さかい しょうご
幼稚園でピアノを習い、小学生で鼓笛隊の指揮、中学生で作曲を始めるなど、音楽経験が豊富な環境で育つ。
高校ではデュオユニットを結成したほか、後にオメガトライブ、クレイジーケンバンドでドラマーを務める廣石恵一氏との交流も。
また、音楽家としては長洲忠彦氏に師事した。
ちなみに、父親がファミコンとして買ってきたゲーム機は、
セガのSG-1000IIだったという。
1987年9月21日にデータイーストへ入社。 同社のサウンドチームである
ゲーマデリックにはSHOGOとして所属していた。
主にファミコン作品を担当し、『
大怪獣デブラス』、『
ダークロード』などではDPCMを活用し、重厚なサウンドを生み出した。
1996年から2022年までは
HAL研究所に所属していた。
ゲーム業界でも指折りの難産ゲームとして知られる『
MOTHER3』の開発に関わったことでも知られる。
氏は開発中止になった64版から開発に関わっており、その後完成したアドバンス版の開発まで関わり続けた数少ないメンバーである。
同ゲームのプロデューサーである糸井重里氏は「彼無しでMOTHER3は完成しなかった」とも語っている。
そのため、HAL研究所でのデビュー作品は厳密に言えば『MOTHER3』なのだが、時期的に考えると『
大乱闘スマッシュブラザーズDX』になる。
2023年初頭をもってHAL研究所を退社。現在はフリーランスとして活躍中。
ゲーム音楽コンサートには古くから関わっており、
すぎやまこういち氏の開催した「ゲーム音楽コンサート5」にて『
ヘラクレスの栄光IV』の「
地平線の彼方」他数曲を編曲し指揮を務めたのが始まりとなる。
その時に桜井政博氏が来席していたことが巡り巡って、後年『
大乱闘スマッシュブラザーズDX』でオーケストラ演奏を任されたことが
スマブラ拳!!の座談会で明かされている。
その後もゲーム音楽コンサート「PRESS START」にも関わり、「星のカービィ25周年記念オーケストラコンサート」はほとんどの編曲を担当した。
そして「星のカービィ 30周年記念ミュージックフェス」ではオブザーバーとして
大原萌氏等後輩のサポートと技術継承を行っている。
ちなみに氏はゲーム下手であることでも有名で、ゲーム開発時には初心者を想定したモニターとしても活躍していたとのこと。
担当作品の一例
代表的な曲
関連リンク
最終更新:2025年07月31日 11:37