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【旅人の村へ】

「アイアンヘンジとはよく言ったもんだなぁ」
日本から飛行機で13時間かけてロンドンへ、そこから列車で1時間半かけてソールスベリーへと移動し、そこからバスに40分ほど揺られてやっと辿りついた先にその場所はある。
イギリスと異世界側国家エリスタリアを繋ぐゲート、通称「アイアンヘンジ」と呼ばれる施設は、イギリスの歴史的な遺跡ストーンヘンジを覆い隠すかのように存在している。
ソールスベリーから専用バスなどの交通機関で進めるのはアイアンヘンジのある丘陵の麓まで、イギリス政府の特別な許可を得た車両や軍用車両などの例外を除いてゲート施設までは徒歩となる。
麓でバスを降りてアイアンヘンジへと向かうために舗装された道を進み、途中3か所のチェックポイントで金属探知機などで入念な持ち物検査などを受ける。
「けっこう歩くな・・・」これが正直な感想、麓のバス駐車場からゲートまでは600mほどなだらかな勾配の道を歩くことになった。
時刻は午後2時、同じように目的地を目指す人々の格好は、軽装で手にはカメラやビデオを手にしているだけの人々と、バックパックを背負ったりスーツケースを押し引きしている人々とかなりはっきりと分けることが出来る。
ただ単にこの世界遺産であり、地球上に11か所しかない特殊な状況下にある場所を直接自分の目で見たいとやってきた人達と、そこを通って別世界へと旅立とうという人達というわけだ。
そして私は背中にバックパックを背負った後者にあたる。
バスで麓の駐車場に着く前から見えていたが丘陵を歩いて近づいていくと改めてその規模の大きさに驚かされる。
沖縄に「象の檻」と呼ばれた米軍の環状アンテナ施設があったが、アイアンヘンジはもっと大規模で物々しい。
周囲は何重もの侵入防止のためのフェンスとバリケードで囲まれ、よく見れば地対空ミサイルの移動プラットフォームらしきものも設置されているのが見える。
警備にあたるのはイギリス陸軍の兵士、その手には自動小銃が握られている。
2001年のゲートを標的としたテロ事件を皮切りに世界中でその後もゲートを標的としたテロは散発的に発生している。
そうしたテロ対策と唐突に出現した地続きの隣国への軍事的警戒からストーンヘンジは鉄の檻の中に閉じ込められてしまった。
「ドルイドの聖地もすっかり軍事施設になってるなぁ」
ストーンヘンジはドルイドの末裔の聖地として古くから信仰されてきた経緯がある。
1991年に異世界への入り口は開いてからは2000年までこの場所はイギリス軍によって厳重に封鎖され彼らの巡礼は長く不可能となってきた。
1992年にはドルイドの末裔達が軍によって封鎖されたストーンヘンジへの巡礼を許可するよう裁判を起こし2000年に和解が成立するまで争っていた。
今でも一部のドルイドの末裔は鉄の砦に覆われてしまった聖地を元の姿に戻すようにとの運動を続けているようだが、それが実現するのはいつになることだろうか。

「向こうには何の目的で行かれますか?」
「旅行です」
パスポートと日本政府発行のゲート通行許可証の内容に目を通しながらアイアンヘンジ出入国係官の事務的な質問にこちらも定型的な言葉で返す。
「結構です。それではこのまま通路を進んで下さい」
異常や不備がないことを確認した係官は、パスポートに出国スタンプを捺印しゲート通行証はカードリーダーに通され後に私に手渡される。
アイアンヘンジの中心にはストーンヘンジを覆うようにドーム状の施設が建設され、その周辺には警備や出入国管理などの施設が併設され、エリスタリアへと向かう人々は一度施設内で待機し順次アナウンスに従って施設の奥へと続く通路を進んでいく。
通路の壁は透明となっていてそこからはアイアンヘンジの中心で発光する霧のようなものが湧きたつ巨石で構成された環状列石遺跡が、内部を照らす照明によってはっきりと浮かび上がって見え、私より先に通路を歩いていった人々が次々にストーンヘンジから湧き出す光る霧の中に姿を消して行くのが見える。
「まるでハリウッド映画の一場面だな」
1991年以降、世界中でこの不可思議な現象やまことしやかに囁かれるようになっていた異世界の存在を題材にして様々な映画が制作され、その中でも特にヒットした映画の場面が私の脳裏に思い起こされる。
施設内でのカメラやビデオでの撮影は厳しく規制され、これに違反すると最悪拘束されることになるため旅の記念にこの光景を撮影したいという衝動を抑え込みながら、そんなハリウッドのいくつかの場面を思い出しつつ歩いていく。

「霧には健康を害するようなものは含まれていませんから安心してください。それから霧の中に入った直後に落下するような感覚を覚えると思いますが、一瞬のことなので驚かないでください」
通路の突き当たりのフロアで私を出迎えた係員がおそらく毎日何度も繰り返しているだろうことを淀みなく私に説明し、私もそれに頷く。
「では良い旅を」
そう言って係員は装着していたヘッドセットで扉を開閉するように指示し、両開きのスライドドアが開き、いよいよ私はアイアンヘンジ中心へと足を踏み入れる。
今や異世界への玄関となったストーヘンジをぐるりと取り囲むように円状の通路が設置され、そこに等間隔で警備の兵士が立っている。
その通路には警備の兵士以外にも私と同じ旅行客らしい人が居り、霧の中へと意を決して飛び込む人、すでに何度か経験があるのか自然な仕草で霧の中へ歩いていく人など
「さて、行くか・・・」
ゲートを通過するのは私だって初めてではない、淡路島のゲートをくぐって何度もミズハミシマへは行っている。
しかし、船に乗ったまま通過する淡路島ゲートとは違い自分の意思でゲートの中へ飛び込むというのは今までに経験がない、そしてその先にあるのはミズハミシマとは全く違う文化と神がいる世界だ。
私は静かに軽く深呼吸をしてそのままストーンヘンジの巨石の間に沸き立つ霧の中へと飛び込んだ。
ミズハミシマへ行った時に何度も感じたストンと穴の中に落ちるような浮遊感、しかしそれもすぐに消える。

「・・・あれ?」
短い意識の断絶から復帰すると視界はまるでピンボケ写真のように不鮮明だった。これはまだ自分という存在がこの世界に馴染んでいないことから起きるラグのようなものだ。そのことを私は知っていたので先の驚きはこのことについでではない
私は拍子抜けというかある意味期待していた出来ごとが無かったことに驚いたのだ。
ミズハミシマへ最初に赴いた時、私は真っ白な空間でまず意識を取り戻して慌てた。
そして、淡路島ゲートの力の源泉となっている龍神の代理人オトヒメと名乗る女性にいくつかの質問を受け、それに応えてミズハミシマへと渡ることを許可された。
その経験はその後何度かミズハミシマへと渡ったがその一度きりで、今回も初回はそうしたことがあるものだとばかり思っていたのだが・・・
少々出鼻を挫かれたような思いをもちつつピンボケな世界で顔を左右に振りながら確認する
「○×△□☆!」
声がする。しかし、何を言ってるかは理解できない。
「・・・こっちか」
私は声がした方向へと歩いていく、やがてぼやけていた視界がパッと開けたかと思った瞬間
「道案内がいる人はいないかい?今なら今夜の宿代はサービスするよ!」
「ユーロでもドルでも良心的換金率で両替するよ!」
「故郷へ帰る前にお土産はどうだい?エルフ特製の薬がなんでもあるよ!」
その途端急速にそれまで何を話しているのか判別出来なかった声がクリアに理解できるようになった、どうやら境界線を越えたようだ。
私は背後を振り返る、そこには朽ち果て内部が巨大な空洞となった大木の切り株があり、その内部には光る霧が湧きあがっている。
「・・・あ、どうも」
さらに辺りを見回しているとこの場所の警備をしているのだろうか、切り株の寝に寄りかかって寝むそうな顔をしているスラリと背は高く顔立ちが整い耳の長い神戸の十津那学園周辺などでたまに見かけることがあったエルフの青年と目が合う。
「・・・・・」
まるで犬や猫でも追い払うようにあっちへ行けとでも言うような手振りが返される、境界を越えたことで言葉は通じているはずなのだが「返事を返すのも億劫だ。そこに突っ立ってないでさっさと向こうへ行け」ということだろう。
「やっぱりこっち側はいろいろ緩いな・・・」
以前にミズハミシマでも感じたことだが厳重に監視し警備している地球側との温度差を如実に感じながら賑やかな声のするほうへと足を向ける。
切り株の周囲は開けた小高い丘のようになっていて、切り株の周りにはいくつかのしっかりした建物と簡易的な露天などが軒を連ねている。
私より先にやってきた旅行者がそうした建物の周りにいる一方、彼らの胸あたりまでの小柄な人影がその間を縫うようにして行きかい彼らに何事か話しかけてはまた別の旅行者に話しかけてを繰り返している。
ホビットは初めて見るな・・・」
成人しても身長は120cm程度、顔立ちは男女ともにやや童顔、足裏には毛が生えており裸足ですばしっこく駆けまわる。
そんなトールキンが作品の中で描いた通りの姿をした、異世界において比較的人類に近い姿をしたエリスタリアにおける有力な種族の一つ
エリスタリア側のゲートはこのホビットの多く住む地域の一角に有り、彼らが実質的に地球からの訪問者の案内人となっている。
「お兄さんお兄さん」
不意に声と共に袖が下から引っ張られる。
「道案内はいらないかい?それから換金はもう済ませたかい?今日の宿は?食事はどうする?こう言っちゃなんだけどエルフの食事は食えたもんじゃないからオススメできないよ?」
ホビットの少年、いや青年か?もしかしたら中年オヤジかもしれない、ホビットを見慣れない私には彼が何歳なのか判断しかねるが、一人のホビットが次々と私に質問をぶつけて来る。
「いや、今さっき着いたばかりでまだ何も。行く場所は決めてるんだけどね」
「そうかい!じゃあまずは換金したほうがいい」
そう言って彼は肩に担いだ鞄を降ろし始める。
「いや、ちょっと待って」
「まぁまぁ、遠慮しなさんな。悪いようにはしないからさ」
私の声も半ば聞き流した素振りで彼は鞄の中から次々と道具を取り出し、その場に並べていく。
「それで?お兄さんの持ってるお金は何だい?ドルかい?ユーロかい?」
私の声も意味なくすっかり道具を並べ終えてしまった彼、これも何かの縁だと諦め、あとでこの後向かう目的の場所の方向くらいは教えてもらう駄賃と思って諦める。
「ドルとユーロ両方ある。どっちのほうが融通してもらえるかな?」
「今はドルが品薄だからそっちのほうが換金率はちょっとマシだね」
異世界との接触が起きて20年以上が過ぎ、10年ちょっと前からは個人でも異世界へ赴くことが許可されるようになり、現在では異世界でもまだ一部に限られるが地球側の貨幣がそのまま利用出来き、また現地での換金ができるようになってきている。
「じゃあドルをとりあえず200ドル分換金で」
そう言って私は彼に100ドル紙幣を2枚手渡す。
「偽札じゃないだろうね?一応確認させてもらってもいい?」
「どうぞ」
地球の判別機でも判別不可能な偽札が出回ったりもしている現在、そうした判別機ももっているように思えない彼らがどうやって紙幣の真贋を判別できるのか?それが出来るのだ。
「グラウ!仕事だぞ!」
彼は誰かにそう言って懐から小さな袋を取り出し、その袋の中から取り出した物を地面に置く。
「・・・なんだ?金か?銀か?」
彼が地面に置いたのは色とりどりの小さな宝石の原石がひと塊になった物、その中から老人の声が聞こえてくる。
「紙のお金だよグラウ、鑑別をしてくれ」
「・・・・知らん!紙の模様なんざ見飽きたわ!たまには金貨か銀貨でも持ってこい!」
不機嫌極まりないという声が響く、どうやら彼は機嫌が悪いようだ。
「おいおい頼むよ・・・・今度たっぷりドニー金貨の鑑別をやらせてやるからさぁ・・・」
「・・・本当だな?」
「あぁ、知り合いが今度ドニー金貨の鑑別をするから手伝ってほしいって言ってきてるんだ、だから頼むよ」
「・・・・わかった」
そう声がした直後、小宝石の塊の上に小さな人影が現れる、小さいながらも立派な髭を蓄えたまるでドワーフのような風貌の老人だ。
初めてその姿を見る人ならば驚きを隠せないだろうが、私は彼のような存在を何度か目にしている。と言ってもその全てが全く違う姿をしていたが、彼の正体は分かっている。彼は土の精霊だ。
異世界に存在する特殊な存在である精霊。中でも土の要素を司る精霊は鉱物の含有量をピタリと判別し、その中には紙幣の真贋まで判別できる能力を持っている者もいる。
精密な判別機械を持たない異世界の人々がどうして貨幣の悪貨良貨を判別できるか、それはこの土の精霊の力によるところが大きい。
「しっかりピンと張って見せろ・・・・フン!本物だ」
彼は心底つまらないと言った口調でそう言い残すと、再びその姿を消す。どうやら地面に置かれた小さな宝石の塊が彼の住処のようだ。
「お墨付きももらえたようだし換金をお願いできるかな?」
「お兄さん驚かないんだね?」
「こっちへは何度か来てるからね」
エリスタリアへは今回が初めてだが同じ異世界に存在するミズハミシマへは何度も足を運んでいるから別にウソではない、そしてこれは彼への「私は右も左もわからない人間ではないぞ?」という穏便なメッセージでもある。
「あまりジャラジャラと嵩張る量は持ち歩きたくないんで細かなものは少なめにしてくれると助かる、それとどこでも使えるやつで」
「わかったよ。じゃあラ・ムール銀貨が7枚で銅貨が10枚ね」
異世界で幅広く交易を行っているラ・ムールの貨幣はエリスタリアでもやはり使い勝手がいいのか、ミズハミシマでもわりと良く見かける貨幣でこれなら地球の貨幣とのレート計算できる。
「じゃあそれでお願いするよ」
頭の中で簡単に計算し、ラ・ムール銀貨7枚に銅貨10枚ならそう悪い換金率では無いだろうとその条件での換金を了承し、合計17枚の楕円形の貨幣を受け取る。
「ところでお兄さんはこれからどうする予定なんだい?」
換金道具を手早く鞄に仕舞いながら彼が私に尋ねてくる。換金の次は案内人か今晩の宿の売り込みのようだ。
「行く場所も泊まる場所も決めてるんだ。ただ、その場所までどう行けばいいのかがわからなくてね、ここからわりと近くだと聞いてるんだけど」
「じゃあ案内してあげようか?その場所ってのはどこ?」
案内も当然有料なのだろうが、右も左もわからない土地勘のない初めての場所で人に尋ね歩きながら向かうよりは、そう高くつくものでもないだろうしついでに案内も頼むことにしよう。
「ユピア村の近くの旅人の村って場所なんだけど、知ってる?」
「ア~~~・・・あそこね・・・・」
彼はすぐに場所が分かったようだがなんとも歯切れの悪い反応を見せる。
「何か問題でもあるのかな?」
「いや、問題は無いんだけど・・・あの匂いが苦手っていうかなぁ・・・」
「匂い?」
「あの場所には何度か行くことがあったんだけどさ、どうも好きになれない匂いがするから苦手なんだよね」
彼がそこまで苦手とする匂いとはどういうものか、私も不快になるものでなければいいがと考えていると。
「場所はここから歩いて1時間くらいの所だよ。これから出発すれば日の高いうちに向こうに着けるけどどうする?」
苦手ではあっても案内を断るほどで無いらしく、彼はどうやら案内してくれるようだ。
「今すぐってのもいいんだけど・・・ちょっと小腹が空いてるんで、何か簡単に食べられる物とか売ってる場所に案内してくれない?」
「ピグニって言う、冷めても美味いパイならあるけど食べる?」
そう言って彼は鞄の中からハスの葉に似た葉でくるんだ包みを取り出して差し出す。客が考えることに次々と対応したサービスを提供する姿勢は中々なものだ。
「それ食べても大丈夫?」
「大丈夫だよ!俺のカーチャンが作ったやつだから」
微妙に私の「衛生的に大丈夫?」というニュアンスと彼の「味は補償する」ということでズレがある気もするがここは気にしないことにしよう。
「それじゃ一つほしいんだけどおいくら?」
「こいつはサービスでいいよ!」
そう言って彼はニッコリ笑って包みを私に差し出す。なるほど、こいつはサービスだから道案内の謝礼は弾んでくれよということか。
「それじゃありがたくいただきます」
私は彼から受け取った包みを開いて中に入った腹の虫をおとなしくさせるには丁度良さそうな大きさのパイにかぶりつく。
「あ、これは美味しい」
「だろ?」
冷めてパイ生地が固くなってるかと思ったがジャガイモでも練り込んであるかのようなモッチリとしていてなかなかに美味い、そして中に入っているのはシンナリと炒められた野菜と白身魚で、味付けは塩と風味付けの香辛料が少々というシンプルな物だが炒められた野菜の甘みと一緒になってなかなかに侮れない。
「うちのカーチャンあそこの露天でこいつを売ってるからまた食べたくなったら買ってくれよ」
そう言って彼は広場の一方を指さす。なるほど小さいながらもちゃんとした露天がある。

行儀が少々悪いが立ったまま彼からもらったパイを食べつつしばし広場の中を観察、場所柄地球からの訪問者が目立つがそれに混ざってホビットやエルフ、そして人間サイズの樹人やホビットよりもさらに小さな影が走り回ってるのが見える
「・・・・あれは?」
「あぁ、チビ共のこと?見るのは初めて?」
「精霊じゃないよね?小さな樹人?」
「まぁ、そんなもんかな?うちでも何株か育ててるよ。頭はあまり良くないけど簡単な仕事くらいは任せられるからね」
彼の説明ではあの小さな者達は「歩きまわる球根」と呼ばれる徘徊性の植物なのだという
複雑な思考は苦手だがそこそこの知能を持ち、自分が生まれた場所に戻って来て夜は眠り、水や栄養を与えてくれる存在に懐くというなんとも地球の常識では考えられない習性をもっている植物なのだとか。
「あいつらは森にいるといろんなのに食べられやすいから、こうして森から出て来てヒトに世話をしてもらうようになったんだってさ」
適者生存、自分達がより生きやすいように共生関係を作りだしたという意味では犬猫に近いのだろうか?
「あそこの露天見える?あそこで土産物用の鉢が売ってるよ。帰りに余裕があったら買ってみてもいいかもね」
彼の説明でふと縁日の屋台で売られているカラーひよこを思い出したのは何故だろう。

「・・・・あ」
広場を観察しながらパイを食べ切り、口に残った食べカスをミネラルウォーターで流し込もうと考えて、ようやく自分が飲み物を持っていないことを思い出す。
アイアンヘンジの荷物検査で液体の入ったペットボトルはテロ対策で施設内には持ち込めないと言われ、中身を全部飲みほしてペットボトルだけを持ってきたんだった。
「・・・これいるかい?」
そう言って彼は鞄の中からチャプチャプと液体が入っていることを示す水音のする竹筒の水筒のようなものを取り出して私に差し出す。
「これもサービスでいいよ」
そう言って彼はまたニッコリと笑う。なるほどこれは銀貨の一枚くらい謝礼にしないとこちらが不義理な人間のように思えてくる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
彼にお礼を言ってそれを受け取る。受け取ったものはやはり竹筒の水筒のようなもので、栓をキュポンと引き抜いて中の液体を口に含む。
僅かに甘みのある水、もしかしたらこれは竹水のようなものなのかもしれない。

「そろそろ行けそうかい?」
「よし、行こう」
もらった水筒に栓をしてバックパックのボトルポケットに差し込み、再び担ぎ直して私は彼の問いに応える。
彼の観光案内を兼ねた道案内で歩くこと1時間、途中には耕作地が広がり収穫する畑の横で植え付けの準備のために畑を耕す光景など、のどかな風景が続く。
「今は麦の収穫と芋の植え付け時期が重なって一番忙しい時期さ、手の空いた奴は全員畑に出てるし、それでも人手が足りないと森のエルフにも手伝ってもらうくらい大忙しさ」
彼がそう説明してくれる横を収穫した麦を荷台に山と積んだ荷車が象ほどの大きさの樹木で編んだ動物の形の細工のような生物に牽かれて通り過ぎて行く。
樹獣はエリスタリアならではの存在で、動物のように振る舞う植物なのだと言う。
「この丘を越えればもう見えてくるよ」
それからほどなくして小高い丘を登り切ると丘を下った先の森の中にぽっかりと開けた場所があり、そこに大小いくつかの建物が建ち並んでいるのが見える。
「あそこが旅人の村だよ。風向き次第だけど、前に来た時はこの辺りで風が向かい風に変わって匂ってきたんだよなぁ」
彼がそう言った瞬間、それまで緩やかな追い風だった風の向きがまるで彼の言葉に反応したかのように風向きを変える。
「あーーー・・・やっぱりこの匂いだ・・・」
鼻を摘まんで眉根を寄せる彼、どうやら嗅覚は彼らのほうが良いらしく私にはまだ彼の言う苦手な匂いというのが感じられない。
『クスクス・・・・ケラケラ・・・・』
その時丘の草が風で揺れる音とは明らかに違う笑い声が聞こえてくる。
「あいつら、僕が嫌な顔をするのが面白いからいつも俺がここに来ると風向きを変えるのさ」
あいつらとは声の正体、おそらくこの辺りに住む風の精霊のことだろう。彼らは悪戯好きで風向きを変えるくらいは日常茶飯事、酷い時には突風や竜巻を起こして人や集落を天高く飛ばしてしまうようなことさえある。
「ま、これくらいで気が済むならまだ可愛いほうだけどね」
彼もそういうことを知っているようで依然として鼻を摘まみ眉根を寄せたまま私の前を歩いて行く。
丘を下り、村の入り口がはっきりと見えるようになってくるとようやく私の鼻でも風に乗って漂ってきた匂いがわかるようになる。しかしこの匂いは・・・
「この匂い・・・・カレー・・・?」
間違いない。この思わず胃袋が空腹を訴えはじめるこの独特で刺激的なスパイスの香り、それは紛れもなくあのカレーの香りだ。
「鼻がピリピリして嫌なんだよこの匂い・・・お兄さんは平気そうだね?」
「私の故郷だとこの匂いはお腹が空く香りなんだけど・・・・国変わればなんとやらだなぁ」
1時間前にパイでおとなしくさせた私の腹の虫は、このなんとも食欲を刺激する香りに再び目を覚まそうとしているが、私の言葉に信じられないという表情をする彼がおかしくて思わず笑ってしまった。

『ようこそ旅人の村へ、入村手続きとお食事は村長のところへ』
村の入り口には英語や日本語など複数の主要な言語でメッセージが書かれ、メッセージの横には大まかな村の見取り図と村長の家らしい場所に赤い目印が付けられている。
「ここまで来ればあとは大丈夫だろうから、案内はここまででいいよありがとう」
私はそう彼に言うと、パイや水筒のお礼も含めて銀貨を一枚手渡す。
「こんなに!?お兄さん悪いね」
彼は大げさに渡された銀貨を受け取るが、言葉とは反対になんのためらいもなく懐に仕舞いこむ様は最初からそれを狙ってのことだと分かるが別に悪い気分にはならない。
「それじゃ僕はこれで帰るけど、またどこか行く時に案内が必要だったら声をかけてよ、何も無ければ昼間はあの広場に居るからさ」
「うん、それじゃまた何かあったらよろしく」
彼は私にそう言うと踵を返して元来た道を戻ろうとする、しかし数歩歩いてからまたこちらを振り返り
「あ、そうそう、僕の名前はアルテンって言うんだ!お兄さんの名前はなんて言うんだい?」
そういえば彼の名前を今まで聞いていなかったことを改めて理解し、相手が名前を名乗ったのなら自分の名前を言うのも極当たり前のことだろう。
「私の名前は森村祐樹、ユウキでいいよ」
「それじゃユウキ、良い旅を」
「ありがとう」
そして、今度こそ彼は元来た道をスタスタと歩いて帰っていく。

「さて、このカレーの匂いを辿っていけばそこが村長の家ってことでいいのかな?」
彼の背中を見送ってから私は再び村の入り口に向き直って歩き出す。
これからしばらくはこの場所に厄介になるのだから、この村の責任者だろう村長には失礼がないようにしておかなければならないだろう。
「あ、こんなことならあの広場でお土産になるような物を買ってくればよかったかな?」
そんなことを考え一人呟きながら私は村の中から漂ってくるカレーの匂いを頼りに進んで行った。

  • 地球からゲートをくぐって異世界へ。そしてそこから移動して村へ。 道程こそシンプルだが風景から場を作るキャラなど、どれもがこれまでの集大成な出来栄え。 描写が丁寧なのもあるが、分かり易いワードで組み立てられているので“今から十一門”という人にお勧めしたい作品 -- 名無しさん (2013-02-05 22:29:05)
  • 門が開いた世界はそれまで映画だった世界が現実になったという感じなのでしょうね。しかし非現実も日常になれば受け入れてしまうのが人間なのか慣れた一連の流れから感じました。エリスタリア入りしてからカレーまでの丁寧な異世界の描写は思わず瞼の裏に風景が浮かびます -- 名無しさん (2016-01-31 19:24:36)
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最終更新:2016年01月31日 19:24