「あノ鳥頭どモなドがまトもな金勘定なド出来ルか!」
思わず机の先へ乗り出し声を荒らげた私を苦い顔をした鳥人の老夫が抑える。
「まぁ、あの方たちは飛べますからのう」
「…………えエい!」
私も事の転がり次第では士族だった身だ。他国の階級というものには理解が無いわけではない。その決め方というのはまた別の話だが。
だがしかし、これはさすがに横暴だ。
頭を掻きかき、腕組みをし、やりくりに頭を悩ませた私は目の前の老夫に噛みちぎるように言った。
「煙草、吸っテもよロシいカ!」
「わしらとあなた様の間柄ですぞ。どうぞお構いなく」
分かっているように老夫は灰皿を出さない。私の喫煙は灰皿を必要としないからだ。
ここに通うようになってたびたびなのでもはや向こうも慣れたものということか。
鞄から水煙管のパイプを取り出す。
ラ・ムールでまだ若い頃に味わって以来やみつきとなっている私の悪い習慣だ。
パイプに携帯している水筒から水を注ぎ煙草を詰め、炭に火をつけて憮然とした表情で煙を吐き出すまでを老夫はいつものようにのんびりと待っていた。
「いつ見ても面白い煙草ですのう」
「ン?あァ……慣レてしマウと駄目でスな。こレ以外ハ考エられナイ。お吸イになっテみマスか?」
「いんや、わしは結構ですわい」
ドニー・ドニーではこれで麻薬を吸う者もいるらしいが生憎私はあの手の薬はやらない。さすがに薬漬けは体にも悪いし金がかかりすぎる。
巻き煙草も昔はやっていたがあれはどうもせかせかとしていた私には合わなかった。多少手間はかかるが水煙草はのんびりと吸えていい。煙が冷えて程好く冷たいのも心地いいし、余裕が落ち着きと考える時間をくれる。
その恩恵を享受し冷静さを取り戻した私は天井へ向けて煙をもくもくと吹き出した。
「………やハリいカンでスな」
「いかんですなぁ」
「確か前回訪レた際も税率が上がっテいタよウな……」
「そのとおりでございます」
「……いカンでスな」
「いかんですなぁ」
参った。
オルニトの酒の買い付けへやってきたというのに、ここの一体の奴隷を管理している鳥人たちがその酒の税を跳ね上げたのだ。前回来た時も同じ塩梅で、これで二度目である。
良い酒蔵を掘り出したと思いたびたび買い付けに来ていたが、多少有名になりすぎたようだ。輸出の売り上げがいいものできっと無茶をしたのだろう。
しかし、いくらなんでも商売下手というのも程がある。こんな勢いではまたすぐに売上は落ちてしまうだろう。商売において大事なのは何よりも目に見えない『信頼』だ。それを分かっていない。
犯人は分かっているのだ。ここから一番近くに浮いている浮遊大陸の一角にその鳥人はいる。会ったことも話したこともないが。地を這う者どもには興味はないとお高くとまっているのだ。
まぁ分からないでもない。故郷
ミズハミシマの官僚たちにもままいるタイプだ。さすがにこの国ほど多くないが、理解は出来ても納得はいかない。
ここはしばしの我慢か。予想していたよりも仕入れることが出来ないし儲けも期待できないのは涙を飲む他無い。ここは潰れるには惜しい酒蔵だ。何より私がその出来栄えを楽しみにしている。
ここは未来への――つまり値段が落ち着くまでの間――先行投資と考え、赤字をも覚悟してみるべきか。私はそう結論づけた。
「連中、賽子でモ振っテ税収ヲ決メていルのデハあるマいナ……さスがニ胡座ヲかクにモ限度がアるぞ」
「わしらも困っております。ついこないだも商談に来られた方がお断りになって帰られました。このままでは叱られてしまいますな」
「すミマせンリンドン。私モ多クを買イ付けル事ハ出来なイだロう」
「買っていただけるだけ御の字でございます。あなた様が謝られることではありません。慣れておりますしな」
特に表情も変えず、いつものこととばかりに肩をすくめるリンドンというこの鳥人の老人。《クイナ》であり地這い鳥人であるこの翁の眠たげな目がなんとも言えぬと語っていた。
この老人自身に罪はなく、むしろ良い酒を仕込む名人であるだけに忍びない。火付けの一端となってしまった私にもひとつの責があるだけに何とも言えなかった。
首をかしげる私にリンドンが大した抑揚も無く言う。
「こんな調子ではありますが、今年の出来栄えも悪くない。よろしければ蔵でも見ていきますかな?」
「よロシけレば是非。本当ハそレヲ楽シみニやっテきタよウナものデすかラ」
こんな話を聞かなければもっと純粋に楽しめたのだが、仕方ない。私はどちらかといえば悪い話の方から聞きたいタイプだった。
では、と出口へ私を案内するリンドン。鳥人たちの住居は飛べる者へ都合のいいように2階以降にもそれぞれ出入り口がついているものだが彼は地這い鳥人であるため普通に歩いて出て行く。
小屋に空気が入り込むと冬の青白い色をした寒気が滑り込んできた。開いた扉の向こうには他の国の者からすれば一種異様な光景が広がっている。
枯れ草の黄金が織り成す、出来のいい風景画のような山岳の風光の中。その遠く彼方へ何かの冗談のように巨大な陸地が文字通り浮遊しているのが垣間見える。山々に鎖で繋がれて、まるで地面に縫い付けられているようだ。
ここオルニトではごく当たり前の光景だ。午後を回り分厚い雲からうっすらと差し込む日差しを浮遊大陸が遮る幻想的な光景に私は目を瞬かせた。
私はヴだ。名前である。一文字だ。本当はもっと長いが正式な名前は誰も覚えられないので割愛する。
《鮫》の魚人である私は海運業を営んでいる。あちらの国で品を買付け、そちらの国で品を売りつけ、こちらの国でまた品を買い付けるといった塩梅に。
このたびは商売品の買い付けにオルニトへやってきていた。
このオルニトへ私が買い付けに来るとしたらたいていは二つに限られる。
書籍か、酒だ。それか稀に工芸品。
薄暗い蔵の中。まるで何百年も前からそこに鎮座しているようにその場へどっしりと居座っている樽たちが並ぶ中、ある一角の樽からリンドンは硝子瓶に酒を注いだ。
赤みのかかった琥珀色の美しい色合いが杯を満たす。この輝きに勝る宝石などそうは無いだろう。
「これが今年出来た豆酒でございます。ささ、どうぞぐいっと」
「ドうゾぐいっとトいっテモ、気軽ニ飲ミ干せルよウナ度数デあルマいニ…」
とぼけた表情を崩さずにリンドンは瓶を私へ突き出した。苦笑交じりにそれを受け取り、香りと色合いを確かめる。
鳥豆酒特有の癖の強い芳醇な香りが鼻をくすぐる。そのまま私は少量を口へ流し込んだ。
穀物が織り成す素晴らしく複雑な味わい。この妙味。喉を通せばずしりと重い。これぞオルニトの豆酒。
「……良イでスな。大変良イ。こコ近年でハ一番ノ出来でハ?」
「わしもそう思っとりますわい。嵐神の気まぐれが起きんかったおかげでな。売れないのも捨てずにとっておかないとなりませんな」
それを捨てるなんてとんでもない、と残りの酒をあおる。
―――オルニトの酒が美味いのには勿論理由がある。
ここの国の文化はすなわち捧げ物の文化だ。嵐神
ハピカトルを主神と崇めるこの国はしばしば神の気まぐれによってとんでもない被害を被る。
そもそもこのハピカトルが曲者だ。まったく意思の疎通が出来ず何を考えているかさっぱり分からない。しかし気まぐれによって起きる現象は時に浮遊大陸の落下など最悪の損害を撒き散らす。
そんな厄介な神に対する対話の方法としてこの地の者が選んだのが捧げ物という方法だった。優れた物品から果ては人身御供まで差し出すこの国のやり方を否定する権利は私には無い。それはこの国の者の問題だ。私に口の挟める事ではない。
ただひとつ確かなことは、その文化によって捧げ物にする品の品質が類稀なものになっているということだ。
だからこの国の料理は――鳥人基準だが――だいたい美味いし、彫刻などの細工は緻密で美しいし、特にここの酒は世界中に愛好者がいる。
大抵はこの地で取れる豆を原料にした酒で大変酒精の度数が高く、そして独特の甘さが特徴的だ。こればかりは例えようが無くオルニトの豆酒の甘みとしか言いようが無い。
鳥人の連中はこれを好む者が多く、そうでなくとも愛してやまないという者は多い。私も酒の中では好きなほうだ。
生産される酒は国内消費に終始することが多いので売り物にするために買い求めるには自分の足を使うほか無い。ここは私が4年前に訪れて以来足しげく通っている蔵だった。
鳥豆と一口に言っても多種多様な品種があり、さらに豆酒はそれらを混ぜ合わせて作るため蔵ごとに味がまるで違うのも面白さだ。彼らは日常的に嵐神へ捧げ物をするべくより良い酒を造ろうとするが、余った分はこうして我々の手にも渡ってくる。
最後の一滴が喉を通り過ぎる。心行くまで痛飲した私は硝子瓶をリンドンへ返しながら言った。
「ヤはリ、考エ直シまス。多少高かろウがいつモの量ヲ注文シたイ。コの出来なラば手元ニ持って置ケばゆクユくは収支モ合ウでしょウ」
「おお、それは助かりますな。これで上様にも多少は言い返すことができますわい」
とぼけた表情を注意しなければそれと分からない程度に軟化させるリンドン。
無茶な買い物とは思わない。赤字は間違いないだろうが出来のいいものには高くてもちゃんと金を払う客というのはいるし、5年10年先にはもっといい値段になっているかもしれない。
賭けだ。これは賭けだが、それで私の生活が揺らぐほどでもない。この一件で税を管理している鳥人が行いを反省してくれれば良いのだが。
唐突に蔵へ風が吹き込んでくる。冷たい東風だ。蔵に入ってきたとき半開きだった扉が強風で開いたのだろう。
風には白い結晶が混じっていた。
「雪が降ってきましたな」
「ソのヨうデす」
出口へ向かい扉を開ければ、垂れ込めた濡れ鼠色の雲からしんしんと雪が降っているのが目にとまった。
オルニトはこれからが本格的な冬だ。私は寒さに強い体だから問題はないし、リンドンも厚い羽毛のおかげかこの天気の中でも薄着で過ごしている。
しかし考えて動かないとドニー・ドニーから流れてくる流氷に航路がぶつかることになる。私は大丈夫でも船は大丈夫ではない。あまりこの国にも長居はできなかった。
「収穫ハ、つツガなク?」
「ええ。すべて無事に終わっております。ほれ、あそこに」
指差す方を見れば山岳地帯の一角、きっと夏場に来れば青々と豆が生い茂っているだろうなだらかな畑は灰色の土を晒していた。
「まだ納屋には残っておりますし二度目の仕込みを始めねばなりませんな」
「そレハ楽シみな話デす」
冬が明け暖かくなってくる頃にはまたこの翁はあそこに種をまく。オルニトの種蒔きは豪快だ。精霊の力を借りて上空から飛べる鳥人がばらまくのだ。あれはいっそ壮観と言っていい。
吐く息が白い。私はしばしそこに老人と佇み、その光景を目に幻視した。
オルニトの山々に雪が降り積もっていく。遥か見渡せば白く霞む霊峰が連なる。『ハピカトルの椅子』とも言われる天を衝くように高い高い山脈だ。
オルニトも海沿いとなれば冬でも暖かいくらいだが山あいになると途端に吹雪く。ここももう少し冬が深まれば雪の降らぬ日がないという状態になるだろう。あの霊峰などは準備もなしに人が足を踏み入れられるような場所ではなくなってしまう。
あの雪解け水がここに、ひいては向こう側の『
新天地』と呼ばれる国へと流れていく。地を這う鳥人たちが希望を抱いて切り開いた国へ。
「長居せぬほうがよいでしょうな。この雪は晩にかけて強くなりますぞ。街まで戻らぬとここで足止めを喰らいますな」
「えエ。そロソろ発ちマす。品ノ方ハどウナさイまス?」
「上様に掛け合ってからですからな。何、明日にでも連絡係に向かわせますとも。許可が降りしだい品を港まで巨鳥で運びますからそうですな、早くて三日後といったところですな」
三日か。そのくらいの猶予はある。いつかはニ週間ほど待たされたこともあったし問題はない。
それよりも確かに老人の言うとおり早めにここを出発する必要があった。最寄りの村から《駝鳥》の人力車に乗って街に着くのが半刻強程、本降りになる前に間に合うだろう。
「デは、リンドン。まタ来まス」
「次は来年のこの頃ですかな」
「イえ、もウ少シ早イでしょウ。今年ハ少々遅くナリましタ」
「ではヴ様がいらっしゃるまでに今回よりももっと出来のいい酒をうんと作っておかねばなりませんな。ハピカトル様の気まぐれが起こらぬよう海の向こうから祈っていてくださると助かります。いつもご贔屓にしてもらい多謝でございます」
「こチラこソ」
頭を下げる。来た道、そして今から辿って帰る道を一瞥した。
雲の隙間からこぼれ落ちる日と山々のコントラスト、舞い落ちる氷片、悠然と浮かぶ浮遊大陸がまるで神話の一節のように私を待っている。枯野の黄金にうっすらと白い雪が積もり始めていた。
本通りに面する酒場の2階の窓から街の様子を見つめる。
街は山から少し降りたところにあり、先程まで滞在していた村からはここを中継点として港まで続いている。時間が時間だったので私はここで一泊をすることになった。
リンドンの農場から最寄りの村で人力車を捕まえてここまで来たのだ。徐々に予想より強くなってきていた雪の中よく走ってくれた。多めのチップを渡したことは当然の配慮だ。
酒場は混み合っていて給仕係が忙しそうに走り回っている。多くの鳥人たちと少しの他の種族たちで一階から最上階まで席は埋まっていた。
窓からの光景を見ればオルニトらしい背高のっぽな建築物が街にずっと並んでいる。看板がみんな上を向いているのはここならではの光景だ。
そこから少し視線を上げれば夕日の残照の中を風の精霊と共に空を飛ぶ鳥人たちの姿を認めることができる。このあたりは浮遊大陸がないので飛べる鳥人たちもこの平地へ降りてくるのだが日も沈み雪もよく降るのであまり数はいない。今頃山は本降りとなっているだろう。
鳥人たちは比較的寒さには強い者たちだがオルニトという国は決して冬に活気のある国ではない。寒い時はとことん寒く、暑いときはとことん暑いのがこの国の特徴だ。
にわかに沸き立った声へ注意を向けた。2階にも据え付けられている出入り口から鳥人たちの集団が騒がしく降り立って入ってくるがウェイターに断られている。
夕飯時、この時間の酒場はどこも一杯なのだ。若者たちの集団は残念そうにしつつも談笑して次の店へ向かっていった。
リンドンに会ったあとだと、ああいった楽しげな飛べる鳥人たちの姿を見て何も思わないということはない。この国では飛べる鳥人と飛べない鳥人の間には明らかな意識の差がある。あまりよくないものだ。ラ・ムールなどにも奴隷階級というものは存在するがこの国よりは健康的な関係である。
それを嫌って一部の飛べない鳥人たちは新天地へと踏み出した。オルニトは追っても損ばかりすることを鑑み大した追求はしなかった。私も商いに行くが新天地は大変な場所だ。このオルニトにいれば少なくとも今は高官たちの庇護を飛べない鳥人たちは受けられる。どちらが幸福なことなのかどうかはわからない。
故郷ミズハミシマにも身分階級は存在する。確かに官位や武士階級の者というのは目上の存在だが、だからといって庶民が卑下されるようなことは普通はない。
多くの国の様子を知る私にとってこの国のあり方にどことなくわだかまりを感じてしまうのは無意味と知りつつも避けられない感傷であった。
当人たちが満足しているのだからそこに革命家でもなんでもない私が口を挟む権利はないのだとしてもだ。心に浮かべるだけならば誰にも何の責任も起こらない。
「ドこノ国モ、何一ツ内憂ヲ抱えヌといっタこトはナいもノダなぁ……」
得体の知れない鬱屈としたものをフォークに突き刺した炙り肉と共に噛み砕く。
大空を舞う鳥人たちの典雅極まる華やかな国、オルニト。その言葉に間違いはないのだが全てが上手く回るということはないということか。
水で割った鳥豆酒で喉を潤していると背後から声がかかった。
「あの…すみません、相席よろしいでしょう………かっ……!?」
振り向くと私の怖面に驚いたのか、目を向いて立ち竦む客がいる。外見の特徴から判断して地球人の男だ。随分大きなバックパックを担いでいる。まだ身なりが新しいからこちらに来て日は浅いのかもしれない。
この世界の人間や慣れた地球人でも驚くような顔なのに来たばかりなら当たり前か。この鳥人の国、オルニトで出くわしたならばなおさらだろう。
心の片隅に吹き留まった嫌気も彼を相手に世間話でもすれば消え去るだろう。出来るだけ私は優しい仕草で「どうぞ」と目の前の席を指し示した。
- 民俗やお国柄から特産品とオルニトの空気がこれでもかと詰まった商人行脚。応用と発展具合が自然すぎて感服する。商人ならではの苦悩や楽しみが織り交ざる一品ごっつぁんです -- (とっしー) 2013-12-20 23:59:07
- 特産品からお国柄まで細かくネタが散りばめられてるのがいいですな。凝ったディティールがありがたい -- (名無しさん) 2013-12-23 08:04:23
- のどかと言えば聞こえはいいけどなんつーか欲という心をそぎ落とされた一種洗脳じみたモノを感じるオルニト民 -- (名無しさん) 2013-12-27 22:10:35
- お国柄、物の価値、商人としての意地など異世界の味付けで面白く読めました。出会いはやっぱりいいもの -- (名無しさん) 2014-07-24 22:14:12
- 種族の多さも合わせてお国柄というのが地球以上に出てくるのかなと思いました。感情のクールダウンのために煙草はいいかも知れませんが将来の健康をちょっと心配しました。各地の名産などが世界中に広まっているのはこういう人々のおかげなのであると納得しました -- (名無しさん) 2019-03-24 17:16:32
最終更新:2015年11月18日 15:56