今日は多少強めの風が吹いているが、それでも飛んでいる。
ドニー・ドニーの主島から南南西へ既に100kmは飛翔しているだろう。
もう少しで目指す島、フチューにたどり着く。
騎乗する飛竜、ワナヴァンの主翼が風を切る音がビョウビョウと激しく鳴っている。
俺は随分とガキの頃からコイツに乗っていたから気づきもしなかったが、
地球の学者連中は「何故ワイバーンが空を飛べるのか」に相当頭を悩ませていたらしい。
何でも、航空力学だの骨格筋のつき方だので飛べるはずが無いのだとか。
ゲートが開いてしばらくは、こうした現代科学の敗北続きだったと親父に聞いた。
結局のところ「主翼にまとわりついた風精霊たちが揚力情報を書き換えて飛行している」
という結論になったようだけど、となるとワイバーン達は生まれついての精霊使いなのだろうか。
俺の視線を感じとったようで、ワナヴァンが小さな瞳をこちらに向けた。
喉元をグルルと鳴らしたので左手を手綱から離して鱗をなでつける。
幼竜の頃から飼育していた影響なのか、ワナヴァンは人の気持ちを察するのが早い。
あるいは竜の中で最も愚鈍で脆弱とされる種であるがゆえだろうか。
のちに知った事だが、ドニー・ドニーの、特に
ゴブリンの使う方言で「ワ・ナヴァン」というのは
地球でいうところの「ロバ」や「うすのろ野郎」といったニュアンスであるらしい。
それを知った時にはさすがに名前を変えようかとも思ったが、既に定着した名でもあり、
地球でいうところの「ノンビリさん」と一緒と思えば、まあいいかとも思えた。
実際のところ、ワナヴァンは随分とマイペースなところもあったからだ。
「メノー!あれ見て。商船の甲板で手を振ってるよ」
俺の後ろでやぶともイバラとも思えるクシャクシャ髪の
エルフが叫ぶ。
10年来のつきあいの旅エルフ、イスズ・サレンスカだ。
イスズは左手は俺の腰ベルトを握ったまま、右手で手を振りかえしていた。
その挙動を察したのか、ワナヴァンは羽ばたく事なく滑空に切り替えている。頭のいい娘なのだ。
「メノーも手を振れば良かったのに。今の商船、『水底の撃号』だよ。
去年の『青衣』『神杯』『六海旗』三冠制覇の最速船だよ。
いつかボクもあんな船に乗ってみたいなぁ」
ホクホク顔でワカメ状の緑髪エルフが満足している。
船が好きなエルフというのも珍しいのではないだろうか。
ただイスズが言うには、旅エルフが旅に関するものに興味を示すのは本能なのだ、とか。
手綱をクイと引くと、ワナヴァンが一気に飛行高度を下げる。
慌てて俺の腰ベルトに両腕をまわしてしがみつくイスズを尻目に、俺はワナヴァンを商船の上空へと誘導した。
甲板の見張りをしていた
オーガらしき船員は驚いていたが、俺はゴーグルを跳ね上げ満面の笑みで叫んだ。
「ドニー!ドニー!空より海原へ、旅先の幸運を祈ります!」
地球ならば聞こえないだろう。だが、ワナヴァンの引き連れた風精霊たちが声を伝えてくれている。
だからオーガの船員も帽子を脱いで胸いっぱいに息を吸い込んで叫び返してきた。
「ドニー!ドニー!船上から竜へ、良き風が吹くことを祈る!」
そう叫ぶと、オーガはフンスと胸を張り、不思議な舞いのような動作をした。
島ごと、部族ごとに鬼達は自分の舞いを持つのだという。そしてそれは誇りなのだと。
成人の儀、婚礼、葬儀、いくさ、国交、商談、嬉しい時、悲しい時、めでたい時、怒れる時、鬼は舞うのだと。
舞い終わると、オーガは帽子を目いっぱい振り回して笑っていた。
俺はゴーグルをかけなおして、ワナヴァンの横腹を足で軽く蹴飛ばす。上昇の合図だ。
イスズは船が豆粒のように見えなくなるまで手を振っていた。
主島から飛び始めて150kmちょっと。ようやく目的地に着いた。
ワイバーンが一日で飛べる距離など、たかが知れている。
ワナヴァンでおよそ200km。それ以上は体力がもたない。
かつてドニー・ドニーを中心に、
ミズハミシマ、
スラヴィア、大延全域が戦乱期であった頃などは、
1000kmを超えて飛翔し、炎を吐き、鉄をも切り裂く戦闘用のワイバーンがいたようだが、
今はそれらは全て滅び去ってしまったのだという。
軍船を改造して飛龍母艦などというものすら作っていたというのに、だ。
詳しくは知らないが、ある時を境にして、ドニーの海域に『災害龍』が巣食うようになったからだと言われている。
戦闘用のワイバーン達は、それのために身の中の精霊を失い、飛べなくなったのだと。
飛べなくなったワイバーンなど、何の価値もない。故に滅びたのだと。
「で、何を買うんだって?」
街中をフラつきながら、俺はクセっ毛でクシャクシャ髪のエルフに話しかけた。
昔は坊主かってくらい短い髪で、まるで芝生のようだったのに、何で伸ばしてんだろう。
そうそう。フチューに来たのは、イスズが欲しいものがあると言い出したからだ。
主島は様々なものが集まるかわりに、一般受けするものばかり集まる傾向にある。
本当に欲しいものがあれば、その特産たる島に行くのが最も良いのだ。
フチューは布地や衣類の商いに強く、他国の珍しい衣類も集まりやすい。
メインストリートの大半がこうした衣服の店なのもそのためだ。
それが故に迷う。イスズも買いあぐねているのか、これで3軒目だ。
「行くときに話したのに、相変わらずメノーは人の話を聞かない。
来週の日曜日、生まれて初めてチキューに行くんだから、よそ行きのいい服を買うって言ったじゃないか。
ああ、これいいんじゃないかな。どうかな?似合う?」
それは日本人の目でみて女の子向けの服だとツッコミを入れたいところだが・・・
コイツ多分普通に似合うだろうな。エルフ怖い。
そもそも日本製の服がこんなところにまで流通していた事に驚きを禁じ得ない。
「自分が気に入ったんなら、それでいいんじゃないか」
俺も航空服にする皮装具新調しようかな。
- 出てくる異世界の単語が場面と合っていて説得力があるのが面白い。これはひょっとしてワナヴァンよりも笛野の方が鈍感だったというオチでは -- (としあき) 2013-05-16 21:50:46
- 何気ないやり取りだけどけっこう長い付き合いのグループだよね -- (とっしー) 2013-05-19 20:47:09
- 前話今話に続く登場人物の成長とこれからの生活など変化が面白い。 ドニーなどの住民の日常の見せ方も海の広がりが見える様だった -- (名無しさん) 2013-05-21 02:17:10
- スレによく登場する鳩の姿を想像しながら読むと面白い光景です。落ち着いた雰囲気の中でドニーの色をしっかり付けた文化風習を読ませてくれました。イスズが女性としての本能を膨らませているのもこの先への期待感がありますね -- (名無しさん) 2016-09-18 17:35:01
最終更新:2014年08月31日 02:04