首相官邸に御座す内閣総理大臣の下には、逐一異世界での戦況の情報が流れ込んできていた。着々と進む進撃に首相はいたくご機嫌であった。軽傷者はそこそこいるが死者が未だいないことに関しては、彼は手放しでほめた。国内で情報が漏れればたちどころに計画が破綻するのは間違いない。何より人的被害を最小にして事を進める必要があった。
「この評議会というのはどういう団体なのかな?」
首相は報告書の魔道最高評議会が各国の調停に動き出したという記載に敏感に反応した。ようやくスーツ姿もこなれてきた感のある、出向中の魔道師が説明した。
「全ての魔道師を統括する機関ですね。一応それなりの政治力もあります」
「話をまとめる力はありそうかな?」
「評議会が各国の顔を立てれば、あるいは…」
日本側にとっては渡りに船の話だった。最初から彼らには奪われた領地以外を占領する気はないし、してはいけないのである。すでに禁は破られた。窮鼠が何をしでかすか自明であるからだ。
首相はしばらく思案して、ニヤリと笑みを浮かべた。
「作戦に支障がなければ、交渉が有意義に進むよう一発脅しでも差し上げましょうか」
フォリシア国内の要所に張られた対ゲート結界網は徐々に空自の爆撃によって狭まっていたが、それでもまだ爆撃機が首都へ往復する距離には届かなかった。しかし敵が有効な対空防御策を持っている訳ではない。
「虎の子の空中給油機──演習だけで使ってるんじゃ可哀想だ」
「この評議会というのはどういう団体なのかな?」
首相は報告書の魔道最高評議会が各国の調停に動き出したという記載に敏感に反応した。ようやくスーツ姿もこなれてきた感のある、出向中の魔道師が説明した。
「全ての魔道師を統括する機関ですね。一応それなりの政治力もあります」
「話をまとめる力はありそうかな?」
「評議会が各国の顔を立てれば、あるいは…」
日本側にとっては渡りに船の話だった。最初から彼らには奪われた領地以外を占領する気はないし、してはいけないのである。すでに禁は破られた。窮鼠が何をしでかすか自明であるからだ。
首相はしばらく思案して、ニヤリと笑みを浮かべた。
「作戦に支障がなければ、交渉が有意義に進むよう一発脅しでも差し上げましょうか」
フォリシア国内の要所に張られた対ゲート結界網は徐々に空自の爆撃によって狭まっていたが、それでもまだ爆撃機が首都へ往復する距離には届かなかった。しかし敵が有効な対空防御策を持っている訳ではない。
「虎の子の空中給油機──演習だけで使ってるんじゃ可哀想だ」
フォリシア首都ジェルークスの周辺では季節外れの強風が吹き荒れていた。風が渦を巻き、木の葉を巻き上げ、耐え切れず倒れてしまった立ち木もところどころに見受けられた。住民は家の補強作業を強風の中、必死に進めていた。
嵐が来たわけではない。巨大な魔方陣を駆使し魔力で吹かせている人工の風なのである。彼らのささやかな防空対策だった。それはすでに十数日吹き続けていた。市民への周知もろくに徹底されないまま実施されたため、建てつけの悪い家にはすぐに被害が出た。そうではない家も吹き荒れる風に徐々に強度を蝕まれ、限界が近付いてきていた。
街の奥へ進むと、市民の悲鳴もよそに強風を難なく跳ね返す、強固に組まれた石造りの王宮があった。浮かない顔をした上級将軍カルダー・オベアは、白い大理石で覆われた廊下を進んでいた。
自らの率いる国境防衛隊をろくに戦わせもせず撤退させたのを問われ、査問会議に召喚されたのだ。彼は狼狽する部下をなだめ、一時の指揮を任せて急ぎ都へと戻ってきた。
議場は王宮の中庭を過ぎたところにあった。屋根で覆われた廊下の両側にはきれいに刈りそろえられた観葉植物があり、通る人の目を和ませた。その彼が通りかかったとき、後ろから聞き覚えのある声で彼は呼び止められた。
「久しいな、オベア将軍」
「!これは陛下──」
彼は慌てて片膝をつき、礼の姿勢を取った。声をかけたのは痩せぎすで背の高い初老の男だった。オベアの主であるアンクヴァール4世は五十過ぎにしてようやく即位した王である。皇太子の期間が長く、名誉的な軍団長として各地の拠点を転々と回された経験を持ち、軍幹部との親交は昨今の王に珍しく深かった。
上着を側の侍従に持たせた軽装の王は仰々しく呟いた。
「『武神』オベア将軍が異界の軍を前にしてすたこら逃げ帰り、全軍の士気に重大な影響をもたらした、と専らの噂」
オベアはうつむいたまま答えた。
「私の知る陛下はそのような流言に惑わされる方ではないと存じておりますが」
「フフフ、もちろん」
王は歯を出してニヤつくと、膝をついているオベアの坊主頭をしゃりしゃりと撫でた。手で立ち上がるように促し、言葉を続けた。
「東の大森林まで引いただけだろう?ここからが森の国フォリシアの本当の縄張り、地の利は我らのものよ。しかし頭に血の上った重臣達がうるさくてな…まあ奴らの愚痴だけ聞いておいてくれないかね。悪い処分は一切させん」
「はっ…細かな配慮、痛み入ります」
「うむ。ではまた後でな」
王は鷹揚に頷くと侍従に目で合図を送りその場を立ち去った。
背の数倍はあろうかという王家の紋章をあしらった大きな扉を抜けると、政治の中枢に住まう御方々が勢揃いであった。
陽の差し込む天窓がぎしぎしと音をあげていた。四方を王家のタペストリーで覆われた大部屋は、普段は王臣が揃って内政外交等の政策を語り合う朝議の間と呼ばれるところだった。
正面最奥にある王の席は今のところ空席である。出席することはないだろう。両脇に居並ぶ老人達は冷ややかな眼差しを向ける者、冷笑を浮かべる者、周りを窺いながら心配そうに見守る者と様々だった。
「お久しぶり、オベア君」
まず声をかけたのは白いローブを身にまとった国家出納局長官パオロ・マルカエデスだった。重臣の中の筆頭格である。そして主戦派の代表でもあった。はげ上がった頭の脇に残るちりちりに巻いた短い髪が特徴の脂っぽい中年男は、挨拶も早々に渋い顔で語り始めた。
「貴公には少々失望したぞ?ろくに剣も交えず先人達が苦労して奪い取った地を早々に捨て、大森林まで尻尾を巻いて逃げるとは…」
北の大国ボレアリアは北を寒風吹きすさぶ北大洋に、東を東大洋に面している。西部南部が陸続きなのだが、当のフォリシアは北東部においてかの国の南西部と国境を接していた。フォリシアの北には小国が割拠し、大国同士の対決のおこぼれにあずかっていた。東はやはり東大洋に面し、大きな港もある。戦争が始まる前まではこの二大国もそれなりに交流はあったものの、十年も経ちすっかり途絶えた。
件の大森林とは元々の国境だったところである。国の大半を森に覆われていたフォリシアは国内から産出する鉱物、燃料などで潤っていたが、山と森の国であるため農地が少なく、食糧供給に常に不安を抱えていた。農地を求め森の向こうのボレアリアへ侵攻したのである。大森林の向こうは肥沃な一大農業地帯だった。
「これは異な事を。無駄に兵を減らせば満足なさると仰る」
「この成り上がり者が!口のきき方に気をつけんか!」
オベアの皮肉を怒声で払い、彼は他の重臣達にぶちまけた。
「こんな軟弱者はさっさと東部国境防衛統括の任から引きずりおろさねばならん!大体異界の軍がどれほど強いというか?戦う前から逃げては戦力差もわからんではないか!」
頷く者もいれば苦笑する者、ため息をつく者もいた。重臣の間でも意見は割れていることを意味していた。反応からは主戦派も慎重派もお互いに主導権は取っていないようだった。
「失礼しました。しかし担当外の国境部では軒並み全滅、敗走させられたことを鑑みるに、態勢が整うまでは兵力を温存したままで退いた方が良いかと」
今まで腕組みをしていた慎重派の老人が席を立たずに呟いた。
「して、その態勢を整える当てはあるのかな?このままずるずる退いてジリ貧となっても仕方ないでな」
「…私見ですが」
絨毯の上で直立したままオベアは一つ断りをいれた。
「異界軍との戦いにおいて、平地の接近戦はないと確信しております」
「奴らは、迫り来る大軍を飛び道具で全滅させることができる、と」
別の初老の重臣がすかさず突っ込みを入れる。
「ええ、現にいくつもの戦場でそうされたのですよ、"我々が"。まず敵兵の顔をその目で見た者もほとんどいないのです。地平線の向こうからとめどなく鉄の塊が飛んできて、我々を八つ裂きにする。そういう戦いでした」
主戦派の意気が少し削がれたかに見えた。彼は畳み掛けるように続けた。
「彼らと真っ向から戦っては駄目です。やるなら二つ、接近戦をせざるを得ない状況にするか、こちらも接近戦はしないか…。敵の得意な空から爆発物を投げ落としてくる攻撃も、森林なら威力は半減。あの火を噴く鉄の象(戦車のこと)も森は簡単には進めません。ここで隠れながら罠を張り持久戦をします。これが前者」
「接近戦はしないと言うとどうするのかな?」
「相手には敵を近付かせぬ強力無比な飛び道具がありますが、こちらにも近付かなくてもできる攻撃がないではありません…『呪殺』にて」
「呪殺には体の一部が必要なのだぞ?戦力を減らせるほど倒せるとは思えんが…まあ貴公がそこまで断言するなら策はあるのだろう。武神の術策、拝見させて頂こうか」
その老人は納得したように二、三度頷くと口を閉じた。
その時、議場から少し離れた場所で大きな爆発音が轟いた。風の音もかき消すほどの音量は地面を大きく揺らした。その場はたちまち慌しくなった。
「着弾確認、帰投する」
青地に日の丸をあしらった爆撃機に乗ったパイロットは機を急旋回させた。それは強風の渦巻く蒼い空に溶けてすぐに消えた。
王宮の離れが木っ端微塵に砕かれたという知らせがすぐに室内に届いた。鉄の鳥がここまで爆撃をしに来たという事を知って、重臣達は揃って青ざめた。防空対策は無駄だった。首都が灰燼に帰す可能性もあるとなれば考えも変えねばならない。
「み、都から早く脱出せねば!火の海にされるぞ!」
「逃げてどうする!ここで逃げてもどこまでも追われる事に変わりはない」
「降伏するしかないのか」
「我々も潔く戦って散るべし!」
言い合いはもはや議論の体を成さなくなり、そそくさと退出する者も現れた。
どうしたものかとオベアが思索にふけっていると、後ろの扉がゆっくりと開かれた。そこに姿を現したのは正装した国王と、評議会から交渉の全権を任されたパーブルジュージだった。
「皆の者、静まれ!」
王の一喝で混乱を極めていた室内もたちどころに落ち着きを取り戻した。王と使者はオベアの脇を通って玉座の前に立った。立礼をする重臣達を一通り眺めると、彼は皆を落ち着けるように言った。
「どうやら異界の軍はここまで侵攻してくる気はないようだ。今のは講和の催促だろう」
怪訝な顔をする臣下らに対し、彼は続けた。
「考えてもみたまえ。本当に都を壊滅させるつもりなら離れなど狙わないし、今の攻撃ですでに市街は火の海になっているはずだ」
臣下の一人が口を震わせながら発言した。
「しかし、このままでは我々の生殺与奪の権は奴らが握っていることに変わりはなく…いつ気変わりして侵攻してくるか…」
「そこで彼が交渉しに来た訳だ」
王は隣にいたパーブルジュージに視線を向けた。その使者は深々と礼をして口を開いた。
「前日、異界の軍の窓口とも話をする機会があったのですが、彼らは奪われたボレアリアの領地を奪還するためにきた、即座に領地を返還すればそれ以外のものは求めない、と。賠償金も要らない、と申しておりました」
「なら、さっさと返してしまって終わらせよう!…という訳にはいかんのじゃろうなぁ」
老臣の一人が諦観の面持ちで呟いた。使者も同意するように頭を垂れた。
「ボレアリア本国は領土の割譲こそ要求しませんでしたが…。提示した賠償額が…五億リート(1リートは銀73g相当)」
一堂は皆苦虫を噛み潰したような顔で金額を聞いた。ぽつぽつと舌打ちも聞こえた。
「ふっかけてきたな!足元を見おって!」
豊かなフォリシアの国家予算から見ても三倍はあろうかという額だった。全額払うこととなれば恐ろしい増税とインフレが待っている。
「奴らの本隊には一回も!ただの一度も負けていないのに、そんな大金を払えと!?それならば異界の軍に全額払って寝返ってもらった方がよっぽどましだわい!」
「カスどもが!金は要らぬと言う虎の後ろで、威を借る狐が身包み剥ぐ気とは…見下げ果てた性根と言うべき他はない」
重臣達は先程の怯えた顔が嘘のようにいきり立っていた。
無理もない、と議場の脇で立っていたオベアは思った。彼らは本当に弱かった。力押ししか能のない軍だった。まあ連戦連勝し、今の地位を得ることができたのも彼らのおかげか、などと考えて彼は自嘲気味に苦笑した。
「周辺国にも負担を求めるにしてもやはり、この額は難しいな。最初に聞いた私もそう思ったからな」
王もため息をついてオベアの方を向いた。憔悴した王の顔を見て、オベアは精一杯の自信に満ちた笑顔を返した。
「将軍よ、まだ講和はできん。向こうがどうしても早期講和したいとなれば、賠償金を減額させる機会もあるはず。両者で思惑が違うのであれば、異界の軍からボレアリアに働きかけてもらうこともできるはずだ。あまり気乗りはしないと思うが…将軍の双肩にかかっているのだ。よろしく頼む」
深々と頭を下げた王に、オベアは慌てて行為を制止した。
「陛下、私のような者に頭を下げてはなりません。陛下は堂々と勅を発して下さればいいのです。国のため、未来のため、最後の血の一滴まで奮闘して参ります」
笑顔を取り戻して頷く王を横に、賠償額を聞いて青ざめていたマルカエデスが脇から低い声で脅しつけた。
「もう退けぬぞ!大森林を抜かれたら都まで後はない。わかっているな?」
「ええ、重々承知しております。その時は私の命もないでしょうからご心配なく」
オベアは一礼して踵を返し、うやむやになった査問会議の場を後にした。主役のいなくなって拍子抜けした重臣達もぞろぞろと退席し始めた。
王は対外工作を監督する臣の一人を呼び止め、他の者に気取られぬよう耳打ちした。
「──ゲートと異界諸国の調査を進めるように。おそらくこれが向こうの恐れている選択肢だ。我々もただ負けるわけにはいかん。最後の選択肢を用意しておかなくてはならぬ」
議場の隅ではパーブルジュージがローブの中で腰に手を当て、深いため息をついていた。かしげた顔を中央から分けるように、眉間に深い皺が寄っていた。
嵐が来たわけではない。巨大な魔方陣を駆使し魔力で吹かせている人工の風なのである。彼らのささやかな防空対策だった。それはすでに十数日吹き続けていた。市民への周知もろくに徹底されないまま実施されたため、建てつけの悪い家にはすぐに被害が出た。そうではない家も吹き荒れる風に徐々に強度を蝕まれ、限界が近付いてきていた。
街の奥へ進むと、市民の悲鳴もよそに強風を難なく跳ね返す、強固に組まれた石造りの王宮があった。浮かない顔をした上級将軍カルダー・オベアは、白い大理石で覆われた廊下を進んでいた。
自らの率いる国境防衛隊をろくに戦わせもせず撤退させたのを問われ、査問会議に召喚されたのだ。彼は狼狽する部下をなだめ、一時の指揮を任せて急ぎ都へと戻ってきた。
議場は王宮の中庭を過ぎたところにあった。屋根で覆われた廊下の両側にはきれいに刈りそろえられた観葉植物があり、通る人の目を和ませた。その彼が通りかかったとき、後ろから聞き覚えのある声で彼は呼び止められた。
「久しいな、オベア将軍」
「!これは陛下──」
彼は慌てて片膝をつき、礼の姿勢を取った。声をかけたのは痩せぎすで背の高い初老の男だった。オベアの主であるアンクヴァール4世は五十過ぎにしてようやく即位した王である。皇太子の期間が長く、名誉的な軍団長として各地の拠点を転々と回された経験を持ち、軍幹部との親交は昨今の王に珍しく深かった。
上着を側の侍従に持たせた軽装の王は仰々しく呟いた。
「『武神』オベア将軍が異界の軍を前にしてすたこら逃げ帰り、全軍の士気に重大な影響をもたらした、と専らの噂」
オベアはうつむいたまま答えた。
「私の知る陛下はそのような流言に惑わされる方ではないと存じておりますが」
「フフフ、もちろん」
王は歯を出してニヤつくと、膝をついているオベアの坊主頭をしゃりしゃりと撫でた。手で立ち上がるように促し、言葉を続けた。
「東の大森林まで引いただけだろう?ここからが森の国フォリシアの本当の縄張り、地の利は我らのものよ。しかし頭に血の上った重臣達がうるさくてな…まあ奴らの愚痴だけ聞いておいてくれないかね。悪い処分は一切させん」
「はっ…細かな配慮、痛み入ります」
「うむ。ではまた後でな」
王は鷹揚に頷くと侍従に目で合図を送りその場を立ち去った。
背の数倍はあろうかという王家の紋章をあしらった大きな扉を抜けると、政治の中枢に住まう御方々が勢揃いであった。
陽の差し込む天窓がぎしぎしと音をあげていた。四方を王家のタペストリーで覆われた大部屋は、普段は王臣が揃って内政外交等の政策を語り合う朝議の間と呼ばれるところだった。
正面最奥にある王の席は今のところ空席である。出席することはないだろう。両脇に居並ぶ老人達は冷ややかな眼差しを向ける者、冷笑を浮かべる者、周りを窺いながら心配そうに見守る者と様々だった。
「お久しぶり、オベア君」
まず声をかけたのは白いローブを身にまとった国家出納局長官パオロ・マルカエデスだった。重臣の中の筆頭格である。そして主戦派の代表でもあった。はげ上がった頭の脇に残るちりちりに巻いた短い髪が特徴の脂っぽい中年男は、挨拶も早々に渋い顔で語り始めた。
「貴公には少々失望したぞ?ろくに剣も交えず先人達が苦労して奪い取った地を早々に捨て、大森林まで尻尾を巻いて逃げるとは…」
北の大国ボレアリアは北を寒風吹きすさぶ北大洋に、東を東大洋に面している。西部南部が陸続きなのだが、当のフォリシアは北東部においてかの国の南西部と国境を接していた。フォリシアの北には小国が割拠し、大国同士の対決のおこぼれにあずかっていた。東はやはり東大洋に面し、大きな港もある。戦争が始まる前まではこの二大国もそれなりに交流はあったものの、十年も経ちすっかり途絶えた。
件の大森林とは元々の国境だったところである。国の大半を森に覆われていたフォリシアは国内から産出する鉱物、燃料などで潤っていたが、山と森の国であるため農地が少なく、食糧供給に常に不安を抱えていた。農地を求め森の向こうのボレアリアへ侵攻したのである。大森林の向こうは肥沃な一大農業地帯だった。
「これは異な事を。無駄に兵を減らせば満足なさると仰る」
「この成り上がり者が!口のきき方に気をつけんか!」
オベアの皮肉を怒声で払い、彼は他の重臣達にぶちまけた。
「こんな軟弱者はさっさと東部国境防衛統括の任から引きずりおろさねばならん!大体異界の軍がどれほど強いというか?戦う前から逃げては戦力差もわからんではないか!」
頷く者もいれば苦笑する者、ため息をつく者もいた。重臣の間でも意見は割れていることを意味していた。反応からは主戦派も慎重派もお互いに主導権は取っていないようだった。
「失礼しました。しかし担当外の国境部では軒並み全滅、敗走させられたことを鑑みるに、態勢が整うまでは兵力を温存したままで退いた方が良いかと」
今まで腕組みをしていた慎重派の老人が席を立たずに呟いた。
「して、その態勢を整える当てはあるのかな?このままずるずる退いてジリ貧となっても仕方ないでな」
「…私見ですが」
絨毯の上で直立したままオベアは一つ断りをいれた。
「異界軍との戦いにおいて、平地の接近戦はないと確信しております」
「奴らは、迫り来る大軍を飛び道具で全滅させることができる、と」
別の初老の重臣がすかさず突っ込みを入れる。
「ええ、現にいくつもの戦場でそうされたのですよ、"我々が"。まず敵兵の顔をその目で見た者もほとんどいないのです。地平線の向こうからとめどなく鉄の塊が飛んできて、我々を八つ裂きにする。そういう戦いでした」
主戦派の意気が少し削がれたかに見えた。彼は畳み掛けるように続けた。
「彼らと真っ向から戦っては駄目です。やるなら二つ、接近戦をせざるを得ない状況にするか、こちらも接近戦はしないか…。敵の得意な空から爆発物を投げ落としてくる攻撃も、森林なら威力は半減。あの火を噴く鉄の象(戦車のこと)も森は簡単には進めません。ここで隠れながら罠を張り持久戦をします。これが前者」
「接近戦はしないと言うとどうするのかな?」
「相手には敵を近付かせぬ強力無比な飛び道具がありますが、こちらにも近付かなくてもできる攻撃がないではありません…『呪殺』にて」
「呪殺には体の一部が必要なのだぞ?戦力を減らせるほど倒せるとは思えんが…まあ貴公がそこまで断言するなら策はあるのだろう。武神の術策、拝見させて頂こうか」
その老人は納得したように二、三度頷くと口を閉じた。
その時、議場から少し離れた場所で大きな爆発音が轟いた。風の音もかき消すほどの音量は地面を大きく揺らした。その場はたちまち慌しくなった。
「着弾確認、帰投する」
青地に日の丸をあしらった爆撃機に乗ったパイロットは機を急旋回させた。それは強風の渦巻く蒼い空に溶けてすぐに消えた。
王宮の離れが木っ端微塵に砕かれたという知らせがすぐに室内に届いた。鉄の鳥がここまで爆撃をしに来たという事を知って、重臣達は揃って青ざめた。防空対策は無駄だった。首都が灰燼に帰す可能性もあるとなれば考えも変えねばならない。
「み、都から早く脱出せねば!火の海にされるぞ!」
「逃げてどうする!ここで逃げてもどこまでも追われる事に変わりはない」
「降伏するしかないのか」
「我々も潔く戦って散るべし!」
言い合いはもはや議論の体を成さなくなり、そそくさと退出する者も現れた。
どうしたものかとオベアが思索にふけっていると、後ろの扉がゆっくりと開かれた。そこに姿を現したのは正装した国王と、評議会から交渉の全権を任されたパーブルジュージだった。
「皆の者、静まれ!」
王の一喝で混乱を極めていた室内もたちどころに落ち着きを取り戻した。王と使者はオベアの脇を通って玉座の前に立った。立礼をする重臣達を一通り眺めると、彼は皆を落ち着けるように言った。
「どうやら異界の軍はここまで侵攻してくる気はないようだ。今のは講和の催促だろう」
怪訝な顔をする臣下らに対し、彼は続けた。
「考えてもみたまえ。本当に都を壊滅させるつもりなら離れなど狙わないし、今の攻撃ですでに市街は火の海になっているはずだ」
臣下の一人が口を震わせながら発言した。
「しかし、このままでは我々の生殺与奪の権は奴らが握っていることに変わりはなく…いつ気変わりして侵攻してくるか…」
「そこで彼が交渉しに来た訳だ」
王は隣にいたパーブルジュージに視線を向けた。その使者は深々と礼をして口を開いた。
「前日、異界の軍の窓口とも話をする機会があったのですが、彼らは奪われたボレアリアの領地を奪還するためにきた、即座に領地を返還すればそれ以外のものは求めない、と。賠償金も要らない、と申しておりました」
「なら、さっさと返してしまって終わらせよう!…という訳にはいかんのじゃろうなぁ」
老臣の一人が諦観の面持ちで呟いた。使者も同意するように頭を垂れた。
「ボレアリア本国は領土の割譲こそ要求しませんでしたが…。提示した賠償額が…五億リート(1リートは銀73g相当)」
一堂は皆苦虫を噛み潰したような顔で金額を聞いた。ぽつぽつと舌打ちも聞こえた。
「ふっかけてきたな!足元を見おって!」
豊かなフォリシアの国家予算から見ても三倍はあろうかという額だった。全額払うこととなれば恐ろしい増税とインフレが待っている。
「奴らの本隊には一回も!ただの一度も負けていないのに、そんな大金を払えと!?それならば異界の軍に全額払って寝返ってもらった方がよっぽどましだわい!」
「カスどもが!金は要らぬと言う虎の後ろで、威を借る狐が身包み剥ぐ気とは…見下げ果てた性根と言うべき他はない」
重臣達は先程の怯えた顔が嘘のようにいきり立っていた。
無理もない、と議場の脇で立っていたオベアは思った。彼らは本当に弱かった。力押ししか能のない軍だった。まあ連戦連勝し、今の地位を得ることができたのも彼らのおかげか、などと考えて彼は自嘲気味に苦笑した。
「周辺国にも負担を求めるにしてもやはり、この額は難しいな。最初に聞いた私もそう思ったからな」
王もため息をついてオベアの方を向いた。憔悴した王の顔を見て、オベアは精一杯の自信に満ちた笑顔を返した。
「将軍よ、まだ講和はできん。向こうがどうしても早期講和したいとなれば、賠償金を減額させる機会もあるはず。両者で思惑が違うのであれば、異界の軍からボレアリアに働きかけてもらうこともできるはずだ。あまり気乗りはしないと思うが…将軍の双肩にかかっているのだ。よろしく頼む」
深々と頭を下げた王に、オベアは慌てて行為を制止した。
「陛下、私のような者に頭を下げてはなりません。陛下は堂々と勅を発して下さればいいのです。国のため、未来のため、最後の血の一滴まで奮闘して参ります」
笑顔を取り戻して頷く王を横に、賠償額を聞いて青ざめていたマルカエデスが脇から低い声で脅しつけた。
「もう退けぬぞ!大森林を抜かれたら都まで後はない。わかっているな?」
「ええ、重々承知しております。その時は私の命もないでしょうからご心配なく」
オベアは一礼して踵を返し、うやむやになった査問会議の場を後にした。主役のいなくなって拍子抜けした重臣達もぞろぞろと退席し始めた。
王は対外工作を監督する臣の一人を呼び止め、他の者に気取られぬよう耳打ちした。
「──ゲートと異界諸国の調査を進めるように。おそらくこれが向こうの恐れている選択肢だ。我々もただ負けるわけにはいかん。最後の選択肢を用意しておかなくてはならぬ」
議場の隅ではパーブルジュージがローブの中で腰に手を当て、深いため息をついていた。かしげた顔を中央から分けるように、眉間に深い皺が寄っていた。