第257話 動き始める切り札
1485年(1945年)11月11日 午前8時 ヒーレリ領ヴィアセロスコ
「畜生が……いつ見ても腹が立つぜ!!」
防衛線の塹壕内で、腹立たしげに放たれた声が響く。
ヴェセンドネ・クトインル大尉は、その声を咎める事無く、自らも上空に伸びる多数の飛行機雲を見つめていた。
「この陣地にとびっきり高い高度まで打ち上げられる高射砲があれば、ありったけの弾をお見舞いしてやるのによ!」
「おいおい、ウィリンチヤ。無い物ねだりしてもどうしようもないぞ?」
「んなこた分かってるよ。でもよ、こんな光景を見たら無い物ねだりの1つや2つでもしたくなるぜ……俺とお前も、生まれはランフックだ。
気持ちは分からんでも無いだろう?」
「言われずとも……だがな、ここで恨み節を叩くよりも、頼り無い部下達をどう鼓舞して行くかどうか……それを考えた方がいいと、俺は思うぞ。」
クトインル大尉は、後ろからぼそぼそと聞こえる会話に聞き耳を立てていたが、彼はこれ以上、部下達に無駄話をさせる積りはなかった。
「キシリヌィ中尉の言う通りだ。」
不意に口を開いたクトインル大尉は、くるりと後ろに振り返った。
彼の後ろには、休憩がてらに水を飲んでいたヴルコ・ヴェパンズナ中尉とウィクリン・キリリヌィ中尉が居た。
どちらも、20代半ばの青年士官だ。
「そろそろ、小休止が終わる。あと5分で隊に戻らなければ、部下に上官が遅刻した!と言われてしまうぞ?」
「ですね……それじゃあ、部下に示しがつかねぇや。」
「それでは、自分達は陣地に戻ります。おい、今日の課業が終わったら、久しぶりに一杯やらんか?」
「おう、考えとくよ。」
ヴェパンズナ中尉とキシリヌィ中尉は、互いに軽い口調で言い合ってから休憩所から離れて行った。
クトインル大尉は2人の部下が立ち去るのを見た後、再び上空に顔を向ける。
「……絶対防衛線の上空を、悠々と飛び去って行く敵機……か。もはや慣れたもんだが、“絶対防衛線”という名のついた陣地から見る光景としては、
これほど滑稽な物は無いだろうな。」
クトインル大尉は自嘲気味に呟く。
彼が目にしているのは、5000グレル以上の高度を、白煙を引きながら通過して行く、スーパーフォートレスの大群である。
数からして100機は下らない米重爆撃機の編隊は、爽やかな冬の青空に恨みがあるかのように、濃い飛行機雲で真っ白に覆わんとしている。
クトインル大尉がこの陣地に来て早3ヶ月……幾度も見慣れた光景だ。
「天候が崩れる前、ランフックとオシラヌク、クゼリニティの3都市に、マスタングに護衛されたスーパーフォートレスが表れ、爆撃予告の紙を
大量に落として行ったと聞く。あの爆撃機編隊は北東方向に向けて飛んでいる……連中の狙いは、ランフックか、あるいは、まだ無傷のクゼリニティの
いずれか、か。」
(恐らく、工業地帯が廃墟と化したランフックではなく、クゼリニティに向かっているのかも知れんな)
クトインル大尉は、最後の部分は心中でぼやきながら、ぐっと奥歯を噛みしめる。
彼は、第367歩兵師団第382歩兵連隊第2大隊の1中隊長として、部下の率いる4個小隊、計120名と共にこの陣地に配置されている。
この陣地に配属されるまでは、レスタン戦線や南大陸戦線といった、地獄の戦場を渡り歩いてきた。
名実共にに歴戦の士官であるクトインルの指揮中隊は、小隊指揮官や分隊指揮官全てが対米戦を経験して来た者ばかりであり、部隊の錬度も高く、
大隊の中では最も期待される中隊として注目を集めている。
クトインルは、自分と同様に、過去の戦闘で苦闘を味わった部下達を指揮できる事を素直に喜んだが、この防衛線に配置されてからは、気の滅入る事しか
起こらなかった。
そして、その気の滅入る出来事は、今もなお続いている。
その1つが、上空にたなびく無数の飛行機雲である。
連合軍の中でも最大勢力を誇るアメリカ軍は、レスタン領に航空基地を構えたあと、自慢の爆撃機を帝国本土中部にまで差し向けるようになった。
米軍の戦略爆撃機は、晴れ間が続く時は、3日に1度……場合によっては2日に1度の割合で西部絶対防衛線上空を飛び越し、帝国本土に戦略爆撃を浴びせ続けていた。
その中でも最大規模の爆撃は、8月30日のランフック大空襲である。
この時、防衛線上空は長時間に渡って、重爆撃機の爆音が鳴り続け、守備隊の将兵達は今までに経験した事の無い大編隊の通過に何かしらの不安を感じていた。
『ランフックに敵の大空襲、工場施設群壊滅せり。民間人の損害甚大なり』
という悲鳴じみた報告が伝えられたのは、それから間もなくの事であった。
このランフック大空襲で、シホールアンル側は死傷者26万人、罹災者数83万人という凄まじい損害を出しており、クトインルの中隊でも、ランフック出身の
将兵の中には、妻や家族、知人を失った者が居る。
その後も、ランフックには米軍の戦略爆撃機が2度飛来しているが、いずれもが昼間爆撃であり、かつ、事前に通告された事もあり、死傷者数は2度合わせて
500人足らずで済んだ物の、この2度の空襲で、最初の大空襲で辛うじて生きていた工場は全て潰されており、ランフックは、工場都市としての価値を完全に失った。
アメリカ軍は、9月以降も帝国中部地方への戦略爆撃を続け、これまでにガルビラスト、ジャンシヴル、ポエストリブ、クァーラルド、ギルガメルと、
中部地方から、ヒーレリ国境沿いにある主要工場都市、魔法石、金鉱山、軍事施設やワイバーン養成施設等の重要施設のある地域は、片っ端からB-29の
爆撃を食らっている。
特に10月に入ってからは、米戦略航空軍の活動はより活発化し、10月19日のポエストリブ市空襲では、現地側の手違いで避難指示が遅れてしまった結果、
ランフック市と同様の無差別爆撃が行われてしまった。
ポエストリブ市は、人口50万を誇る主要都市であったが、10月19日に来襲した290機のB-29は、都市近郊にある魔法石、金鉱山と精製工場を
狙って高高度絨毯爆撃を敢行した。
結果は悲惨な物であった。
B-29が投下した爆弾の大半は、爆撃直前になって避難命令を発せられ、住民の大半が逃げ惑う市街地北に落下し、甚大な損害をもたらした。
この無差別爆撃で、シホールアンル側は死傷者48920名、罹災者18万人を出し、金鉱山と魔法石鉱山は壊滅。
市街地の半分が全焼、並びに全半壊した。
この空襲の後、クトインルの所属している第2大隊の別の第4中隊長が、精神に変調を来して後送された。
この事件は、大隊のみならず、師団の将兵を大いに驚かせたが、クトインルが後に同僚の大隊幕僚から聞いた話では、第4中隊長はポエストリブの空襲で
夫と家族を亡くしていたと言う。
クトインルが見た限りでは、第4中隊長はどこか繊細さを感じさせる事はあれど、大抵は部下にも同僚にも、明るく接しており、同時に、クトインルと
共に数々の激戦を戦い抜いた歴戦の野戦指揮官でもあった。
だが、誰から見ても羨ましがられる存在であった第4中隊長は、敵の戦略爆撃によって精神を壊されてしまったのである。
(……丈夫そうに見えたあいつが、まさか、あんな事になるとは………)
クトインルは、朗らかな笑顔を浮かべながら、気軽に話しかけてきた元同僚の顔を思い出しながら、戦略爆撃の無情さを痛感していた。
「絶対防衛線……か。そもそも、絶対という言葉は、何事が起ころうとも、必ず、その通りに成せる、と言う意味である筈なんだがなぁ……」
彼は、次第に消えつつある飛行機雲の束を見つめ続ける。
「これじゃ、“絶対”という名は取っ払った方が良いな。」
クトインルは自嘲気味に言いながら、持っていたカップを空いた箱の上に置いた。
中隊指揮所に入った彼は、備え付けの椅子に座り、机の上に置いてあった書類に目を通して行く。
どこか抜けた表情で紙を見つめるクトインルに、中隊本部付の魔道士が、片手に紙を携えて歩み寄って来た。
「中隊長。大隊長より通信です。あと……そろそろ時間ですね。」
中隊本部付魔道士であるシヴェリィ・メヒロンヘ少尉が時計を見ながら話しかける。
透き通る様な白い肌に、肩まで伸ばした紫色の髪はなかなかに綺麗であり、中隊内では何かと人気の女魔道士である。
今年で19歳になる彼女は、出征前は首都にある家のパン屋で手伝いをしていたという。
16歳で陸軍魔道士学校に入り、18歳で卒業した彼女は、昨年のジャスオ領攻防戦で初陣を飾り、今年1月のレスタン攻防戦と、先のヒーレリ攻防戦にも
参加している。
任官以来、ずっと最前線に居た彼女は、今では実戦を経験した猛者として、中隊内では欠くべからず存在となっていた。
メヒロンヘ少尉が顔を向けた先に、クトインルも視線を送る。
時刻は午後8時10分を指している。
今日の様な晴れた日だと、この時間帯は必ずと言って良いほど、“定期便”が陣地上空に飛来していた。
「だな。対空部隊の連中は、そろそろ準備を済ませている頃か。」
クトインルがそう答えた時、唐突に空襲警報のサイレンが鳴り響いた。
クトインルは、メヒロンヘ少尉と顔を見合わせ、内心でやっぱりな、と呟いた。
「ようし!いつも通り、空襲に備えるぞ!魔道士、各小隊に伝達!定期便来たる、備えよ!」
「了解!各小隊に伝達いたします!」
メヒロンヘ少尉は命令を受け取ると、すぐに自分の席に戻り、各小隊に魔法通信を発し始めた。
それから2分後、メヒロンヘ少尉から“定期便”に関する情報が伝えられた。
「中隊長!前進観測班から通信が入りました!敵、戦爆連合編隊150機、第57軍団戦区に向かう!」
「こっちに来たか……」
クトインルは顔をしかめる。
彼の所属する第367歩兵師団は、第65軍所属の第57軍団指揮下にある。
第65軍は、第57軍団と第58軍団の計5個師団で編成されており、第57軍団は防衛線のやや北側に近い位置に配置されている。
連合軍は、防衛線に配置されている第65軍や、第42軍、第5石甲軍に対して、連日空襲を加えており、多い時には1日1000機もの敵編隊が、
数派に渡って襲って来る事もある。
シホールアンル側は、防衛線の塹壕陣地を強化したり、後方から対空部隊を増強する等して対応に当たっている。
今の所、連日の敵の猛爆にもかかわらず、被害は想定内で収まっている。
ここ数日は、悪天候で敵の爆撃が無かった事もあり、防衛線の各隊は補充を済ませて、万全の態勢で配置に付いていた。
空襲警報発令から15分後……前線に敵の戦爆連合編隊が現れた。
「来ました……敵機です!」
指揮所に設けられている、流動石で作られた防御陣地内で、覗き穴から上空を見張っていた兵士が声を上ずらせながら伝える。
その時、迎撃に飛び上がった40騎のワイバーンが前線を飛び去って行くのが見えた。
大きな翼を上下に動かしながら、猛速で飛び去って行くワイバーンの姿は実に頼もしい限りだが、前線の兵士達はそれに感動する事も無く、
ただひたすら、敵機が来るのを待ち構えていた。
「……始まったか。」
別の覗き穴から空を見つめていたクトインルがそう呟く。
迎撃に向かったワイバーンが、護衛の敵戦闘機と交戦を開始した。
上空から聞こえる音は、来襲しつつある敵機の物ばかりだ。
その音に、機銃の発射音とワイバーンが放つ光弾の発射音が混じり始めた。
ワイバーン群は、戦闘機の迎撃を突破して、後続の双発機群に襲い掛かろうとしているが、上手い具合に展開した敵戦闘機に阻まれ、
なかなか双発機群に近付けない。
不意に、敵機が火を吹いて墜落し始めた。
それまで、互いに1機も落ちぬまま激闘を続けていたが、この日はシホールアンル側が、最初の撃墜スコアを挙げたようだ。
続いて、2機目の敵機が機体から濃い白煙を引き始める。
ワイバーンの光弾を食らったのだろう。
敵戦闘機のシルエットは、翼が折れ曲がった胴体の長い物ばかりだ。
形からして、米海軍、または、米海兵隊所属のF4Uコルセアであろう。
「あるいは……」
クトインルは、米軍以外にもコルセアを有している国がある事を思い出す。
「……いや、連中が使っているからとはいえ、腕がアメリカ軍よりも劣る訳ではない。むしろ、アメリカ人以上にしつこい分、性質が悪いな。」
彼は舌打ち交じりに呟いた。
「敵編隊の一部がワイバーンの迎撃を振り切りました!我が大隊の陣地に向かって来ます!!」
見張りの兵が金切り声で報告を伝える。
先週の爆撃で元居た見張り員が戦死したため、新たに補充で送られて来た兵士だ。
中隊の陣地に設置されている対空砲と魔道銃が一斉に射撃を開始した。
迎撃を突破した敵機は20機前後。全てが単発機であり、その翼は全て折れ曲がって行った。
(クソ!“いつもの方法”で来るか!)
クトインルは忌々しげにそう思いながら、対空部隊が1機でも多くの敵機を撃ち落とす事を願った。
陣地に向かいつつある敵機は、全てコルセアである。
敵は、制空戦用と地上攻撃用のコルセアを用意していたようだ。
(コルセアに限らず、単発機が先に向かって来たとなると……対空部隊が先にやられるな)
クトインルは、今まで自分が経験してきた敵の攻撃パターンを思い出しながら、接近するコルセアを見つめ続ける。
コルセアの周囲に複数の光弾が注がれ、機体の横や上に高射砲弾が炸裂する。
しかし、低空を猛速で飛行するコルセアは、何ら有効弾を浴びる事も無く、あっという間に陣地へ迫って来た。
コルセアが機首の大馬力エンジンを鳴らしながら中隊の指揮壕の真上を通り過ぎようとする。
その時、コルセアが両翼から機銃を発し、次いでにロケット弾を撃ち放つのが見えた。
クトインルは、コルセアの胴体に描かれていた国籍マークを見るなり、眉をひそめた。
後方で爆裂音が響いた。
「ああっ!対空銃座が吹き飛びやがったぞ!」
不意に、誰かが悲鳴じみた声をあげた。
コルセアの攻撃で、連装式魔道銃を撃ち放っていた魔道銃座が、操作要員諸共爆砕されたのだ。
連装魔道銃座を操作するには、射手1名と魔法石を交換する給弾兵1名、予備の射手と観測主の計4名、または6名程が必要になる。
コルセアの攻撃は、その操作要員達全てを戦死させた事であろう。
(例え、あの攻撃で戦死しなくても、生存者は瀕死の重傷を負って、死よりも辛い試練を味わう事になる。そうなるよりは、一息に殺された方が楽だろうな)
クトインルは銃座の将兵達の苦闘に心を痛めると同時に、銃座の配備なにらなくて良かったと言う矛盾した……人間としてはある意味、当然とも言える
思いを感じていた。
侵入したコルセアは、真っ先に銃座や対空砲を潰していた。
コルセアに積んでいた5インチロケット弾は、高速で銃座や砲座に突き刺さり、操作していた兵を微塵に吹き飛ばし、あるいは破片で切り刻んだ。
ある砲座がロケット弾攻撃を受け、高射砲と兵が諸共ミンチにされた直後、積まれていた砲弾に誘爆して大きな爆炎が噴き上がった。
轟音と共に黒煙が噴き上がり、それが見る者の恐怖を煽り立てた。
別の銃座はコルセアの放った12.7ミリ機銃弾をしこたま食らってしまう。
必死の形相で魔道銃を撃っていた兵士が、高速弾の直撃で体の頭部や四肢を吹き飛ばされ、逃げようとしていた兵が腹や胸に大穴を開けられ、傷口から鮮血を
噴き出しながら倒れ込む。
銃座は12.7ミリ弾の集中射撃を受けてたちどころに穴だらけになり、一瞬にして使い物にならなくなった。
苦戦する対空部隊だったが、攻撃を受ける側も一方的にやられている訳では無く、魔道銃の反撃で1機のコルセアが撃墜され、猛速で地面に突っ込む。
その直後、機体がばらばらに吹き飛び、頑丈なエンジンブロックや、現芸を留めていた胴体後部や尾翼等が勢い良く転がり回り、燃料タンクから
漏れ出たガソリンが引火して、火焔が広がった。
この他にも、3機のコルセアが機体に命中弾を受け、白煙を引きながらよろよろと引き上げて行った。
だが、残ったコルセアは執拗に魔道銃座や砲座に機銃掃射とロケット弾攻撃を加える。
コルセアの中には、ロケット弾の他に爆弾を積んだ機もあり、それらの機体は塹壕陣地や、固い要塞陣地めがけて爆弾を投下した。
爆弾が地面に落下して爆裂する度に、強い振動がクトインルの居る指揮所を揺さぶる。
1発の爆弾は指揮所より30メートルほど手前に落下し、爆発の直後に大量の土砂が、壕の天蓋に降り注いだ。
コルセアの攻撃は10分程で終わったが、その直後に、別の敵が防御陣地に迫りつつあった。
「正面より新たな敵!突っ込んで来ます!!」
見張りに言われるまでも無く、クトインルは爆風を受けても無事に残っていた観測穴からその敵を見据えた。
「コルセアの次はインベーダーか。本当、いつも通りだな!」
クトインルは憎らしげに言い放った。
防御陣地めがけて、40機前後のインベーダーが向かいつつあった。
高度は500グレル(1000メートル)程だが、敵編隊は高度を落としつつある。
敵編隊は10機前後の編隊を3つ形成しており、そのうちの1つが、クトインルの居る中隊を目指していた。
「来るぞ!衝撃に備えろ!!」
クトインルはそう叫んだ後、両耳を塞いでから地面にうずくまった。
彼に習うようにして、指揮所の将兵全員が同様の恰好を取る。
暖降下して来たインベーダーが、高度250グレルで爆弾を投下した。
この時、A-26の胴体に積まれていた爆弾は250ポンド爆弾が4発であった。
1機あたり4発……12機計48発の爆弾が中隊の塹壕陣地めがけてばら撒かれ、そう間を置かぬ内に着弾した。
指揮所内に次々と爆弾が炸裂する轟音と震動が響き渡り、体にびりびりと伝わって行く。
特に爆発音は凄まじく、両手で塞いでいる筈の耳の鼓膜が破れたかと思わんばかりだ。
出入り口に爆弾の爆発で噴き上げられた土砂が音立てて降り注ぎ、指揮所内には濃い土煙が充満した。
轟音が鳴りを潜め、耳元の金切り音が収まった後、クトインルは閉じていた目を開き、いつの間にか止めていた呼吸を再開させる。
その瞬間、指揮所内に充満していた土煙と、鼻をつく火薬の匂いを感じ、思わずむせてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
真向かいに居る人影が声を掛けて来る。その声の人物も、あまりの息苦しさに激しく咳込む。
「あ、ああ。俺は大丈夫だ。それよりも、早くこの空気をなんとかしないと。」
クトインルは、机に置かれていた紙を2、3枚手に取り、室内に充満する土煙を外に向けて仰ぎ出す。
内部に居た兵達も同じように、持っていたハンカチや、素手で土煙を外に追い出して行く。
程無くして、指揮所内から土煙を追い出すと、クトインルは指揮下の小隊に被害状況を確かめさせた。
「中隊長……さっきのコルセア見ましたか?」
不意に、先程の見張り員がクトインルに話しかけてきた。
「ああ。見たぞ。あれがどうかしたか?」
「あのコルセア……ミスリアルの国籍マークを付けていましたよ!ミスリアルの長耳共も飛空挺を操っているらしいと聞いた事はありましたが……
まさか、本当に使っていたとは。」
「そう言えば、貴様はこの戦線に来たばかりで、あまり知らなかったな。」
クトインルは、この兵士が北から来た補充兵である事を思い出しながら説明していく。
「連合軍の中で中核を成すアメリカ人共は、陸戦兵器だけではなく、空戦兵器までもを、同盟国に供与している。今の“ミスリアル軍コルセア戦闘隊”
がその証拠さ。そのお陰で、森の住人達は晴れて、大空をも支配下に収める事が出来た、と言う訳だ。」
兵士があっけに取られた表情で、クトインルの顔をまじまじと見つめた。
それに、クトインルは心中で落胆しつつも説明を続ける。
「俺も、最初は貴様と同じような思いだったが、今では、エルフの連中がアメリカ製の戦闘機を使って暴れ回る事には何も感じなくなったよ。」
「アメリカ製の軍用機を使いまくっているのは、ミスリアル軍だけじゃない。カレアント軍なんかも大量に運用しているよ。」
こっそりと話を聞いていたメヒロンヘ少尉も話に加わって来た。
「あんたがここに来る1週間前にあった空襲は、カレアント軍主体の航空部隊だったな。」
「連中、最近はエアラコブラだけじゃなく、サンダーボルト(P-47)やミッチェル(B-25)まで投入して来てる。カレアントの連中は、
アメリカさん相手によっぽど、良い商売をしているようだな。」
「一昔前まではウチらと同じ、ワイバーン中心の編成だったのに、今ではすっかりアメリカ軍機ばかりです。連中の変わり身の早さは、我々も
見習いたいぐらいですね。あ、というか、そうさせるアメリカの物量を見習う、と言った方が良いかもしれないですね。」
「あ……アメリカって……」
2人の上官の発する言葉の前に、補充の見張り員は思考が追い付かなくなり、頭から湯気を立て始めた。
「おっと、魔法通信が………中隊長、各小隊から被害報告が入りました。」
「ほう、早いな。」
クトインルは、報告が早い事にやや感心しつつ、メヒロンヘ少尉に報告を伝えるように促した。
「まず、第1小隊ですが、死者、負傷者共に無し。第2小隊、負傷者2名、いずれも軽傷で後送の必要無し。第3小隊、負傷者5名、うち、2名重傷、
後送の要あり。第4小隊、戦死者1、負傷者6、うち、3名重傷、後送の要あり、以上です。」
「第4小隊の被害がやや大きいのが気になるが……中隊の戦力はさほど低下していないな。大体に付いていた対空中隊の損害はどうなっている?」
「報告はまだ上がっては居ませんが……インベーダーの編隊が接近する頃には、全くと言って良いほど応戦がありませんでした。恐らくは……」
「全滅……か。」
クトインルはにべもなく答えた。
それを見た補充兵は驚いてしまった。
「ちゅ、中隊長殿……味方が全滅したのに、何も感じないのですか?」
「何も感じないだと。」
クトインルは補充兵に顔を向ける。彼としては軽い口調で言ったつもりだったが、補充兵は何故か縮み上がってしまっていた。
「い、いえ!失礼しました!!」
「?……何を急に畏まっとるんだ。」
「中隊長、中隊長……何気に怖い顔をしていますよ。」
メヒロンヘからそう指摘された彼は、いつの間にか、その新兵を睨みつけている事に(彼は別にそのつもりはなかった)気が付いた。
「いやぁ、すまんね。別に貴様を怒った訳では無いんだが。」
クトインルは笑顔を作り、新兵にそう言った。
「先程の貴様の問いに対する答えだが……別に、何も感じとらん訳ではないぞ。内心では辛いと思っている。だがな……俺達は余りにも多くの死を見過ぎて、
こんな事には慣れてしまったんだ。貴様が、俺を冷酷呼ばわりした事は仕方ない事だ。」
「い、いえ。自分は決して、そのような事は!」
「いや、構わんよ。むしろ……戦争と言う物は、冷酷に……感情を冷たくし、そして、あまり深く考えん方が良い。特に、俺達の様な最前線に立つ人間はな。
そうしなければ敵を撃ち殺す事は出来ないよ。」
「は、はぁ……」
「だから、これだけは覚えておいてくれ。俺は別に、味方の死を痛くないとは思っていない。むしろ、痛いと表現できなくなった、とな。」
「まっ、あんたもいずれは同じ様になるわよ。新兵さん?」
メヒロンヘが上目遣いになりながら新兵にそう語りかけた。
その直後、再び空襲警報のサイレンが響き渡った。
「おっと、早速第2波が来たぞ。」
「え、ええ!?もう別の敵が来たんですか!?」
新兵は、空襲の間の短さに仰天していた。
「……新米。ここは最前線だ。連合軍の連中が第2波、第3波と空襲部隊を送り出すのはいつもの事さ。」
「こんな事でいちいち驚いてちゃ、身が持たないよぉ?」
クトインルとメヒロンヘは、共にしたり顔で言い放った。
第2波は、米軍のB-24爆撃機とP-47戦闘機、計280機の戦爆連合編隊であり、これらは第58軍団の陣地を爆撃し、同地を守っていた
第255歩兵師団に少なからぬ打撃を与えていた。
1485年(1945年)11月13日 午後8時 レンベルリカ連邦共和国ジヴェスコルク
「それで、俺は高度300まで降下してから爆弾を落とした訳さ。その後、引き起こしをかけて機体を安定させたけど……やっぱ、スカイレイダーは
ヘルダイバーよりも上等な飛行機だな。」
ジヴェスコルク軍港の外にあるバーで、友人と共にビールを飲んでいたカズヒロ・シマブクロ少尉(今年5月に昇進)は、愛機の素直な性能を自慢気に話す。
「俺も、ベアキャットに乗ってからはお前と同じように感じたよ。ヘルキャットも操縦し易い飛行機だったけど、ベアキャットはそれ以上さ。なにしろ、
垂直面の格闘性能だけじゃなく、水平面の旋回性能も段違いだ。」
「空手の試合で、いつも相手を翻弄させているお前にはぴったりじゃないか?ベアキャットは。」
「だな。いつか、グラマン社の技術者にドーナツでも送ってやろうかね。」
ケンショウ・ミヤザト少尉(今年5月に昇進)も微笑を浮かべながら、軽い冗談を言い放った。
「姉さん。ビールもう一杯。」
カズヒロは、空になったグラス指で小突きつつ、カウンターのスタッフに注文を取った。
「はいよ!」
髪をポニーテール状に結った女性スタッフは、張りの良い一声を発しながらビールの入ったグラスを置いた。
「ありがとう。そういえば、ベネイシアの姉さんは最近、よくここで働いてるけど、本業はどうした?」
ベネイシアと呼ばれたカウンターの女性スタッフは、カズヒロの問いに苦笑しながら答えた。
「いやぁ、ここ最近は害獣があまり出なくなってね。ハンター業だけじゃ収入が少ないから、こうしてしがないアルバイトをしてるの。毎度毎度、
下手な接客でゴメンね。」
「いやいや、そんな事無いさぁ。美人さんの注いでくれるビールは何杯飲んでも美味いよ。」
カズヒロのキザな言葉に、ベネイシアは満面の笑みを浮かべる。
「あら。流石はアメリカ海軍のパイロットさん。紳士ですねぇ。」
「姉さん。こいつの心は真っ黒だから、あまり信用しない方が良いよ。」
そこにケンショウがおどけた口ぶりで注意を促した。
「おぃ!いらん事言うな!」
カズヒロが鋭いツッコミを入れるが、ケンショウは気に留める事も無く、澄まし顔のままビールを飲んだ。
「失礼だが、隣に座ってもいいか?」
不意に、カズヒロは後ろから声を掛けられた。
「いいよいいよ。好きに座ったらいいさ。」
カズヒロは投げやりな口調で答えながら、後ろを振り返った。
そこには、大尉の階級章を付けた男と、中尉の階級章を付けた黒人士官が居た。
ウィングマークを付けている事から、カズヒロと同じく、母艦航空隊のパイロットだろう。
「し、失礼しました!!」
カズヒロは慌てて立ち上がり、2人の上官に敬礼する。
ケンショウも、何事かとばかりにゆっくり振り向いた後、ハッとなって席を立った。
「ハハハ。別に畏まらなくてもいいぜ。まっ、楽にしな。」
大尉はカズヒロのぞんざいな対応を何ら咎める事無く、2人に席に座るように促した。
カズヒロは、2人の上官が席に座るのを確認してから、自らも腰を下ろした。
「ヘイ!ビールを2つ頼む!」
「わかりましたぁ。ちょっと待ってて下さいね。」
カウンターのベネイシアが朗らかに答えてから、グラスにビールを注ぐ。
「はい。どうぞ~。」
程無くして、ビールが運ばれて来た。
それを受け取った大尉と中尉は、一口含む前にカズヒロ達に顔を向けた。
「どうだ?ここは同じ、母艦航空隊の仲間として一緒に乾杯しないか?」
「は……はい!それでは……」
カズヒロとケンショウは、おずおずとしながらも、片手にグラスを持った。
「乾杯!」
大尉が音頭を取り、4人はグラスを合わせた。
ビールを少しばかり飲んだ優男風(変装すれば女に見えそうだ)の大尉がカズヒロとケンショウに向けて口を開いた。
「ここで会ったのも縁だ。互いに自己紹介と行こうじゃないか。」
「はい。それでは、自分から……」
カズヒロはグラスを置き、自己紹介を始めた。
「自分はカズヒロ・シマブクロ少尉と申します。所属は空母イントレピッドのVB-12であります。」
「ケンショウ・ミヤザト少尉と申します。所属は同じく、イントレピッド。VF-12であります。」
「イントレピッドか。と言う事は、君達はTG38.3の所属になるのか。」
「はい。」
中尉の言葉に、カズヒロが答える。
TG38.3は、エセックス級空母3隻を主力に構成された空母機動部隊であり、イントレピッドは、その3隻のうちの1隻である。
「俺はリンゲ・レイノルズ大尉だ。空母エンタープライズの戦闘機隊中隊長をやっている。で、こいつはおれの相棒、フォレスト・ガラハー少尉だ。
俺の指揮下で戦闘機小隊を率いている。」
「エンタープライズ……あのビッグEのパイロットでありますか!?」
カズヒロは、驚きの余り声をあげてしまった。
「おう、そのビッグEのパイロットだぜ。大いに驚きな!」
ガラハーが威張りながら言って来るが、リンゲが彼の肩を叩いて注意する。
「コラ!大仰に威張ってんじゃねえ!」
「いや、冗談ですよ、冗談。」
ガラハーはわざとらしく答えてから、ビールを口に含んだ。
「うちの中尉さんが威張り散らして申し訳ないね。さて……この第3艦隊に配属されているとなると、お2人さんも実戦を経験して来たようだが……
いつから空母に乗っている?」
「43年の6月からです。初陣は9月のマルヒナス運河攻撃です。」
ケンショウが答える。
「それ以降は、地上支援に従事していましたが、昨年のレビリンイクル沖海戦と、今年1月のレーミア沖海戦には参加しています。」
「レビリンイクルとレーミアの海戦に参加しているとは……歴戦のパイロットだな。」
ケンショウの言葉に、リンゲはやはりかと思った。
最初、2人を見たリンゲは、その落ち着いた物腰や顔つきからして、それなりの経験を積んだベテランであると確信していた。
43年から空母に乗り、特に犠牲の多かったレビリンイクル沖海戦やレーミア沖海戦といった大海空戦を戦い抜いた腕は素直に評価出来ると、
リンゲとガラハーは思っていた。
「シマブクロ少尉は艦爆乗りとして、ミヤザト少尉は戦闘機乗りとして2年近く戦い抜いてきた事になりますね。」
「その間……2人も色々と体験してきただろう。楽しい事も、辛い事も……」
リンゲの発する言葉に、2人は一様に頷く。
「大尉のおっしゃる通りです。自分なんかは、戦友の相次ぐ戦死に、一時は心が折れかけましたが……周りの人達が支えてくれたお陰で、何とか前線に
踏みとどまる事が出来ました。」
カズヒロがしみじみとした表情でリンゲに言う。
「みんなも似たような事は経験している。どんなに腕が良くても、天才と呼ばれようとも、それは避けては通れん道だ。」
リンゲも感傷に耽りながら、ビールを飲んで行く。
「……そう言えば、気になった事があるんですが。」
ケンショウはここぞとばかりに話題を変えた。
「自分達はずっと、ここで訓練を行っておりますが……我々はいつ、どこに向けて出撃するんでしょうか?」
リンゲは、内心ではまたかと思いつつも、おどけた表情で肩を竦めた。
「さあね。俺もわからんよ。」
「やはり、ですか………」
カズヒロは、不満顔でビールを飲む。
「太平洋戦線の第5艦隊は、近々シェルフィクル攻撃を行うらしいと言われています。それなのに、第3艦隊が後方で訓練ばっかり、というのは
おかしいと思いませんか?」
ケンショウも、第3艦隊司令部のやり方を快く思っていないのか、苛立ちを含んだ口調で言い放つ。
「そもそも、自分達は充分に経験を積み、新型機の慣熟も既に終わっています。確かに、訓練は必要だとは思いますが……このまま待機が続くのも考え物ですよ。」
「そうです!太平洋戦線では、1隻でも多くの正規空母が必要だと言うのに……」
リンゲは、血気に逸る2人の少尉を見つめながら、クスリと笑った。
「……な、何かまずい事でも言ってしまいましたか?」
「ん?ああ、別にそうじゃないぞ、シマブクロ少尉。」
リンゲの反応に戸惑うカズヒロに対して、リンゲは片手を振りながら否定した。
「実を言うとね、うちの部下達も君と似たような事を何度も言うんだよ。出撃はまだですか?次はどこを攻撃するんですか?とね。俺も、出撃がいつで、
艦隊がどこに行くかは全く分からんから、余計な事を考えずに目の前の事に集中しろ!と、どやしつけるんだがね。」
「しかし、そろそろ上もハッキリしてくれんと困りますね。抑え役になるこっちの事も考えて欲しい物です。」
ガラハーが苦笑しながらリンゲに言って来る。
「その通りだな。まっ、いずれはここから動く時が来る。それだけは、ほぼ確実だろう。」
リンゲは、自分に言い聞かせるようにそう断言した。
「え~。それだと、ちょっと困るわねぇ。」
ふと、会話を聞いていたベネイシアが、やや困り顔で言って来た。
「うん?どうしてだい?」
「だって……せっかくの金ヅルが居なくなってしまうんですもの。」
「おいおいおい、そのストレート過ぎる表現はどうかと思うぞ?」
リンゲが、やや体を引かせながらベネイシアに言う。
「ああ、ごめんなさいね。つい、本音が。」
「本音かよ。」
カズヒロとケンショウが苦笑しながら突っ込んだ。
「あと……夜のお相手が減ってしまうのも、問題かなぁ。」
ベネイシアはそう言いながら、自らのボディラインを見せ付けるかのような扇情的なポーズを取る。
「おあいにく様、合衆国海軍は、夫さんのいるレディーはあまり好まないんでね。夜のお供は、いつもお付き合いしている彼で我慢してやってくれ。
でないと、本命さんの彼が泣いちまうぜ?」
リンゲの何気無い一言に、ベネイシアは顔を膨らませた。
「何よ!ケチ!!」
その一言に、4人は失笑を浮かべた。
平穏な一日はあっという間に過ぎ去り、4人はほろ酔い気分で母艦に戻って行った。
第3艦隊を覆い始めていたゆるい空気は、翌日、一変する事になるが、この時は、誰もが明日の予定を難無くこなす事ばかりに思いを馳せていた。
11月14日 午前9時 ジヴェスコルク沖北西20マイル地点
この日の早朝に出港した第38任務部隊第3任務群は、一路、進出予定点であるオレンジ点まで、18ノットの速力で航行を続けていた。
TG38.3旗艦である空母イントレピッドの艦橋では、群司令であるクリフトン・スプレイグ少将が司令官席に座ったまま、通信参謀から今しがた
入ったばかりの通信文を受け取り、それに目を通していた。
「………確かに、艦隊司令部から送られて来たのだな?」
「はい。」
通信参謀は即答しながら頷いた。
「宜しい。では、命令通りに動くとしよう。」
スプレイグ少将は、心中で遂に来たかと呟きつつ、口から命令を発した。
「各艦に伝達。針路変更!艦隊各艦は、針路360度に変針せよ!」
「針路変更、新針路360度。アイアイサー。」
命令は即座に全艦に伝わった。
TG38.3を構成する全艦は、統制の取れた動きで一斉に針路を変えて行く。
輪形陣の中央に位置するエセックス、イントレピッド、ボクサーが左に大きく転舵し、それに習うかのように、外周を固める巡洋戦艦アラスカ、
コンステレーション以下の護衛艦が艦の向きを変えて行く。
程無くして、針路の変更を終えた、大小35隻の艦艇は、18ノットの速度を保ったまま北へ向かって行った。
「宛 第38任務部隊第3任務群指揮官
発 第3艦隊司令部
TG38.3は、全艦をもってダッチハーバーへ急行せよ。尚、TG38.1,
TG38.2は、明後日以内に出港する見込みなり」
1485年(1945年)11月11日 午前8時 ヒーレリ領ヴィアセロスコ
「畜生が……いつ見ても腹が立つぜ!!」
防衛線の塹壕内で、腹立たしげに放たれた声が響く。
ヴェセンドネ・クトインル大尉は、その声を咎める事無く、自らも上空に伸びる多数の飛行機雲を見つめていた。
「この陣地にとびっきり高い高度まで打ち上げられる高射砲があれば、ありったけの弾をお見舞いしてやるのによ!」
「おいおい、ウィリンチヤ。無い物ねだりしてもどうしようもないぞ?」
「んなこた分かってるよ。でもよ、こんな光景を見たら無い物ねだりの1つや2つでもしたくなるぜ……俺とお前も、生まれはランフックだ。
気持ちは分からんでも無いだろう?」
「言われずとも……だがな、ここで恨み節を叩くよりも、頼り無い部下達をどう鼓舞して行くかどうか……それを考えた方がいいと、俺は思うぞ。」
クトインル大尉は、後ろからぼそぼそと聞こえる会話に聞き耳を立てていたが、彼はこれ以上、部下達に無駄話をさせる積りはなかった。
「キシリヌィ中尉の言う通りだ。」
不意に口を開いたクトインル大尉は、くるりと後ろに振り返った。
彼の後ろには、休憩がてらに水を飲んでいたヴルコ・ヴェパンズナ中尉とウィクリン・キリリヌィ中尉が居た。
どちらも、20代半ばの青年士官だ。
「そろそろ、小休止が終わる。あと5分で隊に戻らなければ、部下に上官が遅刻した!と言われてしまうぞ?」
「ですね……それじゃあ、部下に示しがつかねぇや。」
「それでは、自分達は陣地に戻ります。おい、今日の課業が終わったら、久しぶりに一杯やらんか?」
「おう、考えとくよ。」
ヴェパンズナ中尉とキシリヌィ中尉は、互いに軽い口調で言い合ってから休憩所から離れて行った。
クトインル大尉は2人の部下が立ち去るのを見た後、再び上空に顔を向ける。
「……絶対防衛線の上空を、悠々と飛び去って行く敵機……か。もはや慣れたもんだが、“絶対防衛線”という名のついた陣地から見る光景としては、
これほど滑稽な物は無いだろうな。」
クトインル大尉は自嘲気味に呟く。
彼が目にしているのは、5000グレル以上の高度を、白煙を引きながら通過して行く、スーパーフォートレスの大群である。
数からして100機は下らない米重爆撃機の編隊は、爽やかな冬の青空に恨みがあるかのように、濃い飛行機雲で真っ白に覆わんとしている。
クトインル大尉がこの陣地に来て早3ヶ月……幾度も見慣れた光景だ。
「天候が崩れる前、ランフックとオシラヌク、クゼリニティの3都市に、マスタングに護衛されたスーパーフォートレスが表れ、爆撃予告の紙を
大量に落として行ったと聞く。あの爆撃機編隊は北東方向に向けて飛んでいる……連中の狙いは、ランフックか、あるいは、まだ無傷のクゼリニティの
いずれか、か。」
(恐らく、工業地帯が廃墟と化したランフックではなく、クゼリニティに向かっているのかも知れんな)
クトインル大尉は、最後の部分は心中でぼやきながら、ぐっと奥歯を噛みしめる。
彼は、第367歩兵師団第382歩兵連隊第2大隊の1中隊長として、部下の率いる4個小隊、計120名と共にこの陣地に配置されている。
この陣地に配属されるまでは、レスタン戦線や南大陸戦線といった、地獄の戦場を渡り歩いてきた。
名実共にに歴戦の士官であるクトインルの指揮中隊は、小隊指揮官や分隊指揮官全てが対米戦を経験して来た者ばかりであり、部隊の錬度も高く、
大隊の中では最も期待される中隊として注目を集めている。
クトインルは、自分と同様に、過去の戦闘で苦闘を味わった部下達を指揮できる事を素直に喜んだが、この防衛線に配置されてからは、気の滅入る事しか
起こらなかった。
そして、その気の滅入る出来事は、今もなお続いている。
その1つが、上空にたなびく無数の飛行機雲である。
連合軍の中でも最大勢力を誇るアメリカ軍は、レスタン領に航空基地を構えたあと、自慢の爆撃機を帝国本土中部にまで差し向けるようになった。
米軍の戦略爆撃機は、晴れ間が続く時は、3日に1度……場合によっては2日に1度の割合で西部絶対防衛線上空を飛び越し、帝国本土に戦略爆撃を浴びせ続けていた。
その中でも最大規模の爆撃は、8月30日のランフック大空襲である。
この時、防衛線上空は長時間に渡って、重爆撃機の爆音が鳴り続け、守備隊の将兵達は今までに経験した事の無い大編隊の通過に何かしらの不安を感じていた。
『ランフックに敵の大空襲、工場施設群壊滅せり。民間人の損害甚大なり』
という悲鳴じみた報告が伝えられたのは、それから間もなくの事であった。
このランフック大空襲で、シホールアンル側は死傷者26万人、罹災者数83万人という凄まじい損害を出しており、クトインルの中隊でも、ランフック出身の
将兵の中には、妻や家族、知人を失った者が居る。
その後も、ランフックには米軍の戦略爆撃機が2度飛来しているが、いずれもが昼間爆撃であり、かつ、事前に通告された事もあり、死傷者数は2度合わせて
500人足らずで済んだ物の、この2度の空襲で、最初の大空襲で辛うじて生きていた工場は全て潰されており、ランフックは、工場都市としての価値を完全に失った。
アメリカ軍は、9月以降も帝国中部地方への戦略爆撃を続け、これまでにガルビラスト、ジャンシヴル、ポエストリブ、クァーラルド、ギルガメルと、
中部地方から、ヒーレリ国境沿いにある主要工場都市、魔法石、金鉱山、軍事施設やワイバーン養成施設等の重要施設のある地域は、片っ端からB-29の
爆撃を食らっている。
特に10月に入ってからは、米戦略航空軍の活動はより活発化し、10月19日のポエストリブ市空襲では、現地側の手違いで避難指示が遅れてしまった結果、
ランフック市と同様の無差別爆撃が行われてしまった。
ポエストリブ市は、人口50万を誇る主要都市であったが、10月19日に来襲した290機のB-29は、都市近郊にある魔法石、金鉱山と精製工場を
狙って高高度絨毯爆撃を敢行した。
結果は悲惨な物であった。
B-29が投下した爆弾の大半は、爆撃直前になって避難命令を発せられ、住民の大半が逃げ惑う市街地北に落下し、甚大な損害をもたらした。
この無差別爆撃で、シホールアンル側は死傷者48920名、罹災者18万人を出し、金鉱山と魔法石鉱山は壊滅。
市街地の半分が全焼、並びに全半壊した。
この空襲の後、クトインルの所属している第2大隊の別の第4中隊長が、精神に変調を来して後送された。
この事件は、大隊のみならず、師団の将兵を大いに驚かせたが、クトインルが後に同僚の大隊幕僚から聞いた話では、第4中隊長はポエストリブの空襲で
夫と家族を亡くしていたと言う。
クトインルが見た限りでは、第4中隊長はどこか繊細さを感じさせる事はあれど、大抵は部下にも同僚にも、明るく接しており、同時に、クトインルと
共に数々の激戦を戦い抜いた歴戦の野戦指揮官でもあった。
だが、誰から見ても羨ましがられる存在であった第4中隊長は、敵の戦略爆撃によって精神を壊されてしまったのである。
(……丈夫そうに見えたあいつが、まさか、あんな事になるとは………)
クトインルは、朗らかな笑顔を浮かべながら、気軽に話しかけてきた元同僚の顔を思い出しながら、戦略爆撃の無情さを痛感していた。
「絶対防衛線……か。そもそも、絶対という言葉は、何事が起ころうとも、必ず、その通りに成せる、と言う意味である筈なんだがなぁ……」
彼は、次第に消えつつある飛行機雲の束を見つめ続ける。
「これじゃ、“絶対”という名は取っ払った方が良いな。」
クトインルは自嘲気味に言いながら、持っていたカップを空いた箱の上に置いた。
中隊指揮所に入った彼は、備え付けの椅子に座り、机の上に置いてあった書類に目を通して行く。
どこか抜けた表情で紙を見つめるクトインルに、中隊本部付の魔道士が、片手に紙を携えて歩み寄って来た。
「中隊長。大隊長より通信です。あと……そろそろ時間ですね。」
中隊本部付魔道士であるシヴェリィ・メヒロンヘ少尉が時計を見ながら話しかける。
透き通る様な白い肌に、肩まで伸ばした紫色の髪はなかなかに綺麗であり、中隊内では何かと人気の女魔道士である。
今年で19歳になる彼女は、出征前は首都にある家のパン屋で手伝いをしていたという。
16歳で陸軍魔道士学校に入り、18歳で卒業した彼女は、昨年のジャスオ領攻防戦で初陣を飾り、今年1月のレスタン攻防戦と、先のヒーレリ攻防戦にも
参加している。
任官以来、ずっと最前線に居た彼女は、今では実戦を経験した猛者として、中隊内では欠くべからず存在となっていた。
メヒロンヘ少尉が顔を向けた先に、クトインルも視線を送る。
時刻は午後8時10分を指している。
今日の様な晴れた日だと、この時間帯は必ずと言って良いほど、“定期便”が陣地上空に飛来していた。
「だな。対空部隊の連中は、そろそろ準備を済ませている頃か。」
クトインルがそう答えた時、唐突に空襲警報のサイレンが鳴り響いた。
クトインルは、メヒロンヘ少尉と顔を見合わせ、内心でやっぱりな、と呟いた。
「ようし!いつも通り、空襲に備えるぞ!魔道士、各小隊に伝達!定期便来たる、備えよ!」
「了解!各小隊に伝達いたします!」
メヒロンヘ少尉は命令を受け取ると、すぐに自分の席に戻り、各小隊に魔法通信を発し始めた。
それから2分後、メヒロンヘ少尉から“定期便”に関する情報が伝えられた。
「中隊長!前進観測班から通信が入りました!敵、戦爆連合編隊150機、第57軍団戦区に向かう!」
「こっちに来たか……」
クトインルは顔をしかめる。
彼の所属する第367歩兵師団は、第65軍所属の第57軍団指揮下にある。
第65軍は、第57軍団と第58軍団の計5個師団で編成されており、第57軍団は防衛線のやや北側に近い位置に配置されている。
連合軍は、防衛線に配置されている第65軍や、第42軍、第5石甲軍に対して、連日空襲を加えており、多い時には1日1000機もの敵編隊が、
数派に渡って襲って来る事もある。
シホールアンル側は、防衛線の塹壕陣地を強化したり、後方から対空部隊を増強する等して対応に当たっている。
今の所、連日の敵の猛爆にもかかわらず、被害は想定内で収まっている。
ここ数日は、悪天候で敵の爆撃が無かった事もあり、防衛線の各隊は補充を済ませて、万全の態勢で配置に付いていた。
空襲警報発令から15分後……前線に敵の戦爆連合編隊が現れた。
「来ました……敵機です!」
指揮所に設けられている、流動石で作られた防御陣地内で、覗き穴から上空を見張っていた兵士が声を上ずらせながら伝える。
その時、迎撃に飛び上がった40騎のワイバーンが前線を飛び去って行くのが見えた。
大きな翼を上下に動かしながら、猛速で飛び去って行くワイバーンの姿は実に頼もしい限りだが、前線の兵士達はそれに感動する事も無く、
ただひたすら、敵機が来るのを待ち構えていた。
「……始まったか。」
別の覗き穴から空を見つめていたクトインルがそう呟く。
迎撃に向かったワイバーンが、護衛の敵戦闘機と交戦を開始した。
上空から聞こえる音は、来襲しつつある敵機の物ばかりだ。
その音に、機銃の発射音とワイバーンが放つ光弾の発射音が混じり始めた。
ワイバーン群は、戦闘機の迎撃を突破して、後続の双発機群に襲い掛かろうとしているが、上手い具合に展開した敵戦闘機に阻まれ、
なかなか双発機群に近付けない。
不意に、敵機が火を吹いて墜落し始めた。
それまで、互いに1機も落ちぬまま激闘を続けていたが、この日はシホールアンル側が、最初の撃墜スコアを挙げたようだ。
続いて、2機目の敵機が機体から濃い白煙を引き始める。
ワイバーンの光弾を食らったのだろう。
敵戦闘機のシルエットは、翼が折れ曲がった胴体の長い物ばかりだ。
形からして、米海軍、または、米海兵隊所属のF4Uコルセアであろう。
「あるいは……」
クトインルは、米軍以外にもコルセアを有している国がある事を思い出す。
「……いや、連中が使っているからとはいえ、腕がアメリカ軍よりも劣る訳ではない。むしろ、アメリカ人以上にしつこい分、性質が悪いな。」
彼は舌打ち交じりに呟いた。
「敵編隊の一部がワイバーンの迎撃を振り切りました!我が大隊の陣地に向かって来ます!!」
見張りの兵が金切り声で報告を伝える。
先週の爆撃で元居た見張り員が戦死したため、新たに補充で送られて来た兵士だ。
中隊の陣地に設置されている対空砲と魔道銃が一斉に射撃を開始した。
迎撃を突破した敵機は20機前後。全てが単発機であり、その翼は全て折れ曲がって行った。
(クソ!“いつもの方法”で来るか!)
クトインルは忌々しげにそう思いながら、対空部隊が1機でも多くの敵機を撃ち落とす事を願った。
陣地に向かいつつある敵機は、全てコルセアである。
敵は、制空戦用と地上攻撃用のコルセアを用意していたようだ。
(コルセアに限らず、単発機が先に向かって来たとなると……対空部隊が先にやられるな)
クトインルは、今まで自分が経験してきた敵の攻撃パターンを思い出しながら、接近するコルセアを見つめ続ける。
コルセアの周囲に複数の光弾が注がれ、機体の横や上に高射砲弾が炸裂する。
しかし、低空を猛速で飛行するコルセアは、何ら有効弾を浴びる事も無く、あっという間に陣地へ迫って来た。
コルセアが機首の大馬力エンジンを鳴らしながら中隊の指揮壕の真上を通り過ぎようとする。
その時、コルセアが両翼から機銃を発し、次いでにロケット弾を撃ち放つのが見えた。
クトインルは、コルセアの胴体に描かれていた国籍マークを見るなり、眉をひそめた。
後方で爆裂音が響いた。
「ああっ!対空銃座が吹き飛びやがったぞ!」
不意に、誰かが悲鳴じみた声をあげた。
コルセアの攻撃で、連装式魔道銃を撃ち放っていた魔道銃座が、操作要員諸共爆砕されたのだ。
連装魔道銃座を操作するには、射手1名と魔法石を交換する給弾兵1名、予備の射手と観測主の計4名、または6名程が必要になる。
コルセアの攻撃は、その操作要員達全てを戦死させた事であろう。
(例え、あの攻撃で戦死しなくても、生存者は瀕死の重傷を負って、死よりも辛い試練を味わう事になる。そうなるよりは、一息に殺された方が楽だろうな)
クトインルは銃座の将兵達の苦闘に心を痛めると同時に、銃座の配備なにらなくて良かったと言う矛盾した……人間としてはある意味、当然とも言える
思いを感じていた。
侵入したコルセアは、真っ先に銃座や対空砲を潰していた。
コルセアに積んでいた5インチロケット弾は、高速で銃座や砲座に突き刺さり、操作していた兵を微塵に吹き飛ばし、あるいは破片で切り刻んだ。
ある砲座がロケット弾攻撃を受け、高射砲と兵が諸共ミンチにされた直後、積まれていた砲弾に誘爆して大きな爆炎が噴き上がった。
轟音と共に黒煙が噴き上がり、それが見る者の恐怖を煽り立てた。
別の銃座はコルセアの放った12.7ミリ機銃弾をしこたま食らってしまう。
必死の形相で魔道銃を撃っていた兵士が、高速弾の直撃で体の頭部や四肢を吹き飛ばされ、逃げようとしていた兵が腹や胸に大穴を開けられ、傷口から鮮血を
噴き出しながら倒れ込む。
銃座は12.7ミリ弾の集中射撃を受けてたちどころに穴だらけになり、一瞬にして使い物にならなくなった。
苦戦する対空部隊だったが、攻撃を受ける側も一方的にやられている訳では無く、魔道銃の反撃で1機のコルセアが撃墜され、猛速で地面に突っ込む。
その直後、機体がばらばらに吹き飛び、頑丈なエンジンブロックや、現芸を留めていた胴体後部や尾翼等が勢い良く転がり回り、燃料タンクから
漏れ出たガソリンが引火して、火焔が広がった。
この他にも、3機のコルセアが機体に命中弾を受け、白煙を引きながらよろよろと引き上げて行った。
だが、残ったコルセアは執拗に魔道銃座や砲座に機銃掃射とロケット弾攻撃を加える。
コルセアの中には、ロケット弾の他に爆弾を積んだ機もあり、それらの機体は塹壕陣地や、固い要塞陣地めがけて爆弾を投下した。
爆弾が地面に落下して爆裂する度に、強い振動がクトインルの居る指揮所を揺さぶる。
1発の爆弾は指揮所より30メートルほど手前に落下し、爆発の直後に大量の土砂が、壕の天蓋に降り注いだ。
コルセアの攻撃は10分程で終わったが、その直後に、別の敵が防御陣地に迫りつつあった。
「正面より新たな敵!突っ込んで来ます!!」
見張りに言われるまでも無く、クトインルは爆風を受けても無事に残っていた観測穴からその敵を見据えた。
「コルセアの次はインベーダーか。本当、いつも通りだな!」
クトインルは憎らしげに言い放った。
防御陣地めがけて、40機前後のインベーダーが向かいつつあった。
高度は500グレル(1000メートル)程だが、敵編隊は高度を落としつつある。
敵編隊は10機前後の編隊を3つ形成しており、そのうちの1つが、クトインルの居る中隊を目指していた。
「来るぞ!衝撃に備えろ!!」
クトインルはそう叫んだ後、両耳を塞いでから地面にうずくまった。
彼に習うようにして、指揮所の将兵全員が同様の恰好を取る。
暖降下して来たインベーダーが、高度250グレルで爆弾を投下した。
この時、A-26の胴体に積まれていた爆弾は250ポンド爆弾が4発であった。
1機あたり4発……12機計48発の爆弾が中隊の塹壕陣地めがけてばら撒かれ、そう間を置かぬ内に着弾した。
指揮所内に次々と爆弾が炸裂する轟音と震動が響き渡り、体にびりびりと伝わって行く。
特に爆発音は凄まじく、両手で塞いでいる筈の耳の鼓膜が破れたかと思わんばかりだ。
出入り口に爆弾の爆発で噴き上げられた土砂が音立てて降り注ぎ、指揮所内には濃い土煙が充満した。
轟音が鳴りを潜め、耳元の金切り音が収まった後、クトインルは閉じていた目を開き、いつの間にか止めていた呼吸を再開させる。
その瞬間、指揮所内に充満していた土煙と、鼻をつく火薬の匂いを感じ、思わずむせてしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
真向かいに居る人影が声を掛けて来る。その声の人物も、あまりの息苦しさに激しく咳込む。
「あ、ああ。俺は大丈夫だ。それよりも、早くこの空気をなんとかしないと。」
クトインルは、机に置かれていた紙を2、3枚手に取り、室内に充満する土煙を外に向けて仰ぎ出す。
内部に居た兵達も同じように、持っていたハンカチや、素手で土煙を外に追い出して行く。
程無くして、指揮所内から土煙を追い出すと、クトインルは指揮下の小隊に被害状況を確かめさせた。
「中隊長……さっきのコルセア見ましたか?」
不意に、先程の見張り員がクトインルに話しかけてきた。
「ああ。見たぞ。あれがどうかしたか?」
「あのコルセア……ミスリアルの国籍マークを付けていましたよ!ミスリアルの長耳共も飛空挺を操っているらしいと聞いた事はありましたが……
まさか、本当に使っていたとは。」
「そう言えば、貴様はこの戦線に来たばかりで、あまり知らなかったな。」
クトインルは、この兵士が北から来た補充兵である事を思い出しながら説明していく。
「連合軍の中で中核を成すアメリカ人共は、陸戦兵器だけではなく、空戦兵器までもを、同盟国に供与している。今の“ミスリアル軍コルセア戦闘隊”
がその証拠さ。そのお陰で、森の住人達は晴れて、大空をも支配下に収める事が出来た、と言う訳だ。」
兵士があっけに取られた表情で、クトインルの顔をまじまじと見つめた。
それに、クトインルは心中で落胆しつつも説明を続ける。
「俺も、最初は貴様と同じような思いだったが、今では、エルフの連中がアメリカ製の戦闘機を使って暴れ回る事には何も感じなくなったよ。」
「アメリカ製の軍用機を使いまくっているのは、ミスリアル軍だけじゃない。カレアント軍なんかも大量に運用しているよ。」
こっそりと話を聞いていたメヒロンヘ少尉も話に加わって来た。
「あんたがここに来る1週間前にあった空襲は、カレアント軍主体の航空部隊だったな。」
「連中、最近はエアラコブラだけじゃなく、サンダーボルト(P-47)やミッチェル(B-25)まで投入して来てる。カレアントの連中は、
アメリカさん相手によっぽど、良い商売をしているようだな。」
「一昔前まではウチらと同じ、ワイバーン中心の編成だったのに、今ではすっかりアメリカ軍機ばかりです。連中の変わり身の早さは、我々も
見習いたいぐらいですね。あ、というか、そうさせるアメリカの物量を見習う、と言った方が良いかもしれないですね。」
「あ……アメリカって……」
2人の上官の発する言葉の前に、補充の見張り員は思考が追い付かなくなり、頭から湯気を立て始めた。
「おっと、魔法通信が………中隊長、各小隊から被害報告が入りました。」
「ほう、早いな。」
クトインルは、報告が早い事にやや感心しつつ、メヒロンヘ少尉に報告を伝えるように促した。
「まず、第1小隊ですが、死者、負傷者共に無し。第2小隊、負傷者2名、いずれも軽傷で後送の必要無し。第3小隊、負傷者5名、うち、2名重傷、
後送の要あり。第4小隊、戦死者1、負傷者6、うち、3名重傷、後送の要あり、以上です。」
「第4小隊の被害がやや大きいのが気になるが……中隊の戦力はさほど低下していないな。大体に付いていた対空中隊の損害はどうなっている?」
「報告はまだ上がっては居ませんが……インベーダーの編隊が接近する頃には、全くと言って良いほど応戦がありませんでした。恐らくは……」
「全滅……か。」
クトインルはにべもなく答えた。
それを見た補充兵は驚いてしまった。
「ちゅ、中隊長殿……味方が全滅したのに、何も感じないのですか?」
「何も感じないだと。」
クトインルは補充兵に顔を向ける。彼としては軽い口調で言ったつもりだったが、補充兵は何故か縮み上がってしまっていた。
「い、いえ!失礼しました!!」
「?……何を急に畏まっとるんだ。」
「中隊長、中隊長……何気に怖い顔をしていますよ。」
メヒロンヘからそう指摘された彼は、いつの間にか、その新兵を睨みつけている事に(彼は別にそのつもりはなかった)気が付いた。
「いやぁ、すまんね。別に貴様を怒った訳では無いんだが。」
クトインルは笑顔を作り、新兵にそう言った。
「先程の貴様の問いに対する答えだが……別に、何も感じとらん訳ではないぞ。内心では辛いと思っている。だがな……俺達は余りにも多くの死を見過ぎて、
こんな事には慣れてしまったんだ。貴様が、俺を冷酷呼ばわりした事は仕方ない事だ。」
「い、いえ。自分は決して、そのような事は!」
「いや、構わんよ。むしろ……戦争と言う物は、冷酷に……感情を冷たくし、そして、あまり深く考えん方が良い。特に、俺達の様な最前線に立つ人間はな。
そうしなければ敵を撃ち殺す事は出来ないよ。」
「は、はぁ……」
「だから、これだけは覚えておいてくれ。俺は別に、味方の死を痛くないとは思っていない。むしろ、痛いと表現できなくなった、とな。」
「まっ、あんたもいずれは同じ様になるわよ。新兵さん?」
メヒロンヘが上目遣いになりながら新兵にそう語りかけた。
その直後、再び空襲警報のサイレンが響き渡った。
「おっと、早速第2波が来たぞ。」
「え、ええ!?もう別の敵が来たんですか!?」
新兵は、空襲の間の短さに仰天していた。
「……新米。ここは最前線だ。連合軍の連中が第2波、第3波と空襲部隊を送り出すのはいつもの事さ。」
「こんな事でいちいち驚いてちゃ、身が持たないよぉ?」
クトインルとメヒロンヘは、共にしたり顔で言い放った。
第2波は、米軍のB-24爆撃機とP-47戦闘機、計280機の戦爆連合編隊であり、これらは第58軍団の陣地を爆撃し、同地を守っていた
第255歩兵師団に少なからぬ打撃を与えていた。
1485年(1945年)11月13日 午後8時 レンベルリカ連邦共和国ジヴェスコルク
「それで、俺は高度300まで降下してから爆弾を落とした訳さ。その後、引き起こしをかけて機体を安定させたけど……やっぱ、スカイレイダーは
ヘルダイバーよりも上等な飛行機だな。」
ジヴェスコルク軍港の外にあるバーで、友人と共にビールを飲んでいたカズヒロ・シマブクロ少尉(今年5月に昇進)は、愛機の素直な性能を自慢気に話す。
「俺も、ベアキャットに乗ってからはお前と同じように感じたよ。ヘルキャットも操縦し易い飛行機だったけど、ベアキャットはそれ以上さ。なにしろ、
垂直面の格闘性能だけじゃなく、水平面の旋回性能も段違いだ。」
「空手の試合で、いつも相手を翻弄させているお前にはぴったりじゃないか?ベアキャットは。」
「だな。いつか、グラマン社の技術者にドーナツでも送ってやろうかね。」
ケンショウ・ミヤザト少尉(今年5月に昇進)も微笑を浮かべながら、軽い冗談を言い放った。
「姉さん。ビールもう一杯。」
カズヒロは、空になったグラス指で小突きつつ、カウンターのスタッフに注文を取った。
「はいよ!」
髪をポニーテール状に結った女性スタッフは、張りの良い一声を発しながらビールの入ったグラスを置いた。
「ありがとう。そういえば、ベネイシアの姉さんは最近、よくここで働いてるけど、本業はどうした?」
ベネイシアと呼ばれたカウンターの女性スタッフは、カズヒロの問いに苦笑しながら答えた。
「いやぁ、ここ最近は害獣があまり出なくなってね。ハンター業だけじゃ収入が少ないから、こうしてしがないアルバイトをしてるの。毎度毎度、
下手な接客でゴメンね。」
「いやいや、そんな事無いさぁ。美人さんの注いでくれるビールは何杯飲んでも美味いよ。」
カズヒロのキザな言葉に、ベネイシアは満面の笑みを浮かべる。
「あら。流石はアメリカ海軍のパイロットさん。紳士ですねぇ。」
「姉さん。こいつの心は真っ黒だから、あまり信用しない方が良いよ。」
そこにケンショウがおどけた口ぶりで注意を促した。
「おぃ!いらん事言うな!」
カズヒロが鋭いツッコミを入れるが、ケンショウは気に留める事も無く、澄まし顔のままビールを飲んだ。
「失礼だが、隣に座ってもいいか?」
不意に、カズヒロは後ろから声を掛けられた。
「いいよいいよ。好きに座ったらいいさ。」
カズヒロは投げやりな口調で答えながら、後ろを振り返った。
そこには、大尉の階級章を付けた男と、中尉の階級章を付けた黒人士官が居た。
ウィングマークを付けている事から、カズヒロと同じく、母艦航空隊のパイロットだろう。
「し、失礼しました!!」
カズヒロは慌てて立ち上がり、2人の上官に敬礼する。
ケンショウも、何事かとばかりにゆっくり振り向いた後、ハッとなって席を立った。
「ハハハ。別に畏まらなくてもいいぜ。まっ、楽にしな。」
大尉はカズヒロのぞんざいな対応を何ら咎める事無く、2人に席に座るように促した。
カズヒロは、2人の上官が席に座るのを確認してから、自らも腰を下ろした。
「ヘイ!ビールを2つ頼む!」
「わかりましたぁ。ちょっと待ってて下さいね。」
カウンターのベネイシアが朗らかに答えてから、グラスにビールを注ぐ。
「はい。どうぞ~。」
程無くして、ビールが運ばれて来た。
それを受け取った大尉と中尉は、一口含む前にカズヒロ達に顔を向けた。
「どうだ?ここは同じ、母艦航空隊の仲間として一緒に乾杯しないか?」
「は……はい!それでは……」
カズヒロとケンショウは、おずおずとしながらも、片手にグラスを持った。
「乾杯!」
大尉が音頭を取り、4人はグラスを合わせた。
ビールを少しばかり飲んだ優男風(変装すれば女に見えそうだ)の大尉がカズヒロとケンショウに向けて口を開いた。
「ここで会ったのも縁だ。互いに自己紹介と行こうじゃないか。」
「はい。それでは、自分から……」
カズヒロはグラスを置き、自己紹介を始めた。
「自分はカズヒロ・シマブクロ少尉と申します。所属は空母イントレピッドのVB-12であります。」
「ケンショウ・ミヤザト少尉と申します。所属は同じく、イントレピッド。VF-12であります。」
「イントレピッドか。と言う事は、君達はTG38.3の所属になるのか。」
「はい。」
中尉の言葉に、カズヒロが答える。
TG38.3は、エセックス級空母3隻を主力に構成された空母機動部隊であり、イントレピッドは、その3隻のうちの1隻である。
「俺はリンゲ・レイノルズ大尉だ。空母エンタープライズの戦闘機隊中隊長をやっている。で、こいつはおれの相棒、フォレスト・ガラハー少尉だ。
俺の指揮下で戦闘機小隊を率いている。」
「エンタープライズ……あのビッグEのパイロットでありますか!?」
カズヒロは、驚きの余り声をあげてしまった。
「おう、そのビッグEのパイロットだぜ。大いに驚きな!」
ガラハーが威張りながら言って来るが、リンゲが彼の肩を叩いて注意する。
「コラ!大仰に威張ってんじゃねえ!」
「いや、冗談ですよ、冗談。」
ガラハーはわざとらしく答えてから、ビールを口に含んだ。
「うちの中尉さんが威張り散らして申し訳ないね。さて……この第3艦隊に配属されているとなると、お2人さんも実戦を経験して来たようだが……
いつから空母に乗っている?」
「43年の6月からです。初陣は9月のマルヒナス運河攻撃です。」
ケンショウが答える。
「それ以降は、地上支援に従事していましたが、昨年のレビリンイクル沖海戦と、今年1月のレーミア沖海戦には参加しています。」
「レビリンイクルとレーミアの海戦に参加しているとは……歴戦のパイロットだな。」
ケンショウの言葉に、リンゲはやはりかと思った。
最初、2人を見たリンゲは、その落ち着いた物腰や顔つきからして、それなりの経験を積んだベテランであると確信していた。
43年から空母に乗り、特に犠牲の多かったレビリンイクル沖海戦やレーミア沖海戦といった大海空戦を戦い抜いた腕は素直に評価出来ると、
リンゲとガラハーは思っていた。
「シマブクロ少尉は艦爆乗りとして、ミヤザト少尉は戦闘機乗りとして2年近く戦い抜いてきた事になりますね。」
「その間……2人も色々と体験してきただろう。楽しい事も、辛い事も……」
リンゲの発する言葉に、2人は一様に頷く。
「大尉のおっしゃる通りです。自分なんかは、戦友の相次ぐ戦死に、一時は心が折れかけましたが……周りの人達が支えてくれたお陰で、何とか前線に
踏みとどまる事が出来ました。」
カズヒロがしみじみとした表情でリンゲに言う。
「みんなも似たような事は経験している。どんなに腕が良くても、天才と呼ばれようとも、それは避けては通れん道だ。」
リンゲも感傷に耽りながら、ビールを飲んで行く。
「……そう言えば、気になった事があるんですが。」
ケンショウはここぞとばかりに話題を変えた。
「自分達はずっと、ここで訓練を行っておりますが……我々はいつ、どこに向けて出撃するんでしょうか?」
リンゲは、内心ではまたかと思いつつも、おどけた表情で肩を竦めた。
「さあね。俺もわからんよ。」
「やはり、ですか………」
カズヒロは、不満顔でビールを飲む。
「太平洋戦線の第5艦隊は、近々シェルフィクル攻撃を行うらしいと言われています。それなのに、第3艦隊が後方で訓練ばっかり、というのは
おかしいと思いませんか?」
ケンショウも、第3艦隊司令部のやり方を快く思っていないのか、苛立ちを含んだ口調で言い放つ。
「そもそも、自分達は充分に経験を積み、新型機の慣熟も既に終わっています。確かに、訓練は必要だとは思いますが……このまま待機が続くのも考え物ですよ。」
「そうです!太平洋戦線では、1隻でも多くの正規空母が必要だと言うのに……」
リンゲは、血気に逸る2人の少尉を見つめながら、クスリと笑った。
「……な、何かまずい事でも言ってしまいましたか?」
「ん?ああ、別にそうじゃないぞ、シマブクロ少尉。」
リンゲの反応に戸惑うカズヒロに対して、リンゲは片手を振りながら否定した。
「実を言うとね、うちの部下達も君と似たような事を何度も言うんだよ。出撃はまだですか?次はどこを攻撃するんですか?とね。俺も、出撃がいつで、
艦隊がどこに行くかは全く分からんから、余計な事を考えずに目の前の事に集中しろ!と、どやしつけるんだがね。」
「しかし、そろそろ上もハッキリしてくれんと困りますね。抑え役になるこっちの事も考えて欲しい物です。」
ガラハーが苦笑しながらリンゲに言って来る。
「その通りだな。まっ、いずれはここから動く時が来る。それだけは、ほぼ確実だろう。」
リンゲは、自分に言い聞かせるようにそう断言した。
「え~。それだと、ちょっと困るわねぇ。」
ふと、会話を聞いていたベネイシアが、やや困り顔で言って来た。
「うん?どうしてだい?」
「だって……せっかくの金ヅルが居なくなってしまうんですもの。」
「おいおいおい、そのストレート過ぎる表現はどうかと思うぞ?」
リンゲが、やや体を引かせながらベネイシアに言う。
「ああ、ごめんなさいね。つい、本音が。」
「本音かよ。」
カズヒロとケンショウが苦笑しながら突っ込んだ。
「あと……夜のお相手が減ってしまうのも、問題かなぁ。」
ベネイシアはそう言いながら、自らのボディラインを見せ付けるかのような扇情的なポーズを取る。
「おあいにく様、合衆国海軍は、夫さんのいるレディーはあまり好まないんでね。夜のお供は、いつもお付き合いしている彼で我慢してやってくれ。
でないと、本命さんの彼が泣いちまうぜ?」
リンゲの何気無い一言に、ベネイシアは顔を膨らませた。
「何よ!ケチ!!」
その一言に、4人は失笑を浮かべた。
平穏な一日はあっという間に過ぎ去り、4人はほろ酔い気分で母艦に戻って行った。
第3艦隊を覆い始めていたゆるい空気は、翌日、一変する事になるが、この時は、誰もが明日の予定を難無くこなす事ばかりに思いを馳せていた。
11月14日 午前9時 ジヴェスコルク沖北西20マイル地点
この日の早朝に出港した第38任務部隊第3任務群は、一路、進出予定点であるオレンジ点まで、18ノットの速力で航行を続けていた。
TG38.3旗艦である空母イントレピッドの艦橋では、群司令であるクリフトン・スプレイグ少将が司令官席に座ったまま、通信参謀から今しがた
入ったばかりの通信文を受け取り、それに目を通していた。
「………確かに、艦隊司令部から送られて来たのだな?」
「はい。」
通信参謀は即答しながら頷いた。
「宜しい。では、命令通りに動くとしよう。」
スプレイグ少将は、心中で遂に来たかと呟きつつ、口から命令を発した。
「各艦に伝達。針路変更!艦隊各艦は、針路360度に変針せよ!」
「針路変更、新針路360度。アイアイサー。」
命令は即座に全艦に伝わった。
TG38.3を構成する全艦は、統制の取れた動きで一斉に針路を変えて行く。
輪形陣の中央に位置するエセックス、イントレピッド、ボクサーが左に大きく転舵し、それに習うかのように、外周を固める巡洋戦艦アラスカ、
コンステレーション以下の護衛艦が艦の向きを変えて行く。
程無くして、針路の変更を終えた、大小35隻の艦艇は、18ノットの速度を保ったまま北へ向かって行った。
「宛 第38任務部隊第3任務群指揮官
発 第3艦隊司令部
TG38.3は、全艦をもってダッチハーバーへ急行せよ。尚、TG38.1,
TG38.2は、明後日以内に出港する見込みなり」