八王寺安森

八王寺安森(やおうじやすもり)〈1955.2ー2049.8〉は、日本の政治家。自由党]][[

経歴

1955年2月、静岡県静岡市出身。1977年3月駿河大学法学部政治学科卒。1977年4月あさひ銀行入行。横浜営業部配属。1978年10月に浜松営業部、1979年10月に福島営業部。1981年4月、あさひ銀行を退社して慶応義塾大学大学院政治学研究科修士課程へ入学。1983年3月に修士課程が修了して政治学修士を取得することになる。大学院在学中、自由党へ入党。自由党関東地方連合で地域運動に参加。大学院修了後に、あさひ銀行出身者で活躍していた参議院議員旭谷清(自由党メディア局委員)の公設秘書を務めることになる。1988年4月、横浜大学政治経済融合学問研究センター研究員(有期3年)へ着任。一時期、自由党を離党することとなる。1991年4月に自由党職員として、メディア局のメディア宣伝戦略を担当、千葉県連の事務職員としても務める。

政界進出

1992年12月、千葉市議会議員選挙へ自由党推薦の無所属候補として出馬。37歳で初当選を飾る。1993年8月に自由党千葉県連政策審議会副会長に就任。千葉市議を二期務めた後、千葉県議に転身。千葉県議在職中の2003年、自由党空白区であった千葉3区の選挙区支部長公募に立候補。選挙区を地盤とする現職県議3名の争いを勝ち抜いて、「自由党千葉県連衆議院千葉3区支部長」に就任する。ちなみに、この時期に千葉県連幹事長を務めていたのが恩師である旭谷清(元参議院議員)の跡を継いでいた、守谷勝男(元弁護士医師)であった。

国政朝鮮

2004年8月8日に投開票を迎えた、第33回衆議院総選挙において千葉3区から立候補するものの、連続当選3回を誇る社会党杉本拓に敗れて落選、比例復活も叶わなかった。浪人生活も短く、2006年7月30日に投開票を迎える第34回衆議院総選挙において、再び千葉3区から立候補。社会党の杉本拓に再び敗れるが、肉薄したため惜敗率で比例復活を果たし51歳にして関東比例区全体20位で当選することになる。当選後、自由党政策審議会の安全保障部会長代理に就任。2006年11月に山川内閣首相補佐官(財政・国際金融政策)に就任。その後、山川改造内閣山川再改造内閣において、大蔵副大臣に就任。国際金融政策等を所管することになる。

選挙浪人

自由党に逆風が吹く中、第35回衆議院総選挙に突入。千葉3区からの出馬、杉本拓に再び敗れて比例復活も叶わないまま議席を失った。落選後、「千葉県連千葉3区支部長」在任のまま、千葉県民主青年会議所理事長に就任。第36回衆議院総選挙でも当選を果たせず、自由党本部の若返り方針によって支部長解任となる。

進歩党への参加

支部長解任後、自由党を離党して、政治家になるための道を探していた。その最中、自由党進歩党の元参議院議員であった守谷勝男から誘われる形で、「進歩党」へ参加。2013年6月の進歩党幹事会で「進歩党参議院南東北選挙区支部総支部長」に選出される。選出に合わせて、福島県に転居する。

参院選への出馬

2014年6月8日投開票の第23回参議院通常選挙に、南東北選挙区進歩党から出馬。参院選初めての出馬となったが、選挙戦では6位となり、次点で当選を逃す。しかし、2014年10月、自由党から当選していた秋葉悟が、第18回地方統一選挙による地元宮城県仙台市市長選挙出馬を表明したたため、参議院議員を辞職。繰り上げ当選という形で、2014年12月に初登院を果たす。

選挙歴

選挙 開票日 年齢 選挙区 政党 定数 順位
千葉市議会議員選挙 1992.12.6 37 千葉市北区選挙区 自由党推薦 6 3/11
千葉市議会議員選挙 1996.12.8 41 千葉市北区選挙区 自由党公認 6 2/7
千葉県議会議員選挙 2000.12.3 45 千葉市北区選挙区 自由党公認 3 3/6
第33回衆議院総選挙 2004.8.8 49 千葉3区 自由党 1 2/3
比復 第34回衆議院総選挙 2006.7.30 51 千葉3区(関東比例区) 自由党 1 2/3
第35回衆議院総選挙 2009.5.10 54 千葉3区 自由党 1 2/4
最終更新:2025年09月10日 11:24