大森和敏(おおもりかずとし)〈1908.8-2003.8〉は、日本の実業家、研究者。
北海道文化放送代表取締役社長などを歴任した。
来歴
1908年8月、
東京都出身。
東京大学理学部物理学科を卒業後、
朝鮮逓信開発株式会社へ入社。電波技術の研究開発に務め、戦前から戦中にかけての外地研究をリードした。1945年に釜山工場の実験室が延焼したため本土に渡り、
福岡県久留米市に仮で建設した実験室で研究に従事。
戦後には、研究土壌を母校の
東京大学に移し、テレビ電波研究に従事。1950年の「
日米国際テレビ送受信計画」でも日本側研究員として実験に参加。
1952年に免許が交付された
日本テレビ放送網に移って電波事業を担当。入社以降、電波分野だけではなく、国内の企業広告塔としてのテレビの価値を見出し、CM事業への参入を最前線で推し進めた。その後、1964年の「
東京五輪」において折衝業務を一手に担い受け、1965年には常務取締役に就任。1969年に
北海道文化放送から招聘を受けて取締役副社長に就任。1970年4月、
ハンナン財団が筆頭株主になった際、現任の取締役が全員一時解任されたのち、経営刷新を目指して
大泊新晃に次ぐ代表取締役社長に就任、1977年に社長業を退任して
ハンナン財団理事に選任される。後任の社長には、
海野啓史が就任する。
経歴
1931 |
3 |
東京大学理学部物理学科卒業 |
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4 |
朝鮮逓信開発株式会社入社 |
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電波研究部釜山工場実験室・研究員 |
1941 |
4 |
電波研究部課長・釜山工場実験室 |
1944 |
4 |
電波研究部次長・釜山工場実験室長 |
1945 |
2 |
電波研究部次長・久留米工場実験室長 |
1945 |
12 |
退社 |
1946 |
3 |
東京大学入職 |
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東京大学理学部研究助手(電波物理学教室) |
1947 |
4 |
東京大学理学部講師(電波物理学教室) |
1950 |
4 |
(兼職)東京大学電波工学研究所物理学分野研究員 |
1951 |
10 |
東京大学電波工学研究所客員准教授(電波物理学研究室) |
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12 |
退職 |
1952 |
1 |
日本テレビ放送網入社 |
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電波本部研究部長・産学渉外室長 |
1955 |
4 |
電波本部 海外在勤 |
1957 |
4 |
電波本部電波部長 |
1957 |
10 |
編成局CM事業部長・総務局業務企画部長 |
1961 |
4 |
編成局CM事業部長・営業本部長代理・広告宣伝事業室長 |
1963 |
4 |
役員待遇・営業本部長代理・東京五輪特別室長 |
1964 |
11 |
取締役・営業本部長・新業態開発室長 |
1965 |
10 |
常務取締役・業態開発担当・営業担当・営業本部長 |
1968 |
4 |
常務取締役・無任所包括担当 |
1969 |
4 |
北海道文化放送招聘 |
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取締役副社長・編成統括担当・営業担当・営業本部長 |
1970 |
4 |
代表取締役社長 |
1977 |
3 |
退社 |
役職歴
最終更新:2025年04月16日 10:19