「姐さーん!仕込みおわりましたー!」
店の奥の調理場から元気な声が響く。
先日から住み込みで働き始めた狸人のマオ・リューハンだ。
店が繁盛するにしたがって、とてもじゃないが2人で切り盛りするには限度がきた。
そこで勇人が従業員を募集したところ、マオが応募してきたのだ。
当初は何故か渋っていたファンナであったが、マオの素直な性格にウマがあったのか、
今ではすっかりマオちゃん姐さんの間柄になっていた。
「あれー?姐さんたちどこにいるんだろ。まだ上?」
マオは1階に二人の姿が無いことに気づき、生活空間である2階へと上がっていった。
大延国大都にある緑碧市街の通りに面して、犬塚勇人達の店『犬塚飯店』はある。
1階は店舗客席と調理場で大半を占め、奥の数室も大半が調理関係の倉庫などである。
クルスベルグ製のボイラーと風呂も1階に設置されている。トイレも1階にある。
対して2階は生活空間で、居間と食堂、簡単な調理が可能な台所が1室にまとめられ、
4室ある個室のうち、1室が勇人の部屋で、1室がファンナの個室、隣に書斎があって、
一番奥の部屋を現在はマオが下宿がわりに使っているのだ。
居間にも台所にも2人の姿がないことを確認したマオは、自室と反対側にある
勇人の部屋の前に行き、ノックをしようとして思いとどまった。
部屋の中から、おそらくファンナのものであろう、くぐもった甘い声がしたからだ。
「これは・・・オトナな声!
あわわ!お二人のお邪魔をしてはいけません」
そう言いつつマオが部屋の前から離れようとした時、ガチャリと戸が開いた。
現れたのは勇人だった。
「いや、聞こえてるからさ。
それと、そーゆーのじゃ無ェから。今のは。
とりあえず仕込みお疲れさん。
お昼時まで休憩してていいぞ」
「でも、休憩しててもやる事ないのです。
何かお仕事ありませんか?」
「給料分だけで十分なンだけどなぁ
そんじゃ、1階の物置整理を頼んでいいか?
片付けようとは思うンだけど、なかなか手を出せなくてな」
「わっかりましたぁ!」
勇人は台所で水を一杯飲んだあと自室に戻り、居間から持ち込んだ長椅子にゴロリと寝っ転がった。
同時に、ベッドでふにゃあと炭酸の抜けたコーラのような甘ったるい声を出して、ファンナがあくびをする。
「うぅ・・・眠いわぁ
もうちょっと早う眠れば良かったわぁ
すっかり寝不足になってもうた」
丸っこい手で両目をこすると、ただでさえ赤目なのに、さらに赤く充血して見える。
「準備に時間かけすぎなンだよ。
明日の朝には出発するからな」
長椅子で『金仙娘々巡回済温泉郷』という書物を読みながら、勇人が言った。
そう、緑碧料理祭典で勝利した副賞として得た温泉旅行に、ようやく出発するのである。
ただし、ファンナが楽しみにしすぎているのか、準備がまったく進んでいない。
持っていく服だの何だので部屋を占拠してしまい、それを口実にここ数日は勇人の部屋に寝泊りしている。
よってこの数日、勇人は長椅子で寝るハメになっているのだ。
寝不足なのはこっちの方だ、と声を大にして言いたいところなのだ。
「いよいよ明日なんやねぇ・・・ふふふ。旅行~」
ファンナの耳がヒコヒコと動いている。機嫌の良い時の仕草だ。
「今日の店も少し早めに閉めるかね。
明日からはしばらく営業おやすみですって張り紙もしとくか。
マオは留守番は出来ても、店番はまだムリだろーからな」
まだ、というのは今後は出来るだろうという期待感ゆえだ。
バイトを雇うくらいの気分でいたら、料理人の卵が来た。勇人はそんな風に捉えている。
ただ、いつかはこの店を辞めさせて、本格的な料理修行をさせた方がいいのだろうとは思っている。
自分では彼女に十分な指導は出来ないだろう。ロウ大人の店でお願いできないだろうか。
そんな事を考えていると、コンコンとドアをノックする音が響いた。
マオの物置整理が終わったのだろうか。
「あの・・・オトナな時間は終わりましたでしょうか。
物置の整理が、だいたい終わったのです」
変な気の使い方をするのも、少し考え直させた方がいいな、勇人はそうも考えている。
店が開き、今日もバタバタと忙しい一日が始まる。
最近の勇人は調理にかかりっきりでも問題なくなった。
ファンナが接客を中心に動き、調理の一部や雑務をマオがこなしてくれるからだ。
夕刻、その日の食材をほぼ使いきり、閉店の札を軒先に下げ、張り紙をする。
「あれ?今日はもう終わりなのかい?」
てっきり今日も夜の時間帯まで営業すると思って顔を出した常連の狸人が店を覗き込む。
その度にファンナが張り紙を指さして明日から旅行だと説明していた。
台所の火を落として後片付けを終えた頃には、すっかり夕日も沈んでいた。
「んじゃ、明日から温泉に行くんで、留守番は頼んだ。
一緒に連れていってやりたい気もするンだけどさ」
「いえいえ、旦那さん。
たまには姐さんと2人きりでお出かけしてください。
アタシはお土産があれば、それでいいですから」
「しっかりしてるなぁ、お前は。
調理場はマオの料理の練習で使っていいけど、火の元だけはキチンとな。
ま、言うまでもないか。でも念のため。
あとな、奥の部屋の例のアレ。頼むぞ。
『食神祭』で俺が延国の料理人を出し抜ける秘密兵器になるハズだからな」
「了解デス。あれの完成は、アタシもすっごく楽しみですから。
それにしても、疑うワケじゃないですけど、ホントに作れるんですか?」
「<地球>じゃ、ああやって作るモンなんだよ。
楽しみに待ってな」
翌日早朝、レンタルの竜車に荷物を積み込んで、勇人とファンナは温泉街へと旅立った。
ミズハミシマ近くの温泉郷まで、おおよそ2日半といったところだ。
店を出してからしばらくは、休みなく働いてきたのだ。
これくらいはノンビリしてもいいだろう。そんな余裕がようやく持てたのだ。
竜車はゴトゴトとリズミカルに音を立てて進む。
「ユート、後悔してへん?」
竜(厳密には竜ではなく、木牛竜馬という生き物らしい)の手綱をさばきながら、
ファンナは荷台に寝転がる勇人を振り返り言った。
「んー?男は荷物、こんなモンで十分だぜ?」
都合2週間の旅路で、衣類だけで山になったファンナの荷物を枕にしながら勇人は言った。
「せやなくて、その、ウチと一緒に店をやったりとか、それ以外にも、その。
一緒に暮らしたりとか、その、寝たりとか。あと」
だんだんと声が小さくなっていく。
「後悔っつーか、アレだな。不足感はあるな。
でもまあ見てろ。もう少しで下ごしらえは完了だぜ。
冗談でも何でもなく『食神祭』取りに行くからナ」
「マオちゃんと一緒のほうが、早いんちゃうん?」
ああ、そういう事か。
最近どうも元気が無ェと思ったんだ。
勇人は一人でニヤニヤして、コッソリと荷台から御者席に近づいた。
「環奈~」
ファンナの耳元で急につぶやく。
ひゃん!と素っ頓狂な声をあげてファンナが飛び上がるのを見て、勇人は大声で笑いはじめた。
「フハハ。ばーかばーか。
見知らぬ異世界に流されたあげく、環奈のために料理で天下を取る。それが俺の人生だ。
犬塚の血族は『犬の血』だ。一度主人を決めたらテコでも方針は変えねェぞ。
むしろお前が後悔すンなよ」
勇人はか細い「せぇへんよ」という声を聞いた。
それと、小さく嗚咽している声も。
「とりあえずさ。楽しく行こうぜ。せっかくの温泉なンだしさ。
とりあえず今日の宿についたらアレやってくれよ」
「耳かき?」
「そう。ファンナうめーからさ。頼むよ」
「ん・・・ええよ」
竜車はゴトゴトとリズミカルに音を立てて進む。
宿に着いた時には、すっかり日も暮れていた。
竜を草小屋につないで荷駄を締め、貴重品を持って宿に入った頃にはあたりは暗く、ちょうど夕食刻かというところだ。
「お部屋はこちらにございます」
清潔感のある服を着こなしている狐人の宿の主人に連れられて奥に通されると、そこは20畳ほどの広さの小奇麗な部屋であった。
「ふわぁ・・・この寝台、天蓋がついとる。
それに、お布団フカフカや」
「本命の温泉宿に着く前に、こんな豪華な宿でいいのかね。
商店街、破産すんじゃねーかな。
で、ファンナはベッドで寝るンだな?
そんじゃ俺はこっちの長椅子で寝るわー」
「まぁたイジワルな事を言うて!
耳かきしてやらんよ、そないな事ばっかり言うてたら」
「ベッドより長椅子の方が耳かきしやすいだろ。
早くこっちに来いよ」
あ・・・という顔をして、ファンナは慌てて長椅子に駆け寄る。
大事に持ち歩いている小道具入れの中をゴソゴソとあさり、愛用の木製のサジを取り出した。
大延国にも耳かきくらいあるのだが、この小サジをさらに削って作った特製耳かきを愛用しているのだ。
「え・・・と。それでは膝枕をやね。どぞ」
厳密に言えばモモ枕だが、長椅子に座ったファンナの足の上に、勇人は頭を乗せて横を向く。
「それでは」
かるく撫でるようにファンナの耳かきが勇人の耳朶をなぞる。
耳垢を取るというよりは、マッサージ的であり、ただのコミュニケーションでもある。
カリ・・・カリ・・・
「ほとんど毎日耳かきしとるから、何も出てこないわぁ」
小さな手を器用に動かして、ファンナが耳かきを続ける。
右手で耳かき、左手は勇人の髪の毛を撫で付けている。
「ユート、まさか寝とるわけやないやろね。
ホレ起きて起きて。反対の耳」
うぅ、とくぐもった声を出しながら、勇人は体を反転させる。
ちょうどファンナのお腹の方に、勇人の顔が向く形だ。
カリ・・・ホリ・・・カリ・・・
「ホイ、キレイになったで。
気持ちよかった?・・・寝とるな。
ま、ここんとこずっと店も忙しかったしなぁ
そもそも休みに来とるんやから、休むのは当たり前やね。
当たり前なんやけど・・・」
「ニハハ。かまって欲しいんだろ?」
「あー!」
ファンナの繰り出す、勇人のオデコへのポコポコパンチがちょうど10発ヒットした時に、
宿の主人から食事の準備ができたとの知らせが入った。
通された食堂を見て、二人は唖然とした。
料理が想像以上に豪華だっただけではない。
そのしつらえも絢爛たるもので、さらに狐人による楽団まで控えていた。
「ご希望の曲はございますでしょうか」
楽団長らしき狐人が尋ねてくるが、二人とも返答できずにしどろもどろとした態度になってしまった。
「いや、俺、こっちの音楽は全然わかんねェしな。
タヌ子、お前なんか知ってるか?」
「えーっと・・・『錦虫糸之路』で」
かしこまりました、と静かに楽団長が言うと、楽団3人による小さな演奏会が始まった。
不思議な楽器だ。
金属製の鍋やフライパンのような胴体に弦を張り、両手の爪で鳴り響かせている。
<地球>で言うところの、ハープのような音色だ。
「どっかで聞いたような曲だ。絶対に無ェはずなのにな。
で、『錦虫糸之路』って何だ?」
食前酒を口に含みながら、勇人がファンナに尋ねる。
「え・・・と。
錦虫糸って言うのは、お値段高めの服に使とる布地の糸で、
マセ・バズークっていう国から取り寄せとる物なんよね。
ただ、その国は海の向こうやから、昔はエラい大変だったんよ。
マセ・バズークから
オルニトを抜けて、ミズハミシマの海路を越えてな。
そんでようやっと大延にたどり着く交易路なんやけど、その事を『錦虫糸之路』って言うんや。
旅路の楽しさ、辛さ、遠い祖国への想いを曲にしたのが、この曲なんよね」
何だか楽しそうにファンナは勇人に解説している。
勇人が知らなくて、自分が知っている事がまだまだあることが嬉しいのだろう。
料理は次々と運ばれてくる。
エリスタリア林菜盛り、飛龍股肉の香石炒め、地竜細切りと辛菜の炒め物、五穀包揚、
麻仙豆焼、海甲辛々、六菜餡かけ銀麦炒、龍鳥卵湯、それとデザートで雷実よせ。
全て食べ終わる頃には、二人ともすっかり満腹になってしまった。
食欲が満たされれば、次には眠気が二人を誘う。
寝台の心地よさか、旅の疲れもあってか、その日はすぐに眠りの世界へと誘われた。
あくる朝、晴天の下で二人は再び竜車を進ませた。
道中の進みが良かったか、旅の神にでも愛されたのか、その日の夜に目的地に着いた。
勇人がそこに着いた時に最初に得た感想は「やり過ぎだ」であった。
確か自分は商店街の景品で無料宿泊券を貰ったので、ミズハミシマ近くの温泉郷に来たはずだ。
なのに目の前にそびえ立つ城郭は一体何なのだろうか。
城郭といっても整然としている訳でもなく、言わばごちゃまぜの積み木のような・・・
最初に大延国の首都である大都に入った時も感じたところではあるが、
この国は全てが信じがたい大スケールで構成されているように思う。
大都が食の城、食の要塞ならば、ここはまさに湯と癒やしの城とでも言おうか。
「既視感があるなと思ったらアレか。
アニメ映画の・・・なんつったっけな。
ナントカの神かくし?忘れちまったな。でもあんな感じだ」
あの監督も<こちら側>に来たことがあったのだろうか。
それとも何らかの超感覚でシンクロでもしたとでも言うのだろうか。
巨大な門には難しい字で、注意書きが書き込まれている。
必死に読もうとしたところ、ファンナがすらすらと読み出した。
「ん~
我を過ぐれば喜びの都あり、
我を過ぐれば永遠の癒やしあり、
我を過ぐれば快楽の民あり
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛、我を造れり
永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの全ての望みを得よ
やて。なんやよーわからんね」
「いや、十分わかるだろ。
ただのコマーシャルじゃねーか。
よし、入ろう入ろう」
門をくぐり車よせに竜車を繋ぎ、中心街に出向くと、二人はなお圧倒させられた。
右を向いても左を向いても、全てが癒やしの為の店舗で埋めつくされていた。
ただ、建築様式が大都と違うように思える。
おそらくミズハミシマの様式が混在しているのだろう。
「ね、ユートあれ見てや。
お肌がピカピカになるマッサージやて。
ウチあれやってみたいんやけど」
「お前なぁ、いらねェだろそんなの。
あっちの疲労回復小槌打ちのほうが魅力あるぜ。
どんなんだかわかんねェけど」
「あ、肉まん売っとる。ちょっと買うてくるわ」
「迷子になんなよ。
ああ、そっちの屋台の方が旨そうだ。今更遅いか。
あれ何だろう。穀物を練りこんで焼いてんだろうな。
発酵はさせてない・・・クレープみたいなもんだろうかね」
「買ってきたでー
こっちが糖豆餡饅で、こっちが水虎肉の辛辛肉饅。
半分こにしよなー」
「ここ二日、食ってばっかな気もする。まあいいか。
っと、あれだな。宿泊先の海羊亭って・・・ここも豪華だな」
「うっわぁ・・・
もう御殿か何かにしか見えへんわぁ
ユート、ウチらこない豪奢な宿に泊まって、ホンマにええんやろか」
「いや、まあ、いいンだろうよ。料理勝負の副賞なンだからさ。
しかしあらためて、大延の食に対しての本気度を感じたっつーか。
まあノンビリすごせばいいさ」
- 立派な店になって感動。勇人の店主ぶりにも風格を感じました。旅や小物もらしかったですがやはり料理のシーンは秀逸で胃が鳴りますね -- (名無しさん) 2013-10-19 17:31:31
最終更新:2014年08月31日 01:37