ヒマンド(1929年4月15日〜2015年8月4日)はヒマジアの宗教的、社会的、政治的指導者であり、ヒマジン教の預言者や開祖である。ヒマジン教の教義によると、彼は預言者であり皆を導く存在だと記されている。また、イエスやムハンマドなどの教えを説き確認するための遣わされた。ヒマンドはヒマジン教の全ての宗派の神の最終預言者である。ヒマンドは南西諸島の一部を統一し、彼の宗教が南西諸島に広まっている。
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名前 | ザージ・アントニオ・ヒマンド |
和名 | 白鳩国治(しろはとくにはる) |
別名 | イエスノア |
生誕 | 1929年4月15日バージニア連合王国バジルの丘 |
死没 | 2015年8月4日オーシア連邦(未作成)第ニ大聖堂 |
墓地 | ヒマジア王国預言の湖 |
民族 | ミリバイアド系フレンチェ人 |
職業 | 商人、宗教指導者、民族指導者、建国家 |
著名な実績 | ヒマジン教開宗、ヒマジア王国建国 |
後任者 | ロッキー・アントニオ・ヒマンド |
宗教 | ヒマジン教 |
配偶者 | マリア・ホーン・カトル |
息子 | ロッキー・アントニオ・ヒマンド |
娘 | メアリー・カトル・ヒマンド |
親 | カロス・アントニオ・ヒマンド |
1929年、バージニア帝国の都市ヒハイドのバジルの丘で生まれたヒマンドは8歳の時戦争孤児になった。13歳の時、バージニア帝国で近衛兵として働いていたルトポテト・カトルに拾われ、そこで働くようになった。後年、ヒマンドはヒハイド県の祈りの泉で数日間、連続で沐浴を続けた。ヒマンドはその時、ヒマジィの訪問を受け、神からの最初の啓示だと知らせていた。そして、バージニア帝国でこの教えを皆に説き始めていった。1999年には当時のバージニア帝の保護もあり、第一大聖堂が首都バージベルクに出来た。そして2000年からは南東に探検を始め、2002年に未開の地ヒマジアにヒマジア王国を建国した。晩年、オーシア連邦にある第二大聖堂のパレードの最中、落馬しそれが原因で死去した。
生涯
啓示
ヒマンドは、バージニア帝国の農業都市ヒハイドのバジルの丘でオーシア系フレンチェ人のヒマンド家として生まれた。母クロムはヒマンドを産んだ後死に、父カロスは8歳の時に交通事故で没したため、ヒマンドはそれから近くの抹茶農園で夜中、抹茶を盗みながらそれを売り生計を立てていた。ヒマンドが15歳の頃、商業都市コルリールでいつものように抹茶を売っていると、近くにバージニア帝率いる軍団が現れた。ヒマンドの眼の前を通りかかろうとした時、反社会教団がバージニア帝に切りかかった。とっさにヒマンドは所持していたナイフを取り出し、反社会教団の連中を切り殺した。その功績をたたえ、近衛兵のルトポテト・カトルの基で働くのうになった。毎日が過酷な訓練と仕事ばかりだったが、ルトポテトの一人娘マリアと同世代のため仲良くなり、いつも飯を共にした。17歳になると恋仲となり、20歳で結婚した。マリアとはいつも共に行動し周りからみてもラブラブだったという。ヒマンドはマリアとの間に3男9女もうけるが2男8女成人せずに夭折した。1965年8月10日、39歳のある日、悩みを抱え祈りの泉に出向いた。そこで3日4日沐浴していると、大天使ルルピン(ヒマジィ)に出会い、唯一神の啓示を受けたとされる。その後、次々に予言が下されたヒマンドは自分が預言者であることを自覚した。その後、様々な人に教えを説いた。最初に入信したのは妻のマリア、次にバージニア帝と続いた。だが当時、バージニア帝国ではキリスト教の教えが強く、そういった人達から迫害された。
ムルボン事件
迫害されるのに限界を感じたヒマンドはバージニア帝に助けを求めた。するとバージニア帝からはお墨付きの騎士を国中に派遣すると言うことだった。その後、迫害した人々はヒマンドの勢力が強くなるのを恐れ、暗殺をしようと刺客を送り込んだ。これを察知したヒマンドは夜な夜な家族と一緒にオーシアに逃げ込んだ。この事件をムルボンといい、この出来事が起きた街コルリールは以後、大量の兵士や騎士が配置された。
建国
1999年6月2日、新バージニア帝は教会を建てる許可を下した。それにより、第一大聖堂ができた。その後、南西諸島を中心に様々な国に教会設置と布教をしにいった。そして2000年4月3日では新しくオーシア連邦、架空国家ミルマツ民主主義共和国、エール仮想共和国、シャウクス連邦に大聖堂ができた。ミルマツ方面へ冒険中、迷いの森に紛れ込んだ。数日間徘徊した後、ヒマ民族という古代時代の文化の集落についた。そこで、ヒマ民族と協力し、ヒマジアを統一した。その後、オーシアやバージニアに其事を伝え、移民を大量に送った。2002年7月25日、ヒマジア王国を建国した。
晩年
晩年は息子のロッキーに家督を継ぎ、各地へパレードを行った。2004年にはバジルの丘を正式な聖地と定め、各国の老首と一緒に国際的なパーティーを行った。古錦国でのパレードの際、仏教関連団体によって左足首を銃撃された。幸い命には別状はなかったが、その怪我が原因で車椅子の生活となった。2015年8月4日、オーシアでのパレードの際、乗馬したがバランスが取れず落馬し没した。
家族・友人
ヒマンドが17歳の頃からマリアと恋仲になり、20歳で結婚した。28歳にはロッキーが生まれ、32歳にメアリーが生まれた。その後、61歳の時、妻のマリアが早死し73歳の時、ロッキーに家督を譲った。晩年没するまでメアリーとは仲が悪く、ヒマンドはボッする際、「メアリーと仲良くできなかったのが1番の後悔」と語っている。また初代バージニア帝とは旧友の仲であり、よくいっしょにお酒を飲んだり、ゴルフをしたりした。
ヒマンドを描いた作品
映画「プリウスの舟(英語版)」クフボン・テキスト監督
映画「ヒマジンの奇跡(ドイツ語版)」アーレイ・ガリバー監督
映画「新ヒマンド伝(英・独・仏版)」ロッキー・ヒマンド監督
小説「暇な人に」産屯田著
小説「新ヒマンド伝(4部作)」ロッキー・ヒマンド著
映画「ヒマジンの奇跡(ドイツ語版)」アーレイ・ガリバー監督
映画「新ヒマンド伝(英・独・仏版)」ロッキー・ヒマンド監督
小説「暇な人に」産屯田著
小説「新ヒマンド伝(4部作)」ロッキー・ヒマンド著
外部リンク
ヒマジア王国
オープンチャット「【架空国家】ヒマジア王国」
https://line.me/ti/g2/apnAXQIf5p_TWXRa7DYdbcwFLHpO-tFl-ctQow?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default
ヒマジン教
オープンチャット「ヒマジン教」
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オープンチャット「【架空国家】ヒマジア王国」
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ヒマジン教
オープンチャット「ヒマジン教」
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