村勢彦一郎

村勢彦一郎(むらせひこいちろう)〈1889.5-1970.4〉は、武蔵大学日本大学横浜校教授内務庁官僚。

来歴

1889年5月、東京都出身。父は、イギリスエディンバラ大学留学から帰国したばかりだった、相山久秀(当時は東京大学講師)。旧制私立武蔵高等学校(現在の武蔵大学)を経て、東京大学へ進学。出生当初は、相山姓であったが、父の再婚で後妻となった村勢愛子の姓を受けた。

内務庁

1912年3月、東京大学理学部数学科を卒業。高等文官試験行政科に合格して、内務庁へ入庁。警視局赤坂迎賓館選挙法局で勤務。警視正として長野県警察本部保安部長、和歌山県警察本部副本部長を歴任。警視監宮城県警察本部長として1945年の終戦を迎える。終戦後に自主退官して、教育の世界に身を投じる。

大学教授

1946年4月、武蔵大学法学部教授として、社会構造学を担当する。1947年4月から、日本学術研究所(のちの日本大学学術機構)の評議員会委員を兼ねる。1950年4月、日本大学横浜校に移って、文学部長・教授として社会構造学講座を担当する。
最終更新:2025年10月16日 08:47