笠傘史(りゅうかさふみ)〈1930年11月ー2002年7月〉は、日本の活動家、実業家。
来歴
活動家・活動員
ホテルマン
1969年、
センチュリーホテルへ入社。同社は、
全国学生連合の出身者を多く受け入れる、企業として著名であった。鹿児島センチュリーホテル、岐阜駅前センチュリーホテルでの客室係勤務を経て、本社営業部を経験。
東京ベイシティ関連事業室を経て、ホテル開発部営繕企画課長、本社営業部長付、仙台センチュリーホテル営業担当副支配人、札幌営業部長兼札幌ホテル開発室長、
静岡センチュリーホテル副支配人を歴任。1982年から同ホテル支配人に就任。
日本労働組合協議会の正加盟団体の1つである、
日本観光業従事者同盟に専従活動家として参加。
センチュリーホテルは、日観同の有力な支持を表明していた。1990年3月、日観同副会長・交渉本部長に就任。1993年4月から、
センチュリーホテル社外取締役を労使交渉を担当するために兼任。1995年4月、日観同を離れて、
岐阜県高山市で、陶芸家の道に進む。1998年の
勤労者同盟全国美術展において、自身の陶芸作品80点を発表した。2002年、土の配達に訪れた宅配便の運転手によって、死亡している姿が発見された。
最終更新:2025年10月09日 18:44