ロシア共和国クレムリン。大統領は特別にしつらえた道場で、得意の柔道の稽古を終えたばかりであった。
差し出されたタオルで汗を拭い、彼は側近に尋ねた。
「強欲な大臣どもはちゃんとプレゼントを受け取ったか?」
「はい。文官の中で最も有力な大臣があのような者で嬉しい限りです」
「そうか」
彼の体は還暦間近とは思えないほど鍛え上げられていた。タオルを投げ返し、彼はその足でシャワールームへと向かった。
大統領がシャワールームへ入るように手招きをしたため、側近は護衛の脇を抜けて、大統領が使用している間仕切りの前に立った。
「さすがにこの歳になると筋力は衰えるな。より柔道の術理通りあらねば強さを維持できない、と感じるようになった」
「私どもから見た限りでは衰えなど、とても」
「それは嬉しい」
湯が大統領の体を叩き、流れ落ちる音がしばし流れた。
「…やはり空軍同士で叩き合い、となるのか?」
水音に紛れ聞こえてきた声に側近は答えた。
「対ゲート結界外に船を出しても、対艦ミサイルが雨のように降ってきてタコ殴りにされるのが関の山ですから。米軍の誇る空母を使えないという点では、条件はかなりこちらに有利でしょう」
シャワーの栓がひねられ、水音がぴたりと止んだ。すっと側近の目の前の扉が開き、眉間にしわを寄せた大統領が彼を見つめた。
大統領はずっと持っていた一番の懸念を口にした。
「アメリカのステルス機に勝てるか」
「空戦で勝つと断言はできませんが、最終的に制空権を握れと仰るならば、いくらでもやりようはございます」
「…そうだな」
シャワールームから退出した大統領は側近に車の前で待っているようにと伝え、手早く体を拭いた。
いつもの黒いスーツに身を包んだ大統領が建物の外に出ると、先程の側近が黒い要人用車両のドアを開いて待っていた。大統領が身をかがめて乗り込み、彼もその後に続いた。
大統領は自分にも言い聞かせるように、静かに側近に言った。
「そう、最終的にゲートを独占するのが目的だ…目先の戦いに勝つことではない。君のおかげで再認識できたよ。礼を言う」
「お褒め頂き恐縮です。では今後のフォリシア政府への浸透方針について…」
彼らを乗せた車列はクレムリンの郊外へと走り去っていった。
差し出されたタオルで汗を拭い、彼は側近に尋ねた。
「強欲な大臣どもはちゃんとプレゼントを受け取ったか?」
「はい。文官の中で最も有力な大臣があのような者で嬉しい限りです」
「そうか」
彼の体は還暦間近とは思えないほど鍛え上げられていた。タオルを投げ返し、彼はその足でシャワールームへと向かった。
大統領がシャワールームへ入るように手招きをしたため、側近は護衛の脇を抜けて、大統領が使用している間仕切りの前に立った。
「さすがにこの歳になると筋力は衰えるな。より柔道の術理通りあらねば強さを維持できない、と感じるようになった」
「私どもから見た限りでは衰えなど、とても」
「それは嬉しい」
湯が大統領の体を叩き、流れ落ちる音がしばし流れた。
「…やはり空軍同士で叩き合い、となるのか?」
水音に紛れ聞こえてきた声に側近は答えた。
「対ゲート結界外に船を出しても、対艦ミサイルが雨のように降ってきてタコ殴りにされるのが関の山ですから。米軍の誇る空母を使えないという点では、条件はかなりこちらに有利でしょう」
シャワーの栓がひねられ、水音がぴたりと止んだ。すっと側近の目の前の扉が開き、眉間にしわを寄せた大統領が彼を見つめた。
大統領はずっと持っていた一番の懸念を口にした。
「アメリカのステルス機に勝てるか」
「空戦で勝つと断言はできませんが、最終的に制空権を握れと仰るならば、いくらでもやりようはございます」
「…そうだな」
シャワールームから退出した大統領は側近に車の前で待っているようにと伝え、手早く体を拭いた。
いつもの黒いスーツに身を包んだ大統領が建物の外に出ると、先程の側近が黒い要人用車両のドアを開いて待っていた。大統領が身をかがめて乗り込み、彼もその後に続いた。
大統領は自分にも言い聞かせるように、静かに側近に言った。
「そう、最終的にゲートを独占するのが目的だ…目先の戦いに勝つことではない。君のおかげで再認識できたよ。礼を言う」
「お褒め頂き恐縮です。では今後のフォリシア政府への浸透方針について…」
彼らを乗せた車列はクレムリンの郊外へと走り去っていった。
ボレアリアの王宮では大臣と国王が出席する最高会議が開かれ、無様に敗北したヴァリアヌス・スピラール護国卿の解任動議が当然のように提出されていた。
「貴様にはたとえ百万の軍を与えても駄目だ、駄目だ!とっとと引退せい!」
いつものように護国卿批判の先鋒に立つのは、内務卿エラリオ・レイエスだった。大臣にも様々な派閥があり、中でも最大の一派を率いるこの老人に、いつもは反発している者も今日だけは手放しで賛成していた。
「残念だがもう庇えんよ、スピラール殿」
「直情型の君にはもっと何だろう、人命のかからない平和的な役職が合ってるような気がするんだ」
コの字型に配置された席の中央に立たされて、一人批判の矢面に立つヴァリアヌスは奥歯が砕けそうなほど歯を噛み締めながら、うつむいて直立していた。
「…何か申し開きはあるかね?スピラール卿」
彼の正面中央に座る国王は騒ぐ大臣達を制して腕を組み、静かに言った。
「…私は国のため、私心を捨てて戦ったのですぞ!?それなのにまるで罪人のようなこの仕打ち…護国卿を何だと思われるか!」
「私心を捨てて戦った、は嘘であろう。功名心にはやらねばあのような暴走はしなかったな、違うかな」
「──ッ!」
間髪を入れずに切り返した国王の言葉に、再びヴァリアヌスはうつむくしかなかった。
一つ小さく息を入れた国王は哀れむような視線で彼を見つめた。
「スピラール卿を護国卿から解任する。異議のある者は挙手を」
しんと静まり返った王宮の会堂に、もはやヴァリアヌスの支持者はいなかった。
「恐れながら、近衛の長として彼の今後について意見させて頂けますか?陛下」
国王の隣でじっと事態を見守っていたフワンが切り出した。
「スピラール殿は軍に多大な影響力を持つ御方。新しい護国卿が軍を掌握するまでは蟄居して頂き、外部と連絡を禁じるのが上策かと」
「フワン!貴様ァ~!!この私が謀反を企てるというか!」
ヴァリアヌスはギラリと目を剥きフワンに怒鳴りつけた。フワンは涼しい顔で応えた。
「長い間軍を意のままに動かしてきた貴方を注意するのは当然。近衛隊長として陛下の御身が安泰であるための方策を申し上げたまでだ」
平素から国王に対しての不遜な振る舞いを度々繰り返していたヴァリアヌスに、疑いの目を持つものは多かった。フワンもその一人である。
ヴァリアヌスが今にもフワンに跳びかかろうかという素振りを見せたため、彼の側に立っていた守衛が慌てて脇を抑え付けた。
「卿の憤りもわからぬではないが…これ以上軍が混乱しても困るのでな…しばらく大人しくしていてもらうぞ、スピラール卿」
両腕を守衛に抱え込まれた元護国卿に、国王はできるだけ言葉を選びながら自宅への蟄居を言い渡した。
「後悔しますぞ!私以外に誰が軍を掌握できるものか!」
これ以上ここで抗っても無駄と判断したか、ヴァリアヌスは守衛を振りほどき、乱暴な足取りで会堂を退出していった。
少し空気がほっとしたのもつかの間、彼らには次の議題が待っていた。
「さて、次の護国卿をどうするか…」
誰かが呟いたその言葉に皆が頭を抱えた。
長らくかの一族がそのポストを独占していたため、下手な者を後釜につけるとヴァリアヌスの影響力が残ってしまう可能性がある。ようやく失態をついて引きずり下ろした無能者の院政を許すわけにはいかない。
ふと思いついたようにレイエスがフワンに言った。
「フワン。おぬしがやらんか?」
フワンは苦笑しながら頭を振った。
「ご冗談を。私は陛下の身をお守りする任務で精一杯にございます」
「…ならば、参謀の中から奴の子飼いでない者を探さなければならんな」
ヴァリアヌスの言いなりに動いていた者の中には当然、仕方なくそうしていた者もいるだろう。それを見つけ、旧派閥は排除する。戦時中であり、幹部の一新は速やかに行う必要があった。
国王は額に滲む汗を拭い、言った。
「まさかニホンの軍が警備している中を敵軍が突破してくるとは思わんが、可能な限り速やかに調査結果を出すように。いくら異界が進んでいるとはいえ、こちらにも矜持というものがある」
重い空気のままその日の会議は閉会した。
「貴様にはたとえ百万の軍を与えても駄目だ、駄目だ!とっとと引退せい!」
いつものように護国卿批判の先鋒に立つのは、内務卿エラリオ・レイエスだった。大臣にも様々な派閥があり、中でも最大の一派を率いるこの老人に、いつもは反発している者も今日だけは手放しで賛成していた。
「残念だがもう庇えんよ、スピラール殿」
「直情型の君にはもっと何だろう、人命のかからない平和的な役職が合ってるような気がするんだ」
コの字型に配置された席の中央に立たされて、一人批判の矢面に立つヴァリアヌスは奥歯が砕けそうなほど歯を噛み締めながら、うつむいて直立していた。
「…何か申し開きはあるかね?スピラール卿」
彼の正面中央に座る国王は騒ぐ大臣達を制して腕を組み、静かに言った。
「…私は国のため、私心を捨てて戦ったのですぞ!?それなのにまるで罪人のようなこの仕打ち…護国卿を何だと思われるか!」
「私心を捨てて戦った、は嘘であろう。功名心にはやらねばあのような暴走はしなかったな、違うかな」
「──ッ!」
間髪を入れずに切り返した国王の言葉に、再びヴァリアヌスはうつむくしかなかった。
一つ小さく息を入れた国王は哀れむような視線で彼を見つめた。
「スピラール卿を護国卿から解任する。異議のある者は挙手を」
しんと静まり返った王宮の会堂に、もはやヴァリアヌスの支持者はいなかった。
「恐れながら、近衛の長として彼の今後について意見させて頂けますか?陛下」
国王の隣でじっと事態を見守っていたフワンが切り出した。
「スピラール殿は軍に多大な影響力を持つ御方。新しい護国卿が軍を掌握するまでは蟄居して頂き、外部と連絡を禁じるのが上策かと」
「フワン!貴様ァ~!!この私が謀反を企てるというか!」
ヴァリアヌスはギラリと目を剥きフワンに怒鳴りつけた。フワンは涼しい顔で応えた。
「長い間軍を意のままに動かしてきた貴方を注意するのは当然。近衛隊長として陛下の御身が安泰であるための方策を申し上げたまでだ」
平素から国王に対しての不遜な振る舞いを度々繰り返していたヴァリアヌスに、疑いの目を持つものは多かった。フワンもその一人である。
ヴァリアヌスが今にもフワンに跳びかかろうかという素振りを見せたため、彼の側に立っていた守衛が慌てて脇を抑え付けた。
「卿の憤りもわからぬではないが…これ以上軍が混乱しても困るのでな…しばらく大人しくしていてもらうぞ、スピラール卿」
両腕を守衛に抱え込まれた元護国卿に、国王はできるだけ言葉を選びながら自宅への蟄居を言い渡した。
「後悔しますぞ!私以外に誰が軍を掌握できるものか!」
これ以上ここで抗っても無駄と判断したか、ヴァリアヌスは守衛を振りほどき、乱暴な足取りで会堂を退出していった。
少し空気がほっとしたのもつかの間、彼らには次の議題が待っていた。
「さて、次の護国卿をどうするか…」
誰かが呟いたその言葉に皆が頭を抱えた。
長らくかの一族がそのポストを独占していたため、下手な者を後釜につけるとヴァリアヌスの影響力が残ってしまう可能性がある。ようやく失態をついて引きずり下ろした無能者の院政を許すわけにはいかない。
ふと思いついたようにレイエスがフワンに言った。
「フワン。おぬしがやらんか?」
フワンは苦笑しながら頭を振った。
「ご冗談を。私は陛下の身をお守りする任務で精一杯にございます」
「…ならば、参謀の中から奴の子飼いでない者を探さなければならんな」
ヴァリアヌスの言いなりに動いていた者の中には当然、仕方なくそうしていた者もいるだろう。それを見つけ、旧派閥は排除する。戦時中であり、幹部の一新は速やかに行う必要があった。
国王は額に滲む汗を拭い、言った。
「まさかニホンの軍が警備している中を敵軍が突破してくるとは思わんが、可能な限り速やかに調査結果を出すように。いくら異界が進んでいるとはいえ、こちらにも矜持というものがある」
重い空気のままその日の会議は閉会した。
「アメリカ合衆国陸軍中将ケニー・ジョンソンと申します。以後よろしく」
「ニホンの同盟国アメリカは異界最強の国と聞いている…こちらこそよろしく」
ボレアリア王城の謁見の間では、米軍の異世界軍司令官と国王が握手を交わしたところだった。
日本の紹介を受けた米軍は密かに異世界派遣軍を編成し、ロシアへの対抗姿勢を着々と進めていた。今日の表敬訪問は、米軍が本格展開する準備が整ったためボレアリアへの友好の印として司令官が国王に面会を要請した、という形で行われた。
アメリカが供与した武器の目録を見て、国王はいたくご機嫌だった。フォリシアが先に銃を供与されたのを聞いていたため、ようやく追いつけたという安堵もあった。
覚書を交換した後の簡単な宴を終えて帰路に着いたジョンソン司令官だったが、ゲートを超え米国内の基地に戻ると作り笑顔から一変、
「クソッ!とんだ貧乏くじだ!あんな土人どもの面倒を見なきゃいけないなんてな!」
彼は廊下を歩きながらふてくされたように少し白髪の混じってきた頭をかきあげ、副官のダニー・オランテス大佐に不満をぶちまけた。
「極秘任務とはいえ、重要な仕事ですから成功させれば栄転ですよ」
振り向いた司令官は突然、人差し指で副官の額を小突いた。
「ダニー、俺は別に世界のどんな困難な地域に派遣されても文句はない。だが何だ、魔法の国って!?ビデオゲームかディズニーか、マジック・ザ・ギャザリングか?兵士が銃弾に倒れるのはいいだろう、みんな覚悟もある、だが魔法なんかで死んだら兵士の魂は浮かばれない!」
立ち止まり、大きな手振りを交えながら一気にまくし立てた司令官に、オランテス大佐は静かな口調でなだめた。
「お気持ちは理解します。が、あの地を掌握したら弾道ミサイルが要らなくなる、となれば上の方々には最重要の戦略地域となるのは仕方ないでしょう」
「全く気が進まんが、ま…『いろいろと』気兼ねなくできるという点では価値はあるか。とりあえずお下がりの銃もくれてやったしな」
ボレアリア側に供与した銃は米軍が使い古したM16やM4などの旧式銃だった。
ロシアが構造の簡単で丈夫な小銃を供与したのに対し、あえて構造の複雑な銃を供与した訳は、国内においてはゲートによって兵站をほぼ無視できるので、多少手間金がかかってもローテーションして整備工場に送った方が都合が良い、という判断だった。そしてそれは現地軍を攻撃に参加させない、という意志の表れでもあった。
「おもちゃで喜んでいてくれればいいさ。未開人の兵など我が米軍の足手まといになるだけ、我々の邪魔をしないように機嫌をとっとくだけだ。そうだな?ダニー」
「はい、我々の敵はあくまでロシアであります」
「よろしい。なあに、地図ができるのは日本が先に来てたこちらの方が早いはず。先制の夜間爆撃の後は俺達の出番だ」
異世界の高空ではすでにお互いの無人偵察機と迎撃機の戦いが始まっていた。偵察機の運用では米国に分がある、と司令官は自信満々だった。
「は、あの、協定はよろしいので…?」
司令官は鼻でため息をついた。
「ダニー、決め事ってのはなあ、自分に有利になるように破るためにあるんだ。不利なときだけ相手が破ったことを責めるのさ。ま、それはあちらも先刻ご承知だろう」
司令官は不敵に笑った。
「ニホンの同盟国アメリカは異界最強の国と聞いている…こちらこそよろしく」
ボレアリア王城の謁見の間では、米軍の異世界軍司令官と国王が握手を交わしたところだった。
日本の紹介を受けた米軍は密かに異世界派遣軍を編成し、ロシアへの対抗姿勢を着々と進めていた。今日の表敬訪問は、米軍が本格展開する準備が整ったためボレアリアへの友好の印として司令官が国王に面会を要請した、という形で行われた。
アメリカが供与した武器の目録を見て、国王はいたくご機嫌だった。フォリシアが先に銃を供与されたのを聞いていたため、ようやく追いつけたという安堵もあった。
覚書を交換した後の簡単な宴を終えて帰路に着いたジョンソン司令官だったが、ゲートを超え米国内の基地に戻ると作り笑顔から一変、
「クソッ!とんだ貧乏くじだ!あんな土人どもの面倒を見なきゃいけないなんてな!」
彼は廊下を歩きながらふてくされたように少し白髪の混じってきた頭をかきあげ、副官のダニー・オランテス大佐に不満をぶちまけた。
「極秘任務とはいえ、重要な仕事ですから成功させれば栄転ですよ」
振り向いた司令官は突然、人差し指で副官の額を小突いた。
「ダニー、俺は別に世界のどんな困難な地域に派遣されても文句はない。だが何だ、魔法の国って!?ビデオゲームかディズニーか、マジック・ザ・ギャザリングか?兵士が銃弾に倒れるのはいいだろう、みんな覚悟もある、だが魔法なんかで死んだら兵士の魂は浮かばれない!」
立ち止まり、大きな手振りを交えながら一気にまくし立てた司令官に、オランテス大佐は静かな口調でなだめた。
「お気持ちは理解します。が、あの地を掌握したら弾道ミサイルが要らなくなる、となれば上の方々には最重要の戦略地域となるのは仕方ないでしょう」
「全く気が進まんが、ま…『いろいろと』気兼ねなくできるという点では価値はあるか。とりあえずお下がりの銃もくれてやったしな」
ボレアリア側に供与した銃は米軍が使い古したM16やM4などの旧式銃だった。
ロシアが構造の簡単で丈夫な小銃を供与したのに対し、あえて構造の複雑な銃を供与した訳は、国内においてはゲートによって兵站をほぼ無視できるので、多少手間金がかかってもローテーションして整備工場に送った方が都合が良い、という判断だった。そしてそれは現地軍を攻撃に参加させない、という意志の表れでもあった。
「おもちゃで喜んでいてくれればいいさ。未開人の兵など我が米軍の足手まといになるだけ、我々の邪魔をしないように機嫌をとっとくだけだ。そうだな?ダニー」
「はい、我々の敵はあくまでロシアであります」
「よろしい。なあに、地図ができるのは日本が先に来てたこちらの方が早いはず。先制の夜間爆撃の後は俺達の出番だ」
異世界の高空ではすでにお互いの無人偵察機と迎撃機の戦いが始まっていた。偵察機の運用では米国に分がある、と司令官は自信満々だった。
「は、あの、協定はよろしいので…?」
司令官は鼻でため息をついた。
「ダニー、決め事ってのはなあ、自分に有利になるように破るためにあるんだ。不利なときだけ相手が破ったことを責めるのさ。ま、それはあちらも先刻ご承知だろう」
司令官は不敵に笑った。
日本国内、某山地。一面木々で覆われた森の一角にぽっかりと開かれた空間があった。 そこには半径数十メートルも切り開いた跡地に、異界から持ち込んだ塗料でこぢんまりとした五芒星の魔方陣が描かれていた。
昼下がりの強烈な日差しを背に浴びながら、渋い顔をしながら魔方陣を魔法文字で装飾していた魔道師が、小さく頷いた。
「成功です」
「成功ですか。そうすると一応こちらの世界にも対ゲート結界を張ることはできると」
しゃがみながら頬杖をついた魔道師に、後ろにいた陸自の高官はほっとした面持ちで答えた。
「ただ、やはり実用にはならないでしょう」
魔道師は黒いローブの袖をまくり、指にはめた翻訳魔法のかかった指輪を見せた。
「このようにごく小さな魔法ならばそう魔力を食うものでもないですが…こちらの世界では魔力の補充ができないのは致命的です。賢者の石を交換する度に結構な時間、魔法が止まりますから…使うときだけ開ければいいゲート魔法ならともかく、常時起動していなければならない対ゲート結界には使えません。それに、賢者の石も自国の使用分で手一杯で、とてもこちらの世界まで回す余裕はないかと…」
異世界では、対ゲート結界には魔力の補充をする魔道師が数十人も付きっきりで昼夜魔力を陣の賢者の石に送り込むため、石の交換をする必要はないが、地球世界ではそうはいかない。魔方陣に組み込まれた石をはずすため、陣を壊さなければいけない箇所が出てくる。直すのにかなりの手間がかかるのだった。
「無理ですか…こちらの世界にも対ゲート結界を張れれば、と思いましたが。魔力の補充か…」
「魔素というのは我々の世界が『子』であることの副産物…あなた方の世界から垂れてくる地精の雫の水たまりをすすって生きているのが私達の世界。垂れるときに次元の隙間で変化したものが魔素という、神が憐れんで授けた小さなおまけです」
彼らの世界は特に地精が強く『たまる』地域でなければ作物もろくに育たない。いくら肥料をやったところで痩せこけた草木が生えてくるだけである。
そして、地精が乏しい故にどの国も食糧の増産に頭を痛めていた。穀倉地帯は現実世界でいえば石油産出地域ほどの垂涎の的だった。
黒いローブは直射日光でかなりの熱を蓄えていた。魔道師は吹き出す汗をぬぐうと、ローブの裾を払って立ち上がった。高官も作業をしていた隊員達に撤収の合図をし、後片付けの様子を見守った。
魔道師はふと気付いたように口にした。
「一つお願いがあるのですが」
「何でしょう?」
魔道師は遠く自分の故郷へ思いをはせるように言った。
「事が落ち着いたら、痩せた土地の近くにゲートを開けて頂きたいのですが。ゲートから地精が流れ込むことがあれば、もしかしたら地精が濃くなり、作物が育つようになるかもしれません」
「それは面白いですね。いずれ上に提案してみましょう」
陽が地平線に落ち、隊員が立ち去った後、大きく開いた森の穴だけが残された。
昼下がりの強烈な日差しを背に浴びながら、渋い顔をしながら魔方陣を魔法文字で装飾していた魔道師が、小さく頷いた。
「成功です」
「成功ですか。そうすると一応こちらの世界にも対ゲート結界を張ることはできると」
しゃがみながら頬杖をついた魔道師に、後ろにいた陸自の高官はほっとした面持ちで答えた。
「ただ、やはり実用にはならないでしょう」
魔道師は黒いローブの袖をまくり、指にはめた翻訳魔法のかかった指輪を見せた。
「このようにごく小さな魔法ならばそう魔力を食うものでもないですが…こちらの世界では魔力の補充ができないのは致命的です。賢者の石を交換する度に結構な時間、魔法が止まりますから…使うときだけ開ければいいゲート魔法ならともかく、常時起動していなければならない対ゲート結界には使えません。それに、賢者の石も自国の使用分で手一杯で、とてもこちらの世界まで回す余裕はないかと…」
異世界では、対ゲート結界には魔力の補充をする魔道師が数十人も付きっきりで昼夜魔力を陣の賢者の石に送り込むため、石の交換をする必要はないが、地球世界ではそうはいかない。魔方陣に組み込まれた石をはずすため、陣を壊さなければいけない箇所が出てくる。直すのにかなりの手間がかかるのだった。
「無理ですか…こちらの世界にも対ゲート結界を張れれば、と思いましたが。魔力の補充か…」
「魔素というのは我々の世界が『子』であることの副産物…あなた方の世界から垂れてくる地精の雫の水たまりをすすって生きているのが私達の世界。垂れるときに次元の隙間で変化したものが魔素という、神が憐れんで授けた小さなおまけです」
彼らの世界は特に地精が強く『たまる』地域でなければ作物もろくに育たない。いくら肥料をやったところで痩せこけた草木が生えてくるだけである。
そして、地精が乏しい故にどの国も食糧の増産に頭を痛めていた。穀倉地帯は現実世界でいえば石油産出地域ほどの垂涎の的だった。
黒いローブは直射日光でかなりの熱を蓄えていた。魔道師は吹き出す汗をぬぐうと、ローブの裾を払って立ち上がった。高官も作業をしていた隊員達に撤収の合図をし、後片付けの様子を見守った。
魔道師はふと気付いたように口にした。
「一つお願いがあるのですが」
「何でしょう?」
魔道師は遠く自分の故郷へ思いをはせるように言った。
「事が落ち着いたら、痩せた土地の近くにゲートを開けて頂きたいのですが。ゲートから地精が流れ込むことがあれば、もしかしたら地精が濃くなり、作物が育つようになるかもしれません」
「それは面白いですね。いずれ上に提案してみましょう」
陽が地平線に落ち、隊員が立ち去った後、大きく開いた森の穴だけが残された。
フォリシアの王宮の中では、朝議を終えて大臣達の立ち話がそこかしこで始まっていた。
一番大きな人の輪はもちろん最有力者マルカエデスの周りにできていた。そこに人の輪を押し開き、割って入る一人の老人の姿があった。
老人は彼の直前に立ち、怒鳴った。
「マルカエデス殿!オベア殿の家族を貶めるあの所業、いくら不仲とは言えど許されることではありませんぞ!」
顔に深く刻まれたしわに長く上に尖った耳、伸ばしたあごひげ。彼はエルフ、長耳種と呼ばれる強力な魔力を持った種族の末裔だった。
「ホジフ殿、あまり頭に血を上らせるとお体に悪いですぞ。頭の血管が破れると死んでしまいますでな」
マルカエデスは象牙のパイプを悠然とくゆらせ、側頭部にもってきた右拳をぱっ、と開いてみせた。その仕草を見て周りの者は皆吹き出した。
老エルフ、マウディ・ホジフはさらに目を吊り上げ、歯軋りした。
先日、謀略を企てたマルカエデス一派は早々に多数派工作を終えると、オベアの自宅にいた妻と子供を有無を言わさず連行し、ロシアに二人を日本へ送還してくれと言付けし、引き渡した。
そして今日の朝議で事後報告という形で国王に上奏したのである。国王は当然事前に連絡しないことを怒ったが、多数の大臣に妻が敵国人であるのは問題だとしつこく突っつかれ、オベアを前線からはずそうという話にまで発展しそうになったため、結局拳を降ろさざるを得なかった。
親オベア派の大臣も決して少なくはないのだが、権勢著しいマルカエデスに逆らうのを恐れた者が多かった。ホジフは数少ない擁護派だった。
「私を侮辱するのならば、いくら貴公であっても許しませんぞ?生憎、先祖から授かった魔力の器は貴公らより多少大きいのでな」
小さく両手に魔法の炎を灯すとマルカエデスは笑みを崩さないまま謝罪した。
「おおホジフ殿、機嫌を損ねたなら申し訳ない。他意はない……が」
マルカエデスはパイプを口元から離し、火皿をホジフに向けた。
「ドラゴンほどの魔力ならともかく、個人の魔力を誇る時代は九百年前、とっくに終わったのですよ。時代錯誤は困りますな」
「…フン」
九百年前、人間が賢者の石と魔力を通す塗料を見つけ、個人の魔力の器から開放されたことを後世の人は『魔法革命』と呼んでいるのだが、ともかくその出来事の後、早々にエルフは人間の軍門に下った。いくらエルフが人より強い魔力を持っていると言えども、賢者の石に蓄積した巨大な魔力による大魔法を計画的に運用されては手も足も出なかった。
下っ端魔道師でも、あらかじめ用意した魔方陣と賢者の石があればエルフを超える術を使ってくるのである、かなうはずもない。その後勢力を拡大した人間が百年弱で竜族までも駆逐したのは先述の通りである。
人間の社会に組み込まれたエルフは当初反発していたものの、地位の高い一族を貴族に登用、エルフ魔道師の優遇など懐柔を進めた結果、数世代の後には混血し血も薄まり、人の社会に溶け込んでいった。
ホジフは未だほとんど混血のない純血エルフ貴族の一員である。
彼は手の炎を振り消して言った。
「敗戦したタビラス殿の責には一言も触れず、先の戦で大勝したオベア殿は信用できぬ、と。どういう思考をすればそういう結論になるのか」
「そうだな。少しは私も責めてくれた方が気が楽だった」
気が付くと後ろにはマルケル・タビラスその人がばつが悪そうに立っていた。先の朝議で敗戦を国王に叱責されたものの、彼に重い処分はなかった。そのすぐ後に勝利した盟友の家族追放の話である。居づらくならないわけがなかった。彼は会議が終わるまでその体を小さくして時間が過ぎるのを待っていたのだった。
次々に会釈するマルカエデス他、重臣達はこぞって言った。
「タビラス殿はこれからもますます奮戦して頂かねばならぬ御方よ。奇襲が一度失敗したくらいで責めてどうする」
「然り、然り。剛毅一番で通るタビラス殿には自由にやって頂かねば」
なおも反論しようとしたホジフをふわりと腕で遮り、
「では皆さん、失礼します」
と、タビラスは鷹揚に頭を下げると、ホジフの背中を押して共に場を後にした。
王宮の中庭に通る渡り廊下に出たところでタビラスは呆れたように言った。
「何だかんだ言っても、結局奴らは平民出身のカルダーが気に食わないだけよ。つまらん蔑視が根底にある以上、口で言い合ってもしょうがない」
「かといって、本人のいない間にあの仕打ちはない!」
「うむ…何とかしなければ、な…。君らは動くな。頃合を見計らって密通で誣告されるのがオチだ。私が直接陛下と話をつけてこよう」
一番大きな人の輪はもちろん最有力者マルカエデスの周りにできていた。そこに人の輪を押し開き、割って入る一人の老人の姿があった。
老人は彼の直前に立ち、怒鳴った。
「マルカエデス殿!オベア殿の家族を貶めるあの所業、いくら不仲とは言えど許されることではありませんぞ!」
顔に深く刻まれたしわに長く上に尖った耳、伸ばしたあごひげ。彼はエルフ、長耳種と呼ばれる強力な魔力を持った種族の末裔だった。
「ホジフ殿、あまり頭に血を上らせるとお体に悪いですぞ。頭の血管が破れると死んでしまいますでな」
マルカエデスは象牙のパイプを悠然とくゆらせ、側頭部にもってきた右拳をぱっ、と開いてみせた。その仕草を見て周りの者は皆吹き出した。
老エルフ、マウディ・ホジフはさらに目を吊り上げ、歯軋りした。
先日、謀略を企てたマルカエデス一派は早々に多数派工作を終えると、オベアの自宅にいた妻と子供を有無を言わさず連行し、ロシアに二人を日本へ送還してくれと言付けし、引き渡した。
そして今日の朝議で事後報告という形で国王に上奏したのである。国王は当然事前に連絡しないことを怒ったが、多数の大臣に妻が敵国人であるのは問題だとしつこく突っつかれ、オベアを前線からはずそうという話にまで発展しそうになったため、結局拳を降ろさざるを得なかった。
親オベア派の大臣も決して少なくはないのだが、権勢著しいマルカエデスに逆らうのを恐れた者が多かった。ホジフは数少ない擁護派だった。
「私を侮辱するのならば、いくら貴公であっても許しませんぞ?生憎、先祖から授かった魔力の器は貴公らより多少大きいのでな」
小さく両手に魔法の炎を灯すとマルカエデスは笑みを崩さないまま謝罪した。
「おおホジフ殿、機嫌を損ねたなら申し訳ない。他意はない……が」
マルカエデスはパイプを口元から離し、火皿をホジフに向けた。
「ドラゴンほどの魔力ならともかく、個人の魔力を誇る時代は九百年前、とっくに終わったのですよ。時代錯誤は困りますな」
「…フン」
九百年前、人間が賢者の石と魔力を通す塗料を見つけ、個人の魔力の器から開放されたことを後世の人は『魔法革命』と呼んでいるのだが、ともかくその出来事の後、早々にエルフは人間の軍門に下った。いくらエルフが人より強い魔力を持っていると言えども、賢者の石に蓄積した巨大な魔力による大魔法を計画的に運用されては手も足も出なかった。
下っ端魔道師でも、あらかじめ用意した魔方陣と賢者の石があればエルフを超える術を使ってくるのである、かなうはずもない。その後勢力を拡大した人間が百年弱で竜族までも駆逐したのは先述の通りである。
人間の社会に組み込まれたエルフは当初反発していたものの、地位の高い一族を貴族に登用、エルフ魔道師の優遇など懐柔を進めた結果、数世代の後には混血し血も薄まり、人の社会に溶け込んでいった。
ホジフは未だほとんど混血のない純血エルフ貴族の一員である。
彼は手の炎を振り消して言った。
「敗戦したタビラス殿の責には一言も触れず、先の戦で大勝したオベア殿は信用できぬ、と。どういう思考をすればそういう結論になるのか」
「そうだな。少しは私も責めてくれた方が気が楽だった」
気が付くと後ろにはマルケル・タビラスその人がばつが悪そうに立っていた。先の朝議で敗戦を国王に叱責されたものの、彼に重い処分はなかった。そのすぐ後に勝利した盟友の家族追放の話である。居づらくならないわけがなかった。彼は会議が終わるまでその体を小さくして時間が過ぎるのを待っていたのだった。
次々に会釈するマルカエデス他、重臣達はこぞって言った。
「タビラス殿はこれからもますます奮戦して頂かねばならぬ御方よ。奇襲が一度失敗したくらいで責めてどうする」
「然り、然り。剛毅一番で通るタビラス殿には自由にやって頂かねば」
なおも反論しようとしたホジフをふわりと腕で遮り、
「では皆さん、失礼します」
と、タビラスは鷹揚に頭を下げると、ホジフの背中を押して共に場を後にした。
王宮の中庭に通る渡り廊下に出たところでタビラスは呆れたように言った。
「何だかんだ言っても、結局奴らは平民出身のカルダーが気に食わないだけよ。つまらん蔑視が根底にある以上、口で言い合ってもしょうがない」
「かといって、本人のいない間にあの仕打ちはない!」
「うむ…何とかしなければ、な…。君らは動くな。頃合を見計らって密通で誣告されるのがオチだ。私が直接陛下と話をつけてこよう」