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【外典-何もかも忘れてしまっても- 後篇】

「いつもありがとう、エルロン」
「私はアルトメリア様の奉げ物ですから。当然の事をしているだけです」
 あれから数日、アルトメリアは久しぶりとなる安らかな日々を送っていた。
 もう餓えや渇きに襲われる事は無い。アルトメリア専属の従者となったエルロンが獲物を獲って来てくれるからだ。
 少女が既に死んでおりアンデッドとなった事実は変わらないが、それでも今はまるで生きている時に戻ったように、少年と過ごす日々は満ち足りていたのだ。
 そう、彼女が幸せだった、まだ弟が生きていた頃に戻ったようで、アルトメリアはこの時がずっと続けば良いと思った。
「エルロンって、何だかちょっと弟に似てるの」
「そうなのですか?」
「うん」
 そう言ってアルトメリアは俯いた後、少し考え込むような顔を覗かせた後顔を上げた。
「……ごめん。本当はエルロン私の弟とそっくりで、今まで貴方の事弟として見てたわ」
「左様でございますか」
「怒らないの?」
「貴女様が私を弟にしたいと思われるなら、私は喜んで貴女様の弟になります」
 アルトメリアがエルロンと初めて逢った時、理性を失った状態でも弟を思い出す程にエルロンは彼女の弟に似ていた。
 それから数日間少女は少年を少なからず弟の生まれ変わりか何かのように思って接していたのだ。
 だがそれは無理も無い話だった。
 アルトメリアは弟の死を見ているし自分で埋葬もしている。
 しかし現に自分が一度死んでから甦ると言う体験をしている為、有り得ないと思いながらも心の何処かでは、今もどこかで平和に暮らしているのではないか。
 いや、暮らしていて欲しいと、そんな夢を見ずにはいられなかったのだ。
 例え目の前に居るのが瓜二つの他人であろうとも、思い描く夢が何処かで実現する予感のようなものを感じ、少女は嬉しくてたまらなかった。
「何だかそこまで言われると恥ずかしいな」
「左様でございますか」
 しかし無関係のエルロンに少女の弟としての人生を強要する事は出来ない。
 アルトメリアは自分がそれを望めばエルロンは従ってしまうだろう事を知っていた。だからそれだけは出来なかった。
 何故なら、そんな事をして喜ぶのは自分だけで、エルロンも本当の弟もきっと悲しむだけだと思ったからだ。故に彼女はエルフの従者にこう言った。
「やっぱりエルロンはエルロンのままが良いよ。私の友達」
「友達?」
「うん、友達。……もしかして、嫌?」
「いいえとんでもない。身に余る光栄です」
「フフッ、良かった」
 エルロンはアンデッドとして甦ったアルトメリアの初めての友達。
 地球人である彼女にとって狂った世界であるスラヴィアで出来た、唯一心を許せる友達だった。



「入るぞ」
 初めての饗宴の日から数ヶ月、再び運命の時は回ってきた。
「次の饗宴、またそなたにも出て貰うぞ」
「私が……ですか?」
 饗宴は毎月満月の夜に行われる。月神の狂気が最大となった夜、饗宴の舞台となるスラヴィアもまた狂気なる宴に酔いしれるのだ。
 だがその饗宴には毎月参加出来るわけではない。サミュラの決めた法則に則り、舞台となる領地とその領主、宴を盛り上げると認められた挑戦者のみが血の宴への参加を許される。
 領主トーガは数ヶ月ぶりに巡って来たサミュラへのアピールの機会に、再び地球人の人間ベースと言う珍しいアンデッドであるアルトメリアを連れて行こうと言うのだ。
「屍姫様は事の外そなたをお気に入りだ。応援したくなったそうだ」
「私なんか応援したって……」
 無論、それは領主トーガの方便であった。
 トーガはアンデッドになって以来少しでもサミュラの為に宴を盛り上げ、自分の名を売ろうとアピールしてきた。
 言わば典型的なアンデッドの一人である訳だが、その為の道具として作った従僕が前回無様すぎる敗北を喫した為、今回はその汚名を返上したいと考えていたのだ。
「剣だ。せめてまともに振れるくらいにはなっておけ」
 その為にトーガが用意させたのは一振りの剣だった。
 何の変哲も無いごく普通の剣。だが前回戦う為の爪も牙も持たない人間種の脆弱さを知ったトーガとしては、戦う為に必要な武器を授けるのは重要な事と考えたのだ。
「アルトメリア様……」
 しかしアルトメリアはその剣を持ち上げるなり顔を歪ませた。
 少女のやわ腕には鉄の塊である剣は重すぎたのだ。そして何より人を傷つける為の道具である剣を持つ事に、激しい拒絶感を抱いたのだ。
 もともと望んでアンデッドになった訳でもない彼女にとって、その道具は嫌いな事をやらされる為の忌まわしい物と言う認識しかなかった。
 一度は手に持った剣を再び床に放り捨て、アルトメリアはトーガに、運命に逆らうよう勇気を振り絞って叫んだ。
「もう嫌よ! みんないったい何の為に戦っているの? そんなに戦いが面白いの? 自分が傷ついて、相手も傷つけて、何も良い事なんか無いじゃない!!」
 今まで見た事のない従僕の態度に一瞬驚いたトーがであったが、すぐいつもの鉄面皮に戻ってアルトメリアを冷たく見下した。
「私は神様なんか大っ嫌い! 私の世界の神様も、この国の神様も、いつもいつも人を傷つける事ばかり! そんな事していったい何が面白いのよ!?」
 それは少女の心からの訴えだった。
 神は人に祈りを求めるが、代わりに与えるのは過酷な運命だけだ。善であれ、真面目であれと教える一方、悪く狡賢い者が得をする世界を造っている。
 そんな神の為に何かするなどと、アルトメリアはもう二度と絶対に嫌だったのだ。
「私は戦いたくなんか……ない……」
 領主はアルトメリアの魂の叫びを、聞く価値の無い言葉として途中で部屋を出て行ってしまった。
 アンデッド貴族として戦う事が当然と思っているトーガにすれば、彼女の叫びはさぞ惰弱で甘えた意見に聞こえたろう。
 だがこれが地球人アルトメリアの心からの想いだったのだ。
「アルトメリア様……」
 そんな主人をエルロンは、ただ心配そうに見守るだけだった。



「酷い有様だな、アルトメリア」
「ぅ……」
 二度目の饗宴の夜が終わった。
 結果は痛み分け――と言えば聞こえは良いが、領主トーガにとっては魅せる所の無い惨憺たる試合だった。
「これで分かったろう。アンデッドとしての力を増すには、多くの生命力を吸収したり、己が体を改造するしかない事が」
 コレまで多くの命を喰らい、己の肉体改造や軍略にも余念の無かったトーガだけに、アルトメリアに足を引っ張られる形で引き分けたこの試合は、勝てる試合を取りこぼした負けに等しい結果だった。
 自室で再び傷だらけの体を抱えてうずくまる少女を見下げ、トーガは遂に己の怒りも顕に怒鳴りつけた。
「聞いているのか!? これ以上の敗北は我が顔にも泥を塗る事になると言っているのだ!」
「私は……人間……です……そんな事……しない」
「~~~~っ」
 勝利の為に努力してきた自分の邪魔をする者は、勝利が要らないと言う努力しない者。
 もともと己が持ち物、道具として作った存在だけに、その態度には我慢できないものがあった。とうとうトーガの怒りは頂点に達し、ある行動に彼を駆り立てたのだ。
「見ろ!」
「あうっ!」
 彼が乱暴な手つきでアルトメリアに突きつけたのは、アルトメリアの横で心配そうに彼女を待つエルロンの頭だった。
「次の饗宴で勝てなければこいつを次の贄とする! トモダチとやらが惜しくばどんな手を使っても勝て!!」
 肩口に切りそろえられたサラサラの金髪を乱暴に引っ掴み、トーガはエルロンを物の如く粗雑に扱う。
 頭を振られる度にエルロンの髪はぶちぶちと抜け、生者の少年は苦痛に顔を歪ませる。それをただ見ているしか出来ないアルトメリア。
「あ、アルトメリア……様」
「エルロン……待ってマスター……待って……下さ……」
 縋る様なエルロンの瞳に、アルトメリアは最後の力を振り絞って領主の腕にしがみ付いた。
 やっと暴力が治まり開放されたエルロンだが、その顔にはありありと恐怖の表情がこびり付いている。
 今少年は名誉の為でも貴族の為でもなく、ただ怒りの捌け口や道具として苦痛だけを与えられたのだ。それをスラヴィアの領民は栄誉な事だとは思わない。
 このただ一方的で理不尽なだけの暴力に、エルロンもアルトメリアも耐えるしかなかった。
「いい加減諦めて人を食らえ! そして真のアンデッドになるのだ!!」
 トーガはそう言い残すと少女の部屋を出て行った。
 そして後から入ってきたトーガの傍仕えの者達によって、エルロンは何処かへと連れ去られてしまう。
 あんな様子の領主の元に連れて行かれたら、どうなるかなど分かった物ではない。
 しかし這いずる力さえ残っていないアルトメリアは、それをただ泣きながら見送るしか出来なかったのだ。
「エルロン……あぁ、エルロン……ごめんねエルロン……ごめん……」
 彼女はこの時、初めて自分の無力さを怨んだ。



 翌日、落ち着きを取り戻した領主から解放されたエルロンは、傷だらけの体を引きずってアルトメリアに食料となる動物を届けた。
 無意味な殺生は掟により硬く禁ずられる所ではあったが、暴力までなら躾や罰と言う名目で許されていた。
 殺しさえしなければ良いとは言え、この時のエルロンの顔は腫れ上がり、片腕も上がらず歩行も困難になる程痛めつけられていたのだから、手加減したのだろうが相当痛めつけられたものである。
 そんなボロボロの体を押して「アルトメリア様の方が余程傷ついておられます」と言い、家畜小屋から動物を分けて貰ってきたのだ。
 自分の事なら我慢できるアルトメリアだったが、エルロンに危害が及ぶに至って、とうとう戦う決心をして剣の練習を始めた。
 しかし土台非力な小娘でしかない体では、重い鉄製の剣をまともに振るう事もままならない。
 村人に頼んでもっと軽い、レイピアと言う刺突剣を用意してもらったが、今から練習した所で剣の腕などたかが知れている事は自分でも良く分かった。
 やはりアンデッドとして力を付けるには多くの魂を喰らうしかない。
 その思いからアルトメリアは今まで回復と食事の為にしか食べなかった最小限の食事から、自分の力を増す為に過剰なまでに摂取するようになった。
 来る日も来る日も食べ続け、それでも動物の魂ではアンデッドとしての力は増大しない。
 自分の中に蠢く食べた動物達の魂の咆哮に耐えながら、それでもパンクしそうな腹に動物を詰め込み続けた結果、遂に彼女はある事を発見する。
 腹に入りきらず戻してしまった血肉から、どす黒い塊となって喰らった動物が現出したのだ。
 失った左手と左足。それを補った動物の血肉。他自分の体の欠損部を補った部分から、今まで喰らった動物を出せる事に気が付いたのだ。
 そしてその現れた動物はアルトメリアの命令を聞いて操る事が出来た。これはいわば使い魔とでも呼ぶべき代物で、これが彼女にとって光明になるとアルトメリアは確信した。
 それから先は数ヶ月、月の饗宴に向けてアルトメリアは、より強い使い魔を手に入れるべく野山を駆け回る事となる。
 彼女がアンデッドとして、始めて戦いの為の努力をした時だった。
 相変わらずアンデッドとしての力も自分自身の力も弱いままだったが、少女は次の饗宴でようやく勝ちを得る事が出来たのだった。



「エルローーーン! 私、勝ったよ! 初めて勝てたのよ! エルローン!」
 饗宴から帰ってきた夜、アルトメリアは喜びを爆発させた。
 別に勝った事が嬉しかった訳ではない。勝たねばエルロンを殺す、その条件をクリアした事が嬉しかったのだ。
 アルトメリアがその為に払った代償は大きかった。
 動物を片端から食べまくり、それを体から出すなどと言う化け物に成り下がってしまったのだから。
 しかしそんな事忘れてしまえるくらい、今の彼女は嬉しかったのだ。これでまたエルロンと会える。友達を失わずに済んだ。ただその喜びだけだった。 
「あ、フラムさん。エルロンを見ませんでしたか? ちょっと見当たらなくて」
「エルロンは……」
 その夜も村は宴に沸いていた。
 普段穏やかで真面目な村人が宴の夜はドンチャン騒ぎしだすのも、満月の光を浴びているせいなのか。
 そんな狂乱の最中でも、いつもは隅の方で静かに果実酒とパンとバターを食べているエルロンの姿が、この日の夜だけは見当たらないのだ。
 フラム爺がアルトメリアの問いに答え辛そうに顔を背けた。
 その様子から何かおかしいと感じたアルトメリアは、いつもなら居る筈が今夜は空の領主の奥座席、その背後に広がる夜の森の中へと走っていった。



「エルローン! どこに居るのー! 返事をしてーーー!」
 もうどれくらい走り回ったろう。
 月明かりを遮る木々の闇の中、アルトメリアはエルロンを探し続けていた。
 アンデッドは夜の住人である。この深い闇の中でも人を探すのに困る事はない。少女はこんな時だけはアンデッドの目は役に立つと思った。
 しかしエルロンはいくら探しても呼びかけても姿を現さない。
 アルトメリアがこのまま自分の心配は杞憂に終わってくれればと思っていた矢先、木々の切れ間にある月明かりの射す丘に人影と群がる野犬の群れが見えた。
「まさか、エルロンなのっ!?」
 少女の焦りは極限に達していた。生きていた頃ならきっと心臓は早鐘の如く震えていた事だろう。
 野犬に襲われている人がエルロンでない事を祈り、一直線にその人の元へと駆けて行く少女。近づくにつれ血の臭いがハッキリと感じられる。嫌な予感がした。
「こらーーー! あっち行けー! このぉ!」
 群がる野犬に叫び声を上げて突進してゆくアルトメリア。その様子にビックリした野犬共は食事を切上げ一目散に逃げ出した。
 そしてあらわとなった人物は、彼女の嫌な予感の通りエルロンだった。
「大丈夫!? こんな……酷い!」
「アルト……さま……」
「喋らないで! すぐ、すぐお医者さんの所に連れて行ってあげるから!!」
 エルロンの様子は酷いものだった。
 殆ど虫の息と言う状態で、野犬に体を食べられようとしても抵抗出来ない程弱っていたのだ。
 致命傷は犬にかまれた首からの出血によるものの様だが、両手両足を潰され逃げる事も抵抗する事も出来ない状態にされた後の事のようだった。
 つまり、エルロンは野犬などの獣によって止めを刺されるよう、何者かによってわざとこんな状態にされて森の奥深くに放置されていたのだ。
「絶対に助けるから! 絶対に! 絶対にぃ!!」
「ア……さ……」
 この世界で唯一の親友が今まさに息を引き取ろうとしていると言うのに、少女には何の打つ手も無かった。
 医者に連れて行くなどとても間に合わない。この場で傷を治す魔法のような技も持っていない。
 アルトメリアに出来る事は、ただ死に逝く親友の最期を看取る事だけ。
「いま……ぁりが……ぅ」
「エルロン!? 死んじゃ嫌だ! 死んじゃ嫌だよぅ!!」
 そしてとうとうエルロンが息を引き取った時、アルトメリアは再びこの世界で一人ぼっちとなったのだ。
「アンデッド! アンデッドを作るにはどうすれば良いの!? いったいどうすればいいのよぉ!」
 アンデッドとなった屍人は、自らに分け与えられたサミュラの力を他の死者に分け与える事で新たなアンデッドを作る事が出来る。
 しかしアルトメリアにはそれが出来ないのだ。
 アンデッドになる事を望まず、自分を転化させた主人を怨むアンデッドは屍食鬼≪グール≫になると言われている。
 それはアンデッドでありながらサミュラの屍徒とは違う存在。屍徒を造る事無く屍徒を食べる存在との言い伝えがある。
「エルロン――エルローーーーーン!!」
 彼女には解ってしまったのだ。
 死徒の法によって生者を殺す事が出来ないから、こんな回りくどいやり方法でエルロンを殺そうとした人物が誰なのか。
 そしてエルロンを助けられる可能性が今あるとすれば、こうする以外他無いと言う事も。
「うわーーー!!!!」

 ム シ ャ リ ・ ・ ・

 この夜味わった肉の味は、彼女が今まで食べてきたどんな肉よりも芳醇で、柔らかく、ジューシーで、どうしようもない位美味だった……



 あの夜、アルトメリアが村から姿を消した夜から数年後、再び饗宴に姿を現した少女は別人のようになっていた。
 今までどこで何をしてきたのか、少女の瞳からは既に当時の輝きは失せ、代わりにヘドロのように濁った暗闇が住み着いていたのだ。
 彼女は全ての饗宴に出ようとした。兎に角屍徒と戦いたがったのだ。
 勿論全ての饗宴に出場できる訳ではなかったが、彼女が出場した全ての饗宴で、彼女は他の出場貴族を悉く葬った。
 その戦い方を見てサミュラは最初こそ復帰を喜んでいたが、すぐ眉をひそめる様になっていった。
 アルトメリアのクラスは獣魔術師≪ビーストテイマー≫。自らの体から出現させた使い魔を敵にけしかけて戦うと言う召喚術にも似た変わった術の使い手だ。
 1対1の決闘でも、軍勢を率いての集団戦でも、彼女の戦い方は変わらない。相対した者は使い魔によって骨も残さず喰らい尽くされるのだ。
 そんなアルトメリアにいつしか付いた二つ名が『獣の王≪ビーストマスター≫』。
 彼女を『屍食鬼』と認定したサミュラは討伐隊を結成したが、モルテの「楽しそう」と言う鶴の一声でその件はうやむやに消えた。
 そして年に一度行われるスラフ島全域を巻き込んでのバトルロワイヤル。
 ネズミから翼竜≪ワイバーン≫まで666匹の使い魔を従えたアルトメリアは、遂に彼女の念願を成就しようとしていた。

「マスター、あなたが悪いんですよ? あなたが約束を破ったりするから」
「ふ、勝者の余裕か? この間まで最弱だった小娘が、調子に乗りおって」
 モルテの策略で最古の貴族不在のまま行われたバトルロワイヤルは、トーガとアルトメリアの一騎打ちと言う形で最終戦を迎えた。
 しかし一騎打ちと言ってもアルトメリアの術の性質上、トーガは圧倒的物量を相手にする事となり、必然的に負けを喫したのだった。
 この時まで周到に根回しし自分を鍛え上げてきたトーガだったが、まさか自分の夢をかつて自分の為に作った従僕に潰される事になろうとは、思いも寄らなかった事だろう。
 アルトメリアはエルロンの恨みを晴らす為、己のマスターであるトーガの両手両足を食いちぎり、エルロンと同じ抵抗出来ない状態にした上で惨めに無残に殺すつもりだった。
 しかしトーガは思わぬ事を口にする。
「だがな、私はお前に敗れたのではない。お前の飼う獣どもに負けたのだ」
「負け惜しみですね。もう良いです、見苦しいですから」
 そう言いアルトメリアは左手から犬を数匹出した。エルロンと同じように犬に食い殺させるつもりなのだ。
 涎を垂らしトーガへと近づいてゆく犬を見て、トーガは精一杯の威嚇として唸り声をあげて見せた。しかし使い魔となった犬にそんな物を恐れる感情は無い。
 少女の命令に従って、ゆっくりと恐怖を味あわせるように間合いを詰めて行くだけだ。
「お前の戦い方は、いつでも人頼み使い魔頼み」
「いいから黙って下さい」
 そして一匹の使い魔がトーガの肩口に噛み付き、続いて腹部、わき腹と次々噛み付き始める。
 死肉が貪られる生々しい音と共に、トーガは徐々に自分と言う存在が食われて消えてゆく事を実感していた。
 痛みを感じないせいで意識がハッキリしている分、これから自分が消滅する事への恐怖心は尚更だ。
 だが彼が最後に考えたのは逆転の手段でも領民達の今後でもなく、今自分を葬ろうとしている憎き従僕へ、如何にして少しでも嫌がらせできるかと言うつまらない事だった。
 最低の領主だがそれがこのトーガと言うアンデッドなのだ。
「ずっと神とやらにすがってきたお前の人生そのものじゃないか」
「うるさい」
 そしてそれこそがアルトメリアの最も見たくなかった物。
 自分の運命を弄び、約束を破って大切な友達まで奪った男の絶望や悔しさに歪む顔以外、彼女を癒す物は無かったのだから。
「お前を救ってくれる神は見つかったか?」
「黙れぇえ!!」
 そして虎人系アンデッド『牙王トーガ』はこの世から消滅した。


「バトルロワイヤルの勝利者、アルトメリアよ。良く戦った、褒めて使わす」
「はい、ありがとうございます」
 バトルロワイヤルが終了し夜明けが目前に迫ろうとしていた頃、アルトメリアはサミュラの居城へと招待された。
 そこで行われるのはサミュラ直々となる勝利者への賞賛と賛辞。そして時に褒美を与えられる事もあると言う。
 この場に立つ事は全ての饗宴に参じるアンデッド達にとって最大の栄誉であり、ほぼ全ての参加者が夢見るサミュラとの直接謁見が叶う数少ない機会の一つなのだ。
 だが今回勝利したのは屍食鬼の娘。
 モルテの裏工作があったからとは言え、あまりにも心配な参加者が勝ち進みほぼ何も無く事が進んだのは、サミュラにとっても奇跡と言えた。
 こんな屍食鬼も居るんだなと、サミャラは考えを改め、同郷の士でもあるアルトメリアに何か褒美を取らせたいと思ったのだ。
「ついては何か褒美を取らせたいと思うのだが、何か望みの物はあるか?」
「はい、あります。実は……このエルロンに、是非もう一度生を与えて頂きたいのです」
「その使い魔に?」
 そう言ってアルトメリアが出したのは、一人のエルフの少年――使い魔にしたエルロンだった。
 あの時死を免れ様と食べたエルロンだったが、こうして使い魔にして出しても一言も口を利かず、動く事も無いまるで人形のような状態なのだ。
 確かにエルロンの魂がある事を、少女は常に感じていた。
 だが魂があるのに、血肉もあるのに、そうして自分達のように喋ったり動いたり出来ないのか?それはきっと自分にアンデッドを生み出す力がないからだと彼女は考えたのだ。
 しかしこれまでいくら他のアンデッドの魂を喰らっても、アルトメリアの中にあるサミュラの力は増大する事はなかった。
 自分で何度試しても、人に頼んで何度やってもらっても、エルロンに再び命の火を灯す事が出来なかったのだ。
 だからサミュラなら、全てのアンデッドのマスター、始祖の屍姫なら何とかできると望みを持ち、アルトメリアはバトルロワイヤルに参加した。
 しかし……
「……それは……」
 サミュラが使い魔エルロンを見て厳しい表情を浮かべた。
 一体何故そんな表情を浮かべるのか?アンデッドの女王なら何でも出来るのではないのか?少女がそんな事を思い始めた時、ふと部屋の暗がりから声が聞こえた。
「良いじゃないか。やってあげるよ」
「モルテ様!?」
 そこに現れたのは死神モルテだった。
 サミュラの危惧すべき事は全てお見通しで、その上で神自らやってあげると言ったのだ。
「僕がその人形に仮初の命の火を灯してあげるよ」
「ですがモルテ様! この者はもう――」
「是非お願いします!!」
 そのモルテの安請け合いとも何か作があるとも、またはもっと別の目的があるとも取れる含み笑いに、サミュラは何か不吉なものを感じ断ろうとした。
 しかし藁をもすがる思いのアルトメリアにとっては、その含み笑いも天使の微笑にしか見えなかったのだ。
 身分の差も忘れモルテに直接願い出るアルトメリア。
 その姿を、サミュラは止める事も出来ずただ見守るしかなかった。
「この者が……エルロンが戻ってくれるなら、私は他に何も要りません。ですからどうか、どうかお願いします!」
「……」
 膝をつき両手で拝むようにモルテに懇願する少女の姿。それをサミュラは心配そうに見ていた。
 さっきサミュラが言いかけた言葉は何だったのだろう?
「じゃあ契約成立だ。さて、それじゃあ……」
 そしてアルトメリアの願いを聞くと言ったモルテは少女のか細い手を取りこう言った。
「どんな事になっても、決して後悔しちゃいけないよ?」



「エルロン! エルロンなのね!?」
 それはアルトメリアが思っていたより随分あっさりと簡単に終わってしまった。
 モルテが人差し指の先に灯した火を、使い魔として出してからずっと立ち続けるだけのエルロンの胸の辺りにかざしただけだった。
 胸に置かれた日はスッとエルロンの体に溶けていき、黒かったエルロンの肌は見る見るうちに青白いアンデッドの肌になっていったのだ。
 その様子を固唾を呑んで見守るアルトメリア。彼女が次に動いたのは、エルロンが不思議そうに左右を見回し始めた時の事だった。
「エルロン!」
 少女感動のあまり思わず少年に抱きついた。
 アルトメリアは数年ぶりの親友との再会に、涙は流せないが顔をくしゃくしゃにして喜んだ。
 お互い時が経っても姿は昔のままだったが、少女にとってはそれが逆に、昔のままにほんの一時でも楽しかったあの頃が戻ってきたようで嬉しかったのだ。
 心の底からモルテに感謝した。
 こんな事が出来るなんて、何て偉大で寛大な神様なのだと思った。
 そして神様は本当に居たのだと、初めて報われた努力の成果に、今まで味わった事の無い幸福を感じていた。
 しかし……、
「良かった。あなたが居なくなって私、ずっと寂しい思いをしてきたの。こうしてまた会えるなんて夢のようよ」
「あなたが新しいご主人様ですか?」
「え?」
 エルロンはアルトメリアの問いかけに対し、まるで頓狂な答えを返したのだ。
「掃除と洗濯と、裁縫も少しなら出来ます。お料理は出来ません。数は十までなら数えられます」
「エル……ロン?」
 その明らかに様子のおかしい親友を前に、アルトメリアは何が何だか分からなかった。
 一体目の前で今何が起こっているのか。エルロンは何故こんな事を言っているのか。エルロンは自分をからかっているのか。それとも真剣なのか。
 理解できなかった。
「どうしたの? 私だよ、アルトメリアだよ。どうしたのエルロン? エルロン?」
「ご主人様痛いです。私は掃除と洗濯と、裁縫も少しなら出来ます。お料理は」
「エルロン! エルロン!?」
「痛いです。ご主人様痛いです。あの……あなたが新しいご主人様ですか? 掃除と洗濯と、裁縫も少しなら――」
「エルロン私だよ! アルトメリアだよ! ねぇどうしたの!? ちゃんと答えてよっ!」
 エルロンに問いかける内、アルトメリアは急速に今の状況を理解し始めていた。
 いや、正確に言うなら今のエルロンがどんな状態にあるのかを理解してしまったのだ。
 だが彼女はそんな自分の辿り着いた答えを認めたくなかった。信じたくなかった。理解したくなかったのだ。
 だからエルロンに問い続けた。
 無意味な押し問答が何度か続き、少女はもうこれ以上先には進まない事を知る。自分が望んだ答えは永久に聞けないのだと。
 動きを止めたアルトメリアは心を無にした。次に自分が考えてしまうであろう、エルロンがこうなった理由など考えたくも無かったからだ。
 しかしそこで、サミュラと共に一部始終を大人しく見ていたモルテが、薄ら笑いを浮かべながら少女の聞きたくなかった答えを言ってしまうのだった。
「やっぱり魂がもう壊れちゃってたかぁ」
「え?」
 サミュラは沈痛な面持ちで二人の方から顔を背けた。
 モルテの残虐な遊びをこれ以上見ていられなかったからだ。
 そんな屍姫の様子を知りながら、モルテは尚も自分の享楽の為だけに、エルロンがこうなった理由を少女に説明した。
 耳元にサミュラと同じ可愛らしい唇を近づけながら、自分の言葉が相手の心の奥底に染み入るように、優しく優しく語りかけた。
「魂が肉体を失って時間が経ち過ぎるとね? 自らのアイデンティティを保てなくなって、やがて生前の記憶も失っていくんだよ」
 それを聞いてアルトメリアは、我慢出来ずに問い返してしまう。
 答えを聞いてしまったら全ての希望を捨てなければいけないのに。その答えを自分から求めてしまったのだ。
 全てはモルテの思い描いた通りの筋書き。
「そ、そんな……エルロンは? じゃあエルロンはもう!?」
 そしてこれから答えるモルテの言葉によってもたらされる、濃密なる絶対的暗黒の感情を楽しむ為に。
「残念だったね。君のお友達は今死んだよ」
 城中に響き渡る声にならない絶望の慟哭が、モルテの退屈な時を一瞬だけ彩った。



 時は流れ200年後、モルテの呪いはまだ彼女を現世に縛り続けていた。
「考えれば私もバカよね」
 そう彼女が呟いたのは新天地にある深夜のバーの一室。
 そこで占いをする同僚のネフティーに、占い兼愚痴を聞いて貰いに来ていたのだ。
「わざわざ骨を折って夢を消してしまったのだもの」
 多くの客が将来の不安を胸に彼女の元を訪れる。しかし今宵の客は少し特殊だ。
「私のたった一人の友達は、こうして目を閉じればいつでも会えるのに」
 将来を望んでいないのだ。
 この、自分以外団長くらいしか会った事がないであろう最古の聖騎士は、未来など来て欲しくないと思っているのだ。
 聖騎士達は理由こそ違えど、皆未来の為に戦っている。だがこのアルトメリアだけは違った。
 彼女の心は200年前に置いてきたまま。思い出の中だけに生きている。
「会いたくなったら――会いたくなったら、こうして目を瞑るわ」
 酒に酔い初めて話した自分の昔話。
 寡黙な彼女は喋りつかれたのか、そのまま目を閉じて眠っている。
 その手を取って、自分も友達だと伝えようとしたネフティに突然、白昼夢のように未来が見えた。


 何か鉄の筒のようなものを突きつけられて、男のように勇ましい女の人に組み伏せられている女が居る。
「何故その魂を身代わりにしなかったの?」
 勇ましい女は組み伏せた女にそう尋ねた。
「ソレはもう貴女の友達でも何でもないモノなのに、そうすれば少なくとも相打ちぐらいには持ち込めたのに」
 そう言った先に立っているのは、呆けたようにその光景を眺めるエルフの少年。
「どうしてかしらね」
 下の女が言った。
「それでもやっぱり、大切な友達だから……」
 女は鉄の筒を突きつけられたまま、残った片手を少年の方に伸ばした。
「このまま私も魂だけになったら……あなたのように何もかも忘れちゃうのかしら」
 少年は問いかけに答えず、不思議そうに小首を傾げた。
「もしそうなったら……もう一度……」
 その様子を見て伸ばした手を力なく地面に落とす女。
「もう一度私と……友達になってくれる?」
 女は涙を流さないまま泣いていた。嬉しいのか、悲しいのか、或いはその両方なのか。
「エルロン……ごめんね……」
 下の女が目を閉じた時、鉄の筒は女の頭に火を吹いたのだった。



「どうしたの? ネフティー」
 アルトメリアの声に気が付くと、ネフティーは彼女の手を握り締めたまま固まっていた。
「ごめんなさい。何でも……何でもないんです」
「そう。……遅くまでごめんね。今日はありがとう」
 ネフティーは今自分が見たビジョンを悟られないように隠した。
 今まで未来を教えても予知が変わった事は一度も無かった。だから知らない方が幸せな未来もある。それが彼女が辛い人生で得た教訓だったから。
 しかし……
「きっと……きっとまた会えますよ」
 店から出て行く元地球人の女の後姿に、ネフティーはそっと祈るのだ。
「そのお友達に、いつかきっと」
 未来が変われば良いなと、ありったけの心を込めて。
 彼女は祈るのだった。


   ―終わり―



  • 徹底したスラヴィアイズムと記憶を持ったままのアルトメリアの間にいるエルロンが最後まで領民として生きたためかアルトメリアに違和感を感じるようになる興味深い展開でした。変化するスラヴィアンと魂のあり方も面白い解釈でした。未来のない過去にすがるだけの彼女が救われる日はいつか -- (名無しさん) 2014-06-22 19:14:14
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最終更新:2012年05月04日 23:24