深山宮院露人(みやまいんろじん、1878年4月19日~1961年9月)は、文筆家、芸術家、作家、劇作家、料理家、美食家。日本を代表する文化人の1人で、政財界や文化界のお歴々とも近しい大人物である。戦後日本における政界のフィクサーの1人とされる。
来歴
1878年4月19日、
京都府京都市に生まれる。1600年代に宮号を下賜された
宮家の1つである
深山宮家の本流の生まれとなる。
著作家として
1924年、学館社に籍を置きながら、作家
深松大門の個人的秘書として、著作活動をサポートする傍ら、執筆活動を進める。1925年に学館社を退職すると、
奈良県生駒市の山中に小さな家を買い、週の半分をそこで過ごして執筆に充てる。1927年に、処女作「松の木陰」を発表し、文壇の一員となる。1928年から家族で
奈良県に移住し、著作家として独立。1930年から「
文芸誌・霧の句」の連載作家となり、1932年の廃刊までの2年間連載した。この連載作品は、1935年に「
望月の夜声」として世に送り出され、同年に
伊原文学賞を受賞した。
1934年に、奈良県で料亭を営んでいた五味逸郎の指南を受けて食文化研究を始め、その弟子である
大原育太郎を料理長とする会員制食堂の「
深山荘」を開業し、戦時中における料亭政治を支える存在となる。
1945年に終戦を迎えると、
学館社社長であった
前田哲郎(前
衆議院議員)から乞われて上京する。学館社ビルの1階に個人事務所「
深山宮院事務所」を構えた。また、学館社取締役に就任する。
料理家として
木村庵の上客として訪問した
学校法人東邦グループ理事長の
奥村久人の要望で、1953年に法人会長に就任する。しばらくしたのち、1959年から名誉会長に就任した。
人物
好角家
将棋
日本将棋協会が1918年に設立した際のメインスポンサーだった
学館社で、当時部長の地域あった露人は、
最終更新:2026年04月02日 23:07