1985年5月20日生まれ。大阪府出身
2007年に大社ドラフト1位で巨人に指名。
大体大浪商高時代は1年秋よりエース、翌年春のセンバツで1勝をあげる。
大阪体育大学時代は肩肘の痛みに悩まされるも、3年生の時に全日本大学野球選手権で抑えとして起用、初優勝に貢献してMVP(4勝/防御率0.48)もあげる。
巨人時代の3年間は1軍登板がなく10年シーズン終了後に戦力外となりその年のトライアウトに参加。
その様子がクリーブランド・インディアンスのスカウトの目に留まりマイナー契約を結ぶ。
インディアンス時代は
11年A+(キンストン・インディアンス)
12~14年AA(アクロン・エアロズ)→AAA(コロンバス・クリッパーズ)→A(カロライナ・マドキャッツ)
15年AAA(コロンバス・クリッパーズ)で開幕を迎えて、6月22日まで14試合5勝3敗、防御率2.79の成績をあげて
6月23日に40人枠が1つ空く+ダブルヘッダーの特例などで25人ロースターから登録人数が1名増えることもあり、
6月28日にメジャー契約を結ぶ。その日の第2試合で先発するも3回途中で4安打5失点(自責3)となり敗戦投手。
翌日にマイナーオプション行使でコロンバスに再び降格すると同年7月31日に40人枠から外れた。
AAAでは27試合登板15勝4敗、防御率2.90の成績を残してインターナショナルリーグの最多勝となる。
翌シーズンもインディアンスと契約することをブログで発表するも、現地メディアで日本の球団と契約する為退団と報じられていた。
16年11月18日に正式に契約合意と発表された。
17年春季キャンプはアリゾナ組スタート。
オープン戦ではボークを出すこともあったが、開幕メンバーに名前を連ねた。
シーズン当初は中継ぎであったが同年4月13日の対ソフトバンクより先発起用、なかなか勝ち星に恵まれなかったが
同年6月11日の対巨人にて古巣より日米通じ、10年目でプロ初勝利をあげる。
18年シーズンは先発と中継ぎもやっていたが5月に入ってほぼローテーションに加わる。同年6月9日の対DeNAではプロ入り初ヒットを放った。
19年は故障で出遅れて7月に1軍昇格も、4試合の登板に終わる。20年シーズンは2年振りの勝利をあげ、21試合5ホールドを挙げるも同年12月に一度は自由契約となる。同年12月30日に再契約を結んだことが発表された。
21年シーズンは結果を残せなかったこともあり、同年11月2日に退団が発表された。その後は指名を待ちながらトレーニングに励み22年10月20日にオーストラリアのオークランド・トゥアタラにてプレーする事を自信のSNSにて発表された。
23年6月9日にドイツのブンデスリーガのボン・キャピタルズよりオファーがあり入団、登板していた事が判明した。
エピソード
- 17年4月2日の対西武で2番手でリリーフとして登場も1球でボークを取られる。
- いしちょくのマイメロリュックの首謀者らしい。
最終更新:2023年06月10日 20:02