コアランドテクノロジー

コアランドテクノロジー株式会社

豊栄産業株式会社

株式会社コアランド

かつて存在したゲーム会社。
株式会社バンプレストの旧社名にあたるが、下記の通り実態はほとんど別物であるため、本項では扱わない。

1977年4月30日、松田(きよし)氏により豊栄産業株式会社として創業。東京都田無市(現・西東京市)南町に本社を置いた。
エレメカゲームの開発販売を行う一方で、他社テレビゲームの改造品や模倣品を販売しており、殆どが非許諾品だったと思われる。
ただし、オリジナルゲームも少数手掛けており、その中でもアルファ電子と共同開発した『ジャンプバグ』は特に有名。
なお、豊栄産業時代に技術スタッフは在籍しておらず、他社から技術者を招いてゲーム開発を行っていたという。*1

1982年4月20日に社号をコアランドテクノロジー株式会社へ変更。
前年9月に田無市南町から田無市本町の自社ビルへ移転したのを契機に、社業発展を目指したものだという。
またこの際、社長の名義を松田規義(きよし)に改めた。
1984年ごろを境に、株式会社コアランド名義を併用。代表取締役も杉田安應(安雄)氏に代わった。
本格的にオリジナルゲームを開発し始めるが、販売はセガなどの他社から行われていた。
1985年にセガが開発、販売した『ハングオン』も、コアランドが企画を持ち込んだものであったという。
末期は『WECルマン24』(発売はコナミ)、『サイバータンク』(発売はタイトー)など、大型筐体ものも手掛けていた。
1988年6月、安田則雄氏 *2 がセガ退社後に立ち上げた株式会社テクノスター(上記大型筐体作品2作を共同開発)を吸収合併した。
サウンド担当者は、『ザ・闘牛』の途中から松平あこ氏が参加。
『WECルマン24』からは里見宮寿氏が参加し、2名体制となったという。

1989年、バンダイがアミューズメント市場へ参入するにあたりコアランドテクノロジーを買収。
2月20日には、バンダイ+presto(スピーディな業務)を意味する株式会社バンプレストへ商号が変更された。
開発本部長の安田氏と開発担当の磯村信義氏はバンプレストに残ったが、開発担当役員以外は退任した。

ずんずん教の野望』などを手掛けた港技研には、コアランドからアークシステムワークスを経て合流したメンバーが在籍していた。
また、ビットボックスとしてジャレコに参入したメンバーもいたらしく、『ビッグラン』や『アームチャンプ』に関わったといわれている。

主な作品

※特に記載がないものは販売がセガ

1982年

1984年

  • スワット
  • ザ・闘牛

1985年

1986年

  • ラフレシア
  • ガルディア
  • のぼらんか(販売はデータイースト)
  • WECルマン24(販売はコナミ)

1987年

  • ブラックパンサー(販売はコナミ)

1988年



主なサウンド担当者

  • 松平あこ ※ごんべえのあいむそ~り~、のぼらんかなどを担当。
  • 里見宮寿 ※WECルマン24、サイバータンクに参加。現在は里見海運産業株式会社にて代表取締役社長を務める。
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最終更新:2025年07月16日 09:51

*1 『ジャンプバグ大百科』に掲載された、アルファ電子でプログラマー兼エンジニアを務めた深津栄次氏のコメントより

*2 1985年7月2日に催された「“ハング・オン”発表会」では、第一研究開発部長として出席した人物