
-それが、お前の'城`か?
-そうだ。
脆くて弱い、私を守るための荘厳で居心地のいい城だった。
城にいれば、私はだれよりも強くて気高くいられた。
多くの人間を侍らせ、従える事が出来た。
-幸福か?
城に主の椅子は、お前は幸福にしたか?
-そうだ。
城では手に入らない物よりも、手にする物の方が圧倒的に多かった。
私は幸福‘だった’。
-だが、あの日、'城`が崩れた。
圧倒的な価値観の変貌を前に、お前は何もかもを失い、
あれほど大勢いた周りの人間は、誰一人お前を助けなかった。
-そうだ。
崩れた城に、私は一人残された。
元の通り、ただ一人。
元の通り、脆く、弱い私が一人。
-どうした?
脆くて、弱いお前はどうした?
-力を手に入れた。
手にいれるしかなかった。
調停者の'洗礼`によって。
手に入れた力は'炎`。
今までの私を否定して、城の残骸を燃やし続ける事で、炎はより熱く、より赤く染まっていった。
私は強い。
誰よりも強い。
誰にも負けない。
過去の私を否定するために。
今の私が私であるために。
立ち止まる事はない。
立ち塞がる障害は、燃やし尽くして前へと進む
何であっても。
誰で宛も
-それが、お前か?
-それが、私だ。
-ならば、私もお前に与えよう。
お前の魂に不滅なる燃焼を。
脆く、哀れであった過去のお前を灰にする為に。
お前がお前であることを否定する一切の存在を焼き付くすために。
なぜなら、お前は・・・
「ジグ・ブライトだ!
`炎熱'の洗礼者、ジグ・ブライトだ!」
ジグ・ブライドが叫ぶと長く伸ばした銀髪が逆巻き、巨大な炎が舞い上がる。
前へと進み続ける彼女の前に現れた、最大の障害を焼くつくすために。
すなわち、異端審問官キールベインを焼きつくために。
②
ウルライヒの空中要塞、最上階へと通じる謁見の間。
幾重にも重なった炎の矢が、立ち塞がるただ一人、キールベインに向けて降り注いだ。
爆音と衝撃が足元の石床板を振るわせ、熱気が室温を上げる。
階下で行われている戦闘の余波は、間違いなく空中要塞の最上階、すなわちエルロイドが立つ謁見の間まで響いていた。
「・・・美しいわね」
階下へ通じる階段は完全に閉じられている。
だが、エルロイドの洗礼能力「邪視(グラムサイト)」が誇る能力の一つ、「浄眼」は、直下で継続される卓越した戦闘能力を持つ二人の激闘を見つめている。
敵として出会い、一時は共闘し、そして再び敵としてまみえる二人の全てをぶつける殺し合い。
空中要塞戦士長 ジグ・ブライド
北の教会異端審問官 キールベイン
‘炎熱’の洗礼者であるジグ・ブライドが発動させる炎は、槍、壁、矢となり、苛烈にして執拗にキールベインを追い詰める。
一方のキールベインは、捕虜の身から脱出偽後に唯一回収した手袋型AF‘シャランサの右手’が纏う超微振動により、かろうじて炎をはじき続ける。
一見すると攻め続けるジグ・ブライトであり、防戦一方のキールベインであった。
だが。
「本当に、美しいわ」
エルロイドの‘浄眼’は、キールベインとジグ・ブライドの魂の‘相’を観続けていた。
魂の‘相’。
精神の本質ともいえる。
どんあ天才的な詐欺師でも、冷静沈着な策士でも、魂の相は誤魔化せない。
‘浄眼’が映し出す、キールベインとジグ・ブライドからは、同色の‘相’が噴き出ていた。
‘相’は、怒り。
攻撃の一手、回避の一足の度に、互いに前進から放つ‘怒りの相’が大きく揺れ、眩い輝きを放つ。
その様が。
「とても、美しいわ。でも、」
エルロイドは僅かに細い眉を寄せ、嘆息する
「もう終わってしまうのね」
‘浄眼’は‘相’と同時にもう一つの本質を写しです。
すなわち‘願い’
‘相’の中心、蝋燭の炎に対する芯のような存在だ。
ジグ・ブライドの願いは‘破滅’
キールベインの願いは‘救済’
「頑張ったけど、ここまでね。貴方は彼には勝てないわよ、ジグ・ブライド」
③
重心を僅かに下げると、キールベインは半身の構えをとる。
右手に填めた手袋型AF「シャランサの右手」が、対峙するジグ・ブライドに向けられる。
射抜くように向けられた型は僅かな隙さえなく、先の動きをを取るであろうジグのあらゆる動きに対応する事を意味していた。
それ以上にジグの背筋を震わせたのが、キールベインの眼光だ。
迷いがない。
ただ、愚直なまでの眼光が、ジグ・ブライドに注がれている。
「・・・キールベイン。私は」
ジグ・ブライドの左右の手に赤い光が集約する。
洗礼者となった事で得た‘奇跡’の能力。
‘炎熱’の力を用いて、極限まで炎を集約し、凝縮させる。
「お前の首をもらう!」
左右の掌に灯した炎が放つ熱波が渦巻き、ジグ・ブライドの長髪が逆立つ。
まだ、足りない。
更に炎を凝縮させ、濃縮させる。
もはや、小技は必要ない。
かつて一度だけ使用した自身の奥義とも言える技で、消滅させる。
言わば互いの全存在を賭けた勝負。
私は
-勝たなければいけない。
そうだ、勝たなければいけない。
-あの男に負ける訳にはいかない。
負ける事は
-今までの私が否定される
あの日、全てを失った日から這い上がった私が
-道を外れても生きなくてはならなかった私の生き方が
あの男といると、私は・・・
-否定される
-あの男が放つ光は強すぎる
-薄汚れた私の姿が照らしだされる。
-傷だらけの影が、より濃くなる。
-もう戻れない、過去の私が惨めになる。
-這い上がった、今の私が弱くなる。
-だから
「・・・キールベイン、お前は・・・」
引きずり出された肉声と共に、両手の輝きが最高潮に達する。
「消えろ!」
④
ジグ・ブライドが全身全霊を注いで放った、二条の螺旋。
極限まで集中したキールベインが、螺旋が交差する一点に飛び込む。
第三稼働状態まで発動した‘シャランサの右手’により放たれた次元斬は、空間ごとジグ・ブライドの放った螺旋を切り裂いた。
この時点で勝負はあった。
奥義攻略の間合いを完全に見切られた。
それでも、ジグ・ブライドの螺旋の放出は止まらない。
意地か、矜持か。
肉体・精神の限界を超えた力押しにより、‘シャランサの右手’の発動限界時間を引き釣り出そうとする。
やむを得ずキールベインは、二条の螺旋を切り裂きながら、ジグ・ブライドに向けて疾走し・・・。
・・・その胸を貫いた。
それは、最高の悲劇。
エルロイドは、‘遠視’を解除すると、充実と余韻に浸りながら、自らの足で階下へと向かう。
決戦の余熱が残る階下では、勝者と敗者が明確にわかれていた。
長髪を見出し、床に倒れたジグ・ブライド。
右腕を抑え、俯き肩を震わせるキールベイン。
英雄画や古典舞台の一場面でも真似できない、激情が交差し、燃え尽きた瞬間。
敵として出会い、共に旅した二人が、再び合対し、解り会うことなく決着した瞬間。
全てはエルロイドの計画通りの瞬間だ。
それは最高の悲劇。
あるいは、極上の愉悦。
⑤
‘邪視’
調停者ベルザインが、「希少」と讃えた洗礼者能力。
相手の魂の相を見る-浄眼
過去と未来を覗く-来目
超長距離の出来事に触れる-遠視
そして、相手の深層心理と記憶に直接接触する-幻視
邪視による複数の能力を「使える」事が、エルロイドをベルザイン直属のテン・チルドレンに
押し上げたのではない。
邪視による複数の能力を「使いこなす」事で、エルロイドはテン・チルドレンに登り詰めたのだ。
敵も、味方も。
邪視により使用可能な、直接的な戦闘能力は微々たるものだ。
エルロイドは己が見た全ての事象に対し、策を施してきた。
過去も、未来も。
現実も、理想も。
そして、願望も、本質も。
エルロイドにとって、ジグ・ブライドは使いやすく優秀な駒だった。
ベルザインすら気づいていない、最大の脅威自身の支配下に置くことがルロイドの真の目的。
この「空中要塞による北の教会崩し」そのものが、真の目的達成のための手段だったと言ってもいい。
すなわち・・・
「キールベイン、全ては貴方を手にいれるため」
床に膝をつき、茫然自失の体をみせるキールベインの前で足をとめると、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「・・・異端審問官キールベイン」
旧法王庁では異端審問局第七課に所属。
見習い期間を経て、十六才で正審問官として採用。
その早熟な経歴とは裏原に特出した才能には恵まれず 、同じ第三課でも直接戦闘能力はアズール・バールに大きく劣り、戦績ではカナン・ヨハナンの後塵に喫している。
強いて言えば、罪人ザック・プレバンスを使いこなす事で、第一次及び第二次逆十字団襲撃事件に参加している。
法王庁崩壊後も辺境各地で洗礼者と対決し勝利ているが、いずれも中級洗礼者止まりであり、キールベイン自身の才能が向上したとは言いがたい。
北の教会に集った審問官の中には、キールベインの才を越える者も少なくはない。
「だけど貴方は・・・」
穏やか過ぎる性格と、持って生まれた才能の限界故に、凡庸な異端審問官。
だが・・・
「世界を救うのよ。それが私の予視が見た‘事実’」
断片的な映像であり、善後の場面はわからない。
だが、エルロイドの予視は絶対だ。
「驚愕の表情を浮かべたベルザインを倒すキールベイン」という未来は、いつの日か必ず現実になる。
「貴方は必要なのよ」
ベルザインですら気づいていないだろう。
ライナス・バルグ以上に、調停者の脅威となる存在がいる事を。
「世界のために・・・」
だからこそ、キールベインを手にいれる。
その精神を操作し、エルロイドの支配下として手馴づける。
必ず来るその日に、キールベインがベルザインを倒した時、新時代はエルロイドの前に開かれる。
「それ以上に、私のために・・・」
放心状態のキールベインをゆっくりと抱き寄せると、その瞳に幻視を発動させ、精神への侵食を開始する。
相は、怒り。
願いは、救済。
それが浄眼で見た、ジグ・ブライドと戦闘時のキールベインの魂の相だ。
だが、幻視により接触したキールベインの精神は、嵐の後のような怒りの残揣が漂い、困惑の中にあった。
旅を通し打ち解け、信頼を寄せていたジグ・ブライドの裏切りに対する怒り。
戦闘中の必死の説得にも、頑なな態度を取り続けるジグ・ブライドへの怒り。
それでもなお、ジグ・ブライドの救済を望む願い。
エルロイドには確信があった。
2つの感情に挟まれながら、必ずキールベインはジグ・ブライドを討つ事を。
エルロイドは、ゆっくりと絹布を広げるようにキールベインの精神の中で囁きかける。
そうだ、僕は
-ジグ・ブライドを殺した。
-貴方は彼女を救いたかった。
-でも、貴方は悪くない。
エルロイドには苦い経験、いや屈辱がある。
キールベインを捕虜とした空中要塞の拷問室で、完璧なタイミングでかけた筈の幻視を拒絶された。
だからこそ今回は肉体ではなく、精神的に崩壊寸前のダメージを与え、その直後に入り込んだ。
相手の願い、すなわち欲に漬け込めば、エルロイドはいくらでも精神構造を書き換える事ができる。
そして、キールベインの願いは救済。
-貴方は救いたかったのでしょう、彼女を。
-その気持ちは強くて純粋。
-でも、それ以上に貴方を世界を救いたいのでしょう。
ここまで、キールベインの精神から強い拒絶はない。
むしろ、エルロイドの言葉に聞き入っている。
いける。
エルロイドは確信する。
-世界を救う前に、彼女に殺される訳にはいかない。
-貴方は正しく、勇気のある行動をとったのよ。
-世界と、たった一人の命。
-振り切った貴方は傷付いているでしょう。
-貴方は優しい人だから。
-でも、貴方は前に、進まなくてはいけない。
-世界を救うために。
-それが、彼女の為でもあるから。
-でも、少しだけ休んでいいのよ。
-貴方が望むもの、私が貴方にあたえるわ。
-貴方が望むどんなもので
「折角ですが・・・」
突然の肉声の介入。
「お断りします」
そして、衝撃。
エルロイドはキールベインの精神から閉め出される。
⑥
「何故だ!」
相手側からの’邪視’の強制解除。
かつて経験した事のない衝撃は、エルロイドを精神を叩きのめし、思考を激しく混乱させた。
「何故貴様には我が‘奇跡’が通用しない!貴様には欲がないのか!?」
罵倒、いや悲壮めいた絶叫。
『奇跡を授かった洗礼者』
『ベルザインに認められた‘10人の子供たち(テン・チルドレン)』
『‘邪視’という戦闘向けではない奇跡を、己の才覚で使いこなし、掴んだはずの栄光』
それが、崩れる。
自身が最も得意とする精神戦を、最高のシナリオの展開により、最高の状況でで仕掛け、得るはずだった勝利。
それが、敗れる。
「なんなんだ、お前は!」
「・・・欲ならあります。でも・・・」
キールベインがよろめきながらも立ち上がる。
どこからか吹き抜ける風が、乱れた髪をかき上げると、静かに落ち着いた瞳が、エルロイドを見据える。
「もう持っています、僕の欲しいものは。・・・貴方に与えてもらうものは、何一つありません」
落ち着いた、諭すような声。威圧感などは皆無。
にも関わらず、エルロイドは無意識に後ずさる。
「なんだ、それは!?」
「例えば・・・」
キールベインの視線が、エルドイドの背後に移る。
「‘仲間’とか」
直後、灼熱の炎が背後から、エルロイドを包む。
「ぐっ、はっ!」
朦朧とする意識の中、背後を振り向いたエルロイドの視線の先に、片膝をつき火球を放った姿勢のまま、荒い息を吐くジグ・ブライドの姿が映る。
「・・・誰に断って、ソイツに手をだしている」
絞り出すように言葉を紡ぐジグ・ブライドの胸には、‘シャランサの右手’により貫かれたはずの傷は見えたらない。
襤褸のように破けた戦闘服の隙間からは、月輪のような曲線を描く白い腹が覗いている。
「・・・‘物質透過’」
‘シャランサの右手’に備わった、特殊能力の一つ。
かつての所有者である異端審問官ジャンルイジは、この能力を使い、対象の肉体を傷つけずに内部に埋め込まれた爆弾を抜き取った事があるという。
キールベインはジグ・ブライドと対峙し、放たれた炎の螺旋を‘次元斬’で切払いながらも、ジグ・ブライドの胸を切り裂く直前に、‘物質透過’に切り替えた。
仕組みは分かる。
理屈は分かる。
ーだが。
ジグ・ブライドと対峙していたキールベインの魂の相は、『怒り』
‘邪視’が見抜いた魂の相は絶対だ。
天才的な役者でも、天性の詐欺師でも、根源の感情を偽る事は出来ない。
ーなぜ、あれほどまでの『怒り』の相を見せながら、相手を救う事ができる?
炎にまかれ、呼吸もままならない。
霞む意識の中、膝をつくジグ・ブライトに手を伸ばすキールベインの姿が映った。
ーあの‘怒り’は
僅かな躊躇の後、その手をとり立ち上がるジグ
ー『相手への怒り』ではなく、『相手を救えない自身に対する怒り』
「っふふ」
思わず、笑いが漏れる。
同時に、‘邪視’のエルロイドの意識は、闇へと落ちた。