会場は静まり返る。夜が更に深まる如く。
平静を装うシィではあるが茶を淹れるその手は微かに震え表情は固い。頬を伝う汗がテーブルへ一滴落ちる。
“黒糖泡茶”。安価なメニューが多いフタバ亭でも珍しく高価な一品である。
素材は
エリスタリアの
ホビット農園から直送される糖分を過分に含む茶葉と
オルニトの森林農場で収穫された糖唐土から厳選され、数年寝かせて甘さを定着させた一級品を粉末にしたもの。
それらを熱湯にて淹れた後、半分まで注いだカップに素早く冷水を注ぎ出来上がりとなる。
冷水を注ぐまでは茶褐色であった色はたちどころに漆黒となり強烈な甘い香りを沸き立たせる。
「ラニ、淹れ終わったぞ…」
ネビオラと丸テーブルを挟んで対峙するラニの後ろからシィは三杯の茶を乗せた盆を差し出す。
「ではネビオラさん」
「どうぞ。うっかりこぼしたりするんじゃないねィ」
複数の腕の一つが幾重にも重ねられた紙に包まれる“毒”をラニの掌に置く。
ラニはそれをシィに渡す。
「私とネビオラさんがあちらを向いている間にどれか一杯にこの包みの中身を入れて混ぜて」
「ボクが?!」
「うん。シィちゃんが混ぜてそれを私がシャッフルするの」
「なるほどねィ。意思の分断、それでは私と対面する二人を見ても“当たり”は読み取れない。いや、“外れ”かねィ」
甘い香りと漆黒。見た目と香りでは最早どれに毒が混ざったのか判別できなくなっていた。
純白のテーブルクロス。 三つのカップ。 見据える蜘蛛人の眼。
「さ・あ・て。どれにしようかねィ。 これかな?これがいいかな?」
お茶らけた雰囲気でカップを見繕うネビオラに緊張の色はなく、どれが毒入りなのか分からないラニとシィの表情を楽しんでいるかにも見える。
「色、匂い。確かにこれで封じられた。 しかしそれはあくまでお前達の種族基準の対策だねィ」
ネビオラがゆっくりと腕を伸ばす。 会場に張り詰める緊張感が増していく。
「お前達はもっと警戒するべきだった。相手は蟲人だぞ?そもそもの基準が間違っていた」
「えっ?!」
ネビオラの笑みは歪み口は尚側面へと裂けていく。
「茶の特徴で満足してしまったのだ。蓋を被せる、私の顔を袋で覆う…何故そこまでしようと思わなかったのかねィ!」
「それは、私もシィちゃんも給仕だからです」
節足はしっかりと確信を持ってカップを掴んだ。
「答えは“光”だ! 阿片窟の暗闇の中でも何が何なのか判別するために薬に施したのは光!
特殊な苔の汁により私の眼で識別可能な光!漆黒の茶の中でもそれは消えることなどないねィ!
給仕?ならばその下らん“誇り”と共に敗北に沈め!」
ネビオラは躊躇いなく掲げたカップ、その中身を飲み干した。
「ぷはー!甘い!」
おたおたと慌てふためくシィとは対照的にラニはひどく落ち着いた風にテーブルの前に立ったまま。
「さぁ、私の勝利だねィ! …?…なん、だと?」
勝利を訴えたネビオラは一転、表情を固まらせて片膝を落とす。
「“思っていた通り”、しっかり毒の入っていないカップを選んだようで何よりです。
私の懸念材料は唯一つ、混ぜた毒によって茶の成分が変質しないかということだったのですけどね」
「おぶっ!?ぐっ…ぶおおおぉぉぉ!」
次いでネビオラは足を折り地に手を突き痙攣する体を支えるが、既にそれも危うい。
「実はあの茶、蟲人のお客様にはオススメしてないんです。 勿論飲めない毒とかそういうワケじゃないんですけど」
「とっ、溶ける!内部っがぁああ?!」
更に慌てふためくシィ。 既に息も絶え絶えなネビオラの直前に立ち、それを見下ろすラニ。
「あなたはもっと警戒するべきだった。これは“勝負”、勝たなくては先に進めない。
ならば相手は全力を以って仕掛けてくるのは必然。 そして私は給仕。メニューの把握は完璧」
「はぁはぁ…こ、この茶の成分は…酵素、たんぱく質を溶かす!」
「勿論お客様にお出しする茶はしっかりとした割合で配合したものを淹れて出しています。
しかし今回は…私の判断で配合を変えさせてもらいました。
肩凝り筋肉痛を筋繊維内の酵素を溶かすことで解消する茶は、私の手によっ肉そのものを溶かすものとなったのですよ!」
「うおおー急造のスペアボディなので内部が筋肉繊維だけで満たしていたのがぁーくそー」
「この勝負を受けた時点であなたの敗北は決まっていたのです!」
「うおおー畜生ぉーこんなところでこんなところで私はー。優勝し神の膝元に迫りその遺伝子を採取する計画がー」
「…またのご来店を… どうやら無理みたいですね」
一礼したラニの前で全身から体液を漏れ垂れ流し動かなくなったネビオラ。
「…勝負あり! ネビオラ選手の試合続行不可能により勝者はラニ選手っ!!」
一気に会場が爆発し沸き立つ。
「あわわわっ!ラニ!ラニどうしよう!こんなことになるなって思っても見なかった!人が溶けるなんて知らなかったんだ!」
「シィちゃん…勝負って非情なのよね… まぁこれでシィちゃんも立派なジェノサイダー給仕だねっ!」
「えっ!?えええええっ?!」
「あっはっは。冗談冗談。 私たちの勝利だよっ!」
「リチャード、ネビオラが溶けてしまったわ。大会に参戦するのに本体でやってきていたのでしょう?」
「あぁ、見事に溶けてしまったね」
「主を失ったディセトの阿片窟はどうしたらいいのかしら…」
「はは、
エルフの戦士は本当に五感が発達しているね。目も耳もいい。
だからなのだろうか、感覚的な判断力を意識することがほとんどないのがたまにきずだ」
「リチャード、それってどういう?」
「おやおや、どうやらエリスタリアからのお客様は席を立つようだ。消滅と認識したらしい。
ではハニー、私達も出ようか。 ディセト・カリマを長く空けるのはよろしくないしね」
観客席を立ったリチャードとベルマ。 リチャードが持ち上げたのはサッカボールが入る程度のバッグ。
少し揺れたようにも見えた。
── 試合開始前
「どうでしょうか?この方法なら安全確実に
スラヴィアを脱出できますけど。
もう優勝するだけの力はないのでしょう?エリスタリアや
マセ・バズークの刺客から逃げ切れますか?
私の方はリチャードさんにも了解は取り付けてありますよ」
テッテレッテッテッテ~ン♪
勝負は決したが、それは全てラニの仕業だ
- まともにやりあったらいくら力減ってるとは言えネビオラが勝ってたと思う。ラニが勝負の前に勝ちを得ていたというのは納得 -- (名無しさん) 2015-08-25 00:07:59
- スーパービジネスノームラニちゃんのリサーチ力の勝利か! -- (名無しさん) 2015-09-08 23:04:05
最終更新:2015年08月24日 03:57