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深谷鉄平
深谷鉄平(ふかたにてっぺい、1935年12月-2013年9月)
は、日本の政治家、
総務官僚
。
来歴
1935年12月、
埼玉県
出身。
埼玉県立越谷高等学校
を経て、
武蔵大学
経営学部
経営情報学科を卒業。1958年4月、
国家公務員試験
を経て、
総務省
へ入省。
総務省
・
法務庁
訟務局
での法律事務、
中日本法務局
、
南西日本法務局
での勤務を経験した後、
福岡高等検察庁
事務局記録課長に就任。1981年6月から
法務庁
へ移籍。その後、
法務行政部
総務課長を最後に退官。
司法書士
・政界進出
1983年の
司法書士国家試験
に合格。
西田あさひ法律事務所
パートナー司法書士として勤務。1987年1月から独立して個人事務所を開所。
日本司法書士連合会
埼玉支部理事を歴任。
1988年5月、
自由党
埼玉県連
の公募に応募。
文部政務次官
などを歴任した
中山信吾
の後任として、「衆議院埼玉4区支部長」に選ばれる。
第28回衆議院総選挙
(1989年10月29日)で
自由党
公認候補として初当選。当選後、
雄伯会
に入会。
報道局
委員を務める。1991年から、司法部会長代理、司法部会長代行代理(2期)を歴任。
法務族
司法部会での活躍から、法務族の名物議員として国会論戦などで活躍。国会でも、
衆院法務委員会
で与党筆頭理事、委員長などを歴任。派閥においては、1994年に
室堂卓二
が新会長に就任すると会長補佐として「雄伯会中堅3人衆」の1名になる。1996年12月、
第4次船中内閣
の
内閣官房副長官
に就任。1998年12月には、
室堂内閣(第1次改造)
で、
特命担当大臣(法務)
兼
特命担当大臣(領土問題)
兼
特命担当大臣(人権)
として初入閣。しかし、1999年5月に
週刊朝日
がリークした「政治資金不正会計問題」で公職選挙法違反の可能性が出てきたため、法務の所管大臣として不適格であるという野党からの追及を受け、翌月の
改造
では留任を果たせず。当時務めていた
埼玉県連会長
も7月中に辞職。
自由党政倫委員会
からの勧告を受けることになったため
議員辞職
。
再起と凋落
議員辞職後、
自由党
を離党して無所属で政治活動を続ける。
第32回衆議院総選挙
(2000年10月1日)では、無所属ながら
日本司法書士政治連盟
からのバックアップを受けて復活当選。当選後2か月の期間を経て、
自由党
に復帰する。2001年には、
雄伯会
への復帰を許されて派閥へ復帰。2002年6月に組閣された
第2次山口内閣(第2次改造)
では、
特命担当大臣(領土問題)
兼
特命担当大臣(国土強靭化・総合開発)
兼
特命担当大臣(消費者問題)
兼
特命担当大臣(国土緑化戦略)
として再入閣。しかし、入閣直後に自身の選挙区に関わりのある
越谷市
の市議が選挙買収の可能性があると報じられた。2002年10月には、
政治資金規正法
違反の容疑で
日本司法書士政治連盟
事務局を家宅捜索される。
東京高等検察庁
は、書士連の家宅捜索から、「深谷事務所越谷支部」を家宅捜索。2003年1月には、秘書の
岩津啓介
が公選法違反容疑で拘留される。同年3月、
山口厚
(
内閣総理大臣
)から内々に辞職するような打診を受け、同月中に閣僚を辞職。後任には、
藤生光史
が入閣する。その後すぐに
議員辞職
。
末世
議員辞職後、選挙区の後任は、公募で集められることになり、政界引退。
経歴
1935年12月__
埼玉県
・出身
1954年3月__
埼玉県立越谷高等学校
・卒
1957年12月__
国家公務員試験
・合格
1958年3月__
武蔵大学
経営学部
経営情報学科・卒
1958年4月__
総務省
入省・
訟務局
租税訴訟課
1960年4月__
中日本法務局
民事部国籍課
1962年10月__中日本法務局民事部供託課
1963年4月__中日本法務局民事部供託課・主務
1964年10月__
長野支局
国籍課・課長補佐
1965年10月__長野支局国籍課長
1967年4月__長野支局総務課長
1969年4月__
鹿児島支局
総務課長
1972年4月__
南西日本法務局
総務部職員課・課長補佐
1973年10月__南西日本法務局総務部職員課長
1975年4月__
宮崎支局
延岡出張所・次長
1977年4月__宮崎支局総務課長
1979年4月__
福岡高等検察庁
事務局記録課長
1981年6月__
法務庁
移籍・
宮崎地方検察庁
事務局職員課長
1982年4月__
法務行政部
総務課長
1983年3月__退官
1983年10月__
司法書士国家試験
・合格
1984年1月__
西田あさひ法律事務所
パートナー司法書士
1987年1月__個人事務所・開所
1987年6月__
日本司法書士連合会
埼玉支部・理事(-1988.6)
1988年10月__
自由党
埼玉県連
衆議院埼玉4区支部長
1989年10月__
第28回衆議院総選挙
で自由党公認として
埼玉4区
から初当選
1989年11月__
党報道局
委員
1991年1月__
党司法部会
・部会長代理
1991年8月__党司法部会・部会長代行代理(-1992.12)
1993年8月__
衆院法務委員会
・与党筆頭理事
1994年10月__
雄伯会
・会長補佐(-2001.5)
1994年12月__
衆院法務委員長
1995年6月__
党埼玉県連
会長(-1999.7)
1996年12月__
内閣官房副長官
事務(
第4次船中内閣
)
1998年12月__
特命担当大臣
(
法務
、
領土問題
、
人権
)(
室堂内閣(第1次改造)
)
1999年9月__
議員辞職
2000年10月__
第32回衆議院総選挙
で無所属として埼玉4区から5選目
2001年1月__
自由党
・復党
2001年6月__
雄伯会
・復帰
2002年6月__
特命担当大臣
(
領土問題
、
国土強靭化・総合開発
、
消費者問題
、
国土緑化戦略
)(
第2次山口内閣(第2次改造)
)
2003年3月__
議員辞職
タグ:
総務官僚
法務官僚
埼玉県
武蔵大学
衆議院議員
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最終更新:2025年09月10日 11:17