前回までのあらすじ
猿人に捕まったところを脱出し、逃げ出した自衛官片桐と、聖女スビアだったが海岸で猿人に追いつめられてしまう。危機一髪のところで侍の末裔、才蔵に助けられた2人は、彼の村へと案内される。そこは時代劇のような世界だが、すばらしい村だった。
一息つく間もなく、村の開拓地を猿人が襲った。才蔵は迎撃に出陣するが、危うく猿人に殺されそうになった。それを今度は片桐が救い、2人の間には固い友情 が芽生えた。その夜の宴会でなつかしい白米と日本酒に酔った片桐。同じく初めての日本酒に酔ったスビアと些細なことから大喧嘩に発展してしまう。その場に 居づらくなった片桐は、様子を察した才蔵の好意で隣村の酒場へとやけ酒を浴びに出かけた。
翌朝、目を覚ました片桐は村が夜襲を受け、スビア、才蔵以下多くの村人が捕まったことを知る。自分の軽率な行動を悔いながら村に戻ると村は焼かれ、負傷した才蔵のいとこ、弥太郎だけが残されていた。弥太郎から状況を聞いた片桐は才蔵とスビアを救うべく行動を開始した。
森に入ってしばらく馬を飛ばした。もうすぐ片桐とスビアが先日連行された岩穴があるはずだ。いったん馬を降りて、そばの木につなげた。馬につなげたバック パックから、サイレンサー付きステンSMGを取り出した。派手な銃声をたてる89式よりこっちの方が猿人に見つかりにくいと考えたのだ。
「やはり・・・」
弥太郎の言うとおり、猿人はすでに引っ越した後だった。いくつかの槍や、斧が散らばっているだけだ。片桐はいくつもある洞窟を探したが、やはり猿人も捕虜の姿も探すことはできなかった。しかし、これで安心できる状況であることもわかった。
まだ少なくとも捕虜は殺されていないということだ。きっと奴らは引っ越し先を整理して腰を落ち着けてから捕虜を奴隷にするなり、殺すなりするだろう。と、 片桐のやってきた反対側の森の入り口に比較的広い獣道を見つけた。踏み倒された草がまだ新しい。猿人はここを通って引っ越し先に向かったようだ。片桐は馬 に飛び乗ると猿人の残してくれた道しるべを頼りに追跡を開始した。
「すぐに追いつけるはずだ・・・」
猿人は徒歩の上、大勢の捕虜を抱えている。そんなに早く移動はできないはずだ。
翌日、片桐はついに猿人に追いつくことができた。彼らの引っ越し先はやはり、森の中の岩棚だった。今度の引っ越し先は前のところよりも遙かに広く、多くの 洞窟を持っていた。さながら蜂の巣のように岩山のあちこちに洞窟がある。片桐は木陰に隠れて双眼鏡で様子をうかがった。
後ろ手に縛られてつなが れた捕虜が岩山のてっぺんにある洞窟に次々と放り込まれていく。その中に才蔵とスビアの姿を見つけて思わず安堵のため息をついた。猿人は捕虜を閉じこめる と石垣を作って洞窟をふさぎ、見張りをつけた。多少は学習しているようだ。そして数名の猿人が村人から奪った武器を別の洞窟にまとめて放り込んだ。
「こりゃ、巨大なマンションだな・・・」
思わず、見上げた片桐の前方には100メートル近い高さの岩山がそびえている。そこに点在する洞窟のてっぺんが、数百名の捕虜の牢獄だった。数名の見張 り。残った猿人は中腹から麓にかけての洞窟に入って自分のすみかを整えている。一団の猿人は村から連れてきた馬を近くの木に縛り付けていた。猿人の数は ざっと見積もっただけでも300名近い。
「こいつは大仕事になりそうだ・・・」
片桐は猿人たちの新居をいったん後にした。大仕事には準備もいろいろと必要だからだ。
夜を待って片桐は行動を開始した。気合いを入れるために顔に靴墨を塗った。背中に89式を背負い、手にはステンSMGを持った。昼間偵察した地点まで前進 するとそこに発煙筒を仕掛けた。そしてその周囲にドイツ兵から分けてもらった手榴弾を20個ほど、木にくくりつけ、ワイヤーを張って罠を作った。これでか なりの数の猿人を戦闘不能にできるはずだ。
次に愛馬のバックパックから持ってきた携帯用の赤外線暗視装置を取り出すとそれを早速装着した。まと もに作動してくれているようだ。片桐は今一度、猿人たちの様子をうかがってみた。例によって麓の平地でたき火を囲んだ宴会を始めている。およそ300名の 猿人は見張りの数名を残して踊り歌っているようだ。それは少なくとも片桐にはそうは聞こえなかったが、彼らにとっては心地よいのだろう。体の大きな酋長は 上機嫌に手を叩いている。
「さあ、猿どもめ。パーティの余興だ」
片桐は発煙筒に点火した。トラックから持ってきた発煙筒は数秒してから 赤い炎と白い煙をあげ始めた。それを確認すると片桐は森の中に姿を隠した。すぐに猿人たちはその炎に気がついた。口々に何かわめいているが、酋長の命令で たき火の周りにいた集団が手に手に武器を持って発煙筒に近づいていた。すでに発煙筒は燃え尽きて森は暗闇に包まれている。先頭の一団がワイヤーにひっか かった。
「ぎゃああああ!!」
数体の猿人が吹き飛ばされた。それを見た残った猿人は一斉に散らばって逃げ出そうとした。しかし、あちこちに仕掛けられたワイヤーを次々と引っかけてたちまち、数十の猿人が粉々に吹っ飛ばされた。生き残った数十の猿人は我先に酋長のいる平地へ逃げ出した。
酋長や残った猿人たちは口々に何か偵察隊にわめいていた。生き残った偵察隊がぎゃあぎゃあと報告している。片桐はステンを構えると偵察隊と酋長の周りの猿人めがけて4,5発発射した。音もなく倒れた仲間に猿人たちが驚いて、例のパチンコを撃った。
「ぐええ!!」
「ぎゃっ!」
と ころ構わず、一斉に放った石で悲惨な同士討ちが起こった。それがますます猿人たちを動揺させているのが見て取れた。それを見て片桐は森を駆け抜け一気に岩 山を駆け登った。時折、岩影からこっそり狙撃すると、猿人は全く同じように、よく見えもしないのにパチンコを発射し、同士討ちを発生させていた。
てっぺんまで一気に登ると、片桐は見張りの数名を一連射で撃ち倒して、次々と捕虜を閉じこめている石垣を壊した。最後の石垣を壊すと中から才蔵がおそるおそる姿を現した。
「か、片桐殿?」
才蔵は片桐の姿を見て驚いていた。才蔵に続いて出てきたスビアと目があった。一瞬、彼女は驚いたような表情を浮かべたが、すっと片桐から目をそらした。まだ怒っているようだが、今はそれを確認しているときではなかった。
「才蔵殿、あの洞窟にみんなの武器があります。ここで援護しますから先にスビアを連れて行ってください」
「承知!」
才蔵は片桐の教えた少し下方にある洞窟に部下と続いた。猿人はようやく上の騒ぎに気がついて、口々に叫びながら岩山を登り始めていた。20発撃ち尽くしたステンから愛用の89式に持ち替えて片桐は登ってくる猿人を次々と撃った。しかし、数が多すぎる。
「バートス!」
自分の武器を取り返したバートスがぱっと片桐のそばにやってきた。
「あの岩を爆破して落石を起こすんだ!」
片桐は顎で岩山の頂上にあるひときわ大きな岩を指し示した。そしてドイツ製の手榴弾をバートスに手渡した。使い方を簡単に教えた。バートスは大きく頷いた。
「ピンを抜いて岩の真下に放り込んだら逃げろ!」
「承知!」
バートスは片桐よりもすばやく岩山を登っていった。片桐は続けてゲベールを取り返して登ってくる猿人を狙い撃ちしている才蔵に叫んだ。
「落石を起こします!村人を岩陰に隠して!」
才蔵は部下に命じて武器を持たない村人を素早く岩影に退避させた。それとほぼ同時に頂上で爆発が起こった。片桐の思惑通り、巨大な岩は猿人たちの方へ転がり始めた。付近の岩を巻き込んで猿人たちに襲いかかった。
「にげる!にげる!」
口々に悲鳴をあげながら猿人たちが山を下り始めたが、巨大な岩は意気揚々と前進していた猿人たちを次々と巻き込んだ。麓に残っていた猿人の一部も巻き込んで落石はようやく止まった。
「片桐殿!見事な戦術!恐れ入りましたぞ!」
刀を取り返した才蔵が驚嘆の声をあげた。しかし、片桐の視線がその後ろのスビアに向けられていることに気がついた。
「スビア様!私の言ったとおりだったでしょう。片桐殿がきっと助けに来てくれると・・・」
才蔵の言葉を聞いてもスビアは無表情のままだった。そして、つんという感じであさっての方向を向いてしまった。それに気を使ってか、才蔵は片桐に微笑むと周りの部下に声をかけた。
「よし!今こそ勝負の時だ!行くぞ!」
才蔵はうろたえている猿人にゲベールを一斉射撃させると山を一気に駆け下って、あわてふためく猿人に斬り込んだ。次々と彼の部下のクーアードとガンドール が続いた。片桐もゲベール隊に混じってそれを援護しながら山を下っていく。もはや援護の必要もないようだった。次々と手練れの才蔵の部下たちは猿人を斬り 伏せていった。その才蔵はひときわ大きな酋長と対峙している。酋長の猿人の手には大きな斧が握られているのがわかった。細い日本刀では受けるだけで折れて しまいそうな代物だ。
「がああ!」
雄叫びをあげて酋長は才蔵に斧をふるった。才蔵は冷静にそれを刀で受けようとした。
「まずい!」
片桐は思わず叫んだ。巨大な斧をまともに受けては、才蔵の刀は折れてそのまま才蔵はまっぷたつになってしまうだろう。しかし、現実は片桐の想像とは正反対の結果だった。才蔵は刀で軽々と酋長の斧を受けて、それを横に振り払った。
「だぁぁぁぁ!」
気合いを込めた才蔵の叫びとともに彼の刀は上段から一気に振り下ろされた。刀はまっすぐに酋長を頭から下腹まで斬り裂いた。どさっという音ともに酋長は倒れた。それを見た村人は歓声をあげた。
「やったぞ!」
「才蔵様がやった!」
片桐にはわかっていた。才蔵は刀にポルを使っていたのだ。強力な彼のポルが刀の強度を増して、あの猿人の斧にもびくともしなかったのだ。彼の言葉を思い出 した。「侍は保守主義でも回顧主義でもない」。たしかに、この世界で生まれ育った才蔵は、この世界の力を応用して最強の侍になっていた。
「スビア・・」
片桐はゲベール隊に混じって岩影でゲベールを撃っていたスビアに歩み寄った。彼女もそれに気がついて立ち上がった。
「あなたとは口も聞きたくないといったはずです」
やはりまだ怒っているようだ。毅然とした口調で言い放つ。片桐はさらにスビアに歩み寄った。
「本当にあの言葉は後悔しています。あれは俺の本心ではありません」
「いったはずです。あなたとは口も聞きたくない、と」
そう言うとスビアは後ろを振り返った。あまりにかたくななスビアの態度に片桐はため息をついた。後悔先に立たず。些細なことで終わってしまう恋もあるという歌を思い出した。認めたくはないが、彼女は完全に心を閉ざしている。少なくとも片桐自身にはそう見えた。
「わかりました・・・。もうなにも言いますまい。俺も疲れました。ここでお別れです・・・」
片桐の最後のカマかけだった。それにもスビアは一瞬肩をびくっとさせたが、こっちを振り返ることもなかった。再び片桐はため息をついた。完全に愛想を尽かされたようだ。
「待ちなさい!」
そのとき、騒ぎを聞きつけた才蔵が岩山を登ってくるのが見えた。登ってくるやいなや、才蔵はスビアに向き合った。
「スビア様!あなたもいいかげんになさい!片桐殿は命がけでここまで助けに来てくれたではないですか。このことがあなたへの愛であるということはわかっているはずです!」
「・・・いえ、でも・・・」
「でもではありません!さっき私に見せた片桐殿が来たときのうれしそうな顔はその証拠です!」
一通りスビアに言った才蔵は今度は片桐に向き直った。
「片桐殿も片桐殿です!スビア様のような誇り高い女性が自ら謝罪できますか?ここは優しく包んであげるのが男の度量というものです!まったく・・・2人とも頑固で素直でないことこの上ない!」
一気にまくし立てた才蔵に2人は反論もできなかった。そしてあまりの才蔵の剣幕に思わず、スビアと片桐は顔を見合わせた。それを見た才蔵は優しく笑うと2人の手を取ってがっちりと握らせた。
「私は、そんな頑固で素直じゃないお2人が大好きです。我が友よ、ここは素直におなりなさい」
才蔵の言葉に2人ともぐうの音もでなかった。それを見届けると才蔵は岩山の下に控える彼の部下に振り返った。それを合図にするようにスビアは片桐の胸に飛び込んできた。
村に帰った一行は、負傷して村に残った弥太郎と合流した。村の被害は甚大だったが、数日で復旧のめどをつけた。才蔵のたぐいまれなる指導力と村人の努力のたまものだった。村の復興を見届けた片桐とスビアは出発することを才蔵に告げた。
「そうですか・・・。引き留めても無駄なことはわかっております。しかし、お2人は私の終生の友であることは変わりません。何か困ったことがあればいつでもおいでなさい。この才蔵、命を懸けてお守りしますぞ」
片桐は才蔵と固く握手をかわした。片桐としても、この世界でできた初めての親友といえる人物との別れにはいささか感傷的になった。目頭が熱くなるのがわかった。
「元気で・・・」
「片桐殿も・・・。ああ、あまりスビア様を怒らせてはいけませんぞ!」
才蔵の冗談に片桐とスビアも村人と笑った。それが出発の合図のようだった。皆手を振って2人を見送った。
「なんて気持ちのいい人々なんでしょう・・・」
スビアが馬上で片桐に語りかけた。片桐も同感だった。そのとき、2人の前に1人の人影が現れた。片桐は思わず89式をその人影に向けた。
「待ってください!片桐様!」
バートスだった。慌てて手を挙げるバートスに片桐は89式を肩に担ぎなおした。
「才蔵様に言われてきたんだ。あんたたちが海沿いに南に向かってるようだからね」
「南にはなにかあるのですか?」
スビアの問いにバートスは頷いた。
「この南に馬で2日ほど行くと、耳長人の支配する国があるんです。奴らは強力なポルを持っているし、なにより、変な神様を信じていてどうにもならないんです。才蔵様も使者をやっているんですが話にならなくて困っていました。ま、できればさけて通るのが無難ですよ」
なるほど、才蔵らしい気遣いだった。片桐はバートスにお礼を言うと進路を森に変えた。
その夜、森で野営するスビアに片桐は地図を持って相談した。
「今、我々は森と海岸に沿って南へ向かっています。バートスの話だと南には耳長人とやらの国があるそうです。そこで、ここから森を抜けるべく東に進もうと思います。」
「この森はわたくしの村から続いています。はたしてどこまで続いているのか見当もつきません」
スビアの言葉に片桐は地図を片手に、自分の推理を話した。
「この森は西部海岸地域と東部の交通を遮断していると思うのです。今までの旅で出会った大きな集落は海に近い地域ばかりだ。この森はおそらくですが、10日ほどで抜けられると思います。そこから先は文字通り未知の世界と言うことになるでしょう・・・」
片桐はこの説にいくつかの根拠を持っていた。まず、自分の部隊がこの世界に来たときにひたすら登った道。その頂上から見えたのがスビアの村だった。そこから50キロほどバイクで走って海沿いのシュミリ村に出た。
片桐は再び地図を見た。彼の肩によりかかってスビアもそれを見た。ヌーボルはオーストラリア大陸を反対にしたような形を描いている。ちょうどキャンベラの あたりがスビアのアムター村。シドニーあたりがガルマーニということになる。バートスの証言が正しいとすると、耳長人の国はブリズベンあたりと考えていい はずだ。海沿いに広がる下り勾配の豊かな森・・・。ということは、ある程度の山脈を越えると別の気候の地域が広がっているはずだ。つまり、オーストラリア の地図で言えば、ニューサウスウエールズの平原に未知の世界が広がっているということだ。それをスビアに説明した。
「たしかに、明らかに危険な耳長人の国を通るよりはよさそうですわ」
スビアは片桐の腕枕をねだった。つい昨日までのあの恐ろしい剣幕とは別人のようだと片桐は思った。
「わたくしが眠るまでそのままでいてくだる?」
「いいですとも・・・」
片桐は仰向けになって左手をスビアの頭の下にやった。
「片桐、わたくし、不安です。あと2年10ヶ月あまり。このまま愛の誓いをがまんできるのか・・・」
この世界の掟として、愛し合った男女は結婚する代わりに3年、愛の誓いとして純潔を守る掟があるのだ。片桐とてそれは同感だった。現代日本の男女ではとっくに肉体関係を結んでいてもおかしくないのだ。
「今回みたいな喧嘩がなければ大丈夫ですよ」
片桐も優しく答えた。今回の件は才蔵の機転がなければ、間違いなく2人の関係は終わっていたのだ。
「わたくし、二度と片桐の心を傷つけることは言わないから、どうかそばにいてください」
片桐は無言でやさしくスビアにキスするとルートを確認すべく残った片手で地図を持った
翌日から2人は森に入った。森には誰が通ったかわからない道があった。自動車がようやく通れそうな道だが、2人にとって大助かりだった。ある程度広い道の存在は、ある程度の文明人が往来していることを意味する。あのおぞましい猿人のような生物ではないことが安心だった。
「確かに、片桐の言うとおり、上り坂ですね」
午前中いっぱい坂を上ると開けた土地に出た。片桐は双眼鏡で前方の様子を探った。
「スビア!予想通りだ!見てください!」
片桐はスビアに双眼鏡をわたした。森ははるか向こうまで続いていたが、地平線まで延びることなく終わっていた。その先は緑の平原だった。やはり、西側は森 ばかりではなかったのだ。だが、森が深く、アンバードの長年にわたる襲撃で誰も足を踏み入れなかっただけなのだ。その時、双眼鏡をのぞくスビアが何かを見 つけた。
「片桐、あれは煙です!」
森の中から一筋の煙が上がっているのが見えた。片桐はスビアを振り返った。無言で彼女は頷いた。
「行きましょう!」
さほど遠くない地点に向けて2人は馬を走らせた。
現場は森が少し開けた道ぞいだった。煙を上げる物体の正体を確認した片桐は驚愕した。ガルマーニで見た、運転者のポルを使って走る自動車だったのだ。
「あれは・・・!」
片桐とスビアは馬を降りてそれぞれの武器を構えた。慎重に車に歩み寄る。車は森を抜けたところで止まっていた。おそらく、運転兵がやられて走行不能になったのだろう。煙は周りの草が燃えているのだ。オープントップの車に2人の人物が確認できた。
「スビア、周りに注意して」
「はい・・・」
片桐はそっとさらに車に近寄った。1人は運転兵だった。矢が深々と首の付け根に刺さっている。これが致命傷のようだった。もう1人を確認しようとして片桐は思わず声をあげた。
「あっ!」
もう1人は見覚えのあるドイツの親衛隊の制服を着ている。肩には矢が刺さっているがまだ生きていた。苦しげな表情を浮かべているのは、片桐がともにボルマンの収容所を脱走した、元親衛隊フランツ中尉だったのだ。
「フランツ中尉!しっかり!」
片桐の言葉に意識を失いかけていたフランツが正気を取り戻した。目を細めて目の前の人物を見ている。
「片桐・・・、君は片桐三曹か?」
「ええ、片桐です」
フランツは片桐が差し出した水筒の水を飲んでため息をついた。その間に片桐は簡単にフランツの体を調べた。肩の傷以外目立った傷はなかった。
「フランツ中尉ではないですか?」
駆けつけたスビアの声を聞いてシートにぐったりしていたフランツは笑顔を浮かべた。
「スビア様、こんなところで再会できるとは・・・奇遇ですな」
やっと意識のはっきりしたフランツは2人にことの成り行きを話した。
ハルス大尉とフランツ中尉は傷の回復したサクートに街を任せて探検と他の集落との友好を兼ねて旅立った。片桐と入れ違いに才蔵の村を訪れたハルス一行は大 歓迎を受けて、才蔵と同盟を結んだ。ハルス一行は、片桐と同じく耳長人の国を避けて森に入ったが、運悪く耳長人に襲われたということだ。
「奴らは強力なポルを操っている。俺を殺したと思ったんだろう。ハルス大尉を捕まえて奴らの街に連れていってしまった。彼らの神の生け贄にするとかで・・・」
フランツは片桐の手を握った。
「片桐三曹、こんなこと頼む筋ではないが、ハルス大尉を助けてくれ。奴らは次のゾードの夜に大尉を生け贄にすると言っていた。もうあまり時間がない!」
「奴らの街の位置は?」
片桐はヌーボルの地図で自分たちの位置をフランツに教えた。フランツはブリズベンあたりを示した。
「やつらの会話から推測するとこのあたりだ。奴らは、あのサムライの村も標的にしているようだ」
片桐はフランツの報告に背筋に寒気が走った。ようやく平和を取り戻した才蔵の村が再び危険にさらされようとしているわけだ。片桐の決断は素早かった。
「スビア、フランツ中尉を連れて才蔵殿の村へ行ってください」
この言葉にスビアは信じられないという表情を浮かべた。
「まさか、あなた一人で耳長人の街へ乗り込むというのですか?」
「そんなことはしません。でもフランツ中尉を治療できるところは才蔵殿の村だけです」
スビアにはわかっていた。片桐はハルスを助けるつもりだと言うことが。そしてこのままではフランツは死んでしまうことも。
「片桐、約束してください。決して無茶だけはしないでください。わたくしのために。」
片桐はスビアを抱きしめて誓った。
「才蔵の村でフランツ中尉と待っていてください。かならず、あなたを迎えに戻ります」
あまりのラブラブぶりにフランツは苦笑いして体をくねらせて言った。
「俺はあっちを向いてますから!」
その言葉を待つことなく2人は抱き合ったまま熱いキスを交わした。
スビアの愛馬ローズにフランツを何とか乗せることに成功した。
「片桐三曹、気をつけて。奴らのポルはかなり強い。ゲベールの数倍の威力はあるぞ」
スビアに捕まったフランツが片桐に言った。スビアは不安そうな顔を浮かべている。そんな彼女に片桐は笑顔で言った。
「才蔵殿の村で待っていてください。ハルス大尉と才蔵殿と日本酒で乾杯しましょう!今度は喧嘩ぬきでね!」
その言葉にスビアも初めて笑みを浮かべた。
「片桐、あなたを愛しています!必ず、戻ってきて!」
そう言うとスビアは愛馬のローズを走らせて森に消えた。あの笑顔は無理をしている笑顔だと悟られないような急な出発だったが、そんなことは片桐にはよくわかっていた。
「よし!セピア!行くぞ」
片桐は愛馬にまたがるとスビアが走った方向と別な方へ走り出した。未知の種族、耳長人の街に向かって。
つづく
猿人に捕まったところを脱出し、逃げ出した自衛官片桐と、聖女スビアだったが海岸で猿人に追いつめられてしまう。危機一髪のところで侍の末裔、才蔵に助けられた2人は、彼の村へと案内される。そこは時代劇のような世界だが、すばらしい村だった。
一息つく間もなく、村の開拓地を猿人が襲った。才蔵は迎撃に出陣するが、危うく猿人に殺されそうになった。それを今度は片桐が救い、2人の間には固い友情 が芽生えた。その夜の宴会でなつかしい白米と日本酒に酔った片桐。同じく初めての日本酒に酔ったスビアと些細なことから大喧嘩に発展してしまう。その場に 居づらくなった片桐は、様子を察した才蔵の好意で隣村の酒場へとやけ酒を浴びに出かけた。
翌朝、目を覚ました片桐は村が夜襲を受け、スビア、才蔵以下多くの村人が捕まったことを知る。自分の軽率な行動を悔いながら村に戻ると村は焼かれ、負傷した才蔵のいとこ、弥太郎だけが残されていた。弥太郎から状況を聞いた片桐は才蔵とスビアを救うべく行動を開始した。
森に入ってしばらく馬を飛ばした。もうすぐ片桐とスビアが先日連行された岩穴があるはずだ。いったん馬を降りて、そばの木につなげた。馬につなげたバック パックから、サイレンサー付きステンSMGを取り出した。派手な銃声をたてる89式よりこっちの方が猿人に見つかりにくいと考えたのだ。
「やはり・・・」
弥太郎の言うとおり、猿人はすでに引っ越した後だった。いくつかの槍や、斧が散らばっているだけだ。片桐はいくつもある洞窟を探したが、やはり猿人も捕虜の姿も探すことはできなかった。しかし、これで安心できる状況であることもわかった。
まだ少なくとも捕虜は殺されていないということだ。きっと奴らは引っ越し先を整理して腰を落ち着けてから捕虜を奴隷にするなり、殺すなりするだろう。と、 片桐のやってきた反対側の森の入り口に比較的広い獣道を見つけた。踏み倒された草がまだ新しい。猿人はここを通って引っ越し先に向かったようだ。片桐は馬 に飛び乗ると猿人の残してくれた道しるべを頼りに追跡を開始した。
「すぐに追いつけるはずだ・・・」
猿人は徒歩の上、大勢の捕虜を抱えている。そんなに早く移動はできないはずだ。
翌日、片桐はついに猿人に追いつくことができた。彼らの引っ越し先はやはり、森の中の岩棚だった。今度の引っ越し先は前のところよりも遙かに広く、多くの 洞窟を持っていた。さながら蜂の巣のように岩山のあちこちに洞窟がある。片桐は木陰に隠れて双眼鏡で様子をうかがった。
後ろ手に縛られてつなが れた捕虜が岩山のてっぺんにある洞窟に次々と放り込まれていく。その中に才蔵とスビアの姿を見つけて思わず安堵のため息をついた。猿人は捕虜を閉じこめる と石垣を作って洞窟をふさぎ、見張りをつけた。多少は学習しているようだ。そして数名の猿人が村人から奪った武器を別の洞窟にまとめて放り込んだ。
「こりゃ、巨大なマンションだな・・・」
思わず、見上げた片桐の前方には100メートル近い高さの岩山がそびえている。そこに点在する洞窟のてっぺんが、数百名の捕虜の牢獄だった。数名の見張 り。残った猿人は中腹から麓にかけての洞窟に入って自分のすみかを整えている。一団の猿人は村から連れてきた馬を近くの木に縛り付けていた。猿人の数は ざっと見積もっただけでも300名近い。
「こいつは大仕事になりそうだ・・・」
片桐は猿人たちの新居をいったん後にした。大仕事には準備もいろいろと必要だからだ。
夜を待って片桐は行動を開始した。気合いを入れるために顔に靴墨を塗った。背中に89式を背負い、手にはステンSMGを持った。昼間偵察した地点まで前進 するとそこに発煙筒を仕掛けた。そしてその周囲にドイツ兵から分けてもらった手榴弾を20個ほど、木にくくりつけ、ワイヤーを張って罠を作った。これでか なりの数の猿人を戦闘不能にできるはずだ。
次に愛馬のバックパックから持ってきた携帯用の赤外線暗視装置を取り出すとそれを早速装着した。まと もに作動してくれているようだ。片桐は今一度、猿人たちの様子をうかがってみた。例によって麓の平地でたき火を囲んだ宴会を始めている。およそ300名の 猿人は見張りの数名を残して踊り歌っているようだ。それは少なくとも片桐にはそうは聞こえなかったが、彼らにとっては心地よいのだろう。体の大きな酋長は 上機嫌に手を叩いている。
「さあ、猿どもめ。パーティの余興だ」
片桐は発煙筒に点火した。トラックから持ってきた発煙筒は数秒してから 赤い炎と白い煙をあげ始めた。それを確認すると片桐は森の中に姿を隠した。すぐに猿人たちはその炎に気がついた。口々に何かわめいているが、酋長の命令で たき火の周りにいた集団が手に手に武器を持って発煙筒に近づいていた。すでに発煙筒は燃え尽きて森は暗闇に包まれている。先頭の一団がワイヤーにひっか かった。
「ぎゃああああ!!」
数体の猿人が吹き飛ばされた。それを見た残った猿人は一斉に散らばって逃げ出そうとした。しかし、あちこちに仕掛けられたワイヤーを次々と引っかけてたちまち、数十の猿人が粉々に吹っ飛ばされた。生き残った数十の猿人は我先に酋長のいる平地へ逃げ出した。
酋長や残った猿人たちは口々に何か偵察隊にわめいていた。生き残った偵察隊がぎゃあぎゃあと報告している。片桐はステンを構えると偵察隊と酋長の周りの猿人めがけて4,5発発射した。音もなく倒れた仲間に猿人たちが驚いて、例のパチンコを撃った。
「ぐええ!!」
「ぎゃっ!」
と ころ構わず、一斉に放った石で悲惨な同士討ちが起こった。それがますます猿人たちを動揺させているのが見て取れた。それを見て片桐は森を駆け抜け一気に岩 山を駆け登った。時折、岩影からこっそり狙撃すると、猿人は全く同じように、よく見えもしないのにパチンコを発射し、同士討ちを発生させていた。
てっぺんまで一気に登ると、片桐は見張りの数名を一連射で撃ち倒して、次々と捕虜を閉じこめている石垣を壊した。最後の石垣を壊すと中から才蔵がおそるおそる姿を現した。
「か、片桐殿?」
才蔵は片桐の姿を見て驚いていた。才蔵に続いて出てきたスビアと目があった。一瞬、彼女は驚いたような表情を浮かべたが、すっと片桐から目をそらした。まだ怒っているようだが、今はそれを確認しているときではなかった。
「才蔵殿、あの洞窟にみんなの武器があります。ここで援護しますから先にスビアを連れて行ってください」
「承知!」
才蔵は片桐の教えた少し下方にある洞窟に部下と続いた。猿人はようやく上の騒ぎに気がついて、口々に叫びながら岩山を登り始めていた。20発撃ち尽くしたステンから愛用の89式に持ち替えて片桐は登ってくる猿人を次々と撃った。しかし、数が多すぎる。
「バートス!」
自分の武器を取り返したバートスがぱっと片桐のそばにやってきた。
「あの岩を爆破して落石を起こすんだ!」
片桐は顎で岩山の頂上にあるひときわ大きな岩を指し示した。そしてドイツ製の手榴弾をバートスに手渡した。使い方を簡単に教えた。バートスは大きく頷いた。
「ピンを抜いて岩の真下に放り込んだら逃げろ!」
「承知!」
バートスは片桐よりもすばやく岩山を登っていった。片桐は続けてゲベールを取り返して登ってくる猿人を狙い撃ちしている才蔵に叫んだ。
「落石を起こします!村人を岩陰に隠して!」
才蔵は部下に命じて武器を持たない村人を素早く岩影に退避させた。それとほぼ同時に頂上で爆発が起こった。片桐の思惑通り、巨大な岩は猿人たちの方へ転がり始めた。付近の岩を巻き込んで猿人たちに襲いかかった。
「にげる!にげる!」
口々に悲鳴をあげながら猿人たちが山を下り始めたが、巨大な岩は意気揚々と前進していた猿人たちを次々と巻き込んだ。麓に残っていた猿人の一部も巻き込んで落石はようやく止まった。
「片桐殿!見事な戦術!恐れ入りましたぞ!」
刀を取り返した才蔵が驚嘆の声をあげた。しかし、片桐の視線がその後ろのスビアに向けられていることに気がついた。
「スビア様!私の言ったとおりだったでしょう。片桐殿がきっと助けに来てくれると・・・」
才蔵の言葉を聞いてもスビアは無表情のままだった。そして、つんという感じであさっての方向を向いてしまった。それに気を使ってか、才蔵は片桐に微笑むと周りの部下に声をかけた。
「よし!今こそ勝負の時だ!行くぞ!」
才蔵はうろたえている猿人にゲベールを一斉射撃させると山を一気に駆け下って、あわてふためく猿人に斬り込んだ。次々と彼の部下のクーアードとガンドール が続いた。片桐もゲベール隊に混じってそれを援護しながら山を下っていく。もはや援護の必要もないようだった。次々と手練れの才蔵の部下たちは猿人を斬り 伏せていった。その才蔵はひときわ大きな酋長と対峙している。酋長の猿人の手には大きな斧が握られているのがわかった。細い日本刀では受けるだけで折れて しまいそうな代物だ。
「がああ!」
雄叫びをあげて酋長は才蔵に斧をふるった。才蔵は冷静にそれを刀で受けようとした。
「まずい!」
片桐は思わず叫んだ。巨大な斧をまともに受けては、才蔵の刀は折れてそのまま才蔵はまっぷたつになってしまうだろう。しかし、現実は片桐の想像とは正反対の結果だった。才蔵は刀で軽々と酋長の斧を受けて、それを横に振り払った。
「だぁぁぁぁ!」
気合いを込めた才蔵の叫びとともに彼の刀は上段から一気に振り下ろされた。刀はまっすぐに酋長を頭から下腹まで斬り裂いた。どさっという音ともに酋長は倒れた。それを見た村人は歓声をあげた。
「やったぞ!」
「才蔵様がやった!」
片桐にはわかっていた。才蔵は刀にポルを使っていたのだ。強力な彼のポルが刀の強度を増して、あの猿人の斧にもびくともしなかったのだ。彼の言葉を思い出 した。「侍は保守主義でも回顧主義でもない」。たしかに、この世界で生まれ育った才蔵は、この世界の力を応用して最強の侍になっていた。
「スビア・・」
片桐はゲベール隊に混じって岩影でゲベールを撃っていたスビアに歩み寄った。彼女もそれに気がついて立ち上がった。
「あなたとは口も聞きたくないといったはずです」
やはりまだ怒っているようだ。毅然とした口調で言い放つ。片桐はさらにスビアに歩み寄った。
「本当にあの言葉は後悔しています。あれは俺の本心ではありません」
「いったはずです。あなたとは口も聞きたくない、と」
そう言うとスビアは後ろを振り返った。あまりにかたくななスビアの態度に片桐はため息をついた。後悔先に立たず。些細なことで終わってしまう恋もあるという歌を思い出した。認めたくはないが、彼女は完全に心を閉ざしている。少なくとも片桐自身にはそう見えた。
「わかりました・・・。もうなにも言いますまい。俺も疲れました。ここでお別れです・・・」
片桐の最後のカマかけだった。それにもスビアは一瞬肩をびくっとさせたが、こっちを振り返ることもなかった。再び片桐はため息をついた。完全に愛想を尽かされたようだ。
「待ちなさい!」
そのとき、騒ぎを聞きつけた才蔵が岩山を登ってくるのが見えた。登ってくるやいなや、才蔵はスビアに向き合った。
「スビア様!あなたもいいかげんになさい!片桐殿は命がけでここまで助けに来てくれたではないですか。このことがあなたへの愛であるということはわかっているはずです!」
「・・・いえ、でも・・・」
「でもではありません!さっき私に見せた片桐殿が来たときのうれしそうな顔はその証拠です!」
一通りスビアに言った才蔵は今度は片桐に向き直った。
「片桐殿も片桐殿です!スビア様のような誇り高い女性が自ら謝罪できますか?ここは優しく包んであげるのが男の度量というものです!まったく・・・2人とも頑固で素直でないことこの上ない!」
一気にまくし立てた才蔵に2人は反論もできなかった。そしてあまりの才蔵の剣幕に思わず、スビアと片桐は顔を見合わせた。それを見た才蔵は優しく笑うと2人の手を取ってがっちりと握らせた。
「私は、そんな頑固で素直じゃないお2人が大好きです。我が友よ、ここは素直におなりなさい」
才蔵の言葉に2人ともぐうの音もでなかった。それを見届けると才蔵は岩山の下に控える彼の部下に振り返った。それを合図にするようにスビアは片桐の胸に飛び込んできた。
村に帰った一行は、負傷して村に残った弥太郎と合流した。村の被害は甚大だったが、数日で復旧のめどをつけた。才蔵のたぐいまれなる指導力と村人の努力のたまものだった。村の復興を見届けた片桐とスビアは出発することを才蔵に告げた。
「そうですか・・・。引き留めても無駄なことはわかっております。しかし、お2人は私の終生の友であることは変わりません。何か困ったことがあればいつでもおいでなさい。この才蔵、命を懸けてお守りしますぞ」
片桐は才蔵と固く握手をかわした。片桐としても、この世界でできた初めての親友といえる人物との別れにはいささか感傷的になった。目頭が熱くなるのがわかった。
「元気で・・・」
「片桐殿も・・・。ああ、あまりスビア様を怒らせてはいけませんぞ!」
才蔵の冗談に片桐とスビアも村人と笑った。それが出発の合図のようだった。皆手を振って2人を見送った。
「なんて気持ちのいい人々なんでしょう・・・」
スビアが馬上で片桐に語りかけた。片桐も同感だった。そのとき、2人の前に1人の人影が現れた。片桐は思わず89式をその人影に向けた。
「待ってください!片桐様!」
バートスだった。慌てて手を挙げるバートスに片桐は89式を肩に担ぎなおした。
「才蔵様に言われてきたんだ。あんたたちが海沿いに南に向かってるようだからね」
「南にはなにかあるのですか?」
スビアの問いにバートスは頷いた。
「この南に馬で2日ほど行くと、耳長人の支配する国があるんです。奴らは強力なポルを持っているし、なにより、変な神様を信じていてどうにもならないんです。才蔵様も使者をやっているんですが話にならなくて困っていました。ま、できればさけて通るのが無難ですよ」
なるほど、才蔵らしい気遣いだった。片桐はバートスにお礼を言うと進路を森に変えた。
その夜、森で野営するスビアに片桐は地図を持って相談した。
「今、我々は森と海岸に沿って南へ向かっています。バートスの話だと南には耳長人とやらの国があるそうです。そこで、ここから森を抜けるべく東に進もうと思います。」
「この森はわたくしの村から続いています。はたしてどこまで続いているのか見当もつきません」
スビアの言葉に片桐は地図を片手に、自分の推理を話した。
「この森は西部海岸地域と東部の交通を遮断していると思うのです。今までの旅で出会った大きな集落は海に近い地域ばかりだ。この森はおそらくですが、10日ほどで抜けられると思います。そこから先は文字通り未知の世界と言うことになるでしょう・・・」
片桐はこの説にいくつかの根拠を持っていた。まず、自分の部隊がこの世界に来たときにひたすら登った道。その頂上から見えたのがスビアの村だった。そこから50キロほどバイクで走って海沿いのシュミリ村に出た。
片桐は再び地図を見た。彼の肩によりかかってスビアもそれを見た。ヌーボルはオーストラリア大陸を反対にしたような形を描いている。ちょうどキャンベラの あたりがスビアのアムター村。シドニーあたりがガルマーニということになる。バートスの証言が正しいとすると、耳長人の国はブリズベンあたりと考えていい はずだ。海沿いに広がる下り勾配の豊かな森・・・。ということは、ある程度の山脈を越えると別の気候の地域が広がっているはずだ。つまり、オーストラリア の地図で言えば、ニューサウスウエールズの平原に未知の世界が広がっているということだ。それをスビアに説明した。
「たしかに、明らかに危険な耳長人の国を通るよりはよさそうですわ」
スビアは片桐の腕枕をねだった。つい昨日までのあの恐ろしい剣幕とは別人のようだと片桐は思った。
「わたくしが眠るまでそのままでいてくだる?」
「いいですとも・・・」
片桐は仰向けになって左手をスビアの頭の下にやった。
「片桐、わたくし、不安です。あと2年10ヶ月あまり。このまま愛の誓いをがまんできるのか・・・」
この世界の掟として、愛し合った男女は結婚する代わりに3年、愛の誓いとして純潔を守る掟があるのだ。片桐とてそれは同感だった。現代日本の男女ではとっくに肉体関係を結んでいてもおかしくないのだ。
「今回みたいな喧嘩がなければ大丈夫ですよ」
片桐も優しく答えた。今回の件は才蔵の機転がなければ、間違いなく2人の関係は終わっていたのだ。
「わたくし、二度と片桐の心を傷つけることは言わないから、どうかそばにいてください」
片桐は無言でやさしくスビアにキスするとルートを確認すべく残った片手で地図を持った
翌日から2人は森に入った。森には誰が通ったかわからない道があった。自動車がようやく通れそうな道だが、2人にとって大助かりだった。ある程度広い道の存在は、ある程度の文明人が往来していることを意味する。あのおぞましい猿人のような生物ではないことが安心だった。
「確かに、片桐の言うとおり、上り坂ですね」
午前中いっぱい坂を上ると開けた土地に出た。片桐は双眼鏡で前方の様子を探った。
「スビア!予想通りだ!見てください!」
片桐はスビアに双眼鏡をわたした。森ははるか向こうまで続いていたが、地平線まで延びることなく終わっていた。その先は緑の平原だった。やはり、西側は森 ばかりではなかったのだ。だが、森が深く、アンバードの長年にわたる襲撃で誰も足を踏み入れなかっただけなのだ。その時、双眼鏡をのぞくスビアが何かを見 つけた。
「片桐、あれは煙です!」
森の中から一筋の煙が上がっているのが見えた。片桐はスビアを振り返った。無言で彼女は頷いた。
「行きましょう!」
さほど遠くない地点に向けて2人は馬を走らせた。
現場は森が少し開けた道ぞいだった。煙を上げる物体の正体を確認した片桐は驚愕した。ガルマーニで見た、運転者のポルを使って走る自動車だったのだ。
「あれは・・・!」
片桐とスビアは馬を降りてそれぞれの武器を構えた。慎重に車に歩み寄る。車は森を抜けたところで止まっていた。おそらく、運転兵がやられて走行不能になったのだろう。煙は周りの草が燃えているのだ。オープントップの車に2人の人物が確認できた。
「スビア、周りに注意して」
「はい・・・」
片桐はそっとさらに車に近寄った。1人は運転兵だった。矢が深々と首の付け根に刺さっている。これが致命傷のようだった。もう1人を確認しようとして片桐は思わず声をあげた。
「あっ!」
もう1人は見覚えのあるドイツの親衛隊の制服を着ている。肩には矢が刺さっているがまだ生きていた。苦しげな表情を浮かべているのは、片桐がともにボルマンの収容所を脱走した、元親衛隊フランツ中尉だったのだ。
「フランツ中尉!しっかり!」
片桐の言葉に意識を失いかけていたフランツが正気を取り戻した。目を細めて目の前の人物を見ている。
「片桐・・・、君は片桐三曹か?」
「ええ、片桐です」
フランツは片桐が差し出した水筒の水を飲んでため息をついた。その間に片桐は簡単にフランツの体を調べた。肩の傷以外目立った傷はなかった。
「フランツ中尉ではないですか?」
駆けつけたスビアの声を聞いてシートにぐったりしていたフランツは笑顔を浮かべた。
「スビア様、こんなところで再会できるとは・・・奇遇ですな」
やっと意識のはっきりしたフランツは2人にことの成り行きを話した。
ハルス大尉とフランツ中尉は傷の回復したサクートに街を任せて探検と他の集落との友好を兼ねて旅立った。片桐と入れ違いに才蔵の村を訪れたハルス一行は大 歓迎を受けて、才蔵と同盟を結んだ。ハルス一行は、片桐と同じく耳長人の国を避けて森に入ったが、運悪く耳長人に襲われたということだ。
「奴らは強力なポルを操っている。俺を殺したと思ったんだろう。ハルス大尉を捕まえて奴らの街に連れていってしまった。彼らの神の生け贄にするとかで・・・」
フランツは片桐の手を握った。
「片桐三曹、こんなこと頼む筋ではないが、ハルス大尉を助けてくれ。奴らは次のゾードの夜に大尉を生け贄にすると言っていた。もうあまり時間がない!」
「奴らの街の位置は?」
片桐はヌーボルの地図で自分たちの位置をフランツに教えた。フランツはブリズベンあたりを示した。
「やつらの会話から推測するとこのあたりだ。奴らは、あのサムライの村も標的にしているようだ」
片桐はフランツの報告に背筋に寒気が走った。ようやく平和を取り戻した才蔵の村が再び危険にさらされようとしているわけだ。片桐の決断は素早かった。
「スビア、フランツ中尉を連れて才蔵殿の村へ行ってください」
この言葉にスビアは信じられないという表情を浮かべた。
「まさか、あなた一人で耳長人の街へ乗り込むというのですか?」
「そんなことはしません。でもフランツ中尉を治療できるところは才蔵殿の村だけです」
スビアにはわかっていた。片桐はハルスを助けるつもりだと言うことが。そしてこのままではフランツは死んでしまうことも。
「片桐、約束してください。決して無茶だけはしないでください。わたくしのために。」
片桐はスビアを抱きしめて誓った。
「才蔵の村でフランツ中尉と待っていてください。かならず、あなたを迎えに戻ります」
あまりのラブラブぶりにフランツは苦笑いして体をくねらせて言った。
「俺はあっちを向いてますから!」
その言葉を待つことなく2人は抱き合ったまま熱いキスを交わした。
スビアの愛馬ローズにフランツを何とか乗せることに成功した。
「片桐三曹、気をつけて。奴らのポルはかなり強い。ゲベールの数倍の威力はあるぞ」
スビアに捕まったフランツが片桐に言った。スビアは不安そうな顔を浮かべている。そんな彼女に片桐は笑顔で言った。
「才蔵殿の村で待っていてください。ハルス大尉と才蔵殿と日本酒で乾杯しましょう!今度は喧嘩ぬきでね!」
その言葉にスビアも初めて笑みを浮かべた。
「片桐、あなたを愛しています!必ず、戻ってきて!」
そう言うとスビアは愛馬のローズを走らせて森に消えた。あの笑顔は無理をしている笑顔だと悟られないような急な出発だったが、そんなことは片桐にはよくわかっていた。
「よし!セピア!行くぞ」
片桐は愛馬にまたがるとスビアが走った方向と別な方へ走り出した。未知の種族、耳長人の街に向かって。
つづく