自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

378 第280話 望まざる頂点

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
第280話 望まざる頂点

1485年(1945年)12月13日 午後2時 シホールアンル帝国首都ウェルバンル

リリスティ・モルクンレル海軍大将は、葬式の参加を終え、午前11時に邸宅に戻った後、一息入れてから海軍総司令部へ
向かおうとしていた。
馬車は、通り道であるウェルバンル市街地を行くのだが……人通りはまばらであり、歩く人の姿は数えるほどしか見えない。
いつもは通りの両側に露店が立ち並ぶ区画も、今は露店が全く無く、固く閉ざされた家々が、寂しく見えるだけだ。
これに、冬の暗い寒空が覆われている事もあり、通りの寂しさ……もとい、首都ウェルバンルそのものの雰囲気を如実に表している。

(噂では、首都を脱出した臣民の数は50万にも上ると言われている。そして、今もなお、人口の流出は続いている。
過去の華やかしき帝都の姿は、もはや過去の物……か)

リリスティは、寂し気な通りを馬車の窓から無言で眺めながら、この国の置かれた実情が予想以上に厳しい物になりつつあると、
心中で痛感しつつあった。
午後2時15分には、馬車は海軍総司令部に到着した。

「……いつみてもみすぼらしい物ね」

リリスティは馬車から降り、目の前に聳え立つ横に長い、3階建ての建物を見ながら、ぼそりと呟く。
海軍総司令部は、12月9日のアメリカ機動部隊による空襲で施設が破壊された為、今は旧総司令部から西に1ゼルド(3キロ)
離れた元魔導兵士官学校に移転している。
建物は、3年ほど使われていなかったため荒れ放題であり、昨日、やっと中の片付けが終わったばかりだ。
リリスティは衛兵に答礼しながら、総司令部の中に入っていく。
そこで、リリスティは総司令部魔道参謀を務めるヴィルリエ・フレギル大佐と出くわした。

「あ……これは次官。おはようございます」

ヴィルリエは、仕事口調でリリスティに挨拶を送る。

「おはよう魔道参謀。遅めの出勤になってしまって申し訳ないね」

「ええ。早速ですが、よろしくない報告が入っています」

ヴィルリエはリリスティの右横に並ぶと、持っていた紙を彼女に手渡した。

「帰還中だった竜母ランフックが、軍港へ入港する出入り口の前で、敵の放流した機雷に接触。ランフックは出入り口付近で着底しました」
「嘘でしょ……」

リリスティは、突然の凶報に右手で額を抑えた。

「申し訳ありませんが、嘘ではありません。幸い、乗員の戦死者はあまり多くは無く、海戦で生き残った乗員は艦を脱出し、大半が救助されました」
「船は沈んだけど、乗員が助かったのは不幸中の幸い……か」

リリスティは眉間に皴を寄せつつ、自らに言い聞かせるような口調でヴィルリエに言う。

「これで、帝国海軍が保有する高速正規竜母は、クリヴェライカ1隻のみ……あとは小型の高速竜母が3隻に、これに就役したばかりの竜母2隻のみか。
そして……肝心の中身は補充が見込めないという」
「まさに、どん詰まりですね」

平気な顔をしてヴィルリエはリリスティに言うが、リリスティとしてはこの状況下で、尚も平静さを装えるヴィルリエに感心していた。

「そうね……どん詰まりね」
「あと、他にも報告があります。中北部のパンスィヴィン海軍工廠より伝えられたものです」
「パンスィヴィンから?」

ヴィルリエは、意外なところから送られて来た報告に首をかしげながらも、ヴィルリエから渡されたもう1枚の紙に目を通した。

「……だから何なの、としか思えない私は国賊なのかな」
「いんや。至って普通の反応だと、小官は思います」

いつの間にか、3階に上がっていた2人は、作戦室に向かおうとしたが、ヴィルリエがその前にある人気のない休憩室に親指を指したため、
リリスティは彼女と共に休憩室に入った。

互いにテーブルを挟み、体を向き合うようにして椅子に座ると、リリスティは持っていた紙をテーブルの上に置き、そのうちの1枚をもう1度読んだ。

「戦艦ロェリーネルスと巡洋艦ルェバルスティードが竣工した、か。正直、本土沿岸の制海権を握られた今じゃ、極寒の北洋海域で浮かべる
だけしかできないわね」
「フェリウェルド級戦艦4番艦ロェリーネルスと、マルバンラミル級巡洋艦14番艦、ルェバルスティード、竣工して出番のないままお役御免、て事か」
「シュヴィウィルグ運河の南側に出せない以上は仕方ない。作ってくれた海軍工廠の工員達には申し訳ないけど、この2隻が出来る仕事言えば、
パンスィヴィン軍港を対空火器で守る事しかできないね」
「せめて、ロェリーネルスが先の海戦に間に合っていれば……戦闘の様相も変わった……かどうかは分からないか」

ヴィルリエが肩を竦めながらリリスティに言う。

「敵のアイオワ級は、帝国海軍一の重防御を誇っていたはずのフェリウェルド級すら沈めているからね。出しても敗北と言う結果は
変わらなかったかもしれない」

ヴィルリエは首を横に振ると、溜息を吐きながらキセルを取り出した。

帝国海軍が建造したフェリウェルド級戦艦は、これまでのシホールアンル戦艦の集大成とも呼べる最新鋭の大型戦艦であった。
全長は134グレル(268メートル)、幅18グレル(36メートル)、基準排水量は37000ラッグ(55500トン)を有する
大型戦艦であり、速力は15.2グレル(30.4ノット)を出すことができる。
この船体に50口径16ネルリ(41.1センチ)3連装砲4基12門、4ネルリ連装砲両用砲12基24門、魔道銃89丁を搭載している。
特徴は大型の船体でありながら、甲板装甲は6ネルリ(150ミリ)、主要舷側装甲部には14ネルリ(350ミリ)の前面装甲と、
3ネルリ(76ミリ)の後部装甲と、2重装甲にした事にあり、これによって耐弾性の向上が見込まれた。
満を持して建造されたフェリウェルド級戦艦は、しかし、先の海戦で参加した3隻全てが撃沈されている。
建造中であった5番艦はシギアル港の建造ドックごと爆砕された為、ロェリーネルスが、フェリウェルド級戦艦の中では唯一残存する艦となったのである。

「さっきの報告は、レンス元帥にはしたの?」
「ランフックの件については既に伝えてある。レンス提督もリリィと同じように落胆していたけど、それも一瞬で、あとはサバサバとしていたかな」
「ロェリーネルス竣工の件は?」

ヴィルリエはキセルに入れた葉に火をつけてから答えた。

「これは今しがた入ってきた報告だから、まだ伝えていない。とはいえ、この現状で、戦艦と巡洋艦が1隻竣工したという報告を伝えても、
レンス元帥は喜ぶかねぇ……」
「私としては、ワイバーンと竜騎士4000ずつが戦力化された、と言う報告の方が喜ぶかな。今欲しいのは、軍艦よりも航空部隊だからね」
「それについては、あたしも同感かなぁ」

リリスティの言葉に、ヴィルリエは同意しつつ、口から紫煙を吐き出す。

「とはいえ、ワイバーンが4000騎増えたとしても、今の状況では勝てる可能性は極めて低いかな。なにしろ、アメリカ海軍の使用可能空母は、
西と東を合わせて30隻以上。艦載機総数は3000機を超えるんじゃないかな」
「本当に、酷い話ね」

ヴィルリエとリリスティは、互いに溜息を吐いた。
一時は、竜母19隻を数え、アメリカ高速空母部隊を相手に、4つに組んで渡り合ったシホールアンル海軍主力も、先の海戦で壊滅し、今では見る影もない。

「……そう言えば、リリィはステハの葬式に参列してたようだけど……残された家族も気の毒だったね」
「ステハの砲兵隊は、腕も良いし、連携も見事のようだったけど……相手も百戦錬磨の水上部隊。結果は無残な物だったね。家族は気丈に
振舞っていたけど、心中ではかなり辛いと思う」

リリスティは、顔を俯かせた。

「特に、弟のミルツォスはずっと顔を下に向かせたままだった。双子の姉が壮絶な戦死を遂げたのだから、ああなるのも無理はないか」
「トレンツォス家としても、かなりの痛手だったろうね。いや、痛いのはトレンツォス家だけではないか」

ヴィルリエは言いながら、広報誌に乗っていた第11親衛砲兵連隊の写真の数々を思い出す。

トレンツォス家は、シホールアンル帝国の中でも有数の大貴族の1つであり、俗にいうシホールアンル10貴族の中に名を連ねている
名門中の名門でもある。
そのトレンツォス家は、先のアメリカ軍首都圏襲撃により、娘であるステハ・トレンツォス陸軍大佐を戦闘で亡くしており、今日は、
そのステハ・トレンツォス大佐の葬儀が行われた。
ステハ・トレンツォス大佐は、今年で31歳を迎えており、陸軍には、21歳で陸軍士官学校を卒業して以来、10年以上奉職してきた。
リリスティとは、貴族同士としての付き合いの他、友人としての付き合いも長く、過去には陸海軍の垣根を超えて色々な出来事を経験した仲でもあった。

また、ヴィルリエとも付き合いはあり、3人は互いに見知った間柄でもあった。
ステハの外見は、髪は茶色の肩辺りまで伸ばした長さで、顔たちは凛とした典型的な女戦士と言った出で立ちだが、実際は勇敢そのものであり、
南大陸戦では砲兵指揮官として苦しい後退戦を経験した歴戦の軍人でもあった。

1485年1月からは、首都ウェルバンル近郊にある、シギアル軍港沿岸要塞に属している第11親衛砲兵連隊の指揮官に任ぜられた。
第11親衛砲兵連隊は、沿岸要塞直属の第61親衛砲兵師団基幹部隊の1つであり、要塞砲と共に沿岸に睨みを利かせていた。
この砲兵連隊は、試験的に女性兵を主力に据えて編成されており、技量は前にいた連隊長が徹底的に鍛えたお陰で申し分なかったが、ステハは
連隊指揮官に就任した時、実戦慣れしていない将兵を見て自分なりの方法で連隊をみっちりしごいた。
特に重視したのは、移動目標に対する正確な修正射をより早く行う事であり、ステハは例え高速の軍艦が沿岸に出現し、間断無く針路を変えようとも、
連隊の弾幕射撃範囲内に、常に捉えられるように、日夜猛訓練に励んだ。
砲兵連隊の人員構成は、その大半が10代後半から20代前半の女性兵であり、連隊副官には、民間大手のイン・ヴェグド造船商会の娘や、
中流貴族の姉妹などが多数含まれていた。
練度も最高潮に達した11月中旬頃には、視察に訪れた陸海軍首脳部に演習の模様を見せ、それは後日、広報誌に乗って国民に知れ渡り、
いつしかお姫様砲兵連隊とまで呼ばれるようになった。
そして運命の12月10日未明……ステハの率いる第11親衛砲兵連隊は、シギアル港第1要塞陣地においてアメリカ海軍水上部隊相手に
激しく撃ち合い、全滅した。
砲兵連隊の保有する野砲はすべて破壊され、人員もステハ・トレンツォス大佐を始め、1680名中1297名が戦死した。
生き残った副官によれば、トレンツォス大佐は終盤、最後の野砲の元に駆け寄り、共に砲撃に参加した後、至近に艦砲弾が落下。
最後の砲撃が終わった後に現場に駆け付けると、トレンツォス大佐以下、砲を操作していた全員が体に破片を浴び、一部は体を分断されるか、
砕かれ、凄惨な様相を呈していたと言われている。
大佐は胴体に複数の破片が突き刺さった状態で発見されており、その死に顔は何故か満足気であったと言われている。
遺体は後に回収され、今日の昼前に、共同墓地に埋葬された。
第11親衛砲兵連隊に所属していた将兵の葬儀は合同で行われたが、犠牲となった将兵の家族には、各界の著名人が多く含まれており、
中には娘の死を未だに受け入れられないといった表情を浮かべる者も多く、イン・ヴェグド商会の会長も、先の戦闘で娘を亡くしている。
米太平洋艦隊の首都襲撃は国民のみならず、政権中枢にも大きな影を落としていた。

「不謹慎だけど、トレンツォス家はまだ、弟が後継ぎとして居る分にはまだいい。でも、同じ10貴族であるハーヴィンエル家はたった1人の子を
亡くしているからね」
「しかも、中流貴族とはいえ、レンス元帥の息子さんと婚約が決まっていた矢先の出来事だったからなぁ……レンス提督も、本当は息子さんと
一緒に葬式に出たかったんでしょうけど、提督は総司令部復旧の陣頭指揮や、各方面との調整で多忙だったし……本当、酷い事になった物だね。ヴィル」

「リリィの言うとおりだわ……」

リリスティは更に憂鬱めいた表情を顔に張り付かせる。

「窮地に陥っているのは、海軍だけじゃない。陸軍もまた、反撃部隊を包囲殲滅された末に、150万以上の軍が帝国本土南部領ごと包囲されてしまった。
補給路を断たれた今、11個軍150万の将兵が長く戦える見込みは……万に1つもないわね」
「私が聞いた話だと、陸軍は新たに動員した兵で前線を補う予定と聞いている。その数は4個軍50万……でも、中身は」

ヴィルリエは、肩を竦めながら両手を上げる。

「お察し、と言う事になる。帝国本土に残った機動軍も、新編成が済んだ部隊と、編制途上の部隊を入れても4個軍しかない。これじゃ、高度に
機動化された連合軍の侵攻を押しとどめる事は出来ないわね」
「その4個石甲軍も、質は……と言う話だからね。もはや」

リリスティは唐突に言葉を止めると、部屋のドアに顔を向けた。
部屋の外から悲鳴のようなものが聞こえたのだ。

「リリィ……今の声は?」
「分からない。でも、何かが起こったようね」

リリスティは椅子から立ち上がると、ドアを開けて部屋の外に歩み出た。
いきなり、士官達が血相を変えて廊下を走っていくのが見えた。
彼女は士官達が向かった先を見る。

「海軍総司令官室……レンス提督の執務室で何かあったの!?」
「リリィ、どうしたの」

リリスティはヴィルリエの言葉を無視して走り始めた。
10人以上の士官達が執務室の前に押し掛けている。リリスティはそれを強引にかき分けた。
部屋に入る前に、執務室から出ようとしていた航空参謀とばったり出くわした。

「次官!一大事です!」

「何があった!敵のスパイの襲撃か!?」

リリスティは航空参謀を問い質した。
先日の空襲で、帝都にスパイが侵入し、シホールアンル側の妨害行為を行ったことは記憶に新しい。
国内省の官憲隊や、軍が行方を追っているが、スパイはまだ捕まっていない。
それを知っている彼女は、そのスパイたちが、今度は上層部の高官を狙い始めたのかと思ったのだ。

「いえ、襲撃ではありません。ですが……」

航空参謀はリリスティの問いを否定したが、すぐに口ごもり、目をそらしてしまった。

「チッ!」

舌打ちしたリリスティは航空参謀から離れると、執務室に押し入った。
そこで、彼女は執務机を見るなり、絶句してしまった。

「………」

執務机には、うつ伏せになる形で倒れているレンス元帥の姿があった。
その右手には短剣が握られており、首筋からは大量の血が流れ出ている。

「リリィ……じゃなくて、次官!レンス提督に何か……あ」

後から入ってきたヴィルリエは、レンス元帥の姿を見るや、一瞬押し黙ってしまった。
頭の中の処理が追いつかない。
2時間程前まで、ヴィルリエはレンス元帥と元気に会話していた。
レンス提督は息子の婚約者の死と、竜母ランフックの触雷沈没という悲報を受けても、気丈に振舞い、どこかサバサバとした感があった。
不利な状況下にあっても、まだ諦めていない。
ヴィルリエは、レンス提督の諦めの悪さにやや不快感を思いつつも、指揮官としては不意に部下を不安がらせまいと努力している彼に、半ば感心すらしていた。
しかし、目の前にあるのは……骸と化したレンス元帥だ。

耳の感覚がなくなり、この世界から音と言う物が消えたような錯覚に陥りかける。
空気が限りなく重く、血の匂いが部屋の中に満ち……1秒が永遠の時にすら感じられる。

「………ぁ」

ヴィルリエは声を発しようとしたが、思うように出ない。

(くっ!)

腹に力を籠め、あらん限りの力を振り絞って口を開き、声を出した。

「衛生兵!!衛生兵を呼べぇ!!」

ヴィルリエの大声に刺激されたかのように、後ろの士官達は声を上げて衛生兵を呼び寄せた。
この時、ヴィルリエは体が鉛のように重く感じ、無意識のうちに片膝を床に付けていた。

それから5分後、レンス元帥を診察した衛生兵がリリスティに顔を向けた。

「次官……総司令官閣下は亡くなられました」
「………」
「この事は、すぐに皇帝陛下へご報告したほうがよろしいかと思います」
「そう……ね。ご苦労」

リリスティは、口調をやや震わせながら衛生兵を労った。

「総司令官閣下のご遺体を別の場所に移動しよう。場所は……3階の空いていた大部屋にする。閣下のご遺体には、2名の護衛をつける事と、
ご遺体は必ず、丁重に扱う事……いいわね?」
「はっ!そのように!」

衛生兵はリリスティの指示を受け取るや、待機していたほかの衛生兵と共にレンス元帥の遺体を慎重に担架に乗せ、白布で体全体を覆い、執務室を後にした。

「なんで……なんで、こんな事に」
「……いきなりの事で、あたしも何といえばいいか」

リリスティはカーテンで閉ざされた窓に体を向ける。
ヴィルリエも、いつもの飄々とした表情は失せ、苦渋に満ちた顔を覗かせていた。

「魔道参謀、皇帝陛下に、この事を今すぐ伝えて」
「は。直ちに」

リリスティはヴィルリエに命令を下す。それを受け取ったヴィルリエは部下に魔法通信を送らせるため、執務室から退出していった。
ヴィルリエと入れ替わりに、4人の衛兵が少佐の階級章を付けた士官に率いられながら入室した。

「次官。あとは我々にお任せください」
「……そうね。あとはお願い」

リリスティは少佐の言う通りにし、執務室から退出していった。


それから10分後……作戦室に戻ったリリスティは、幕僚達と共に言葉を発せぬまま、作戦地図の置かれた机を取り囲んでいた。
誰もが、総司令官の自決と言う異常事態に、未だにショック状態に陥っている。

「次官」

沈黙を破ったのは、作戦室の出入り口まで歩み寄った少佐であった。
リリスティは少佐の元まで歩み寄ると、彼から封筒を手渡された。

「総司令官閣下が遺書を書かれておりました。次官にお渡しいたします」
「遺書……ありがとう、少佐」
「それでは、私はこれで」

少佐はリリスティに敬礼し、作戦室から離れていった。
リリスティは封筒を開け、中から2枚の紙を取り出した。

「次官。内容はどのように?」
「今読み上げるから、心して聞いて」

リリスティは、作戦室の一同にそう言うと、遺書の内容を読み始めた。

「この手紙が読まれている頃には、私は既に息絶えている事であろう。私は、この一連の敗北によって、帝国海軍は大規模な作戦行動力を喪失した上に、
帝都攻撃を許した責任を取り、自らの一命を持って、これらの敗北を償うことにした。あとに残される諸君らには誠に申し訳ないと思うが、これもひとえに、
私の作戦指導が招いた事である。また、ここ最近は自らの体と、精神に限界を生じていると痛感する事を何度も感じて来た。特に、帝都空襲の際に、
貴重な航空戦力を、陛下の直々の命とはいえ、意見具申すら行わずに、敵機動部隊に突入させ、無為に戦力を喪失させた事は、今思うにも、ただただ、
私が陛下に“怯えている”事に原因はあれども、それ故に、勇気を振り絞らなかった末に招いた事でもある。私はこれらを踏まえたうえで、戦力の
大量喪失の責任を感じると確信する。今や、帝国の危急存亡の折、貴重な戦力をこれ以上、無下に失う事は是が非でも回避しなければならない。
特に、陛下の勅命を受けて、圧倒的優勢な艦隊を自殺的に突入させ、未来のある将兵をあたらに失わせるような事は、是が非でも避けるべきであると、
小官はここに確信する。もはや、勝利の見込みが無に帰した今、我々に残る術は、終戦に備え、帝国の戦後のために、その復興の源である若い者たちを、
1人でも多く生き残らせる事にある。もし、陛下がそのような事を考慮せずに、兵力投入を命じられた際は、海軍総司令部の総意をもって、陛下に
意見具申を行うように努力してもらいたい。そして、私亡き後、全海軍の指揮は、リリスティ・モルクンレル提督に執って貰いたい。モルクンレル提督ならば、
陛下にも忌憚のない意見を申す事が出来るであろうし、全将兵も、姫提督と呼ばれるモルクンレル提督に従うであろう……どうか、総司令部将校団は、
モルクンレル提督に対し、全身全霊を持って、その手助けをしてもらいたい。最後に……このような我が儘をしてしまう情けない私ではあるが、
シホールアンル帝国が、栄えある終戦を迎えられるよう……そして、モルクンレル提督を始めとする、帝国海軍全将兵が、良き戦後を迎えられんことを、
私は望むものである。シホールアンル帝国海軍に栄光あれ………そして、シホールアンル国民に幸あれ………」

リリスティは、最後まで平静さを装いながら読み終える事が出来た。
だが、その直後……リリスティは自然と涙を流していた。

「レンス提督は、次官に陛下を押し留める役割を担えと、仰せられたのですね」

幕僚の1人がハンカチを差し出しながらリリスティに言う。
リリスティはそれを受け取り、涙を拭いてから幕僚に頷いた。

「海軍総司令官の後任は、モルクンレル次官を……と、レンス提督は遺書の中で申されております。事ここに至っては、海軍総司令官というポストを
空席にしたままでは全軍の士気にも影響します。次官……不本意とは思いますが、レンス提督の申されているとおり、ここは次官に全海軍の指揮を
執って貰いたいと、私は思います」
「私も同意見です」
「私もであります」

幕僚達は、リリスティがレンス元帥の後を継ぐ事に同意し始めた。
だが、彼らの言葉に対し、リリスティは戸惑いを隠せなかった。

「なぜ……私が……私は、レンス提督とは幾度も意見を戦わせ、時には憎まれ口を叩きもしている。恐らく、私はレンス提督に恨まれこそすれども、
好意的に思われている事は無いと思っていた……でも………なんで、あたしに……?」
「それは、次官の才能を、レンス提督が常に認めておられたからであると、私共は確信しております」

航空参謀が彼女の目を見据えながら、淀みなく答える。

「私も、次官とは何度もやり合いましたが……モルクンレル提督なら、この時局に対応できると確信いたします。少なくとも……ここにいる幕僚の
中では、モルクンレル提督ほど、現場の経験を積んだ者はおりません。そう……生死の境を彷徨った経験も含めて」

リリスティは幕僚達の顔を眺め回し、最後に、左隣に立つヴィルリエで視線を止めた。

「魔道参謀はどう考える?」

ヴィルリエは、他の幕僚達とは違い、机に視線を向けながら話を聞いていた。
そのヴィルリエが顔を上げ、リリスティに目を合わせる。

「僭越ながら……私も、レンス提督の仰るとおりであると思います。ですが、次官のお気持ちもよく理解できます。何せ、このような状況下での、
全海軍の命運を背負うというとてつもない大役なぞ……誰もが着任を躊躇うのは明らかです」

ヴィルリエはそこで言葉を止めるが、その2秒後に、より語調を強めて続きを言い始めた。

「しかし!このような状況下でこそ、後任は素早く決めねばなりません。それでも躊躇われるのならば、今はひとまず、総司令官代行と言う形を取り、
その間、幾人か総司令官として適任者を選びましょう。その後、この候補者の中から総司令官に任命し、着任して頂くというのはどうでしょうか」
「レンス提督のご意向に背く形ではあるが……モルクンレル次官が躊躇われるのならば、それも致し方ないと、私も思う」

それまで黙っていた、総司令部主席参謀長が口を開く。

「次官、魔道参謀の言う通り、一時的に総司令官代行に就任して頂きたいと、私は思います。その旨を皇帝陛下にお伝えし、早急に候補者を探しましょう。
私としては………第4機動艦隊のワルジ・ムク大将を候補にあげます」
「ムクか………確かに、彼なら総司令官の任を全うできるかもしれないわね」

リリスティは主席参謀長の言葉に頷きつつ、心中では

(ムクとはまた、上司と部下の関係に戻ってしまうかな)

と、幾分のんびりとした思いを抱いていた。
ワルジ・ムク大将は、リリスティが竜母機動部隊を率いていた時の部下であり、先の海戦では第4機動艦隊を率いて米第5艦隊と激戦を繰り広げた。
そのムク大将とリリスティは、リリスティが士官学校を出て、軍艦に着任した時の上官であり、その頃から部下と上官として、あるいは逆の立場で
共に現場を渡り歩く事も多かった。

「ムク提督は軍政系統の経験も豊富です」
「主席参謀長に私も同意するわ」
「私はマレングス・ニヒトー中将を推します。ニヒトー提督はまだ若いですが、ムク提督と同様、軍政系統の経験も豊富であり、戦略眼は優れております」

作戦参謀はニヒトー中将を推した。

マレングス・ニヒトー中将は巡洋艦部隊の指揮官であったが、今年の1月からは、西部方面海軍区司令官としてシェルフィクル基地に異動しており、
先の米機動部隊のシェルフィクル襲撃の際には、その模様を海軍総司令部へ克明に伝えている。
今は壊滅したシェルフィクル工場地帯の後始末を担当しているが、ニヒトー提督の能力も非凡な物があり、彼が海軍総司令部造船課に所属していた時には、
帝国海軍の近代化を誰よりも強く唱え、その原案を短期間で作成して上層部を瞠目させたことは今でも有名である。

「作戦参謀。確かにニヒトー提督は優秀だが、年齢の問題は別として、階級は中将と、まだ低い。せめて、大将クラスの候補者を挙げてほしい」

「いや……このさい非常時であるから、例え中将であっても、その器があるのならば、飛び級をさせてでも総司令官に任命していい」
「飛び級ですか……他の将官連中から苦情が上がりそうですが」

主席参謀長は難色を示すが、リリスティは躊躇わなかった。

「構わない。総司令官代行の命令よ」
「……ならば、推挙するしかありませんな」

主席参謀長は諦めた表情を浮かべつつ、ヴィルリエの案を受け入れる事にした。

「この他にも、海軍総司令官に相応しいと思う者が居れば名前を挙げてもらいたい。そして、候補者が決まり次第、皇帝陛下にご報告する。次官……
いえ、総司令官代行。それで良いですね?」
「ええ、それで行く」

リリスティは深く頷いた。

「あと……レンス元帥の遺書も届けよう。そして、後任の総司令官が決まり次第、それも陛下にご報告する。その後は、帝国宮殿において
総司令官新補式が行われ、それを経て海軍の新体制が始まる」
「代行……その新体制の下で、戦争は終わるのでしょうか?」
「終わらせなければならないでしょうね」

主席参謀長の問いに、リリスティは淀みなく答える。

「悔しいけど……この現実を受け入れるしかないわ」
「そう言えば、陸軍の方でも総司令官が変わるようですな」
「……あの惨状では、ギレイル元帥が辞めたくなるのもわかる気がするかな」

主席参謀長の言葉に、リリスティはやれやれと言った口調で答える。

「反撃部隊30万が包囲殲滅され、その挙句に……陸軍11個軍、将兵150万が大包囲されているからね。でも、陛下が果たして辞めさせてくれるかな」
「辞めざるを得ぬかと思われます。噂では、ギレイル元帥も相当参られており、幕僚達は元帥閣下がいつ暴発するか気が気でないようでしたが、
そこに辞職を希望する……ですから、幕僚の中には安堵する者もおるようですな」
「後任となりますと、総司令官代行のラヴォンソ将軍がそのまま総司令官になるのでしょうか」

リリスティは眉を顰めつつ、首を捻りながら主席参謀長に言う。

「陸さんの事に関しては、なんとも。まぁ、あちらはあちらで任せた方がいいね。そんな事よりも、まずは、海軍総司令官を決める事がかな」

彼女は主席参謀長にそう返してから、幕僚達と共に総司令官選定の準備に励みつつあった。

12月16日 午前9時 シホールアンル帝国ウェルバンル

リリスティ・モルクンレル大将は、皇帝陛下直々の命令で帝国宮殿に呼び出され、今は謁見の間の前で、紫色の礼服に身を包みつつ、制帽を
小脇に抱えながら入室を待っていた。
リリスティは、帝国宮殿に到着し、皇帝陛下の謁見を待つ中、心中では何故?と言う言葉を延々と吐き続けている。

(なぜ………なぜ、あたしが………)

リリスティは確かに、海軍総司令官代行という役目を担う事に同意した。
それは、亡きレンス元帥の意思でもあった。
だが、それは一時的な意味での話であったはずだ。
リリスティとしては、海軍の頂点にずっと居座るつもりなど毛頭なく、いずれは前線に復帰したいと考えていた。
こうして中央にいるのは、今後のために視野を広げるという意味合いもかねての事だ。
まだ体が若い内は、前線で働きたかった。

(最も……モルク族の血と特徴を濃く受け継いだと言われるあたしが、若いだの、老後だのと言っても説得力がないと言われそうだけど)

リリスティは、幼少の頃に、いつになく真剣な表情で事実を打ち明ける両親の顔を思い出す。

(一族の中で、希代の英傑と同じ特徴を受け継いでいる……か。そんな特徴を受け継いでおきながら、結果は散々なんだけどね)

リリスティは自嘲気味にそう思うと、自然と苦笑してしまった。
それを見た衛兵が、彼女に声を掛ける。

「提督、如何されましたか?」
「いや……何でもない。気にしないでくれ」
「はっ!」

リリスティは、すぐに無表情で返すと、衛兵は直立不動の姿勢を維持し、彼女から目を離した。

(そんな、失敗だらけの軍人が、なぜ、海軍総司令官なんかに……どうして……)

彼女は再び、心中で自問自答を続ける。
そこに、後ろから近づく足音が聞こえてきた。
その足音は、重々しくも、どこか安心感を与えるような物だ。
リリスティは、その足音に聞き覚えがあった。

「もしや……リリィか?」

その声にも、聞き覚えがあった。
リリスティは振り返ると、驚きの余り一歩後退してしまった。

「え……エルグマド閣下!?」
「おお、やはりリリィか。久しいな」

その初老の男性将官は、紛れもなく、ルィキム・エルグマド予備役大将であった。
リリスティは慌てて敬礼する。

「こちらこそ、お久しぶりです!」
「まぁまぁ、そう固くならんでよろしい。同じ大将ではないか」

エルグマドは答礼しつつ、柔らかい口調でリリスティにそう言い放った。

「いや、大将ではもうなくなるか。あと少しで、2人とも元帥じゃな」
「と、申されますと……エルグマド閣下が新しい陸軍総司令官に?」
「うむ。話せば長くなるが……まぁ、そういう事じゃ」

エルグマドは、老いを感じさせぬ邪気の無い笑みを浮かべながら、リリスティの右肩を片手で叩いた。
そこに、エルグマドの到着を報告した衛兵が謁見の間から姿を現した。

「お待たせいたしました。それでは、お入りください」

2人は、衛兵の案内を受けながら謁見の間に入室していく。

謁見の間に入ると、皇帝であるオールフェス・リリスレイが玉座に座っていた。
この日のオールフェスは、いつもは肩肘に頬杖を置いた気楽な恰好ではなく、背筋を伸ばしたままの姿勢だ。
リリスティは、心なしか、オールフェスが緊張しているようにも思えた。
エルグマドとリリスティは、互いに横に並んだまま玉座の前まで歩き、赤い絨毯が途切れる一歩前の所で止まり、共に頭を下げた。
数秒ほどが経ち、オールフェスが口を開いた。

「両名とも、面をあげよ」

静かながらも、威厳のある声が響く。
2人の将官は顔を上げ、オールフェスに視線を合わせた。

「今回、陸海軍の首脳が相次いで死去、または辞職した事に関して、私としては非常に残念に思う反面、戦局の悪化に伴う重圧に、レンス提督と
ギレイル将軍に職務を任せすぎたという責任を、私自身、痛感している。2人の高官が相次いで離脱するのは、帝国の未来を暗示しているようで、
誠に不安を感じざるを得ない。しかし」

オールフェスは、表情を一層険しくしながら、言葉を続けていく。

「戦争はまだ続いている。連合軍は、我が帝国の首都を踏むその日まで、進軍を続けるだろう。そうなる以上、終戦までの道のりは険しく、遠いと
確信せざるを得ない。陸海軍から送られた候補者の一覧は、私も既に目を通した。確かに………優秀ではある」

彼は2度頷く。そして、目を細めながら2人の顔を交互に見た。

「だが、私が判断するに、これらの候補者の中で、この難局を乗り切れる人物はいないと確信した。そして、熟慮の上で……2人にそれぞれ、
後任を務めて貰いたいと確信した次第である」

オールフェスは玉座から立ち上がり、ゆっくりとした足取りで階段を下り始める。

「モルクンレル提督は、戦術的な指揮ぶりは無論の事、中央に来てからは、初めて軍政系統の任を担うにもかかわらず、類まれな指揮ぶりを発揮し、
総司令部を纏めて上げて来た。そして、エルグマド将軍は、先のレスタン戦では惜しい結果となってしまったが、その実績は過去に例を見ない物だ。
中央での経験も豊富にある」

オールフェスは5段ある階段を下り、2人から3歩前まで歩み寄った所で止まった。

「総司令部で決めた意向にそぐわぬ形になるが、そこの所は、どうか理解してもらいたい。だが……今は非常時だ。帝国存亡の危機にある今、
陸海軍を任せられるのは……貴君らしかいない」

オールフェスは言葉を区切ると、最初はリリスティを、次に、エルグマドの顔を見る。

「私はここに、リリスティ・モルクンレル提督と、ルィキム・エルグマド将軍両名を、海軍、ならびに、陸軍総司令官職に任ずる。そして、同時に……
両名に対し、帝国元帥の称号を与える事を宣言する」

オールフェスの言葉が室内に広がる。
室内には、重苦しい空気が充満していたが、オールフェスはそれに構うことなく、玉座の隣で待たせていた侍従を呼び寄せた。
2人の侍従は、オールフェスの前に歩み寄る。
オールフェスは、侍従が持っていた元帥剣を手に取り、まずはエルグマドに手渡す。

シホールアンル帝国軍では、元帥に任命されると、必ず帝国宮殿で、皇帝から元帥剣を手渡される。
シホールアンル帝国国旗にも使われている赤紫色の鞘に、銀色の柄の付いた剣は煌びやかな装飾等は無く、どちらかというと質素な印象を受ける。
だが、これは歴とした元帥剣であり、軍の証でもある。
陸軍の場合は、鞘に小さく盾を構えた歩兵の彫刻が施され、海軍の場合は船と重なる錨の彫刻が施されている。
エルグマドは、頭を垂れながら、両手で陸軍の元帥剣を受け取った。
エルグマドの後は、リリスティの番となった。
オールフェスは同じように、元帥剣をリリスティに手渡す。
彼女もまた、頭を下げ、両手で元帥剣を受け取る。
オールフェスは侍従を下がらせると、再び階段を上がり、玉座に座った。

「モルクンレル提督、エルグマド将軍。元帥就任おめでとう」
「ありがたき幸せでございます」

エルグマドが慇懃な口調でオールフェスに言う。
それを聞いたオールフェスがゆっくりと頷く。
次に、リリスティも礼を述べる。

「陛下自らの授与。感謝いたします」

リリスティはエルグマドが横で頭を垂れている中、唐突に顔を上げ、オールフェスの顔を真っ直ぐ見据えた。

「………何か申したいことがあるか?」
「いいえ、ございません」

リリスティは、幾分張りを感じさせる声音で、オールフェスに返した。

「先にも申した通り、戦況は芳しくない。しかし、戦争はまだ続いている。栄えある終戦を迎えるためにも、私は、両名の率いる軍の活躍を、切に願う物である」

オールフェスは、言葉の最後の部分を強調する。

「今日は急の呼び出しにもかかわらず、この帝国宮殿に来てくれたモルクンレル提督、並びに、エルグマド将軍に深く感謝する。今日はこれにて以上だ」

彼はそう言うと、玉座から立ち上がり、謁見の間から退出していく。
2人の元帥は、皇帝の退出まで頭を伏せたまま見送り、扉が閉まる音が聞こえると、顔を上げた。

「リリィ……お互い、どエライ役目を仰せつかってしまったな」
「そのようです……」

エルグマドは苦笑しながらリリスティに言うが、彼女は無表情のまま答えた。


12月19日 午後7時 シホールアンル帝国首都ウェルバンル

その日、海軍総司令官を務めるリリスティ・モルクンレル元帥は、陸軍総司令部で行われた陸海軍合同会議に参加した後、陸軍側が用意した
休憩室で休息をとっていた。
休憩室には、リリスティと、相方であるヴィルリエ・フレギル少将が、前のテーブルに右手を伸ばし、体の上半身を乗せていた。
傍目から見れば、授業中に居眠りをする学生のような姿だ。

「……今日は……いや、今日も疲れたといった方が正しいのかな」
「それが正しいね」

彼女の右隣の椅子に座っているヴィルリエも、コップの水を飲みながら相槌を打つ。

「どう?肩の調子は?」

ヴィルリエは、リリスティの肩を指差しながら聞いてきた。

「どうもなにも、次官と違って、総司令官という仕事は、えらい重圧を感じる物ね。この階級章の重みは、想像以上……と言った感じかな」
「その割には、口調が軽いまんまね」
「重くする必要はないからいいの」

ヴィルリエの無粋な突っ込みに、リリスティはやや顔を膨らませて言い返した。
リリスティの肩の階級章は、それまでの3つ連なった紋章と違い、十字に交わる2つの剣と盾が重なった大きな印が1つだけ付いている。
この印こそ、シホールアンル帝国軍元帥の階級章である。

「それにしても……まさか、陸軍総司令官にエルグマド閣下が就任されるとは思わなかったなぁ」
「リリィ、それ何回目よ」

姿勢を起こし、頬杖をつきながら喋るリリスティに、ヴィルリエはうんざりとした表情で言いつつ、彼女の背中を軽く叩いた。

「あ、元帥の体を叩くとは。無礼者め。そんなんだから万年佐官なのよ」
「え?万年佐官って誰の事ですかぁ?」

ヴィルリエはこれ見よがしに、自分の肩を叩いた。

「あなたの目の前にいるのは、紛れもなく将官です。そう、提督ですよ、提督。そこの所、間違えないで頂きたいです」
「あたしがさっさと提督にしてやったのよ。そこんところも忘れないで、どうぞ」
「あー、そうですねー………って、あたしも疲れて、元気でないね」

ヴィルリエは疲労をにじませた口調でリリスティに言う。
ヴィルリエは、リリスティが海軍総司令官に任命された後、リリスティの命で海軍少将に昇進し、そのまま魔道参謀のポストに就いている。
ただ、このまま将官が1人で魔道参謀を務めるのは、仕事柄多忙を極めるため、ヴィルリエの希望で魔道副参謀のポストを新たに用意し、
これによって魔道参謀を補佐し、時には代理を立てられる体制を整えた。
魔道副参謀には、元母艦通信員であり、ヴィルリエの部下であったロイネ・ミナタンヴィ中佐が就任し、ヴィルリエと共に全海軍の情報収集に努めている。
ただ、新体制が発足してからは多忙な日々が続いており、ヴィルリエもリリスティも疲労困憊であった。

「こりゃ、レンス元帥も大変だったろうなぁ」
「色々と、陰口を叩いていた頃が恥ずかしいかな?」
「そりゃ、まぁ………」

リリスティは過去に自分を恥じてか、思わず口ごもってしまった。

「ほう……随分とお疲れのようじゃな」

唐突に出入り口の扉が開き、面白い物を見たと言わんばかりの口調で誰かがそう言った。
休憩室の机でだらけていた2人は、慌てて立ち上がった。

「え、エルグマド閣下!」
「失礼しましたぁ!」
「ハッハッハ!まぁまぁ、そう固くならんでよろしい。ささ、席に座ってくれ」

陸軍総司令官を務めるルィキム・エルグマド元帥は、笑顔を浮かべながら席に座るように促した。
苦笑したリリスティとヴィルリエは、促されるままに席に座る。

「しかし……堅苦しい会議の後に、こうして2人の美人さんと話ができるとはな。これぞ役得というものかね」
「閣下、ご冗談もほどほどに」
「おっと、これは失礼した」

エルグマドはリリスティの注意を受けると、頭を掻きながらそう言った。
ヴィルリエがコップに水を入れ、それをエルグマドに渡す。

「おお、フレギル提督。かたじけない」

エルグマドは礼を言うと、水を一口飲んでからコップを置いた。

「それにしても、まぁ……よくもここまで事態が悪化したものだ」

彼は、それまで浮かんでいた笑みを消して、真剣な表情で自らの心境を語り始めた。

「先の会議でも言ったが、現状の軍編成では、敵の進撃を食い止めることなど、夢のまた夢だ。皇帝陛下としては、私にこの状況を何とかしろと
縋ってきたようだが、幾らわしでも、無理な物は無理だ」
「海軍も同様です。第一、連合国海軍……特にアメリカ海軍との戦力差は隔絶しています。できる事と言えば、沿岸部の掃海ぐらいですが、
それもまた、いつまで出来る事やら」

リリスティは溜息を吐いた。

「このようなポストなぞ、なりたくなかったものだ。リリィもそうであろう?」
「ご明察の通りです」

リリスティがそう答えると、エルグマドも深いため息を吐きつつ、気晴らしに水を飲む。

「望まぬ頂点を、ほぼ強引に押し付けられたわしらだが、それでもやれるべき事はやるしかない」
「と、言いますと。やはり、現有戦力で徹底抗戦するしか、方法はありませんか」
「今のところは、な」

ここで、エルグマドの語調が変わった。

「わしらがこれからやるべき事は山積みではあるが、その中でも……帝国を、いや……シホールアンル人がこの先、この世の中で生き残る事を目標に、
わしらはこの戦争の指揮を取らねばならんぞ」
「難しい問題ですが……やるしか、ないみたいですね」

リリスティは表情を暗くしながらそう言う。
そこに、彼女を見たエルグマドは、再び笑みを浮かべ始めた。

「リリィ」
「は……」
「まぁ、そう気落ちせんでもよろしい。リリィの悪い癖は、必要以上に自分を追い込んでしまう事にある。まーここは、成るように成れだ。陸海軍の
違いはあるが、同じ元帥同士、仲良くやっていこうじゃないか。な?」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
ウィキ募集バナー