第259話 北大陸からの奇怪文
1485年(1945年)11月18日 午後9時 西部絶対防衛線
シホールアンル軍第367歩兵師団は、戦闘開始から2日近くが経ったこの日も、連合軍との死闘を繰り広げていた。
第367歩兵師団第382歩兵連隊は、絶対防衛線内の第4防御線に展開して進撃して来る敵機械化部隊の猛攻を食い止めていたが、
戦闘開始から1時間程で、戦線の各所では早くも綻びが生じかけていた。
同連隊の第2大隊第1中隊を率いるヴェセンドネ・クトインル大尉は、仮説の指揮所から戦闘の様子を見守っていたが、彼は戦況が徐々に
悪化しつつある事を肌で感じ取っていた。
「中隊長!第2小隊の戦力はあと僅かです!接近中の新手にぶつかったら全滅してしまいます!」
「後方の野砲連隊が支援砲撃準備完了と伝えています!座標を指示しますか?」
「第1小隊の隊長代理がしきりに後退許可を求めています!どうしますか!?」
クトインル大尉は、次々と飛び込んで来る情報に仏頂面を浮かべながらも、1つ1つ指示を下して行く。
「第2小隊は下げろ!応援の第32師団の部隊と交代させろ!それから、野砲連隊にこの紙に書いた座標に打ち込めと伝えろ!そこの位置に居た
味方は既に全滅したとも付け加えておけ。第1小隊の後退もすぐに開始しろ。魔道銃しか持たない歩兵12人で敵の戦車部隊を相手に出来んからな!」
矢継ぎ早に下される命令を、中隊本部付の魔道士3名は、指揮下の部隊に速やかに伝えていく。
「伝令!敵戦車隊、前哨の第2中隊陣地に急速接近!敵戦車はグラント戦車とシャーマン戦車の混同の模様!」
伝令が中隊指揮所の出入り口で、大声で喚く様にそう伝えると、大雑把に一礼してから指揮下の部隊に戻って行った。
「シャーマン戦車とグラント戦車か……となると、今度の相手はカレアント軍だな。要塞陣地から送られて来た、増援のキリラルブス大隊の支援はまだか……」
クトインルは苛立ちを募らせた口調で呟きつつ、地面に置かれた戦況地図を見つめる。
現在、クトインルの所属する師団は、後方から増援としてやって来た第47軍の第32歩兵師団と共に、敵3個師団の攻撃に応戦している。
前線は、第65軍の受持ち区画が、初日から約5ゼルド(15キロ)に渡って後退しているが、他の戦線は2ゼルド(6キロ)から3ゼルド(9キロ)程で済んでいる。
地図上から見れば、第65軍の受け持つ北方戦線に、敵部隊が大きく食い込んでいる形だ。
シホールアンル軍は、ヒーレリ領の西部絶対防戦と西部領境から、長い所では約60ゼルド(180キロ)、短い所では30ゼルド程の縦進を確保しており、
西部絶対防衛線の各隊は、最前線で食い止められぬ場合は、最大で180キロから、最短で60キロ程の距離を後退しながら遅滞戦闘を行いつつ、
敵前進部隊を消耗させる事を命令されている。
だが、これはあくまでも予定地……最寄りの国境地帯までと言う話である。
第367歩兵師団は、戦線の最北の防備を任されているが、ここからシホールアンル領境までは、なんと89ゼルド(267キロ)もある。
ヒーレリ領の東端部は、地形的にシホールアンル本土に突き刺さる形で形成されており、地図から見ればシホールアンル領に行くほど、
領土の先が細くなっている。
第367歩兵師団は、予定では戦線から北東か、または南東の領境地帯に後退する予定となっているが、この2つの退路が絶たれた場合は、
その細長い土地を延々と後退する破目になる。
敵機械化部隊に追い立てながら、延々200キロ以上もの距離は後退するのはまさに地獄であり、師団の将兵は誰もが、その最悪の事態を避けるために、
適度に後退を行いながら、部隊の充足率が低い事にもお構いなしに、時には逆襲を加える等をして激しく抵抗を行っていた。
前方のカレアント軍機甲部隊の前面に、後方から放たれた味方の野砲弾が弾着する。
砲兵の阻止弾幕だ。
たちまち多数の爆炎と煙が噴き上がり、前進してきた敵部隊の姿が見えなくなる。
カレアント軍機甲部隊は、砲弾の弾着もお構いなしとばかりに、強引に前進を続けるが、砲兵連隊はここぞとばかりに野砲を撃ちまくる。
弾着が繰り返され、敵の事前砲撃で耕された大地が、シホールアンル側の砲撃によって更にすき返される。
とあるグラント戦車に砲弾が命中する。
車体に主砲、車体上部に副砲という珍しい形を持つ敵戦車は、薄い天蓋に直撃弾を食らった事もあって致命的な損傷を受け、被弾から3秒後に、
一際大きな爆発を起こした。
中隊の陣地に残されていた対戦車砲も火を吹く。
砲手は、じりじりと迫り来る敵戦車を、憎しみを込めた視線を注ぎながら砲弾を放つ。
装填手が即座に次の砲弾を押し込み、次弾を放てる態勢を素早く整える。
中隊に残存していた対戦車砲3門は、味方の砲兵弾幕で視界が悪い中、3分間で3両のシャーマン戦車と6両のグラント戦車を撃破した。
たった3門の対戦車砲は、短時間で期待以上の奮戦を見せてくれたのだが、その奮闘も長くは続かない。
「!?」
唐突に、陣地の上空で照明弾が煌めく。
それから1分後、陣地から500メートル程まで迫った敵前進部隊の後方で、何かが光ったと思いきや、その光の数が予想以上に多い事にクトインルは気付く。
「光……いや、あれは噴射炎だ!」
彼は、光が妙に棚引いている事から、光の正体が、アメリカ軍がよく使う“ロケット弾”と言う事に気付いた。
「敵の爆裂光弾が来るぞ!各隊に注意しろと伝えろ!!」
クトインルは部下の魔道士に伝えた。
クトインルは知らなかったが、前進中であったカレアント軍機甲部隊は、陣地の抵抗が激しいと見るや即座に支援攻撃を要請していた。
その要請に応えたのが、前進部隊の後方2キロに展開していたKR-12ロケット砲大隊であった。
敵の支援攻撃が確認されてからそう間を置かぬ内に、敵の放ったロケット弾が中隊の陣地に落下して来た。
指揮所の前方や後方と、あらゆる場所にロケット弾が着弾し、大音響と共に爆炎と土砂が宙高く噴き上がる。
それまで、期待以上の奮戦を見せていた野砲陣地にもロケット弾が落下する。
砲兵は咄嗟に塹壕に身を隠し、爆発に巻き込まれなかったが、対戦車砲は至近でロケット弾爆発の衝撃や破片を食らった為、瞬時にして原形を
留めぬ鉄屑に成り下がった。
ここ最近のロケット弾は何らかの工夫がされているのか、落下する直前まで、耳障りな甲高い音を発している。
心臓の鼓動を否が応にも高めるこの音は実に不快そのものであり、神経をやられた兵士も少なくない。
シホールアンル兵は、このアメリカ製のロケット弾の事をルーズベルトの口笛という渾名を付けているが、それは、この忌々しい兵器に対する
シホールアンル兵の憎しみの表れとも言えた。
カレアント軍はロケット弾を派手に撃ちまくったらしく、着弾から1分程近くが経過してもロケット弾の弾着が続いた。
「くそ……やりたい放題だな!!」
クトインルは憎らしげな口調で低く呻いた。
ロケット弾の弾着が終わった後、指揮所に更なる悲報が飛び込んで来た。
「中隊長!先の攻撃で対戦車砲小隊が全滅!」
中隊付き魔道士の1人であるシヴェリィ・メヒロンヘ少尉が彼に振り向き、報告を伝える。
心なしか、彼女の表情が曇っていた。
「まずいぞ。このままじゃ、敵戦車に何も出来んまま陣地を蹂躙されちまう。応援のキリラルブス隊はどうなっている!?」
「今確認します!」
メヒロンヘはそう返してから、第32師団の独立石甲連隊に支援の有無を問う。
本来であれば、前線の補強には所属している師団の石甲大隊が担当している事になっているが、彼の所属師団の石甲大隊は投入される度に
敵航空隊の猛爆やパーシング戦車の猛攻に遭い、戦闘開始から3日目を迎える前に文字通り全滅してしまった。
これを受けて、第367師団司令部は軍団司令部に緊急でキリラルブス隊の増派を要請した。
その結果、軍団司令部は後方より展開してきた第32師団所属のキリラルブス連隊を支援に回してくれる事を約束してくれた。
余談だが、歩兵師団所属のキリラルブス隊は、師団によって大隊規模のみしか無い場合もあれば、連隊規模の数が揃っている等、
様々になっている。無論、師団所属のキリラルブスを有していない所もある。
石甲師団や石甲化旅団は、そのキリラルブス連隊や、キリラルブス改造台に歩兵を乗せた機動歩兵連隊が3個ないし、2個を中心に編成されている
師団の事を指している。
シホールアンル軍一般部隊の中では、この一番硬い部隊である石甲師団や石甲化部隊将兵に羨望の眼差しを向ける物が多いが、その一番防御力の
ある部隊で占められた第5石甲軍もまた、連合軍側の猛攻の前に後退を重ねていた。
「中隊長!今しがた、キリラルブス連隊より回答がありました!間もなく、2個石甲大隊がこちらに到着するとの事です!」
「そうか……意外と速かったな。」
クトインルは顔の強張りをやや解しながら頷く。
指揮所から出て、塹壕の外に顔を出す。
メヒロンヘの言う通り、キリラルブスが隊形を維持しながら前線に向かいつつあった。
夜闇の中で見え辛い物の、キリラルブスの数は70台は下らないだろう。
キリラルブス大隊は1個大隊で30ないし、40台程で編成されている。第32師団は予想以上の速さで増援を寄越してくれたのである。
「型式が何であるのかが気になる所だが、短砲身砲搭載キリラルブスでも嬉しい限りだ。」
(最も、うちの師団はその短身砲搭載型で占められていたばかりに、パーシングに一方的にやられていたがな)
クトインルは、決戦開始初日の悪夢の事を思い出しながらも、心中では味方キリラルブス隊の奮闘を祈っていた。
11月20日 午前11時40分 シホールアンル帝国クレスルクィル
シホールアンル帝国海軍の根拠地であるクレスルクィル軍港は、84年末までは規模こそ大きい物の、実質的には後方の補給拠点として使用されていたに
過ぎなかったが、85年初めからは、ヒーレリ領に近いヒレリイスルィ軍港から多くの軍艦がクレスルクィルに拠点を移すようになった。
クレスルクィルが、本格的な主要拠点として機能し始めたのは、今から2か月以上前の9月初めからだ。
当時、ヒーレリ領は約3分の2を連合軍によって奪われていた。
シホールアンル帝国軍上層部は、ヒーレリ領失陥によってヒーレリに比較的近いヒレリイスルィ港にアメリカ機動部隊の攻撃が加えられる可能性が
高いと判断し、9月5日より竜母や戦艦を初めとする主力艦部隊にクレスルクィルへの異動を命じ、その翌日には、残っていた護衛の巡洋艦や駆逐艦、
掃海艦等の小型艦艇隊にも避退準備に移るように命じた。
その1週間後の9月12日。
ヒレリイスルィ南方150ゼルド沖に進出したアメリカ機動部隊は、早朝より攻撃隊を発艦させ、広大なヒレリイスルィ港に反復攻撃を加えた。
正規空母、軽空母20隻の第58任務部隊は早朝から夕方にかけて、7波、1620機の攻撃機を発艦させた。
この日の攻撃で、ヒレリイスルィ港は軍港機能を喪失し、同港に在泊していた艦艇28隻、輸送船17隻すべてが撃沈、撃破され、同港に防備にあたっていた
ワイバーン部隊も、迎撃に向かった220騎中未帰還68という大損害を負った上に、同地に駐屯していた陸軍部隊も爆撃された。
この他にも、軍艦の建造拠点に1つでもあったヒレリイスルィ港は8の建造ドックと5の修理用ドックがあったが、このドック群も米艦載機群の餌食となった。
ドックの中には、修理中の駆逐艦3隻と、建造中であった大型戦艦1隻、大型正規竜母1隻があったが、これらもドックごと爆砕された。
ヒレリイスルィ港は、僅か1日だけの攻撃で復旧も絶望視されるほどの損害を被ったが、幸いにも、帝国海軍の主力である竜母や戦艦、その護衛艦艇群は健在であり、
現在は新たな拠点となったこのクレスルクィルで、日々、血の滲むような猛訓練に励んでいた。
第4機動艦隊の旗艦である竜母ホロウレイグは、僚艦モルクドと護衛艦12隻と共に、クレスルクィル南西20ゼルド沖にて3日がかりの洋上訓練を行っていた。
第4機動艦隊司令官であるワルジ・ムク大将は、持参した双眼鏡で空戦空域を見ながら、ちらりと時計を見た。
「11時41分……空戦開始から15分が経過しているが。数が不利な筈なのにまだ対抗部隊と戦い続けるとはね。」
ムク大将は苦笑しながらそう言いつつ、味方役のワイバーン隊の活躍ぶりに感嘆していた。
この日の訓練は、ムク大将の直率する竜母ホロウレイグとモルクドがアメリカ機動部隊の役としてクレスルクィルに侵攻し、同地の周辺に展開する
陸軍第42空中騎士軍が防衛役として対抗するというもので、訓練は3日前から始まっている。
1日目と2日目は、クレスルクィル周辺の天候が不安定であったこともあり、同地の攻撃は中途半端な結果に終わっているが、それでも、42空中騎士軍の
防衛目標であった2つの基地のうち1つに破壊判定を与えており、もう1つに破壊判定を与えれば、ムク大将の艦隊に軍配が上がる予定であった。
だが、この日の早朝、艦隊は敵側の偵察ワイバーンに発見された直後、相次ぐ波状攻撃の前に防戦一方となっていた。
朝方からこの時刻までに来襲した敵騎の数は総計で200騎にも及び、しかも、それらの敵騎は3波に渡って押し寄せて来た為、攻撃隊を発艦させる暇がなかった。
だが、防戦一方の艦隊は、この容赦ない波状攻撃を受けたにもかかわらず、損害はほとんど無かった。
唯一、防空戦闘に出撃したワイバーン17騎が撃墜判定を下されただけである。
そして、早朝から奮闘する艦隊のワイバーン隊は、今しがた来襲したばかりの敵90騎を相手に効果的な迎撃戦闘を展開していた。
双眼鏡の向こう側には、小さいながらもワイバーンの姿が見える。
ムク大将は、その中の1騎に注目した。
そのワイバーンは、ホロウレイグ隊の指揮官騎として使われているワイバーンである。
指揮官騎には、部下が判別しやすいようにワイバーンの尾の付け根に赤い吹流しを括り付けている。
その指揮官騎の動きは、一目見ても練達の竜騎士乗りでありる事がよくわかる。
指揮官騎は敵の攻撃を受けても即時に切り替えし、逆に、あっさりと後ろを取って追い回していく。
指揮官騎のワイバーンは85年型汎用ワイバーンであり、性能は83年型よりも上がった分、動きも幾らか派手に見える。
だが、対抗部隊である陸軍のワイバーンも、同じく85年型汎用ワイバーンだ。
それに加え、今、味方役のワイバーンが追い回しているワイバーンも、青い吹流しを付けた指揮官騎であり、情報によれば、これまでに18騎のワイバーンと
12機の敵機を撃墜し、過去に2度、米空母部隊への攻撃にも参加した古強者と言われている。
「おっ。そこで切り返すか!」
ムクは思わず声を上げた。
追撃されているワイバーンが唐突に急減速に入ったかと思うと、瞬時に向きを変えた。
口から光弾の連射(ワイバーンの意識を訓練用に切り替えているため、光弾の威力はあまり無い)が吐き出され、それが追撃していたワイバーンに
突き刺さるかと思われた。
直後、追撃していたワイバーンが横転を繰り返しながら下降に移る。
過たず命中するかと思われた光弾は紙一重の差でかわされ、ワイバーンは速度を緩めぬまま、全速で敵ワイバーンの下を飛び抜けていく。
敵ワイバーンは、飛び去ったワイバーンを追撃すべく、体を反転させた。
だが、その直後……敵ワイバーンにいくつもの光弾が殺到し、それは容赦なく突き刺さっていった。
それは、一瞬の出来事であった。
「ふぅ……やるねぇ。」
隣に立っていた眼鏡をかけている女性士官が爽やかそうな口ぶりで言う。
「普通なら、あんな事をやらないんだけど。」
「……私は敵の指揮官騎の方に視線が集中していて、何が起きたのか分からなかったが、一体あったんだね?」
ムク大将は眉間にしわを浮かべながら、眼鏡の女性士官に質問する。
「後ろを取ったんですよ。」
「後ろ……?」
ムク大将は首を捻った。
「あの時、不用意に前に出たのは彼女であった筈。なのに、後ろを取ったとはどういう事だ?」
「簡単なことですよ。」
女性士官……海軍総司令部情報参謀を務める、ヴィルリエ・フレギル大佐は当然のように言い放った。
「通り過ぎる瞬間に、相棒に命じたんですよ。後ろに振り向け、と。今しがた撃墜した敵の竜騎士がやったのと、同じことをしたまでです。
振り向く時は横転しながらやってたんで、幾分機動が派手でしたけどね。」
「なんと……だが、あのような急機動は非常に難しいぞ。敵ワイバーンを起こしていた時は、恐らく全速力は出ていたはずだが……幾らなんでも、無茶すぎるな。」
「でも、できると思ったらやる……長い間、第4機動艦隊の一司令官として、彼女の下にいたムク司令官なら、分からないことでは無いかと思われますが。」
ヴィルリエからそう言われたムクは、一瞬押し黙った後、納得したように頷いた。
「そうだな。全く……あの方は、相変わらず無茶をするものだ。」
ムクは苦笑しながらヴィルリエに言った。
防空戦はそれから10分後に終わりを告げた。
結局のところ、敵の第4次攻撃隊は、46騎の迎撃ワイバーン隊に散々打ちのめされた末、這う這うの体で引き返して行った。
竜母ホロウレイグには、敵の攻撃隊を阻止した防空戦闘隊が次々と着艦して来た。
15リンルの速力で航行する竜母の甲板に、ワイバーンは大きな翼をゆっくりと羽ばたかせながら近付いてくる。
竜騎士は甲板要員の誘導に従いつつ、相棒に速力を調整させながら艦に接近させる。
最初のワイバーンが、飛行甲板後部を飛び越した所で着艦する。ワイバーンは弾みで3、4歩、歩いた後に停止し、2、3度ほど、大きく翼を羽ばたく。
ワイバーンは甲板要員に手綱を引かれながら、昇降機の上にまで進み、そこから艦内に降ろされていった。
「司令官。私は出迎えに行って参ります。」
「うむ。私からもお見事でしたと伝えてくれ。」
ヴィルリエはムク司令官に断りを入れた後、そそくさと艦橋から飛行甲板に下りて行った。
彼女が飛行甲板へと急ぐ間にも、ホロウレイグ所属のワイバーンが次々と着艦して来る。
程無くして、最後のワイバーンが着艦態勢に入った。
ワイバーンの竜騎士は甲板要員の指示に素直に従いつつ、相棒を艦の真後ろから近づけさせ……そして、飛行甲板後部に着艦した。
ワイバーンは着艦の弾みで甲板を歩くが、2歩歩いただけで停止した。
「あれ、あんたは確か……」
艦橋に背中をもたれさせながら着艦風景に見入っていたヴィルリエは、いつの間にか側にいた男性士官に気付く。
「あ、これは情報参謀。」
「体の調子が悪かったんじゃないの?」
「ええ。はっきり言って最悪ですよ。」
竜母ホロウレイグ戦闘隊の指揮官であるイルヴラン・チレトゥール中佐は青い顔に笑みを浮かべながら答える。
「でも、自分の代わりに飛んでくれると聞きましてからは、じっとして居られなくて。」
「いつからここに?」
「1分ほど前です。それまでは、あそこで陣取っていましたよ。」
チレトゥール中佐は左舷側の銃座を指さした。
それを見たヴィルリエは、呆れてしまった。
「素直に部屋で寝ていればいいのに。」
「へへ。竜騎士っていうモンは、血の熱い奴しかいませんからね。」
チレトゥール中佐の言葉を受けたヴィルリエは、思わずため息を吐いてしまった。
(これも、仕事柄の違いなんだろうねぇ)
彼女はそう思いながら、最後に着艦したワイバーンに視線を向ける。
ワイバーンから茶色の飛行服を着た竜騎士が、甲板に降り立った。
「さて、労いの言葉をかけるかね。」
ヴィルリエはポツリと呟きながら、その竜騎士に歩み寄っていった。
目元を覆っていた風防眼鏡を取ろうとしていた竜騎士は、歩み寄るヴィルリエに気付くと、口元に笑みを浮かべた。
竜騎士のヘアキャップの首元からは長い紫色の髪がはみ出ている。
(昔ながらの格好で戦ったのね)
ヴィルリエは竜騎士の昔気質な性格に、心中で呟きながら声をかけた。
「お疲れ様です、次官。久しぶりの部隊指揮はいかがでした?」
「んー……やっぱり、今と昔じゃ大違いだなと思ったね。」
竜騎士はそう答えた後、風防眼鏡を外し、更にヘアキャップも脱いだ。
シホールアンル帝国海軍総司令部次官を務める、リリスティ・モルクンレル大将は、額に浮かんだ汗を飛行服の裾で拭いながら深呼吸した。
「あと、体が昔のように動いてくれない。こうして見ると、後方専門の体になっちゃったんだと、嫌でも思うなぁ。」
「あんな変な動きしたお方が、何を言っておられるのやら……」
ヴィルリエは慇懃な口調でリリスティに言う。
「それでも、次官の腕前は見事でしたよ。後ろのチレトゥール中佐も満足している様子です。」
彼女は後ろにちらちらと視線を送る。リリスティは、顔を青くしながらも、気丈な顔つきで歩み寄ってくるチレトゥール中佐を見つめた。
「司令官!ご苦労様です!!」
チレトゥール中佐はそう言った直後、慌てて言葉を言い直した。
「あ、じゃなくて……失礼しました。今は総司令部次官でありましたね。」
「いんや、別に謝らなくてもいいよ。竜騎士錬成学校からの昔馴染みなんだし。」
リリスティは軽い口調で彼にそう言った。
「はっ、ありがとうございます。それにしても、次官の腕前はいつ見ても素晴らしい物です。かれこれ5時間も空に上がって居るというのに、
一糸乱れぬ部隊指揮はお見事です。紫髪の姫騎士の名は伊達ではありませんな。」
「よしてよ。それに、ワイバーン隊指揮官として活躍していたのは、もう、7年以上前の話よ。」
リリスティはチレトゥール中佐の賛辞に、苦笑しながら言い返す。
「今ではすっかり、後方勤務専門のぬるま湯軍人よ。」
「その過度な謙遜振りも、相変わらずですな。それに乗せられて、後々泣きを見た挑戦者がどれだけ居た事か。」
「まぁ、次官は少々、いじめ好きでもありますからね。それでストレス解消した事も、過去には何度かあったようですな。」
チレトゥールに便乗するかのように、ヴィルリエもニヤニヤと笑いながらリリスティに言う。
今は公の場であるため、口調が丁寧ではあるが、その皮肉さは相変わらずである。
「情報参謀……人の印象を悪くするような言葉は慎んだほうが良いと思うぞ。」
リリスティはジト目でヴィルリエを見つめながら注意した。
「やや……これは失礼しました。それよりも次官、大分お疲れになったでしょうから2時間ほどは休まれますか?」
リリスティはヴィルリエの提案を聞きながら、自分の体の状態を確認する。
ワイバーンの搭乗自体は、竜母機動艦隊の司令官に任された後も細々と続けていたが、今回は久方ぶりにワイバーン隊の指揮を執った事もあり、
体に感じる疲労感はかなりの物だった。
だが、リリスティはヴィルリエの提案を受け入れなかった。
「いや。すぐに着替えてから艦橋に上がるよ。ムク司令官との話があるし、チレトゥールや他の竜騎士達の話も聞きたいし。」
リリスティはそう言ってから、ヴィルリエの肩をたたいた。
「という訳で、ちょっと行ってくるね。」
彼女は微笑みながら、艦内の竜騎士待機所に向かって行った。
その後、更衣室で待っていた若い竜騎士達からの質問攻めを軽くあしらいながら、薄い水色の軍服に着替えたリリスティは、途中の通路で
待っていたヴィルリエと合流し、そそくさと艦橋に上がって来た。
「敬礼!」
艦橋に入るや、士官の1人が凛とした声を響かせた。
艦橋内に居た将兵や、第4機動艦隊の司令部スタッフらが敬礼で出迎えた。
リリスティは軽く答礼しながら、ムク大将の前まで歩み寄った。
「次官。長時間の防空戦闘、ご苦労様でした。」
「いえ、私の方こそ、無理を言ってしまって申し訳ないわ。視察中の司令部高官がいきなりワイバーンに乗せろといった時は、貴方もかなり驚いたでしょう?」
「それは勿論ですよ。ここにいた誰もが、なんでそうなるんだと言いたげでしたよ。まぁ、後々、次官ならやりかねないと思いましたがね。」
司令部付の航空参謀がそう言うと、ほかのスタッフが失笑する。
「ですが、次官のお気持ちは良くわかります。竜母飛行隊の練度が、実戦で通用するか否か……私自身、それを考えております。」
ムク大将は、顔を半ば強張らせながら胸の内を語っていく。
「第4機動艦隊は、戦力の再建のためにあらゆる努力をしてきました。あの敗戦から早10か月以上が経ちますが、その間、錬成に錬成を重ねた結果、
何とか形は出来たかと自負しております。さて、直にワイバーンに乗られた次官としましては、我が母艦飛行隊の竜騎士達を見てどのように思われましたかな?」
質問を振られたリリスティは、この5時間で起きた事を頭に思い浮かべながら、自分の思った事を考え始める。
リリスティは、ヴィルリエと共に第4機動艦隊の練度がどこまで向上しているか見極めるため、首都の海軍総司令部からこのクレスルクィルに視察に赴いた。
彼女らがクレスルクィルに到着したのは、昨日の夕方頃であり、そこから用意されていたワイバーン2騎に乗り、新たに旗艦となった竜母ホロウレイグに来艦した。
久しぶりの古巣に戻ったリリスティは、司令官に就任したムク提督と共に夜遅くまで話し合った。
そして今日の訓練で、防空戦に取り掛かろうとした矢先に、飛行甲板上で発進の前準備にあたっていたチレトゥール中佐が突如、倒れたのである。
甲板上が騒然となり、医療班によって艦内に担ぎ込まれる様子を見つめていたリリスティは、心中である思いが浮かんだ。
「提督。あれは確か、チレトゥール中佐だったわね。」
「はい。いきなり倒れたので驚きましたが……大事に至らぬ事を祈るしかありませんな。」
「ふむ……ところで、代理の指揮官は?」
「はっ。その辺りは艦長にお任せしますが……ここでグズグズしていては、敵の攻撃に間に合いませんな。艦長!」
「ハッ!」
第4機動艦隊第3群の指揮官に命ぜられたクリンレ・エルファルフ少将の後任として2代目ホロウレイグ艦長となった、ヴィクリアン・ヴェロスコンル大佐が答える。
「ただ今、飛行長に代理の指揮官を任じるように命じております。もうしばらくお待ち下さい。」
「急いでくれよ。」
「ムク司令官。少しばかりいいかな?」
リリスティの言葉を受けたムクは、何気ない口調で言い返す。
「何ですかな次官。」
「私は第4機動艦隊の視察に中央からやって来た訳だけど……私個人としては、第4機動艦隊が本当に信頼に足る戦力として、今後の決戦に使えるかどうかを
見極める必要がある。」
「存じております。」
ムクはそう返しながら、内心ではリリスティが何を言おうとしているのか分からなかった。
「アメリカ機動部隊の侵攻も近い。その時に、中央は第4機動艦隊を投入するか否かの選択を取らなければならない。そこでだけど……ワイバーンを1騎
借してもらいたい。」
リリスティの要請を受けたムクは、思わず固まってしまった。
「は……次官も空に上がられると言う事ですか?」
「ええ。」
リリスティが頷く。それを見たムクは、
(元々は、この人がずっと指揮し、育てて来た艦隊だ。我々は練度は向上していると幾度となく報告しているが、それが本当かどうかを、自分の目で確かめたいの
かもしれん。元はワイバーン乗りでもあるしな)
と、心中で呟いた後、リリスティの要請に応える事にした。
「わかりました。すぐに準備に取り掛からせます。優秀な竜騎士を1人お付けしましょう。」
「ありがとう。」
リリスティは、要請を受けてくれたムクに感謝の言葉を発してから、すぐに艦橋から立ち去ろうとする。
入口に差し掛かったところで、リリスティは振り返った。
「艦長。」
「ハッ!」
リリスティは、艦長が顔を振り向けるのを見てから、自信ありげな笑みを浮かべた。
「ワイバーンはあたし自身が飛ばすから、竜騎士はいらないよ。ワイバーンの準備だけお願いね。」
彼女は歌うような口調でそう言ってから、入口から立ち去って行った。
それからしばらくして……
「……次官を止めろ!!」
我に返ったムク司令官の声が響いた。
だが、その時には、いつの間にか着替えを終えていたリリスティが、甲板要員達に驚きの眼差しを向けられながら、用意されていたワイバーンに乗り込んでいた。
それからという物の、リリスティは観戦だけに留まらず、戦闘開始直前に指揮のやり方を教えてやると公言するや、たちどころに部隊を纏めて迎撃戦闘に移った。
ムク司令官ら司令部幕僚たちは、口々にどうしてこうなったと繰り返し呟きながら、防空戦闘の推移を見守った。
陸軍ワイバーン隊は波状攻撃を行って竜母部隊に攻撃の暇を与えなかったが、勝手ながらも、リリスティの巧みな指揮によって敵役の陸軍ワイバーン隊に
損害を与え続けた。
第2次、第3次攻撃隊は、それぞれ10騎のワイバーンに陣形への侵入を許したが、モルクド、ホロウレイグもまた巧みな回避運動で爆弾、魚雷を全て
回避しており、損害は無かった。
“リリスティ防空戦闘隊”は見事にその任務を全うし、艦隊将兵の士気も極限にまで上がった。
この5時間の“戦闘視察”を終えたリリスティは、心中ではワイバーン隊の練度に関して一定の評価を与えていた。
「飛行隊の練度は申し分無いと言える。ムク司令官からは、最近編入されたばかりのヴィルニ・レグ級以外は、他の竜母群も似たような練度だと
聞いているから……アメリカ機動部隊相手に戦う事は出来るね。」
「おお……そうですか。」
ムクは、それまで強張らせていた頬を僅かに緩めた。
「ただし、それでも解決できない問題がある。」
リリスティは、気を緩めかけたムクをけ戒めるように付け加えた。
「貴方も知っている通り……第4機動艦隊には航空戦力が足りない。所属している竜母17隻のうち、正規竜母は6隻のみ。11隻は搭載数の少ない小型竜母だ。
そして、第4機動艦隊の航空戦力は計900騎。この時期に、よくぞこれまでのワイバーンと竜母を揃える事が出来たと、私は思う。でも、対する敵機動部隊は、
現在確認されただけでも、正規空母14、5隻、小型空母5、6隻はいる。しかも、正規空母は全てエセックス級と、今年から現れた新型艦、リプライザル級
という嫌な組み合わせだ。航空戦力は、大甘に見積もっても、1600から1900機程。つまり……航空戦力の差が決定的に不足していることにある。」
「こちらは正規竜母が少なく、小型竜母が多くなっておりますが、アメリカ側は正規空母が多く、小型空母が少ない印象があります。あの海戦で、米軍よりも
多くの正規竜母を多く失ったことが、大きく響いてしまっていますな。」
ムク大将の陰鬱な言葉を聞いた航空参謀が、横から口を挟んだ。
「戦力格差が広がったのは、損失の大きさだけではありません。アメリカ海軍は、この1年の間に、超大型空母とも言えるリプライザル級を、この1年で
2隻ないし3隻を投入したほか、エセックス級と思しき新造艦も2隻ほど追加しています。例え、あの海戦でわが方の損害少なく、代わりに敵正規空母を
5、6隻沈めたとしても……今日のように、敵の強大な航空戦力に悩まされる事は避けられなかったでしょう。」
「リプライザル級空母の出現も、戦力差が拡大した原因の1つでもあります。」
ヴィルリエも口を開いた。
「これまでの調べでは、リプライザル級空母は搭載機数が最低でも130機程であり、それいでいながら、防御力が戦艦並みという恐ろしい性能を有しています。
それに加えて、空母部隊の護衛にあたる艦艇にも、対空火力を飛躍的に向上させたウースター級巡洋艦や、圧倒的な速射性能を誇るデ・モイン級巡洋艦も複数
有している他、艦載機に関しても、搭載量を向上させたスカイレイダーに新鋭戦闘機のベアキャットなど、あらゆる場面でアメリカ側は新兵器を投入しています。
航空戦力が少ないことも問題ではありますが、私としましては、航空戦力が多くとも、攻撃隊の犠牲が大きければ、どの道、敵機動部隊を打ち破る事は困難かと
思われます。」
「つまり、問題は大雑把に見ても2つあると言う事か。」
「かなり甘く見ても2つ、と言えますな。」
ヴィルリエが断言する。
「目を凝らせば、2つどころではないかと思われます。」
「……流石はモルクンレル提督の片腕と称されるだけはある。よく見ているようだな。」
ムクが参ったとばかりにそう言う。
「味方の状況をしっかり把握していなければ、大目玉を食らってしまいますのでね。」
ヴィルリエは、リリスティに視線を送りながらムクに言った。
「問題は確かにある、とはいえ、こちらのワイバーンも、艦載ワイバーンに関しては新鋭の85年型ワイバーンで更新されている。それに、海軍の他にも、
陸軍のワイバーン隊360騎と飛空艇隊96機がいる。これら合わせれば、基地航空戦力は456騎になる。確かに個々の飛行隊の練度にはバラつきがあり、
艦隊も護衛艦の不足といった問題を抱えているけど……やりようによっては、アメリカ機動部隊相手に勝利することも出来る。曲がりなりにも、決戦の準備は
ほぼ整っていると、私は判断するわ。」
リリスティは淀みない口調でムクにそう断言した。
「中央で色々と根回しした甲斐があったものね。」
「はっ。連合軍の本土侵攻の影響で戦備が不足しつつある中、我が艦隊に良い物を取り揃えられるよう、便宜を図ってくれた次官には深く感謝しております。
来る決戦では、敵機動部隊に対してできうる限りの損害を与えましょう。」
ムクは自信のこもった口調でリリスティにそう言い放った。
この日の演習は、竜母部隊が攻撃の合間を縫って発艦させた攻撃隊が、最後の基地に攻撃を加え、破壊判定を与えたことで第4機動艦隊側の勝利となった。
艦隊は、午後10時40分にクレスルクィル港に帰港した。
リリスティとヴィルリエは、ムク大将を始めとする艦隊司令部幕僚達と別れを告げた後、艦を降りて軍港内にある宿舎に向かって歩いていた。
「リリィとしては、艦隊はアメリカ軍相手に上手く立ち回れると思うかな?」
唐突に、ヴィルリエが聞いてくる。
俯き顔のまま歩いていたリリスティは、ヴィルリエに顔を向けたあと、しばし間をおいてから口を開く。
「……ムクは私と違って堅実な指揮が売りだから、あたしよりは上手く艦隊を使えるでしょうね。それに、陸軍ワイバーン隊や飛空艇隊も、練度の面では悪くないと
聞いている。アメリカ軍と比べたらどうなるかは分からないけどね。」
「確かにね。」
ヴィルリエはため息を吐いた。
「アメリカ機動部隊の連中は、一部が精鋭で残りが平均か、それ以下のウチと違って、全部精鋭といってもおかしくないぐらいだからね。少数精鋭ならぬ、多数精鋭で
押し寄せてくるんだから、第4機動艦隊は今までよりも、一番キツイ戦いをしないといけないかもなぁ。」
「でも、現状で揃えられるだけの物は、すべて揃えさせた。新鋭艦も、人員も……やるべき事は全てやっている。あとは、その時を待つしかない。」
「リリィの言うとおり。海軍は、次の決戦で立ち直れない程の被害を受けるかもね。」
ヴィルリエは沈んだ声でそう呟いた後、語調を変えて別の話題に切り替えた。
「海軍の話はこれまでとして。陸軍の連中は今の所、絶対防衛線と要塞線の方で、敵の進出をなんとか食い止めているようだね。」
「報告を聞く限りでは、かなりの苦戦を強いられているようだね。昨日も、要塞の1つが危うく陥落しかけたようだし。」
「戦闘開始直後に、とてつもない爆弾を落とされて、一部の要塞が防御機能を著しく削がれた事がかなり効いているらしい。」
ヴィルリエの言葉に、リリスティは軽く頷く。
「爆撃時には、要塞内にこもっていた陸軍部隊も相当な被害を出したと聞いている。そこに連合軍機械化部隊の容赦ない猛攻と無制限の砲爆撃。これじゃあ、
どんな精鋭部隊だってすぐに消滅してしまう。」
「でも、西部戦線、東部戦線ともに、1個の師団も失わずに戦い続けているというから、陸軍の連中もかなり頑張ってくれていると思う。」
「戦闘開始からもう5日も経つんだよね……兵力に差を付けられながら、本当に良く頑張ってくれている。」
リリスティの吐き出した声が、冬の寒い闇夜に響く。
「……ヴィル。ホロウレイグから降りる前に効いた気象班の報告だけど、あの報告の通りなら、要塞線で戦う陸軍部隊は陸の戦いにだけ集中できるね。」
「天気という物は気紛れなものだけどな。でも……今は、そんな気紛れな代物に頼ってでも、敵と戦わなきゃいけない。それが……陸軍の願いだからね。」
「……偉大なる物は、別の偉大なる物によって修正されるべきである……か。昔の偉人も面白い事を言ってくれるわね。」
「な~にご先祖様のことを自慢してんのよ。」
リリスティが口ずさんだ格言を聞いたヴィルリエが半目で見つめて来た。
「別に、自慢なんかしてないよ。ただ、今のシホールアンルはこのような感じになったのかと、思っただけ。」
「へぇ……脳筋なあんたも、ちったぁ考えるんだねぇ。」
ヴィルリエは心底感心したようにそう言ったが、1秒後にはリリスティに頭をはたかれていた。
11月22日 午後7時20分 カリフォルニア州サンディエゴ
太平洋艦隊司令長官を務めるチェスター・ニミッツ元帥は、司令部内にある執務室で気難しい表情を浮かべながら、太平洋艦隊情報参謀のエドウィン・レイトン少将
(今年3月に昇進)とロシュフォート大佐の報告に聞き入っていた。
「……それで、君の言っていた小説のセリフのような通信文とやらだが、やはり、これはシホールアンル側のなんらかの暗号であると言いたいのだね?」
「その通りです。」
レイトン少将が頷きながら答える。
「北大陸に派遣した魔法通信傍受班が直接傍受した回数は実に18回。前線の陸軍部隊や、太平洋艦隊所属艦から報告されたものも含めれば、47回にも上ります。」
情報副参謀のジョセフ・ロシュフォート大佐が発言する。
「この意味不明なセリフの数々が流れ始めたのは、今から1週間前。11月15日からになります。それ以来、同様のセリフ回しや意味不明な言葉の羅列が増え始めました。」
「明らかに異常だな……それで、何か対策は取っているのかね?」
「はっ。情報部の部下に同盟国より派遣された魔導士と共同で、これまでに押収したシホールアンル出版の古文書等を調べさせています。魔導士はミスリアルとバルランド出身の
者で、戦前はシホールアンルの古文書も研究していたと言っておりましたが……例の文の解読には、かなりの時間がかかると思われます。」
レイトン少将が質問に答える。
「陸軍さんは今日、ヒーレリ方面の軍が敵の要塞線の一角を奪取し、3日以内には敵国本土奥深く進軍する予定だが、そんな時に不気味な通信文が出てくるとはな。
それで、例の通信文は今どうなっているかね?」
「はっ、傍受頻度はかなり高まっており、今日だけでも16回は確認しているようです。」
「……敵は、何か企んでいるのか。」
ニミッツは眉を顰めながらそう呟いた。
「敵が魔法通信に暗号と思しき物を使い始めた事も憂慮すべき事でありますが、それ以外にも不可解な点があります。」
ロシュフォート大佐も顔をややしかめながらニミッツに言う。
「陸軍情報部の将校と共に、この一連の魔法通信を調べていた所で判明したのですが、この魔法通信の発信量が、通常行われる魔法通信の発信量と比べてかなり少ないのです。」
「それはどういう事かね?」
ニミッツがすかさず問い質す。
「はっ。通常、傍受される魔法通信は、敵のほぼ全軍ともいえる程の部隊から発せられますので、通常時でもかなりの数の通信文が確認されます。戦闘時ともなれば、
シホールアンル側は一地方軍のみならず、他の軍部隊や本国駐留軍、首都の中央司令部等にも頻繁に確認の連絡を入れますから、その数は通常時とは比べ物になりません。
隠密行動を取っていたと思しき軍や地方の軍司令部からの発信回数も、作戦開始3日程前から作戦開始までは、最低で100以上は下りません。ですが、今回確認された
不可思議な通信文は、この1週間で50足らず。今日の分も含めれば50以上は超えるでしょうが……この数字は明らかに少ないと言えます。」
「……ロシュフォート。陸軍の将校は何か言っていなかったかね?」
「はっ。ブランドン大佐は、この通信回数は、戦闘態勢にないシホールアンル側の1個軍相当が発するギリギリの量であると言っておりました。」
「我々は陸軍ではありませんから、敵地上軍がどう動くかまでは正確に判断できませんが……少なくとも、敵がどこかで試みを行おうとしている可能性が無いとは言えぬかと思われます。」
「試みか……陸軍さんからは、この不可思議な通信文に関して、何か対策を取るとは言っておらんのかね?」
「いえ、特にはありませんが……一応、作戦続行中の第1、第2軍集団司令部には突発時に備えて警戒を厳にせよと命じたようです。」
「それだけか……?」
ニミッツは2人を交互に見つめながら聞く。
「はっ。今の所は。」
レイトンが事務的な口調で答える。
それを聞いたニミッツは、椅子にもたれかかりながらしばし押し黙った。
(……妙な胸騒ぎがするな。一体、あの暗号の中身は、どのような事を伝えているのだろうか……)
ニミッツが黙考し始めたから1分が経過した時、執務室のドアがノックされる音が響いた。
「どうぞ!」
ニミッツがドアの向こうにそう言った後、ドアが開かれ、若い士官が失礼しますと言いつつ、1枚の紙を携えながらロシュフォート大佐の前まで歩み寄った。
「……ご苦労。下がっていいぞ。」
ロシュフォートは一言告げてから、若い士官を下がらせた。
彼はレイトンに紙面の内容を見せる。
すると、レイトンの表情が変わり、得体のしれない化け物を見るかのような目付きになった。
「長官。例の不可思議な通信文ですが、新たな一文を、レスタンに派遣した分遣隊が傍受したようです。」
「見せてくれ。」
ニミッツが右手を差し出すと、ロシュフォートは紙をすかさず手渡した。
「『ヴィリンホルメの使いに告ぐ冬景色。過酷な煉獄の中にあっても思いは1つ。ただただ、己の願望を成就せんと日々邁進するのみ。努力を怠る事無かれ。
希望を捨てることなかれ。さすれば、全てを手に入れられるのは必然になり。ウェトクケインラ猊下の息子よ。』……物語を語る詩として上出来なのか
不出来なのかはわからんが……確かに、意味が分からんな。」
「私も長官と同じ思いです。」
レイトン少将が複雑な表情を浮かべながらニミッツに言う。
「ただ、一連の通信文には、最低でも2つの共通点があります。」
「共通点だと?それは何かね?」
ロシュフォートの言葉に、ニミッツはすぐに飛びついた。
「今まで傍受された通信文の中には、必ずと言っていいほどヴィリンホルメの使い、ウェトクケインラ猊下の息子という2つの言葉が入っております。
これらの言葉は、最初と最後、あるいは、最後と最初に使われる場合が殆どであり、この2つの名前は発信側の軍司令部と受信側の軍司令部を記す
暗号であるとみて間違いないでしょう。」
「暗号と言っても、造語に軍司令部の名前を被せただけの言葉遊びのような代物かもしれませんが、とは言え、今まで平文同様の報告文を聞いていた
我々にとって、今回の事件は由々しき事態であると言えます。」
「発信所は掴めないのかね?」
「はっ。現在調査中ではありますが……結果が出るまでは今しばらく時間が掛かります。何しろ、これらの文は途切れ途切れに入っている状態ですので。」
レイトン少将は憎々し気な口調で応えた。
魔法通信傍受器は、魔法通信の傍受は勿論のこと、大雑把ながらも発信した地域を推定することが出来る。
だが、地域を推定するためには、最低でも3分以上魔法通信傍受が必要であり、魔法通信傍受時間が1分や2分以内であると、発進箇所の特定が困難を極めていた。
これまでの傍受では、シホールアンル側が魔法通信傍受器の存在を知らないこともあり、例え傍受時間が1分のみならず、30秒足らずの短時間であったとしても、
通信文には必ず、作戦開始日時は勿論のこと、軍団司令部や部隊の所在する場所が含まれていたため、何ら問題はなかった。
だが、例の不可解な通信文は、常に途切れ途切れで、魔法通信自体も1分か2分程度で発信をやめるのが常であった。
それに加えて理解不能な詩である。
この不可解な詩の登場が、“お気楽な漏洩情報入手”という状況を一変させてしまった。
攻勢開始から1週間近くが経過した今、連合各国の情報機関は、唐突に湧いて出た不可思議な通信文をなんとか解読しようと躍起になっているのだが、
今現在、この不可思議な通信文に関する明るい情報は全く無い。
大作戦を実行中である連合軍にとって、この一連の事件は不気味どころか、一種の怪奇現象のような物すら感じさせていた。
「2人には悪いが、この通信文の解読は出来るだけ早く行ってもらいたい。そのため、かなりの苦労がかかると思うが……よろしいかね?」
「長官。不謹慎かもしれませんが、情報参謀を任されている私としましては、ようやく、自分の本領を発揮できる時が来たかと思っております。」
「私もレイトン提督と同じ意見です。」
ロシュフォートも意気込みを見せる。
「シホールアンルの連中がそう来るのならば、我々は受けて立つまでです。私はあの情報の手掛かりを得るまでは帰るつもりはありません。」
「私もです。自分はワシントンに飛び、陸軍情報部やOSSと協議するために、これから電話をかけてみます。」
「レイトン、ロシュフォート……頼んだぞ。」
2人の決意を聞いたニミッツは、深く頷きながらそう言った。
「では、自分はこれから地下に籠ります。」
「私も部屋に戻り、支度を整えます。では長官、失礼いたします。」
2人の情報将校はくるりと踵を返し、堂々とした……それでいながら、どこか晴れ晴れとした足取りで執務室を後にした。
1485年(1945年)11月18日 午後9時 西部絶対防衛線
シホールアンル軍第367歩兵師団は、戦闘開始から2日近くが経ったこの日も、連合軍との死闘を繰り広げていた。
第367歩兵師団第382歩兵連隊は、絶対防衛線内の第4防御線に展開して進撃して来る敵機械化部隊の猛攻を食い止めていたが、
戦闘開始から1時間程で、戦線の各所では早くも綻びが生じかけていた。
同連隊の第2大隊第1中隊を率いるヴェセンドネ・クトインル大尉は、仮説の指揮所から戦闘の様子を見守っていたが、彼は戦況が徐々に
悪化しつつある事を肌で感じ取っていた。
「中隊長!第2小隊の戦力はあと僅かです!接近中の新手にぶつかったら全滅してしまいます!」
「後方の野砲連隊が支援砲撃準備完了と伝えています!座標を指示しますか?」
「第1小隊の隊長代理がしきりに後退許可を求めています!どうしますか!?」
クトインル大尉は、次々と飛び込んで来る情報に仏頂面を浮かべながらも、1つ1つ指示を下して行く。
「第2小隊は下げろ!応援の第32師団の部隊と交代させろ!それから、野砲連隊にこの紙に書いた座標に打ち込めと伝えろ!そこの位置に居た
味方は既に全滅したとも付け加えておけ。第1小隊の後退もすぐに開始しろ。魔道銃しか持たない歩兵12人で敵の戦車部隊を相手に出来んからな!」
矢継ぎ早に下される命令を、中隊本部付の魔道士3名は、指揮下の部隊に速やかに伝えていく。
「伝令!敵戦車隊、前哨の第2中隊陣地に急速接近!敵戦車はグラント戦車とシャーマン戦車の混同の模様!」
伝令が中隊指揮所の出入り口で、大声で喚く様にそう伝えると、大雑把に一礼してから指揮下の部隊に戻って行った。
「シャーマン戦車とグラント戦車か……となると、今度の相手はカレアント軍だな。要塞陣地から送られて来た、増援のキリラルブス大隊の支援はまだか……」
クトインルは苛立ちを募らせた口調で呟きつつ、地面に置かれた戦況地図を見つめる。
現在、クトインルの所属する師団は、後方から増援としてやって来た第47軍の第32歩兵師団と共に、敵3個師団の攻撃に応戦している。
前線は、第65軍の受持ち区画が、初日から約5ゼルド(15キロ)に渡って後退しているが、他の戦線は2ゼルド(6キロ)から3ゼルド(9キロ)程で済んでいる。
地図上から見れば、第65軍の受け持つ北方戦線に、敵部隊が大きく食い込んでいる形だ。
シホールアンル軍は、ヒーレリ領の西部絶対防戦と西部領境から、長い所では約60ゼルド(180キロ)、短い所では30ゼルド程の縦進を確保しており、
西部絶対防衛線の各隊は、最前線で食い止められぬ場合は、最大で180キロから、最短で60キロ程の距離を後退しながら遅滞戦闘を行いつつ、
敵前進部隊を消耗させる事を命令されている。
だが、これはあくまでも予定地……最寄りの国境地帯までと言う話である。
第367歩兵師団は、戦線の最北の防備を任されているが、ここからシホールアンル領境までは、なんと89ゼルド(267キロ)もある。
ヒーレリ領の東端部は、地形的にシホールアンル本土に突き刺さる形で形成されており、地図から見ればシホールアンル領に行くほど、
領土の先が細くなっている。
第367歩兵師団は、予定では戦線から北東か、または南東の領境地帯に後退する予定となっているが、この2つの退路が絶たれた場合は、
その細長い土地を延々と後退する破目になる。
敵機械化部隊に追い立てながら、延々200キロ以上もの距離は後退するのはまさに地獄であり、師団の将兵は誰もが、その最悪の事態を避けるために、
適度に後退を行いながら、部隊の充足率が低い事にもお構いなしに、時には逆襲を加える等をして激しく抵抗を行っていた。
前方のカレアント軍機甲部隊の前面に、後方から放たれた味方の野砲弾が弾着する。
砲兵の阻止弾幕だ。
たちまち多数の爆炎と煙が噴き上がり、前進してきた敵部隊の姿が見えなくなる。
カレアント軍機甲部隊は、砲弾の弾着もお構いなしとばかりに、強引に前進を続けるが、砲兵連隊はここぞとばかりに野砲を撃ちまくる。
弾着が繰り返され、敵の事前砲撃で耕された大地が、シホールアンル側の砲撃によって更にすき返される。
とあるグラント戦車に砲弾が命中する。
車体に主砲、車体上部に副砲という珍しい形を持つ敵戦車は、薄い天蓋に直撃弾を食らった事もあって致命的な損傷を受け、被弾から3秒後に、
一際大きな爆発を起こした。
中隊の陣地に残されていた対戦車砲も火を吹く。
砲手は、じりじりと迫り来る敵戦車を、憎しみを込めた視線を注ぎながら砲弾を放つ。
装填手が即座に次の砲弾を押し込み、次弾を放てる態勢を素早く整える。
中隊に残存していた対戦車砲3門は、味方の砲兵弾幕で視界が悪い中、3分間で3両のシャーマン戦車と6両のグラント戦車を撃破した。
たった3門の対戦車砲は、短時間で期待以上の奮戦を見せてくれたのだが、その奮闘も長くは続かない。
「!?」
唐突に、陣地の上空で照明弾が煌めく。
それから1分後、陣地から500メートル程まで迫った敵前進部隊の後方で、何かが光ったと思いきや、その光の数が予想以上に多い事にクトインルは気付く。
「光……いや、あれは噴射炎だ!」
彼は、光が妙に棚引いている事から、光の正体が、アメリカ軍がよく使う“ロケット弾”と言う事に気付いた。
「敵の爆裂光弾が来るぞ!各隊に注意しろと伝えろ!!」
クトインルは部下の魔道士に伝えた。
クトインルは知らなかったが、前進中であったカレアント軍機甲部隊は、陣地の抵抗が激しいと見るや即座に支援攻撃を要請していた。
その要請に応えたのが、前進部隊の後方2キロに展開していたKR-12ロケット砲大隊であった。
敵の支援攻撃が確認されてからそう間を置かぬ内に、敵の放ったロケット弾が中隊の陣地に落下して来た。
指揮所の前方や後方と、あらゆる場所にロケット弾が着弾し、大音響と共に爆炎と土砂が宙高く噴き上がる。
それまで、期待以上の奮戦を見せていた野砲陣地にもロケット弾が落下する。
砲兵は咄嗟に塹壕に身を隠し、爆発に巻き込まれなかったが、対戦車砲は至近でロケット弾爆発の衝撃や破片を食らった為、瞬時にして原形を
留めぬ鉄屑に成り下がった。
ここ最近のロケット弾は何らかの工夫がされているのか、落下する直前まで、耳障りな甲高い音を発している。
心臓の鼓動を否が応にも高めるこの音は実に不快そのものであり、神経をやられた兵士も少なくない。
シホールアンル兵は、このアメリカ製のロケット弾の事をルーズベルトの口笛という渾名を付けているが、それは、この忌々しい兵器に対する
シホールアンル兵の憎しみの表れとも言えた。
カレアント軍はロケット弾を派手に撃ちまくったらしく、着弾から1分程近くが経過してもロケット弾の弾着が続いた。
「くそ……やりたい放題だな!!」
クトインルは憎らしげな口調で低く呻いた。
ロケット弾の弾着が終わった後、指揮所に更なる悲報が飛び込んで来た。
「中隊長!先の攻撃で対戦車砲小隊が全滅!」
中隊付き魔道士の1人であるシヴェリィ・メヒロンヘ少尉が彼に振り向き、報告を伝える。
心なしか、彼女の表情が曇っていた。
「まずいぞ。このままじゃ、敵戦車に何も出来んまま陣地を蹂躙されちまう。応援のキリラルブス隊はどうなっている!?」
「今確認します!」
メヒロンヘはそう返してから、第32師団の独立石甲連隊に支援の有無を問う。
本来であれば、前線の補強には所属している師団の石甲大隊が担当している事になっているが、彼の所属師団の石甲大隊は投入される度に
敵航空隊の猛爆やパーシング戦車の猛攻に遭い、戦闘開始から3日目を迎える前に文字通り全滅してしまった。
これを受けて、第367師団司令部は軍団司令部に緊急でキリラルブス隊の増派を要請した。
その結果、軍団司令部は後方より展開してきた第32師団所属のキリラルブス連隊を支援に回してくれる事を約束してくれた。
余談だが、歩兵師団所属のキリラルブス隊は、師団によって大隊規模のみしか無い場合もあれば、連隊規模の数が揃っている等、
様々になっている。無論、師団所属のキリラルブスを有していない所もある。
石甲師団や石甲化旅団は、そのキリラルブス連隊や、キリラルブス改造台に歩兵を乗せた機動歩兵連隊が3個ないし、2個を中心に編成されている
師団の事を指している。
シホールアンル軍一般部隊の中では、この一番硬い部隊である石甲師団や石甲化部隊将兵に羨望の眼差しを向ける物が多いが、その一番防御力の
ある部隊で占められた第5石甲軍もまた、連合軍側の猛攻の前に後退を重ねていた。
「中隊長!今しがた、キリラルブス連隊より回答がありました!間もなく、2個石甲大隊がこちらに到着するとの事です!」
「そうか……意外と速かったな。」
クトインルは顔の強張りをやや解しながら頷く。
指揮所から出て、塹壕の外に顔を出す。
メヒロンヘの言う通り、キリラルブスが隊形を維持しながら前線に向かいつつあった。
夜闇の中で見え辛い物の、キリラルブスの数は70台は下らないだろう。
キリラルブス大隊は1個大隊で30ないし、40台程で編成されている。第32師団は予想以上の速さで増援を寄越してくれたのである。
「型式が何であるのかが気になる所だが、短砲身砲搭載キリラルブスでも嬉しい限りだ。」
(最も、うちの師団はその短身砲搭載型で占められていたばかりに、パーシングに一方的にやられていたがな)
クトインルは、決戦開始初日の悪夢の事を思い出しながらも、心中では味方キリラルブス隊の奮闘を祈っていた。
11月20日 午前11時40分 シホールアンル帝国クレスルクィル
シホールアンル帝国海軍の根拠地であるクレスルクィル軍港は、84年末までは規模こそ大きい物の、実質的には後方の補給拠点として使用されていたに
過ぎなかったが、85年初めからは、ヒーレリ領に近いヒレリイスルィ軍港から多くの軍艦がクレスルクィルに拠点を移すようになった。
クレスルクィルが、本格的な主要拠点として機能し始めたのは、今から2か月以上前の9月初めからだ。
当時、ヒーレリ領は約3分の2を連合軍によって奪われていた。
シホールアンル帝国軍上層部は、ヒーレリ領失陥によってヒーレリに比較的近いヒレリイスルィ港にアメリカ機動部隊の攻撃が加えられる可能性が
高いと判断し、9月5日より竜母や戦艦を初めとする主力艦部隊にクレスルクィルへの異動を命じ、その翌日には、残っていた護衛の巡洋艦や駆逐艦、
掃海艦等の小型艦艇隊にも避退準備に移るように命じた。
その1週間後の9月12日。
ヒレリイスルィ南方150ゼルド沖に進出したアメリカ機動部隊は、早朝より攻撃隊を発艦させ、広大なヒレリイスルィ港に反復攻撃を加えた。
正規空母、軽空母20隻の第58任務部隊は早朝から夕方にかけて、7波、1620機の攻撃機を発艦させた。
この日の攻撃で、ヒレリイスルィ港は軍港機能を喪失し、同港に在泊していた艦艇28隻、輸送船17隻すべてが撃沈、撃破され、同港に防備にあたっていた
ワイバーン部隊も、迎撃に向かった220騎中未帰還68という大損害を負った上に、同地に駐屯していた陸軍部隊も爆撃された。
この他にも、軍艦の建造拠点に1つでもあったヒレリイスルィ港は8の建造ドックと5の修理用ドックがあったが、このドック群も米艦載機群の餌食となった。
ドックの中には、修理中の駆逐艦3隻と、建造中であった大型戦艦1隻、大型正規竜母1隻があったが、これらもドックごと爆砕された。
ヒレリイスルィ港は、僅か1日だけの攻撃で復旧も絶望視されるほどの損害を被ったが、幸いにも、帝国海軍の主力である竜母や戦艦、その護衛艦艇群は健在であり、
現在は新たな拠点となったこのクレスルクィルで、日々、血の滲むような猛訓練に励んでいた。
第4機動艦隊の旗艦である竜母ホロウレイグは、僚艦モルクドと護衛艦12隻と共に、クレスルクィル南西20ゼルド沖にて3日がかりの洋上訓練を行っていた。
第4機動艦隊司令官であるワルジ・ムク大将は、持参した双眼鏡で空戦空域を見ながら、ちらりと時計を見た。
「11時41分……空戦開始から15分が経過しているが。数が不利な筈なのにまだ対抗部隊と戦い続けるとはね。」
ムク大将は苦笑しながらそう言いつつ、味方役のワイバーン隊の活躍ぶりに感嘆していた。
この日の訓練は、ムク大将の直率する竜母ホロウレイグとモルクドがアメリカ機動部隊の役としてクレスルクィルに侵攻し、同地の周辺に展開する
陸軍第42空中騎士軍が防衛役として対抗するというもので、訓練は3日前から始まっている。
1日目と2日目は、クレスルクィル周辺の天候が不安定であったこともあり、同地の攻撃は中途半端な結果に終わっているが、それでも、42空中騎士軍の
防衛目標であった2つの基地のうち1つに破壊判定を与えており、もう1つに破壊判定を与えれば、ムク大将の艦隊に軍配が上がる予定であった。
だが、この日の早朝、艦隊は敵側の偵察ワイバーンに発見された直後、相次ぐ波状攻撃の前に防戦一方となっていた。
朝方からこの時刻までに来襲した敵騎の数は総計で200騎にも及び、しかも、それらの敵騎は3波に渡って押し寄せて来た為、攻撃隊を発艦させる暇がなかった。
だが、防戦一方の艦隊は、この容赦ない波状攻撃を受けたにもかかわらず、損害はほとんど無かった。
唯一、防空戦闘に出撃したワイバーン17騎が撃墜判定を下されただけである。
そして、早朝から奮闘する艦隊のワイバーン隊は、今しがた来襲したばかりの敵90騎を相手に効果的な迎撃戦闘を展開していた。
双眼鏡の向こう側には、小さいながらもワイバーンの姿が見える。
ムク大将は、その中の1騎に注目した。
そのワイバーンは、ホロウレイグ隊の指揮官騎として使われているワイバーンである。
指揮官騎には、部下が判別しやすいようにワイバーンの尾の付け根に赤い吹流しを括り付けている。
その指揮官騎の動きは、一目見ても練達の竜騎士乗りでありる事がよくわかる。
指揮官騎は敵の攻撃を受けても即時に切り替えし、逆に、あっさりと後ろを取って追い回していく。
指揮官騎のワイバーンは85年型汎用ワイバーンであり、性能は83年型よりも上がった分、動きも幾らか派手に見える。
だが、対抗部隊である陸軍のワイバーンも、同じく85年型汎用ワイバーンだ。
それに加え、今、味方役のワイバーンが追い回しているワイバーンも、青い吹流しを付けた指揮官騎であり、情報によれば、これまでに18騎のワイバーンと
12機の敵機を撃墜し、過去に2度、米空母部隊への攻撃にも参加した古強者と言われている。
「おっ。そこで切り返すか!」
ムクは思わず声を上げた。
追撃されているワイバーンが唐突に急減速に入ったかと思うと、瞬時に向きを変えた。
口から光弾の連射(ワイバーンの意識を訓練用に切り替えているため、光弾の威力はあまり無い)が吐き出され、それが追撃していたワイバーンに
突き刺さるかと思われた。
直後、追撃していたワイバーンが横転を繰り返しながら下降に移る。
過たず命中するかと思われた光弾は紙一重の差でかわされ、ワイバーンは速度を緩めぬまま、全速で敵ワイバーンの下を飛び抜けていく。
敵ワイバーンは、飛び去ったワイバーンを追撃すべく、体を反転させた。
だが、その直後……敵ワイバーンにいくつもの光弾が殺到し、それは容赦なく突き刺さっていった。
それは、一瞬の出来事であった。
「ふぅ……やるねぇ。」
隣に立っていた眼鏡をかけている女性士官が爽やかそうな口ぶりで言う。
「普通なら、あんな事をやらないんだけど。」
「……私は敵の指揮官騎の方に視線が集中していて、何が起きたのか分からなかったが、一体あったんだね?」
ムク大将は眉間にしわを浮かべながら、眼鏡の女性士官に質問する。
「後ろを取ったんですよ。」
「後ろ……?」
ムク大将は首を捻った。
「あの時、不用意に前に出たのは彼女であった筈。なのに、後ろを取ったとはどういう事だ?」
「簡単なことですよ。」
女性士官……海軍総司令部情報参謀を務める、ヴィルリエ・フレギル大佐は当然のように言い放った。
「通り過ぎる瞬間に、相棒に命じたんですよ。後ろに振り向け、と。今しがた撃墜した敵の竜騎士がやったのと、同じことをしたまでです。
振り向く時は横転しながらやってたんで、幾分機動が派手でしたけどね。」
「なんと……だが、あのような急機動は非常に難しいぞ。敵ワイバーンを起こしていた時は、恐らく全速力は出ていたはずだが……幾らなんでも、無茶すぎるな。」
「でも、できると思ったらやる……長い間、第4機動艦隊の一司令官として、彼女の下にいたムク司令官なら、分からないことでは無いかと思われますが。」
ヴィルリエからそう言われたムクは、一瞬押し黙った後、納得したように頷いた。
「そうだな。全く……あの方は、相変わらず無茶をするものだ。」
ムクは苦笑しながらヴィルリエに言った。
防空戦はそれから10分後に終わりを告げた。
結局のところ、敵の第4次攻撃隊は、46騎の迎撃ワイバーン隊に散々打ちのめされた末、這う這うの体で引き返して行った。
竜母ホロウレイグには、敵の攻撃隊を阻止した防空戦闘隊が次々と着艦して来た。
15リンルの速力で航行する竜母の甲板に、ワイバーンは大きな翼をゆっくりと羽ばたかせながら近付いてくる。
竜騎士は甲板要員の誘導に従いつつ、相棒に速力を調整させながら艦に接近させる。
最初のワイバーンが、飛行甲板後部を飛び越した所で着艦する。ワイバーンは弾みで3、4歩、歩いた後に停止し、2、3度ほど、大きく翼を羽ばたく。
ワイバーンは甲板要員に手綱を引かれながら、昇降機の上にまで進み、そこから艦内に降ろされていった。
「司令官。私は出迎えに行って参ります。」
「うむ。私からもお見事でしたと伝えてくれ。」
ヴィルリエはムク司令官に断りを入れた後、そそくさと艦橋から飛行甲板に下りて行った。
彼女が飛行甲板へと急ぐ間にも、ホロウレイグ所属のワイバーンが次々と着艦して来る。
程無くして、最後のワイバーンが着艦態勢に入った。
ワイバーンの竜騎士は甲板要員の指示に素直に従いつつ、相棒を艦の真後ろから近づけさせ……そして、飛行甲板後部に着艦した。
ワイバーンは着艦の弾みで甲板を歩くが、2歩歩いただけで停止した。
「あれ、あんたは確か……」
艦橋に背中をもたれさせながら着艦風景に見入っていたヴィルリエは、いつの間にか側にいた男性士官に気付く。
「あ、これは情報参謀。」
「体の調子が悪かったんじゃないの?」
「ええ。はっきり言って最悪ですよ。」
竜母ホロウレイグ戦闘隊の指揮官であるイルヴラン・チレトゥール中佐は青い顔に笑みを浮かべながら答える。
「でも、自分の代わりに飛んでくれると聞きましてからは、じっとして居られなくて。」
「いつからここに?」
「1分ほど前です。それまでは、あそこで陣取っていましたよ。」
チレトゥール中佐は左舷側の銃座を指さした。
それを見たヴィルリエは、呆れてしまった。
「素直に部屋で寝ていればいいのに。」
「へへ。竜騎士っていうモンは、血の熱い奴しかいませんからね。」
チレトゥール中佐の言葉を受けたヴィルリエは、思わずため息を吐いてしまった。
(これも、仕事柄の違いなんだろうねぇ)
彼女はそう思いながら、最後に着艦したワイバーンに視線を向ける。
ワイバーンから茶色の飛行服を着た竜騎士が、甲板に降り立った。
「さて、労いの言葉をかけるかね。」
ヴィルリエはポツリと呟きながら、その竜騎士に歩み寄っていった。
目元を覆っていた風防眼鏡を取ろうとしていた竜騎士は、歩み寄るヴィルリエに気付くと、口元に笑みを浮かべた。
竜騎士のヘアキャップの首元からは長い紫色の髪がはみ出ている。
(昔ながらの格好で戦ったのね)
ヴィルリエは竜騎士の昔気質な性格に、心中で呟きながら声をかけた。
「お疲れ様です、次官。久しぶりの部隊指揮はいかがでした?」
「んー……やっぱり、今と昔じゃ大違いだなと思ったね。」
竜騎士はそう答えた後、風防眼鏡を外し、更にヘアキャップも脱いだ。
シホールアンル帝国海軍総司令部次官を務める、リリスティ・モルクンレル大将は、額に浮かんだ汗を飛行服の裾で拭いながら深呼吸した。
「あと、体が昔のように動いてくれない。こうして見ると、後方専門の体になっちゃったんだと、嫌でも思うなぁ。」
「あんな変な動きしたお方が、何を言っておられるのやら……」
ヴィルリエは慇懃な口調でリリスティに言う。
「それでも、次官の腕前は見事でしたよ。後ろのチレトゥール中佐も満足している様子です。」
彼女は後ろにちらちらと視線を送る。リリスティは、顔を青くしながらも、気丈な顔つきで歩み寄ってくるチレトゥール中佐を見つめた。
「司令官!ご苦労様です!!」
チレトゥール中佐はそう言った直後、慌てて言葉を言い直した。
「あ、じゃなくて……失礼しました。今は総司令部次官でありましたね。」
「いんや、別に謝らなくてもいいよ。竜騎士錬成学校からの昔馴染みなんだし。」
リリスティは軽い口調で彼にそう言った。
「はっ、ありがとうございます。それにしても、次官の腕前はいつ見ても素晴らしい物です。かれこれ5時間も空に上がって居るというのに、
一糸乱れぬ部隊指揮はお見事です。紫髪の姫騎士の名は伊達ではありませんな。」
「よしてよ。それに、ワイバーン隊指揮官として活躍していたのは、もう、7年以上前の話よ。」
リリスティはチレトゥール中佐の賛辞に、苦笑しながら言い返す。
「今ではすっかり、後方勤務専門のぬるま湯軍人よ。」
「その過度な謙遜振りも、相変わらずですな。それに乗せられて、後々泣きを見た挑戦者がどれだけ居た事か。」
「まぁ、次官は少々、いじめ好きでもありますからね。それでストレス解消した事も、過去には何度かあったようですな。」
チレトゥールに便乗するかのように、ヴィルリエもニヤニヤと笑いながらリリスティに言う。
今は公の場であるため、口調が丁寧ではあるが、その皮肉さは相変わらずである。
「情報参謀……人の印象を悪くするような言葉は慎んだほうが良いと思うぞ。」
リリスティはジト目でヴィルリエを見つめながら注意した。
「やや……これは失礼しました。それよりも次官、大分お疲れになったでしょうから2時間ほどは休まれますか?」
リリスティはヴィルリエの提案を聞きながら、自分の体の状態を確認する。
ワイバーンの搭乗自体は、竜母機動艦隊の司令官に任された後も細々と続けていたが、今回は久方ぶりにワイバーン隊の指揮を執った事もあり、
体に感じる疲労感はかなりの物だった。
だが、リリスティはヴィルリエの提案を受け入れなかった。
「いや。すぐに着替えてから艦橋に上がるよ。ムク司令官との話があるし、チレトゥールや他の竜騎士達の話も聞きたいし。」
リリスティはそう言ってから、ヴィルリエの肩をたたいた。
「という訳で、ちょっと行ってくるね。」
彼女は微笑みながら、艦内の竜騎士待機所に向かって行った。
その後、更衣室で待っていた若い竜騎士達からの質問攻めを軽くあしらいながら、薄い水色の軍服に着替えたリリスティは、途中の通路で
待っていたヴィルリエと合流し、そそくさと艦橋に上がって来た。
「敬礼!」
艦橋に入るや、士官の1人が凛とした声を響かせた。
艦橋内に居た将兵や、第4機動艦隊の司令部スタッフらが敬礼で出迎えた。
リリスティは軽く答礼しながら、ムク大将の前まで歩み寄った。
「次官。長時間の防空戦闘、ご苦労様でした。」
「いえ、私の方こそ、無理を言ってしまって申し訳ないわ。視察中の司令部高官がいきなりワイバーンに乗せろといった時は、貴方もかなり驚いたでしょう?」
「それは勿論ですよ。ここにいた誰もが、なんでそうなるんだと言いたげでしたよ。まぁ、後々、次官ならやりかねないと思いましたがね。」
司令部付の航空参謀がそう言うと、ほかのスタッフが失笑する。
「ですが、次官のお気持ちは良くわかります。竜母飛行隊の練度が、実戦で通用するか否か……私自身、それを考えております。」
ムク大将は、顔を半ば強張らせながら胸の内を語っていく。
「第4機動艦隊は、戦力の再建のためにあらゆる努力をしてきました。あの敗戦から早10か月以上が経ちますが、その間、錬成に錬成を重ねた結果、
何とか形は出来たかと自負しております。さて、直にワイバーンに乗られた次官としましては、我が母艦飛行隊の竜騎士達を見てどのように思われましたかな?」
質問を振られたリリスティは、この5時間で起きた事を頭に思い浮かべながら、自分の思った事を考え始める。
リリスティは、ヴィルリエと共に第4機動艦隊の練度がどこまで向上しているか見極めるため、首都の海軍総司令部からこのクレスルクィルに視察に赴いた。
彼女らがクレスルクィルに到着したのは、昨日の夕方頃であり、そこから用意されていたワイバーン2騎に乗り、新たに旗艦となった竜母ホロウレイグに来艦した。
久しぶりの古巣に戻ったリリスティは、司令官に就任したムク提督と共に夜遅くまで話し合った。
そして今日の訓練で、防空戦に取り掛かろうとした矢先に、飛行甲板上で発進の前準備にあたっていたチレトゥール中佐が突如、倒れたのである。
甲板上が騒然となり、医療班によって艦内に担ぎ込まれる様子を見つめていたリリスティは、心中である思いが浮かんだ。
「提督。あれは確か、チレトゥール中佐だったわね。」
「はい。いきなり倒れたので驚きましたが……大事に至らぬ事を祈るしかありませんな。」
「ふむ……ところで、代理の指揮官は?」
「はっ。その辺りは艦長にお任せしますが……ここでグズグズしていては、敵の攻撃に間に合いませんな。艦長!」
「ハッ!」
第4機動艦隊第3群の指揮官に命ぜられたクリンレ・エルファルフ少将の後任として2代目ホロウレイグ艦長となった、ヴィクリアン・ヴェロスコンル大佐が答える。
「ただ今、飛行長に代理の指揮官を任じるように命じております。もうしばらくお待ち下さい。」
「急いでくれよ。」
「ムク司令官。少しばかりいいかな?」
リリスティの言葉を受けたムクは、何気ない口調で言い返す。
「何ですかな次官。」
「私は第4機動艦隊の視察に中央からやって来た訳だけど……私個人としては、第4機動艦隊が本当に信頼に足る戦力として、今後の決戦に使えるかどうかを
見極める必要がある。」
「存じております。」
ムクはそう返しながら、内心ではリリスティが何を言おうとしているのか分からなかった。
「アメリカ機動部隊の侵攻も近い。その時に、中央は第4機動艦隊を投入するか否かの選択を取らなければならない。そこでだけど……ワイバーンを1騎
借してもらいたい。」
リリスティの要請を受けたムクは、思わず固まってしまった。
「は……次官も空に上がられると言う事ですか?」
「ええ。」
リリスティが頷く。それを見たムクは、
(元々は、この人がずっと指揮し、育てて来た艦隊だ。我々は練度は向上していると幾度となく報告しているが、それが本当かどうかを、自分の目で確かめたいの
かもしれん。元はワイバーン乗りでもあるしな)
と、心中で呟いた後、リリスティの要請に応える事にした。
「わかりました。すぐに準備に取り掛からせます。優秀な竜騎士を1人お付けしましょう。」
「ありがとう。」
リリスティは、要請を受けてくれたムクに感謝の言葉を発してから、すぐに艦橋から立ち去ろうとする。
入口に差し掛かったところで、リリスティは振り返った。
「艦長。」
「ハッ!」
リリスティは、艦長が顔を振り向けるのを見てから、自信ありげな笑みを浮かべた。
「ワイバーンはあたし自身が飛ばすから、竜騎士はいらないよ。ワイバーンの準備だけお願いね。」
彼女は歌うような口調でそう言ってから、入口から立ち去って行った。
それからしばらくして……
「……次官を止めろ!!」
我に返ったムク司令官の声が響いた。
だが、その時には、いつの間にか着替えを終えていたリリスティが、甲板要員達に驚きの眼差しを向けられながら、用意されていたワイバーンに乗り込んでいた。
それからという物の、リリスティは観戦だけに留まらず、戦闘開始直前に指揮のやり方を教えてやると公言するや、たちどころに部隊を纏めて迎撃戦闘に移った。
ムク司令官ら司令部幕僚たちは、口々にどうしてこうなったと繰り返し呟きながら、防空戦闘の推移を見守った。
陸軍ワイバーン隊は波状攻撃を行って竜母部隊に攻撃の暇を与えなかったが、勝手ながらも、リリスティの巧みな指揮によって敵役の陸軍ワイバーン隊に
損害を与え続けた。
第2次、第3次攻撃隊は、それぞれ10騎のワイバーンに陣形への侵入を許したが、モルクド、ホロウレイグもまた巧みな回避運動で爆弾、魚雷を全て
回避しており、損害は無かった。
“リリスティ防空戦闘隊”は見事にその任務を全うし、艦隊将兵の士気も極限にまで上がった。
この5時間の“戦闘視察”を終えたリリスティは、心中ではワイバーン隊の練度に関して一定の評価を与えていた。
「飛行隊の練度は申し分無いと言える。ムク司令官からは、最近編入されたばかりのヴィルニ・レグ級以外は、他の竜母群も似たような練度だと
聞いているから……アメリカ機動部隊相手に戦う事は出来るね。」
「おお……そうですか。」
ムクは、それまで強張らせていた頬を僅かに緩めた。
「ただし、それでも解決できない問題がある。」
リリスティは、気を緩めかけたムクをけ戒めるように付け加えた。
「貴方も知っている通り……第4機動艦隊には航空戦力が足りない。所属している竜母17隻のうち、正規竜母は6隻のみ。11隻は搭載数の少ない小型竜母だ。
そして、第4機動艦隊の航空戦力は計900騎。この時期に、よくぞこれまでのワイバーンと竜母を揃える事が出来たと、私は思う。でも、対する敵機動部隊は、
現在確認されただけでも、正規空母14、5隻、小型空母5、6隻はいる。しかも、正規空母は全てエセックス級と、今年から現れた新型艦、リプライザル級
という嫌な組み合わせだ。航空戦力は、大甘に見積もっても、1600から1900機程。つまり……航空戦力の差が決定的に不足していることにある。」
「こちらは正規竜母が少なく、小型竜母が多くなっておりますが、アメリカ側は正規空母が多く、小型空母が少ない印象があります。あの海戦で、米軍よりも
多くの正規竜母を多く失ったことが、大きく響いてしまっていますな。」
ムク大将の陰鬱な言葉を聞いた航空参謀が、横から口を挟んだ。
「戦力格差が広がったのは、損失の大きさだけではありません。アメリカ海軍は、この1年の間に、超大型空母とも言えるリプライザル級を、この1年で
2隻ないし3隻を投入したほか、エセックス級と思しき新造艦も2隻ほど追加しています。例え、あの海戦でわが方の損害少なく、代わりに敵正規空母を
5、6隻沈めたとしても……今日のように、敵の強大な航空戦力に悩まされる事は避けられなかったでしょう。」
「リプライザル級空母の出現も、戦力差が拡大した原因の1つでもあります。」
ヴィルリエも口を開いた。
「これまでの調べでは、リプライザル級空母は搭載機数が最低でも130機程であり、それいでいながら、防御力が戦艦並みという恐ろしい性能を有しています。
それに加えて、空母部隊の護衛にあたる艦艇にも、対空火力を飛躍的に向上させたウースター級巡洋艦や、圧倒的な速射性能を誇るデ・モイン級巡洋艦も複数
有している他、艦載機に関しても、搭載量を向上させたスカイレイダーに新鋭戦闘機のベアキャットなど、あらゆる場面でアメリカ側は新兵器を投入しています。
航空戦力が少ないことも問題ではありますが、私としましては、航空戦力が多くとも、攻撃隊の犠牲が大きければ、どの道、敵機動部隊を打ち破る事は困難かと
思われます。」
「つまり、問題は大雑把に見ても2つあると言う事か。」
「かなり甘く見ても2つ、と言えますな。」
ヴィルリエが断言する。
「目を凝らせば、2つどころではないかと思われます。」
「……流石はモルクンレル提督の片腕と称されるだけはある。よく見ているようだな。」
ムクが参ったとばかりにそう言う。
「味方の状況をしっかり把握していなければ、大目玉を食らってしまいますのでね。」
ヴィルリエは、リリスティに視線を送りながらムクに言った。
「問題は確かにある、とはいえ、こちらのワイバーンも、艦載ワイバーンに関しては新鋭の85年型ワイバーンで更新されている。それに、海軍の他にも、
陸軍のワイバーン隊360騎と飛空艇隊96機がいる。これら合わせれば、基地航空戦力は456騎になる。確かに個々の飛行隊の練度にはバラつきがあり、
艦隊も護衛艦の不足といった問題を抱えているけど……やりようによっては、アメリカ機動部隊相手に勝利することも出来る。曲がりなりにも、決戦の準備は
ほぼ整っていると、私は判断するわ。」
リリスティは淀みない口調でムクにそう断言した。
「中央で色々と根回しした甲斐があったものね。」
「はっ。連合軍の本土侵攻の影響で戦備が不足しつつある中、我が艦隊に良い物を取り揃えられるよう、便宜を図ってくれた次官には深く感謝しております。
来る決戦では、敵機動部隊に対してできうる限りの損害を与えましょう。」
ムクは自信のこもった口調でリリスティにそう言い放った。
この日の演習は、竜母部隊が攻撃の合間を縫って発艦させた攻撃隊が、最後の基地に攻撃を加え、破壊判定を与えたことで第4機動艦隊側の勝利となった。
艦隊は、午後10時40分にクレスルクィル港に帰港した。
リリスティとヴィルリエは、ムク大将を始めとする艦隊司令部幕僚達と別れを告げた後、艦を降りて軍港内にある宿舎に向かって歩いていた。
「リリィとしては、艦隊はアメリカ軍相手に上手く立ち回れると思うかな?」
唐突に、ヴィルリエが聞いてくる。
俯き顔のまま歩いていたリリスティは、ヴィルリエに顔を向けたあと、しばし間をおいてから口を開く。
「……ムクは私と違って堅実な指揮が売りだから、あたしよりは上手く艦隊を使えるでしょうね。それに、陸軍ワイバーン隊や飛空艇隊も、練度の面では悪くないと
聞いている。アメリカ軍と比べたらどうなるかは分からないけどね。」
「確かにね。」
ヴィルリエはため息を吐いた。
「アメリカ機動部隊の連中は、一部が精鋭で残りが平均か、それ以下のウチと違って、全部精鋭といってもおかしくないぐらいだからね。少数精鋭ならぬ、多数精鋭で
押し寄せてくるんだから、第4機動艦隊は今までよりも、一番キツイ戦いをしないといけないかもなぁ。」
「でも、現状で揃えられるだけの物は、すべて揃えさせた。新鋭艦も、人員も……やるべき事は全てやっている。あとは、その時を待つしかない。」
「リリィの言うとおり。海軍は、次の決戦で立ち直れない程の被害を受けるかもね。」
ヴィルリエは沈んだ声でそう呟いた後、語調を変えて別の話題に切り替えた。
「海軍の話はこれまでとして。陸軍の連中は今の所、絶対防衛線と要塞線の方で、敵の進出をなんとか食い止めているようだね。」
「報告を聞く限りでは、かなりの苦戦を強いられているようだね。昨日も、要塞の1つが危うく陥落しかけたようだし。」
「戦闘開始直後に、とてつもない爆弾を落とされて、一部の要塞が防御機能を著しく削がれた事がかなり効いているらしい。」
ヴィルリエの言葉に、リリスティは軽く頷く。
「爆撃時には、要塞内にこもっていた陸軍部隊も相当な被害を出したと聞いている。そこに連合軍機械化部隊の容赦ない猛攻と無制限の砲爆撃。これじゃあ、
どんな精鋭部隊だってすぐに消滅してしまう。」
「でも、西部戦線、東部戦線ともに、1個の師団も失わずに戦い続けているというから、陸軍の連中もかなり頑張ってくれていると思う。」
「戦闘開始からもう5日も経つんだよね……兵力に差を付けられながら、本当に良く頑張ってくれている。」
リリスティの吐き出した声が、冬の寒い闇夜に響く。
「……ヴィル。ホロウレイグから降りる前に効いた気象班の報告だけど、あの報告の通りなら、要塞線で戦う陸軍部隊は陸の戦いにだけ集中できるね。」
「天気という物は気紛れなものだけどな。でも……今は、そんな気紛れな代物に頼ってでも、敵と戦わなきゃいけない。それが……陸軍の願いだからね。」
「……偉大なる物は、別の偉大なる物によって修正されるべきである……か。昔の偉人も面白い事を言ってくれるわね。」
「な~にご先祖様のことを自慢してんのよ。」
リリスティが口ずさんだ格言を聞いたヴィルリエが半目で見つめて来た。
「別に、自慢なんかしてないよ。ただ、今のシホールアンルはこのような感じになったのかと、思っただけ。」
「へぇ……脳筋なあんたも、ちったぁ考えるんだねぇ。」
ヴィルリエは心底感心したようにそう言ったが、1秒後にはリリスティに頭をはたかれていた。
11月22日 午後7時20分 カリフォルニア州サンディエゴ
太平洋艦隊司令長官を務めるチェスター・ニミッツ元帥は、司令部内にある執務室で気難しい表情を浮かべながら、太平洋艦隊情報参謀のエドウィン・レイトン少将
(今年3月に昇進)とロシュフォート大佐の報告に聞き入っていた。
「……それで、君の言っていた小説のセリフのような通信文とやらだが、やはり、これはシホールアンル側のなんらかの暗号であると言いたいのだね?」
「その通りです。」
レイトン少将が頷きながら答える。
「北大陸に派遣した魔法通信傍受班が直接傍受した回数は実に18回。前線の陸軍部隊や、太平洋艦隊所属艦から報告されたものも含めれば、47回にも上ります。」
情報副参謀のジョセフ・ロシュフォート大佐が発言する。
「この意味不明なセリフの数々が流れ始めたのは、今から1週間前。11月15日からになります。それ以来、同様のセリフ回しや意味不明な言葉の羅列が増え始めました。」
「明らかに異常だな……それで、何か対策は取っているのかね?」
「はっ。情報部の部下に同盟国より派遣された魔導士と共同で、これまでに押収したシホールアンル出版の古文書等を調べさせています。魔導士はミスリアルとバルランド出身の
者で、戦前はシホールアンルの古文書も研究していたと言っておりましたが……例の文の解読には、かなりの時間がかかると思われます。」
レイトン少将が質問に答える。
「陸軍さんは今日、ヒーレリ方面の軍が敵の要塞線の一角を奪取し、3日以内には敵国本土奥深く進軍する予定だが、そんな時に不気味な通信文が出てくるとはな。
それで、例の通信文は今どうなっているかね?」
「はっ、傍受頻度はかなり高まっており、今日だけでも16回は確認しているようです。」
「……敵は、何か企んでいるのか。」
ニミッツは眉を顰めながらそう呟いた。
「敵が魔法通信に暗号と思しき物を使い始めた事も憂慮すべき事でありますが、それ以外にも不可解な点があります。」
ロシュフォート大佐も顔をややしかめながらニミッツに言う。
「陸軍情報部の将校と共に、この一連の魔法通信を調べていた所で判明したのですが、この魔法通信の発信量が、通常行われる魔法通信の発信量と比べてかなり少ないのです。」
「それはどういう事かね?」
ニミッツがすかさず問い質す。
「はっ。通常、傍受される魔法通信は、敵のほぼ全軍ともいえる程の部隊から発せられますので、通常時でもかなりの数の通信文が確認されます。戦闘時ともなれば、
シホールアンル側は一地方軍のみならず、他の軍部隊や本国駐留軍、首都の中央司令部等にも頻繁に確認の連絡を入れますから、その数は通常時とは比べ物になりません。
隠密行動を取っていたと思しき軍や地方の軍司令部からの発信回数も、作戦開始3日程前から作戦開始までは、最低で100以上は下りません。ですが、今回確認された
不可思議な通信文は、この1週間で50足らず。今日の分も含めれば50以上は超えるでしょうが……この数字は明らかに少ないと言えます。」
「……ロシュフォート。陸軍の将校は何か言っていなかったかね?」
「はっ。ブランドン大佐は、この通信回数は、戦闘態勢にないシホールアンル側の1個軍相当が発するギリギリの量であると言っておりました。」
「我々は陸軍ではありませんから、敵地上軍がどう動くかまでは正確に判断できませんが……少なくとも、敵がどこかで試みを行おうとしている可能性が無いとは言えぬかと思われます。」
「試みか……陸軍さんからは、この不可思議な通信文に関して、何か対策を取るとは言っておらんのかね?」
「いえ、特にはありませんが……一応、作戦続行中の第1、第2軍集団司令部には突発時に備えて警戒を厳にせよと命じたようです。」
「それだけか……?」
ニミッツは2人を交互に見つめながら聞く。
「はっ。今の所は。」
レイトンが事務的な口調で答える。
それを聞いたニミッツは、椅子にもたれかかりながらしばし押し黙った。
(……妙な胸騒ぎがするな。一体、あの暗号の中身は、どのような事を伝えているのだろうか……)
ニミッツが黙考し始めたから1分が経過した時、執務室のドアがノックされる音が響いた。
「どうぞ!」
ニミッツがドアの向こうにそう言った後、ドアが開かれ、若い士官が失礼しますと言いつつ、1枚の紙を携えながらロシュフォート大佐の前まで歩み寄った。
「……ご苦労。下がっていいぞ。」
ロシュフォートは一言告げてから、若い士官を下がらせた。
彼はレイトンに紙面の内容を見せる。
すると、レイトンの表情が変わり、得体のしれない化け物を見るかのような目付きになった。
「長官。例の不可思議な通信文ですが、新たな一文を、レスタンに派遣した分遣隊が傍受したようです。」
「見せてくれ。」
ニミッツが右手を差し出すと、ロシュフォートは紙をすかさず手渡した。
「『ヴィリンホルメの使いに告ぐ冬景色。過酷な煉獄の中にあっても思いは1つ。ただただ、己の願望を成就せんと日々邁進するのみ。努力を怠る事無かれ。
希望を捨てることなかれ。さすれば、全てを手に入れられるのは必然になり。ウェトクケインラ猊下の息子よ。』……物語を語る詩として上出来なのか
不出来なのかはわからんが……確かに、意味が分からんな。」
「私も長官と同じ思いです。」
レイトン少将が複雑な表情を浮かべながらニミッツに言う。
「ただ、一連の通信文には、最低でも2つの共通点があります。」
「共通点だと?それは何かね?」
ロシュフォートの言葉に、ニミッツはすぐに飛びついた。
「今まで傍受された通信文の中には、必ずと言っていいほどヴィリンホルメの使い、ウェトクケインラ猊下の息子という2つの言葉が入っております。
これらの言葉は、最初と最後、あるいは、最後と最初に使われる場合が殆どであり、この2つの名前は発信側の軍司令部と受信側の軍司令部を記す
暗号であるとみて間違いないでしょう。」
「暗号と言っても、造語に軍司令部の名前を被せただけの言葉遊びのような代物かもしれませんが、とは言え、今まで平文同様の報告文を聞いていた
我々にとって、今回の事件は由々しき事態であると言えます。」
「発信所は掴めないのかね?」
「はっ。現在調査中ではありますが……結果が出るまでは今しばらく時間が掛かります。何しろ、これらの文は途切れ途切れに入っている状態ですので。」
レイトン少将は憎々し気な口調で応えた。
魔法通信傍受器は、魔法通信の傍受は勿論のこと、大雑把ながらも発信した地域を推定することが出来る。
だが、地域を推定するためには、最低でも3分以上魔法通信傍受が必要であり、魔法通信傍受時間が1分や2分以内であると、発進箇所の特定が困難を極めていた。
これまでの傍受では、シホールアンル側が魔法通信傍受器の存在を知らないこともあり、例え傍受時間が1分のみならず、30秒足らずの短時間であったとしても、
通信文には必ず、作戦開始日時は勿論のこと、軍団司令部や部隊の所在する場所が含まれていたため、何ら問題はなかった。
だが、例の不可解な通信文は、常に途切れ途切れで、魔法通信自体も1分か2分程度で発信をやめるのが常であった。
それに加えて理解不能な詩である。
この不可解な詩の登場が、“お気楽な漏洩情報入手”という状況を一変させてしまった。
攻勢開始から1週間近くが経過した今、連合各国の情報機関は、唐突に湧いて出た不可思議な通信文をなんとか解読しようと躍起になっているのだが、
今現在、この不可思議な通信文に関する明るい情報は全く無い。
大作戦を実行中である連合軍にとって、この一連の事件は不気味どころか、一種の怪奇現象のような物すら感じさせていた。
「2人には悪いが、この通信文の解読は出来るだけ早く行ってもらいたい。そのため、かなりの苦労がかかると思うが……よろしいかね?」
「長官。不謹慎かもしれませんが、情報参謀を任されている私としましては、ようやく、自分の本領を発揮できる時が来たかと思っております。」
「私もレイトン提督と同じ意見です。」
ロシュフォートも意気込みを見せる。
「シホールアンルの連中がそう来るのならば、我々は受けて立つまでです。私はあの情報の手掛かりを得るまでは帰るつもりはありません。」
「私もです。自分はワシントンに飛び、陸軍情報部やOSSと協議するために、これから電話をかけてみます。」
「レイトン、ロシュフォート……頼んだぞ。」
2人の決意を聞いたニミッツは、深く頷きながらそう言った。
「では、自分はこれから地下に籠ります。」
「私も部屋に戻り、支度を整えます。では長官、失礼いたします。」
2人の情報将校はくるりと踵を返し、堂々とした……それでいながら、どこか晴れ晴れとした足取りで執務室を後にした。