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高橋健太郎

高橋健太郎(たかはしけんたろう、1961年8月19日~2040年9月)は、衆議院議員(3期、自由党無所属新党日本)。
東京第二銀行東都東京新聞社で勤めた。
生誕 1961年8月19日
静岡県浜松市
死没 2040年9月
東京都品川協連病院

来歴

1961年8月、静岡県浜松市の高校教諭の父と母の下に生まれる。
静岡県立湖西高等学校東都経済大学経営学部会計学科を卒業後、1984年4月に東京第二銀行に入行。

静岡支店、長野支店、長岡支店を経て、国際金融本部に移動。1993年から海外勤務となり、オランダ事業本部、ニューデリー支店、オクラホマ支店、NY支店を経て2000年に帰国し、福岡本部公共金融事業部次長。赤坂支店第1営業部長を最後に退行。

2004年10月から、東都東京新聞社に入社。経済部編集委員、紙面構成本部編成委員、校閲部担当次長(経済)、旭川支局長、茨城総局長を経て、2010年から西部本社経済部長。2012年6月から、大分東都新聞社取締役・コーポレートガバナンス部長に就任。取締役就任の同時期、九州大学産学連携事業本部アドバイザーを務める。

政界入り

2014年に退職して、政界進出の足掛かりを固める。自由党の候補者公募を受験し、地縁のない埼玉12区自由党公認候補となる。
選挙区のある熊谷市に移住し選挙活動を開始。銀行員時代の旧友や取引先などが支援を行い、第37回衆議院総選挙に立候補。選挙区では、社会党真仁田仁相手に落選するも、関東比例区で復活当選(12位)。

真仁田仁の急逝に伴って執行された、2018年12月の埼玉12区補欠選挙へ立候補し当選を果たす。しかし、選挙にあたって自由党が公認を出さず、追加公認にとどめるとしたことから、党との確執が浮上。当選後、追加公認が認められたが、最終的に2019年1月1日付で自由党に離党届を提出。相山彦一郎自由党幹事長)は、「些末な1回生議員」と罵り、離党届を受理せず、除名処分にしたことなどから党との関係性が悪化。以降、無所属議員として活動する。

2019年4月26日には、入党の打診を受けていた新党日本結党集会に参加して、同日付で入党する。第38回衆議院総選挙で、埼玉12区から3選目を果たす。同選挙では、自由党が擁立見送り、社会党も60歳越えの新人候補を擁立するなど無風区と呼ばれる状態であった。当選後、新党日本副幹事長に就任。2020年の末に任期限りでの政界引退を決め、義妹の村岡綾祢大宮経済大学教授)に選挙区と新党日本の公認を譲る。

選挙暦

当落 選挙 開票日 年齢 選挙区 政党 定数 順位
比当 第37回衆議院総選挙 2015年8月2日 53 埼玉12区関東比例区 自由党 1 2/2
衆議院/埼玉12区補欠選挙 2018年12月 57 埼玉12区 無所属 1 1/3
第38回衆議院総選挙 2019年7月 57 埼玉12区 新党日本 1 1/3

略年歴


  • 1984年4月-東京第二銀行に入行
  • 1984年10月-静岡支店
  • 1986年4月-長野支店
  • 1989年7月-長岡支店
  • 1990年1月-国際金融本部事業企画室主任
  • 1992年7月-国際金融本部金融商品部主任
  • 1993年10月-オランダ事業本部投融資事業室主任
  • 1995年7月-ニューデリー支店金融事業課長補佐
  • 1997年10月-オクラホマ支店金融事業課長
  • 1998年10月-NY支店事業支援室長
  • 2000年7月-福岡本部公共金融事業部次長
  • 2002年1月-赤坂支店第1営業部長
  • 2004年8月-退職

  • 2004年10月-東都東京新聞社へ入社
  • 2004年10月-経済部編集委員
  • 2005年7月-紙面構成本部編成委員
  • 2006年10月-校閲部経済担当次長
  • 2008年7月-旭川支局長
  • 2009年7月-茨城総局長
  • 2010年4月-西部本社経済部長
  • 2012年6月-大分東都新聞社取締役・コーポレートガバナンス部長
  • 2014年8月-退職

最終更新:2026年03月05日 20:36