来歴
東京大学
- 1881年の年初に帰国を果たし、19歳で湯島大学校算用方講究官の地位を得る。1885年より助教へ昇任。
- 1888年に東京大学が開学すると、経済学部助教授に転籍、1897年から教授として教鞭をとる。1908年6月・4代目経済学部長。1910年10月・6代目総長。
- 一貫して、古典経済学を研究専攻とし、ヨーロッパ系経済学を日本に伝えた第1人者である。その研究姿勢は、同世代の学者をして目を見張るものがあり、国費留学生としての海外経験、学者としての国際学識の広さは高く評価された。世界経済学会会員(アジア人初)、日本ヨーロッパ学会初代会長などの国際的立場を常にとっていた。
- 1903年の日本経済学会設立に際しては、国際経験を買われる形で貢献を果たす。1905年には、東京大学経済学部からの3名中の1人として、帝国学士院第1期会員に選任される(以降第2期まで務める)。
官職・役職経験
1910年3月より
内務庁・
地方行政審議会初代会長、1914年には
早稲田大学2代目総長を務める。1917年の末には、自身の健康問題によって役職を退く。その後、しばらく健在であったが、翌年5月に逝去する。
逝去すると、自身が設立代表などを務めた
東京大学経済フォーラムの最優秀学生に贈られる賞が、自身の名を冠した
「片桐熙時賞」として1920年に設定された。
最終更新:2025年10月11日 18:42