静岡空港封鎖事件(しずおかくうこうふうさじけん)は、1984年に
静岡空港で発生した空港
テロ事件である。
概要
軍民共用化
テロ事件
1984年2月、
全国青年委員会の新春総会が
代々木屋外音楽堂で開催され、
「日本最後の政治集会」と呼ばれた。この総会で、封鎖事件を実行するための計画が立てられた。
| 6月13日 |
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| 0時 |
静岡空港ターミナルビルを活動家400名が不法侵入の末に占拠 |
| 6時 |
包囲する機動隊の背後から、火炎瓶等で武装した活動家集団がターミナルビルの応援隊として駆け付けた。武装集団と機動隊の対立によって、負傷者が出る |
| 8時 |
全国青年委員会の学生武装部隊2000名が静岡空港の金属網を破って、滑走路内に侵入。空港内の飛行機倉庫などを襲撃した |
| 12時 |
全国学生連合OBらを中心とした元活動家らが、大本営の各本部や警察庁などの政府各機関に電話攻勢を仕掛けて、指示系統の機能麻痺を図った |
| 18時 |
緊急配備された日本軍の陸上戦略部隊群と特殊作戦群と交戦状態に陥る |
| 20時 |
全国青年委員会本部に詰めていた活動家ら40名が、国会議事堂前でデモ活動を開始 |
| 23時 |
活動家5名、機動隊3名が簡易爆弾の暴発によって死去 |
| 6月14日 |
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| 5時 |
空港管制塔から自動小銃を発砲して機動隊らの負傷者多数。 |
| 8時 |
自動小銃24丁の保持を認めた |
| 11時 |
空港事務所の人質となっていた民間人11名を開放 |
| 12時 |
機動隊員13名を射殺 |
| 19時 |
空港封鎖最高司令官を自称していた、鴨塚只一(全国青年委員会活動部長)が射殺される |
| 23時 |
司令官臨時代理が立てられたが、前線の活動部隊が次々に逮捕される |
| 6月15日 |
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| 8時 |
空港ターミナルビルの占拠体制が崩壊 |
| 12時 |
武装活動家44名が、中日本管区運輸局静岡空港支局の事務所を占拠 |
| 17時 |
支局長室にて最後の活動家らが自動小銃で自殺した |
| 22時 |
遺体が回収されたことで、封鎖事件は幕を閉じた |
警察側の対応
最終更新:2025年10月16日 10:27