─────天使とは、種を蒔くものではなく、苦悩する誰かの為に戦う者である。





継国の兄弟が、死合を終えて暫く。
光月おでん幽谷霧子の活躍もあり、その場は一先ず丸く収まったが…
二人が目を醒ますまでの時間で、事態は着実に進行していた。
彼女達の前に広がる、群衆の群れがそれを如実に示していた。

「梨花ちゃんや摩美々ちゃん達との連絡……どうしよう……」

自分の携帯電話は壊れてしまった。
その上、今はその数を減らした公衆電話には大勢の人が殺到している。
未曽有の災害時において、少しでも知己に無事を知らせようとしているのだろう。
霧子たちが寝ている間に新宿だけでなく。
追い打ちの様に豊島区や世田谷区か壊滅するという大惨事が起きたらしい。
十中八九、聖杯戦争絡みの大惨事とみて間違いない。
故に一刻も早く仲間の安否を確認したかったが……

「ったくすまねぇ嬢ちゃん!何処も夜だってのに人だらけで、
連絡できそうな電伝虫が一つもねェときたもんだ!!」

どかどかどかと、騒がしいいで立ちのイメージ宜しく光月おでんが大地を揺らして駆け寄ってくる。
駅やその近辺に設置された公衆電話は既に長蛇の列だ。
加えて、NPC達は全員顔に不安を張り付け殺気立っており、小さな諍いが絶えない。
この調子で並んでいれば順番が回っている頃には朝になってしまうだろう。
当初はまず摩美々達と連絡を取った後、新宿区で予め設定していおいた合流地点で梨花と落ち合うつもりだった。
だが特に新宿は人で溢れかえっており、待ち合わせの場所にはとてもではないが使えない。
そのため、新宿から離れ、代わりとして示し合わせていた合流ポイントが一番近い、文京区までやってきたのだ。
しかし、あまり効果は無かったと言わざるを得ないだろう。

「どうする?何なら少しの間だけ俺が───」
「ううん……いいんです……私は無事だよって伝えるのも……
そっちは無事って聞くのも……邪魔しちゃいけないと思うから………」
「それはそうかもしれんが…ああッ!!あの馬鹿共取っ組み合いの喧嘩始めやがった!!
ちょっと止めてくるから待ってろよ!!」


列の方へ視線を向けてみれば。
横入りしたとかどうとか、ささいな口論から、随分発展してしまったらしい。
大の大人二人が、取っ組み合いを始めていた。
災害現場ではよく見られる光景であった。

(……………)

その光景を見て、霧子の意識が思考の海へと沈む。
抱いた感情は悲しみだった。

(あの人たちは……ただ、大切な人達の無事を……確かめたいだけなのに……)

それなのに、どうして。
その思いに、間違いなんて無いはずなのに。
どうして、悲しみが生まれてしまうのだろうか。

(この聖杯戦争も……)

その疑問がよぎったのは。
目の前のNPCと、今自分たちが置かれている状況を重ねてしまったからだろうか。
聖杯戦争。
万能の願望器…一つしかない、とびきり貴重なパンをめぐる争い。

(パンが欲しい……そう思う事は、間違いなんかじゃ、きっとないのに……)

生きている限り。
誰もが幸福(パン)を欲している。
その事は決して間違いなどでは無いはずだ。
自分のプロデューサーも、かつて。
自分に、パンをもらうべきではない人なんて、この世にはいないと。
そう言ったではないか。
なのに、それなのに。
何時だって、皆に行き渡るだけのパンはなくて。
今もこうして、パンを巡った悲しみが作られている。
パンを得るために悲しみを生み出す人たちが許せない訳ではない。
きっと彼らにも相応の事情があるはずだと、彼女は考えていたから。
だが……それでもふとした瞬間に、悲しみが襲ってくるのは止められなかった。
だって。
その悲しみの渦中には、霧子の大切な”彼”がいたから。

「おい……霧子!どうした!?大丈夫か?」
「………っ、おでん、さん………」

どうやら、仲裁が終わったらしい。
戻ってきたおでんが、先ほどよりも瞳の光彩を減らした霧子の顔を覗き込む。
大丈夫だ、とは直ぐに返すことはできなかった。
ただ、未だ不安そうな群衆に視線を戻して。

「どうしてって…………思うんです………」

ぽつりと、そう呟いた。

「願いを叶えたいって思う気持ちには……間違いなんてないのに……
それなのに、どうしてこうなってしまうんだろうって………」

ぎゅうと、胸の辺りを握って。
絞り出すような声で、「だから」と少女は言葉を綴る。

「聖杯を欲しがっている人たちのこと……もっと、知りたいって……」
「……霧子の嬢ちゃん、言っておくがそいつは危険だぜ。
煮ても焼いても食えねぇ奴ってのは確かにこの世にいるし、
話が通じたとしても分かり合えるかどうかは別の話だ」

おでんの言葉には、実感が伴っていた。
言葉では伝わらない事もあるし、伝わったとしても変えられない事もある。
本当に言葉で伝え合えれば全てが丸く収まるのなら。
黒炭オロチはあんな国ごと全てを滅ぼさんとする怪物にはなり果てなかっただろう。
自分の最期も、きっと全く違ったものになったはずなのだ。
きっと、霧子が何を言った所で、伝わらない相手がいる。
両親の愛を受けて何不自由なく育ち、アイドルとして活動しながら、
医の道を志せるだけ生まれ持った頭脳も、容姿も、高い水準にある霧子が何を言おうと。
恵まれたお前に何が分かると返されるのがオチだろう。
激高する者さえいるかもしれない。
ましてここは万能の願望器を巡って争う戦場だ。
他人を蹴落としても縋らずにはいられなかった、全ての願いの終着点。
そこに集う者たちが、今更言葉で止まるとは、おでんには思えなかった。
その脳裏には神戸あさひという、少年が浮かんでいたのは言うまでも無く。

「はい……私も……私の考えが全部正しいとは……思っていませんから……」

もしかしたら。
間違っているのは自分の方で。
正しいのは、本当に切実な願いを抱えて、戦いに臨んでいる彼らなのかもしれない。
その過程で多くの悲しみを生み出すとしても。
この世界では、それは勝利するための正当な努力なのかもしれない。
その、一種の自己疑念があったからこそ。
霧子は聖杯を目指し、悲しみを生んでいる者たちの事を憎んではいなかった。
けれど。だとしても。だからこそ。

「だからこそ……知りたいんです……皮下先生や………他の人たちが……
何を祈って………ここにいるのか………」

どうせ無駄だから。どうせ伝わらない。どうせ通じない。
そうやって諦める事は簡単で、とても楽だ。
きっと、自分が正しいとも信じていられるだろう。
理解にはきっと、痛みが伴い、実入りは少ない。
苦労してお互いの事を知れたとしても、分かり合える可能性は0なのかもしれない。
けれど、それで終わってしまえば。
もう、パンが皆に届く世界は、やって来ない。
パンを届けたいアイドルとしての、幽谷霧子はこの世界で死ぬだろう。

「何が正しいかなんて……私には分かりません………でも、
分かろうとする努力をやめる事だけは……きっと間違いだって分かるから……」

時には、その選択も必要で、大事だという事は理解している。
誰もが分かり合おうとする世界は、きっとみんな傷だらけだろうから。
でも霧子はアイドルだから。
誰かにパンをあげられるアイドルになりたい、アイドルだから。

「それに伝わって……何か変わる可能性を……0のままにしたくはないから……」

現実的に。
悲しみを生み出してでも、聖杯を目指す者達に霧子の言葉が届く可能性は0だろう。
だが、このまま何も干渉しなければ、その数値は0のままだ。
だから、無駄でも、何は無くとも、行動し続ける。
例え0.000000000000000001%だとしても。
未来に産声を上げるかもしれない可能性を死なせないために。
人は現実の世界にしか生きられないけれど。
夢を見ずに生きることが全てだとは思いたくない生き物だから。

「きっと……咲耶さんもそう言う筈だから………」

そう言って、少女は言葉を締めくくった。
それに対する光月おでんは、最後まで黙って話に耳を傾けていた。
いつも騒がしいこの男が、一つの口をも挟まず。
幽谷霧子の話に最後まで聞き入っていたのだ。

「………そうだよなァ。何が正しいか、なんて時によって変わるもんだ。
それに、俺みたいなバカ殿で、海賊が、何を言っても相応しくねェかもしれんが──」

ぽりぽりと、天を仰ぎ、頭を掻いで。
直後に、じっと霧子を見据えて、おでんは語り掛けた。
自分みたいな大馬鹿で、海賊という海のごろつきが何を言っているのかと。
我のことながら考えつつ、それでも彼は言葉を吐いた。

「霧子。おめェさんのその姿勢は正しいと思うぜ。……俺が、保証する」

堂々と、明朗たる声で。
光月おでん幽谷霧子の在り方を肯定した。

「だから」

おでんはそっと霧子の背中に手を添えて。
ニカッと、口の端が耳まで届きそうなほど豪快に笑い、告げる。

「胸を張りな。俯いてちゃいけねェ。
正道を歩む奴は、誇り高く面(ツラ)を上げてるモンだ!」
「おでん、さん……!」

感情が、昂って。
目尻にはうっすら、涙すら浮かんで。
この豪放磊落な、とても素敵な侍に認められた事が、ただ嬉しかった。


「それにな、俺も探してるんだ。果たしてこの界聖杯って奴が正しいのかどうか…
答えはまだ出てねェが丁度いい。お前さんの手伝いをしながら探すのも悪くねェ」

そう言って少女に笑いかける侍の笑みは、少年の様に無邪気な物だった。
あぁ、きっと、縁壱さんは。
この人の、こういう所に救われたのだろう。
そう思いながら───霧子は返事を返した。

「はい………!」

哀しい事はきっとこれからも起きるし、それは避けられない。
だけど、それを哀しい事で終わらせないために。
悲劇で終わらせないために。
そう思えば、これからも惑い悩み傷つくだろうけれど……
前に歩める気がした。
そして、彼女のそんな思いに応える様に。
事態は、新たな転機を二人へと齎す。

「マスター、近くにサーヴァントの気配を感じた。それも、戦闘を行ったらしい」

言葉と共に、現れたのは光月おでんのサーヴァント。
日輪の剣士、継国縁壱だ。
その傍らには、彼の兄である黒死牟も控えている。
彼らの人を遥かに超えた五感の鋭さが、近辺でサーヴァントの気配を感じ取ったらしい。
それも、宝具を用いた激しい戦闘だったかもしれない、と。
縁壱はそう報告した。
それはつまり、傷ついて、死にかけている人がいるかもしれないという事で。
であれば、二人の判断は即決であった。

「おでんさん……!」
「応とも!行くぞセイバー案内しろ!!怪我人がいねェか確認する!!」

本当ならばまず摩美々達と連絡を取りたい処だったが。
今の調子ではいつ連絡が取れるか分からない。
対して件の戦闘は現在進行形で逼迫した事態になっているかもしれない。
故に、二人に現場に急行することに迷いはなかった。


「どうしましょう……どうしたら……!?」

仁科鳥子と、そのサーヴァント、アビゲイル・ウィリアムズが、アサシンを下してから少し後。
火急の危機を脱した二人であったが、状況は未だ安寧とは程遠かった。
その理由は明白。
未だ目を醒まさないアビゲイルのマスター、仁科鳥子の容態だ。

「……っう、ぐ……うぅ……」

先ほどまで落ち着いていたが、今の鳥子の状態はどう見ても芳しくない。
うめき声を上げて、額には滝の様な汗が流れている。
アサシン・吉良吉影の手によって負ったダメージ、右手の欠損は彼女を確実に蝕んでいた。
火傷によって止血されているため失血死の心配こそない物の。
そもそも完全に切断された手首の出血を止めるほどの火傷だ。
それは最早大火傷と言っても過言ではない。
止血した、というよりも切断された後、焼き潰されたといった方が適当かもしれない状態である。
常人ならば、ショック死していたっておかしくはないのだ。

「あぁマスター、何てこと…すごい熱だわ……!」

額に手を当ててみれば、患部から熱が移ったように熱かった。
このままでは危険だという事は医学に明るくないアビゲイルでも分かる。
だが、そこからどうすればいいのかは彼女にはとんと分からなかった。
聖杯が与える現代知識は一般的な知識のみ。
焼き潰された右手をどう処置するかは勿論、高熱に侵された時どうすればよいのかすら彼女には分からなかった。
つい先程、セイレムの“魔女”として、杜王町の殺人鬼を一蹴したとは思えない程の狼狽えぶりで。
今の彼女は、年相応の十二歳の少女でしかなかった。

「どうしましょう…お薬を…?でも、私が今のマスターを置いていったら……」

目を離すには、今のマスターの姿は余りにも苦し気で。
置いていくという判断は、とてもではないができなかった。
それに、薬のある場所に行ってもどれを持ってくればいいのか分からない。
だから、こうして今はオロオロと狼狽える事と、マスターの汗を拭う事ぐらいしかできない。
それでも、この状況が続くならまだいい。
だが、今の自分たちはリンボに狙われている身だ。
最初の会敵とは違い、この状態のマスターをあの怪人から守り切る自信は無かった。
否、さっきのアサシンに勝てたのだって、マスターの機転と、令呪のサポートがあったればこそだ。
ステータスでは強い英霊とは言い難いアサシン相手でも苦戦していた自分が、リンボ以外の相手でも守り切れるとは思えなかった。
今、敵が来たら。
不安は加速していく。


「駄目よ、しっかりなさいアビー…マスターを守れるのは、私だけなんだから……!」

不安に苛まれながら、それでも清廉なる少女は気丈に己を鼓舞する。
鼓舞するものの…現状を打開する妙案は浮かんでこない。
アルターエゴ・リンボへの警戒。
そしてアサシンの監視と牽制に余りにも時間を割いてきたため、頼れる者も浮かばない。
だから、銀の鍵足る彼女でも今できる事はただ祈る事だけだった。
どうか、今敵が来ませんように、と。
どうか、マスターの容態が回復してくれますように、と。
だが、現実は非情だ。

「……ッ!?」

部屋の外に、サーヴァントの気配を感じ取った。
それも、二体。
失敗した、マスターの体を気遣うばかり接敵の察知が遅れたのだ。
ただでさえ、令呪まで使用した戦闘をつい先程行ったばかり。
近辺にサーヴァントがいれば気づかないはずはないのに。
自身の浅慮を呪うが、今更逃げ切れるとは思えない。

「……大丈夫よ、マスター。貴女には、指一本触れさせないわ」

未だに苦し気な顔を浮かべるマスターの頬を撫で。
キッと眼光を部屋の扉へと集中させる。
絶対に、マスターの身だけは守って見せる。
部屋の外に飛び出して囮になるか。
今しがた開帳したばかりの、巫女としての権能を開帳するか……。
忌まわしい力だとしても。
自分を信じてくれるマスターのためならば、使う事を躊躇いはしない。
そうアビゲイルが決意すると同時に、きぃ、と、ドアが開けられる。
ごくりと喉を鳴らし、身構え。
警戒心を露わにしながら、アビゲイルは来客を見守った。

「あ……あの……今晩は…突然の訪問すみません………」

現れたのは、リンボではなかった。
サーヴァントですらなかった。
ツインテールの銀髪と、巻かれた純白の包帯が印象的な、一人の少女だった。



「……本当にここなのか?」

鍛えた見聞色の覇気を有するおでんをして、その疑問を漏らさずにはいられなかった。
二人の剣客が察知した戦闘の気配は、先ほどまでいた場所から程近いホテルだ。
しかし、戦闘が行われたとは思えない程、そのフロアは静けさを保っていた。
まるで戦闘が部屋一つで行われ、そして完結したかとでも言うように。
にわかには信じがたい話だった。
見聞色の覇気で周囲の様子を伺ってみれば、空いてはいるが他の宿泊客もいる様だ。
そのため、他の宿泊客が全員殺されているため静けさを保っている訳ではない。

「間違いない。奥の部屋にサーヴァントの気配を感じる。
横たわっているのは…マスターか、しかし呼吸が浅いな。それに意識が無い様だ」
「じゃあ……怪我をしているかもしれないんですね………」

縁壱の理外の感知能力の高さが、間違いないと太鼓判を押す。
押すだけでなく、マスターと見られる人物が負傷しているのではないかという情報さえ察知したのだ。

「間違いは無いだろう………しかし……部屋からは……奇怪な気配を感じる……」

霧子のサーヴァントである黒死牟の方はと言えば、彼の意識は脅威と成り得るサーヴァントへと向いているらしかった。
その意見を受け、縁壱も静かに頷いた。
部屋の中にいるサーヴァントは、気配の大きさから言えば…
少なくとも純粋な強さで言えばカイドウや鋼翼の悪鬼ほどではないだろう。
だが、本能的に。根源的に。
人智を超越し、常軌を逸した気配を、兄弟は感じ取っていたのだ。

「……よし!先ずは会ってみないと始まらねぇ。俺が行く」

サーヴァントよりも先んじてそう言いだしたのは勿論光月おでんだ。
堂々と胸を張り、縁壱や黒死牟をして戦慄を禁じ得ない気配の主と会おうとする。

「待って…おでんさん……」

しかし、それを止める者がいた。
縁壱でも、勿論黒死牟でもなく。
止めたのは、この場で最も無力な少女だった。

「もし怪我人がいるなら………私が行っても、いいですか………?」
「何を……言っている……?」

声色に俄かに困惑の色を交えて。
寡黙な彼女のサーヴァントが、すかさず口を挟んだ。
相手は今しがた戦闘を終えたばかり。
つまり、ほぼ間違いなく気が立っている状態だろう。
いきなり襲い掛かられても何ら不思議はないのだ。

そんな相手に、弱卒たる自分の主に何ができようというものか。
自分たちが行けば相手を威圧しかねないというのはまだ理解できる。
だが、それならば猶更光月おでんが行くべきだ。
黒死牟がそんな反論を囀るよりも早く、彼の主は告げる。

「大丈夫……何かあっても………セイバーさん……助けてくれますよね……」

彼女には珍しく、悪戯っぽく微笑んで。
心配しないで欲しい、と。そう言った意図の言葉を吐いた。
そういう問題ではない、と反論しようとするものの。
今迄自らのマスターは、こういった時常に迷うことなく最前線へと身を置いていた。
百獣の王の配下の前でも、憤怒に狂う自分の前でも。
決して、安全地帯に身を置こうとはしなかった。
故に、今回も、言っても聞かないであろうことは容易に想像がついた。
そこまで思考が追い付いてから、光月おでんの方へと六つの瞳を動かす。
この男が危険を顧みて否と言えば、霧子も行くわけにはいくまいが……

「……分かった、いいぜ。霧子、お前に任せる
こーんなでくの坊が押し入っちゃ、向こうも怖いだろうしな」

これまでのやりとりから予想していた通りの答えを、おでんは返した。
決して、状況を楽観視していっている訳ではない。
むしろ逆だ。その口の端は一直線に引き絞られている。
つまり、どんな相手であろうとも。
霧子の身に危険が迫る前に対処して見せる。そんな決意が見て取れた。
彼が先ほど語った霧子の決意を尊重しているのは明らかだった。
そして、再び少女は己が従僕に視線を移して、じっと黒死牟の複眼を見つめてくる。
………こうなれば、観念するほかないらしい。
どうせ止めた所で、この女は聞かないだろう。

「………好きにせよ………しかし………お前は、私の要石……ゆめ忘れるな……」
「はい……!ありがとうございます………」

本当に、嬉しそうに従僕の言葉を受け止め。
ぺこりと、霧子は頭を下げた。
そうして、そのまま、とっとっと、と。
部屋の前へとかけていく。

「大丈夫だ。何かあっても俺達が何とかしてやればいい。
今は、あの嬢ちゃんの事を信じてやれよ。あの娘のサーヴァントならな」
「黙れ……」

おでんと黒死牟がそんなやりとりをしているのを尻に目に霧子は部屋の前に立つ。

「────ッ!?」

───瞬間、体感温度が五度は下がった様な錯覚を覚えた。
この部屋の中には、何がいるといるというのか。
華奢な両指がドアノブを掴む。
扉は、僅かに空いていた。
中から電灯の光が漏れているというのに、深淵を除くような。
恐怖。畏怖。混乱。混濁。
そんな汚泥染みた感情が、霧子の心胆から噴きあがる。

「………!!」

しかし、それでも彼女は耐えた。
怖気で歪みそうになる顔の筋肉を今までの研鑽(ビジュアルレッスン)で抑え込んだ。
深呼吸を一つ。手の震えを精神力で強引に止める。
怯える医者を見て、安心する患者などいないのだから。
傷つくことは怖くない。だけどけして強くはない。
ただ何もしないままに、後悔だけはしたくない。
鈍く輝く意志の光だけを深淵への楯として。
霧子は、扉を開けた。



部屋の中で待っていたのは、二人の金髪の少女だった。
一人は霧子より少し上の年齢と見られる少女と。
その前に、立ち塞がる様に立つ黒衣の少女。

「あの……初めまして、幽谷霧子と言います………さっき、私のセイバーさんが……」

まず自分が何者であるかを名乗り。
次いで、此処へ訪れた経緯を語ろうとする。
しかし、相対するフォーリナーは彼女の言葉を遮った。

「ダメ……ダメなの…貴女が誰であれ……今、マスターは大変なの……
お引き取り下さいな…お願いだから……」

焦燥と警戒を露わにした声で。
霧子にフォーリナーはそう告げた。
おでんと自分のセイバーが警告した通り。
相当殺気立っている。
しかし、それも無理は無いだろう。
縁壱達の推測通り、彼女は今まで行動を共にしていた同盟者を、その手で屠ったのだから。
攻撃すらしなかったものの、昼間に機凱種の弓兵と相対した時の様に。
霧子を追い払おうとしてしまうのは無理もない話だった。
むしろ、先手必勝で攻撃を敢行しなかっただけ少女は理性的だっただろう。

「………」

明らかな拒絶の言葉を受けながら。
霧子は目の前のサーヴァントと思わしき金髪黒衣の少女と。
その背後に横たわる少女の間で視線を彷徨わせる。
背後の少女には、片腕が無かった。

「でも…貴女のマスターさん……怪我、してるでしょう………?」

それを見た瞬間に。
霧子の方も、退く訳にはいかなくなった。
片腕の切断に、切断面を覆う火傷。
少女が手当てを必要としている事は、誰の目にも明らかだったから。

「手当………させてくれませんか……?」

尋ねると共に、一歩踏み出す。
しかし、フォーリナーの少女の態度は頑なだった。

「…っ!必要ないわ!マスターは…マスターは、私が守るもの!
だから……来ないで……!それ以上来たら…こ、攻撃するわ…!」

もし、これが一時間ほど後の邂逅であれば。
アビゲイルも幾らか冷静さを取り戻し。
こんな、緊迫した雰囲気にはならなかっただろう。
しかし、このタイミングで邂逅を果してしまった事は。
どうにも、間が悪かった。
だって、アビゲイルがここまで深く関わったサーヴァントはアルターエゴ・リンボと。
自分達を裏切り襲い掛かってきたアサシンだけだったから。
消滅してなお、アサシンはフォーリナーの少女に呪いを刻んでいた。
疑心という名の、呪いを。
目の前の、銀髪の少女のことを彼女は何も知らない。
リンボや、アサシンの様な手合いでない保証は何処にもない。
故に、疑わしきは罰するべきなのだ。
あの、1962年のマサチューセッツ、セイレム村で起きた事件の様に。
そうだ、魔女は括ってしまえばいい。
フォーリナーの、纏う雰囲気が変貌を遂げる。

「……ぁ、う……っ!」

────怖い。
─────怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い………っ!
いくら、身に纏う雰囲気と物腰が浮世離れしていると言っても。
幽谷霧子は特別で、そして普通の少女だった。
当然の事ながら、恐怖は確かにそこにあった。
雛鳥を庇う親鳥の様に立ち塞がるサーヴァントの少女。
その少女の雰囲気が変わったとたん、背筋に氷水を流されたような悪寒が奔った。
部屋のドアノブに触れたときの比では無い。
身体の震えが止まらない。心臓の音が、耳障りなほどに耳朶を打つ。
これは、無理だ。自分の手には余る。今すぐこの場を去りたい。
生物として備えている本能的な危機感から来る、当然の解だった。
そして、霧子が瞳を、フォーリナーの少女から背けようとしたその時だった。

「………ぅ」

フォーリナーの少女の背後で、彼女のマスターと見られる少女が。
苦し気に、うめき声を上げた。
フォーリナーの少女は此方に意識を集中させているのか、気づいてはいない。
それ故に。
少女の苦しみを正確に気づけているのは、自分だけだと。
霧子の優秀な頭脳は、それを確信として悟った。



「………大丈夫、だよ………」

今、私が目を逸らしてしまったら。

(誰が……この子たちを助けられるの……?)


───正道を歩む奴は、胸を張って、面を上げて歩かなきゃいけねェ。

ああ、きっと。
おでんさんの言葉は、こういう時の為にあったのだろう。
己を鼓舞する為だけではなく。
救うべき人から、瞳を逸らさないために。

「……来ないでッ!!」

マスターと、サーヴァント。
その力の差は明白だ。
霧子が例え百人いた所で、アビゲイル一人を害せるはずもないのに。
だけれど、怯えたような瞳をしていたのはアビゲイルの方だった。
対する霧子の体は、既に震えてはいなかった。
そのままゆっくりと。
両手を翼の様に広げて、前へと進み出る。
そして、もう止まりはしない。
アビゲイルの両手が、反射的に跳ねあがる。

「やめて……お願い……それ以上…近づかないで……
それ以上近づくなら、もう………」

憂いと躊躇を含んだ声で警告するものの。
何処か冷静な自分がいることを彼女は感じていた。
アビゲイルがこのまま両手を指向し、悪い子として振舞えば。
霧子の体は容易に触手に粉砕されるだろう。
───なってしまえば良いじゃない。マスターを守るためだもの。
───マスターを喪ってまで、貴女は善い子でいたいの?
そんな声が、脳裏で木霊する。

(そう、そうよ……優しい私のマスターを守るためなら……私は……!)

そうだ、素敵なマスターを守るためなら。
私は悪い子として。降臨者の巫女として───
そんな祈りを胸に。歩いてくる少女に視線を戻す。
それ以上近づくのなら、本当に容赦はしない…!

「……っ!?」

それでも。
少女の足は止まらない。
一歩一歩、静かに、しかし巡礼者の様に確かな足取りで。
鳥子と、アビゲイルの元へと歩む。

───来ないでって、言ってるのに!


叫ぶような声と共に。
遂に霧子の元へ触手が殺到する。
それでも彼女の瞳は、真っすぐに。
鳥子と、アビゲイルを見据えていた。
既に、霧子にとって。
救うべき対象は鳥子のみに留まらなかった。
心では、哀しい、怖いと思っているに。
大切な人のために、悪い子になろうと苦悩している少女にも。
手を差し伸べたかったから。
払いのけられても構わない。それでも。
手を伸ばさない方が、彼女にとっては嫌だった。


「私は……貴女も……貴女のマスターさんも……傷つけたりしないから……」




例え放たれたものが何であろうとも。
瞳を逸らす事だけはしない。
…もし。
彼女から放たれたものが憎悪であるならば。
目を見開いて受け入れよう……!
けれど、もし。
それ以外のものであったならば────




「お願い……」




「私のマスターを…助けて……」




「うん……大丈夫……心配しないで……」



微笑みを以て受け入れよう。
────深淵すら照らす、日輪のように。


【文京区(豊島区の区境付近)・ホテル/二日目・未明】


幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、動揺
[令呪]:残り二画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書、携帯(破損)
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人と、まだ生きている人と、『生きたい人』の願いに向き合いながら、生き残る。
1:大丈夫、心配しないで……
2:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
3:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
4:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
5:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:健康、生き恥
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:不明
0:呪いは解けず。されと月の翳りは今はない。
1:私は、お前達が嫌いだ……。
2:どんな形であれこの聖杯戦争が終幕する時、縁壱と剣を交わす。
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。

光月おでん@ONE PIECE】
[状態]:全身滅多斬り、出血多量(いずれも回復中)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:二刀『天羽々斬』『閻魔』(いずれも布で包んで隠している)
[所持金]:数万円程度(手伝いや日雇いを繰り返してそれなりに稼いでいる)
[思考・状況]
基本方針:界聖杯―――その全貌、見極めさせてもらう。
0:……やるじゃねェか。大したモンだぜ。
1:他の主従と接触し、その在り方を確かめたい。戦う意思を持つ相手ならば応じる。
2:界聖杯へと辿り着く術を探す。が――
3:カイドウを討つ。それがおれの現界の意味と確信した。
4:ヤマトの世界は認められない。次に会ったら決着を着ける
5:何なんだあのセイバー(武蔵)! とんでもねェ女だな!!
6:あの変態野郎(クロサワ)は今度会った時にぶちのめしてやる!
7:あさひ坊のことが心配。頃合を見て戻りたい
[備考]
古手梨花&セイバー(宮本武蔵)の主従から、ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の計画について軽く聞きました。
※「青い龍の目撃情報」からカイドウの存在を直感しました。
※アヴェンジャー(デッドプール)の電話番号を知りました。
※廃屋に神戸あさひに向けた書き置きを残してきました。
※全集中の呼吸を習得してました。

【セイバー(継国縁壱)@鬼滅の刃】
[状態]:疲労(小)、全身各所に切り傷や擦過傷(いずれも小程度)
[装備]:日輪刀
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:為すべきことを為す。
0:今はただ、この月の下で兄と共に。
1:光月おでんに従う。
2:他の主従と対峙し、その在り方を見極める。
3:もしもこの直感が錯覚でないのなら。その時は。
4:凄腕の女剣士(宮本武蔵)とも、いずれ相見えるかもしれない。
5:この戦いの弥終に――兄上、貴方の戦いを受けましょう。
[備考]
※鬼、ひいては鬼舞辻無惨の存在を微弱ながら感じています。
気配を辿るようなことは出来ません。現状、単なる直感です。

仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:気絶、体力消耗(大)、顔面と首筋にダメージ(中)、右手首欠損(火傷で止血されてる)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]基本方針:生きて元の世界に帰る。
0:アビゲイルの“真の力”について知る。
1:アルターエゴ・リンボを打倒したい。
2:私のサーヴァントはアビーちゃんだけ。だから…これからもよろしくね?
3:この先信用できる主従が限られるかもしれないし、空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
4:できるだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
5:もしも可能なら、この世界を『調査』したい。できれば空魚もいてほしい。
6:アビーちゃんがこの先どうなったとしても、見捨てることだけはしたくない。
[備考]※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。
※透明な手がサーヴァントにも有効だったことから、“聖杯戦争の神秘”と“裏世界の怪異”は近しいものではないかと推測しました。


【フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:体力消耗(中)、肉体にダメージ(中)、精神疲労(大)、魔力消費(大)、決意
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターを守り、元の世界に帰す
0:マスターのことは、絶対に守る。
1:鳥子に自身のことを話す。
2:アルターエゴ・リンボを打倒したい。
3:マスターにあまり無茶はさせたくない。
4:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。


時系列順


投下順


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107:向月譚・弥終 幽谷霧子 124:What a beautiful world
セイバー(黒死牟
107:向月譚・弥終 光月おでん 124:What a beautiful world
セイバー(継国縁壱
110:吉良吉影は動かない 仁科鳥子 124:What a beautiful world
フォーリナー(アビゲイル・ウィリアムズ

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最終更新:2022年08月13日 16:57