概要
恐芦戦争にて、オソロシア人民共和国に対しロザリアは一切抵抗出来ず重要都市が次々に占拠されていった。そのうちの一つであるマリネには、当時非常に有名な画家であったオース・フーネットが療養していた。マリネの市街地が破壊され、街の中心部にオソロシア軍によって占領の軍旗が掲げられたのを目の当たりにしたフーネットは、その様子を油彩画に描き、『ロザリア占領』の題で公表した。
その後
その後フーネットはフェーヴル美術館に本作を寄贈した。フーネットの作であるため当然展示され、話題となったものの、これをよく思わない人間が1人いた。そう、ロザリー•ド•エールである。全く抵抗出来ずに敗北したのは国の黒歴史である上に全てロザリーの責任(メタ的にもロザリーが彼氏の家にスマホを忘れたのが原因)であるため、この戦争の記憶が後世に強く残ってしまうことは望ましくなかったのである。
そのため、フェーヴル美術館へ撤去依頼をしている。しかし、聞き入れられ無かった為に軍隊を動員し、本作の回収を試みた。しかしながら、内通者がいたために作戦決行日がバレており、オソロシア軍が事前に遠隔操作で爆破出来る爆弾を仕込んだ贋作とすり替えていたため、ロザリア軍に死者1名負傷者10名を出した。これにも関わらず学習能力のないロザリーはこれを10回に渡って続け、合計で死者30人負傷者200人以上を出した。現在はワスクモ歴史博物館に飾られている。
そのため、フェーヴル美術館へ撤去依頼をしている。しかし、聞き入れられ無かった為に軍隊を動員し、本作の回収を試みた。しかしながら、内通者がいたために作戦決行日がバレており、オソロシア軍が事前に遠隔操作で爆破出来る爆弾を仕込んだ贋作とすり替えていたため、ロザリア軍に死者1名負傷者10名を出した。これにも関わらず学習能力のないロザリーはこれを10回に渡って続け、合計で死者30人負傷者200人以上を出した。現在はワスクモ歴史博物館に飾られている。