大古書『亜神目録』に以下の名有り。
<いかれ
エルフ>グビナシオン。
種子の身にありながらにしてその意義を忘れ、繁殖を拒み、享楽を拒み、神意を拒む。
彼方へと追放され、悠久の旅路の果て、今はその名のみを残す。
その姿は男でも女でもなく、子でも老いてもいない。
エリスタリア国歴外典に以下の記述あり。
かつて世に
世界樹に背き禁断の種子を産みし廃賢者ジョク・ウーフあり。
若きエルフをたばかりて、男女あわせて数十人を引き連れて、フーダル・ラ・アークの船を出し、
遥か西域の果ての空中庭園にあるという、永遠の命を授ける翠玉宮を目指したのだと。
世界樹大いに憤慨し、天を隔てて海を荒らし山を崩して、西域全てを封じたのだと。
二度とエリスタリアの地を踏めぬように。
薄暗い治癒小屋の中に、一人の老いさらばえた男が寝かされていた。
火精霊が精霊灯を駆け巡り、部屋をぼんやりと照らし出す。
男は自らの死期を悟っていた。おそらく今夜なのだろう。
部屋の隅に黒い塊が見える。
非科学的かつ非論理的な考えだが、おそらくそれは死神なのだ。
男はかつて、地球の日本という国で研究室に入り浸る毎日を送っていた。
来る日も来る日もカビ臭い本の山で出来た彼の要塞に篭り、研究という日常に埋没していた。
人付き合いは苦手だった。妻を娶る事なく研究に励んだ。
趣味らしき趣味も持たなかった。研究こそが彼の楽しみだった。
いつしか何の為に研究しているのかも忘れた。研究こそが彼の人生だった。
永遠に続くはずだった。
だが、世は無情にも、彼の無敵の要塞を一瞬にして粉砕してしまった。
1991年。
ゲート開門。
彼の研究成果は、根底から覆されたのである。
当初こそ「何かの間違い」「現状の理論で説明がつく」と必死に抵抗を試みるも、全ては無駄だった。
マスコミは面白おかしく彼の苦悩を追跡取材し、追い詰められた彼のエキセントリックな様子を放送しては
視聴率合戦に明け暮れたものであったが、東京新都庁完成の頃には皆すっかり興味を失い、話題は綺麗に消え去った。
残されたのは、その醜態ゆえに学会を追われ、自分の世界を失い、苦悩のみを身に抱えた彼だけだった。
彼は地球に絶望し、ゲートを潜って十一門世界へと身を投じた。
1993年の事である。
「あれから20年にもなるのか・・・」
男は消え入るような声で呟いた。
同時に、目線が天井を伝ってベッドの隣に置いた小さな机へと向けられる。
そこに置かれた数冊の本。それこそが彼の異世界での業績である。
十一門世界へと辿りついた彼は、
ミズハミシマを周り、
ラ・ムールを抜け、エリスタリアへと辿りついた。
そこで彼は幾多のエルフや樹人に触れ、奇妙な感覚におそわれる事となった。
おそらくは神、世界樹の影響なのだろう。
何故この国はこうまでシステマティックに組み立てられているのだろう。
世界樹への帰属意識が異常なまでに高く、まるでそのためだけの生命のようだ。
だが、こうも思う。かえりみて我が国も似たようなものではないかと。
だからこそ探したくなったのだ。世界樹に帰属しないエルフというものを。
<いかれエルフ>グビナシオンの名を、エリスタリアの各地で耳にした。
遥か西の国へ旅立ったのだと。
祖国であれば、それは「死出の旅立ち」の婉曲表現であろう。だがここはエリスタリアである。
彼は数十名の物好きなホビットや樹人達を従えて、ついにエリスタリアの西域を越えて『未踏破地域』へと向かったのだ。
1999年の事である。
未踏破地域は地獄であり天国であった。
その過酷な環境は生きるだけで精一杯であり、何人もの若い
ホビットが命を落とした。
反面、見たこともない動植物たちは、男の好奇心や知識欲を十二分に満たし続けた。
壁も無く戸も無く窓も無く本もない環境であったが、そこには彼がかつて持っていた彼の場所があった。
放浪の末、彼はついに目的の地を見つけた。エルフの集落である。
翻訳の加護さえ満足に発揮できずコミュニケーションを取るのは難航したが、
ホビット達の使う古ホビット語を介して彼ら彼女らとの会話に成功した。
それによると、そのエルフらは遥か太古にエリスタリアから旅立ち、ここに定住したのだという。
仲間の一部はさらに先を目指し、そろそろ世界の果てに辿りついたのではないかと。
驚くべき事は他にあった。
そのエルフらの身体的特徴としては、いわゆるウッドエルフに近いのだろうか。
透き通るような白い肌とエメラルドグリーンの体毛、耳は長く男女ともに中性的な顔立ち。
身体は華奢で手足は長く、ウッドエルフのような葉翼はもち得ていないようだ。
一言で表すならば、地球人の大半が思い描くようなエルフだという事だ。
何よりもホビット達を、そして彼を驚かせたのは、彼らの繁殖意欲の低さである。
世界樹のくびきから解かれているのではないか、そんな疑問すら浮かんだのである。
2011年の事である。
「カンアオイ・・・いるかね」
男が治癒小屋の奥へ声をかけると、一人のエルフが姿を見せた。
「お呼びでしょうか」
中性的な顔立ちの、女性のエルフだ。
「やはり今夜で終いのようだよ。
君の婚礼までは生きられなかった。すまないね」
「それは困ります。先生にはもっと長生きしていただかないと。
私もいつか先生の生まれたチキュウに行ってみたいのです。
その時は先生に道案内していただかないと」
男は含み笑いをして、こう答えた。
「君たちの姿や振る舞いを見て、逆に驚いてしまうかもしれないね。
さあて、君を呼んだのは他でもない。
命が燃え尽きる前に、ここでの出来事をまとめてしまいたいのだ。
そら、机の上に白紙のノートが1冊あるだろう。
カンアオイ、君の字でいい。今から言う事を書き連ねて欲しい」
すると、カンアオイを名乗ったエルフは困った表情をした。
「先生、実はいつかは申し上げなければと思っていたのですが・・・
先生のこの研究には致命的な間違いがあるのです」
その言葉を聞いて、男はカァっと頭に血が登った。
かつて自らを貶めたマスコミの言葉に似たものを感じたのだ。
カンアオイは言葉を続けた。
「先生はこの本の中で<いかれエルフ>グビナシオンという言葉を何度も綴っています」
「フン、それがどうした」
「グビナシオンの意味をご存知ないのでしょうか。
先生は随分と印象悪く用いているように思えるのですが」
「古いエルフの名であろうに」
「いいえ。違います。
グビナシオンとはエルフ語・・・先生達が古代エルフ語と呼ぶもので、『枝の先』という意味です。
<征かれエルフ>先遣隊、それが私たちなのです。
世界樹から命を授かり、枝の先を伸ばすために未踏破地域へと乗り出しました。
大賢者ジョク・ウーフ様は天翼船<フーダル・ラ・アーク>を進めながら、この地に種を残しました。
いつか世界の果てに辿り着き、そこでエルフの種を残して、もと来た道をたどりながらエリスタリアへ戻る。
それこそが私たちの使命なのです。旅エルフの使命なのです。
先生、どうかこの事を、先生の本に書き記すお許しを下さいませ」
男は深い溜息をついた。
研究室から抜け出して、旅に生き旅に死ぬものだと思い込んでいたものだが、この世にはもっともっと壮大な旅路があったのか。
自分は、なんと面白い物を見つけてしまったのだ!
「旅エルフは・・・もっとたくさんおるのかね」
男は消え入るような声で呟いた。
「もちろんです。私たちは世界中の果てを目指しました」
男はこくりとうなづいた。
「カンアオイ、どうか君がその本を完成させてくれたまえ。
それと、肝心な事を伝え忘れていたよ」
「それは何でしょうか」
「私の名前だよ。私もまた、グビナシオンだ」
そう言うと、男は静かに息を引き取った。
そのノートがどこに行ったのか、もう誰もわからない。
2013年の事である。
- いかれ→征かれ だと判明した時鳥肌立った。この設定はとても良い。ところでカンアオイって不思議な響きの名前だけど、何か元ネタあったりしますか? -- (名無しさん) 2013-01-03 00:25:07
- エルフは心を持つ可能性も持たない可能性もある広がりのある種族なんだなと -- (とっしー) 2013-01-12 18:32:14
最終更新:2014年08月31日 01:57